« 2022年9月 | トップページ | 2022年11月 »

2022年10月

オンライン署名ご協力のお願い

私のこのblogを定期的に読んでいただいている方はそんなに多くはないと思いますが,読者の皆さんにオンライン署名の協力をお願いします。

来月1127日に東京都内の公立中学校3年生を対象とした英語スピーキングテスト(ESAT-J)が実施されます。
このテストは東京都教育委員会が進めている英語教育において,英語を話す能力を測定するアチーブメントテストとして実施されますが,実際には来年度の東京都立高校の入試にも利用される予定になっています。
さまざまな問題が指摘され,Twitterでは入試への利用を中止させようとする保護者がアカウントを作り,情報発信をしています。
https://twitter.com/hogosha20221127

まだこの問題をご存知ない方は,こちらの動画をご覧ください。当事者である保護者の1人も参加していて,この問題がとてもわかりやすい番組になっています。
ポリタスTV「都立高入試で問題含みのスピーキングテスト導入へ」
https://youtu.be/ma8Mf1h1kIw

研究者の方々も東京都教育委員会に要望をし,その会見の模様もYouTubeで見ることができます。こちらはより専門的な見地から,この問題の根深さというか,掘り下げた問題提起となっています。
ESAT-Jの都立高校入試利用中止を要望する会見」
http://youtu.be/JMtbi6ncvb4

今更中止なんてできないよと思うかもしれませんが,意思を示さないかぎりは何も変わりません。
こちらのネット署名はまだ行っていますので,この問題を理解し,賛同していただける方は是非,書名をお願いいたします。
https://t.co/90VBwPUvwo

| | コメント (0)

【読書日記】インゴルド『ラインズ』

インゴルド, T.著,工藤 晋訳(2014):『ラインズ――線の文化史』左右社,267+viiip.2,750円.

 

私はあまり人類学の文献を読んでこなかった。なので,知っている外国人の人類学者の名前といったら,翻訳されている人の一部でしかない。しかし,インゴルドの名前は知っていた。私は2013年に風景に関する論文を発表したが,その際の文献調査のなかで,インゴルドの論文を発見し,読んでいた。すごい論文だとは思ったが,私のレビューの流れに位置づけることができずに最終的には文献表に含むことはなかった。ダウンロードしたはずの論文PDFファイルも残っておらず,タイトルや掲載雑誌名など忘れてしまっていたが,「Ingold landscape」で検索したらすぐに出てきました。『World Archaeology』という雑誌に1993年に掲載された「The temporality of the landscape」でした。ブリューゲルの「穀物の収穫」(1565年)という作品が転載されています。それを読んだ時には,インゴルドがどの程度評価されているのか知る由もなかったので,本書が出版された時には驚いた。しかも,立て続けに翻訳が続き,論文を読んだ時にも一筋縄では行かない印象があったが,なんとなく嬉しかった。インゴルドの著作には,『The approprietion of nature』(1986年)や『The perception of the environment』(2000年)という地理学と関連するものもあり,これらが先に翻訳されていたら読んだと思うが,本書やその他の翻訳本にはこれまで手を出さなかった。
今回,トラベル・ライティングについて考えるなかで,本書で論じられる「ライン」にヒントがあるのではないかと考え,購入した。確信のある予感ではなかったが,ほぼ的中し,いくつかのヒントを得ることができた。

序論
第一章 言語・音楽・表記法
第二章 軌跡・糸・表面
第三章 上に向かう・横断する・沿って進む
第四章 系譜的ライン
第五章 線描・記述・カリグラフィー
第六章 直線になったライン

本書は書名通り,「ライン=線」をめぐって議論が繰り広げられているわけだが,やはり一筋縄ではいかない。また,冒頭で言い訳のように,本書はこのテーマについての始まりであり,全てを語りつくしたわけでもないと書いてあるが,読了してその通りだと思った。非常に議論が開かれていて,読者がいろんなトピックに関心を持ち,それぞれ独自に展開していく余地というか潜在性というか可能性を秘めた書だと思う。
第一章の冒頭は「発話と歌の区別」と題されている。本書は完全なオリジナリティを有するというわけではなく,それぞれのトピックで参照している重要な文献がある。冒頭のこの議論に関しては,翻訳もあるオング『声の文化と文字の文化』(藤原書店,1999年)が出発点にある。本書のテーマ「ライン」は様々な意味合いで用いられているが,一つは第四章のタイトルにもなっているが,「系譜」という歴史的連続性である。発話と歌,現代においてはある程度区別されているが,ラップというジャンルでは再び接近し,いまだに農作業で口ずさまれる歌など,元来の近しい存在も存続している。また,第五章の主題である,字を書くことと線を引くこと,絵を描くことの連続性についても論じられている。本書の特徴は,非物質的な連続性とともに,物質的な「軌跡」というものにも大きな比重があるところにもある。前半は読んでいて,先日亡くなった地理学者イーフー・トゥアンの博物誌的な作品を思い起こした。人類学者でありながら,この日記の冒頭で触れた論文のように恐らく考古学にも精通している著者だから,世界中から,またいろんな時代から適切な事例を引き出し,そうした事例間の共通性を見出しつつ,その多様性も示していくという論調はトゥアンに似ている。しかし,トゥアンがどちらかというと前半に理論的な話をして,後半に多くの事例を提示するのに対し,本書はこの事例提示には固執しない。そこが魅力的で読みやすい。とはいえ,「ライン」というテーマに貫かれながらもサブテーマはかなり広範で,しかも,このラインという概念自体がかなり緩やかなので,その展開にはかなりおおらかな気持ちで受け止めていかないと追いつけない。
第一章が音というどちらかというと物質性を伴わない事象であったのに対し,第二章は平面上に描き込まれるものが議論される。いわゆる絵画的なものに限定されず,表題にあるように糸や手相の皴,星座の星と星を結ぶ想像上の線など多岐にわたり,最終的には文字,さらには装飾された文字にまで議論が達する。
第三章はまさに私が期待していた内容でした。人間の移動という基本的な事実から出発し,第二章のテーマに引き寄せます。移動した軌跡を人間は地図というものに変換していきます。もちろん,ここでは地理学者が辿るようないわゆる地図の歴史ではなく,地図的なものが出来上がる概念的な過程が論じられ,さらにはそれを言葉として語るストーリーラインへと発展していくのです。なお,この辺りの議論はド・セルトーの『日常的実践のポイエティーク』を議論の土台としている。
第四章は,個人の血統と,生物の進化という系統=系譜がテーマ。こちらも人類学や生物学の具体専門的な議論を超越し,概念的なレベルで両者を結びつけてという論調が見事。第五章は第二章のテーマを受け継ぎ,世界各地の文字の歴史を踏まえ,絵画と文字の連続性,そして再び文字が絵画性を獲得すること,両者の関係性が論じられます。なお,ネルソン・グッドマンの『芸術の言語』もしばしば参照されます。
最終章である第六章はまさしく圧巻。これまでのサブテーマがまさに「ライン」という概念で終結され,しかも私たちはラインと聞くと直線を思い浮かべてしまうが,もともとはもちろんそうではなく(フリーハンドで厳密な直線を引くのは不可能),線というものが時代を追うごとに直線というものになっていくのだ(もちろん,そんな単純な話ではない),という大まかな理解を踏まえておく必要がある。
なお,本書には地理学者が二人登場していた。一人目は歴史地理学者という肩書になっていたが,景観研究のOlwigであり,もう一人はスケールや境界の研究で知られる政治地理学者Paasiである。引かれている文献はいずれも論文集の一部で知らないものだったが,面白そうな文献なので,探して読んでみたい。このテーマで私が真っ先に思い描いた地理学者はヘーゲルストラントである。スウェーデンの地理学者で時間地理学の創始者である。本書の続編がすでに翻訳されているが,インゴルドがヘーゲルストランとに出会った時(まあ,知ってはいるが言及していない可能もある),どんな議論が展開されるのか,楽しみでもある。

| | コメント (0)

【読書日記】Dancan and Gregory eds. : Writes of passage: reading travel writing.

Dancan, J. and Gregory, D. eds. (1999): Writes of passage: reading travel writing. London: Routledge.

 

本書が出版された当時,私はまだ辛うじて大学に所属していたので,本書の存在は知っていた。編者の一人,ジェイムス・ダンカンは地理学における表象研究を1990年代に牽引していた人物で,グレゴリーは地理学理論の貢献を長らくしていた。今思うと,本書が出版されたこの頃はこの2人にとっても転機だと思われる。とはいえ,ダンカンの方はこれ以降目立った研究は減っていくのだが,グレゴリーはエジプトの研究を精力的にしている頃。
私は最近トラベル・ライティング研究の文献調査をしているが,数年前に関連図書の書評を書いた時に真っ先に本書を思い出し,言及はしていた。しかし,その時は実物が手元にはなく,今回改めて入手し,また辞書なしで読んだ次第。なかなか英語読解能力は向上していません。特に本書のように,歴史的な内容や,日本で翻訳・紹介のされていない文学作品を扱ったものは特に知らない単語も多く,理解できない部分が多いです。ということで,はじめに言い訳しておきますが,詳細な紹介はできません。どんな内容が書かれているのかのみの記録です。

1 序章:ジェイムス・ダンカン,デレク・グレゴリー(地理学)
2
アフリカの限定された見方:18世紀初頭の語りにおける野性と市民性の地理:ロクサン・ウィーラー(英文学)
3
啓蒙の旅:チベットにおける顕現の形成:ローリー・ハヴェル・マクミリン(解説文)
4
旅の記述,セクシュアリティの地図化:リチャード・バートンのソタディック・ゾーン:リチャード・フィリップス(地理学)
5
ラックノウからの逃避行:ホームを旅し記述する英国女性,1857-8:アリソン・ブラント(地理学)
6
エジプトを書き刻む:オリエンタリズムと旅の文化:デレク・グレゴリー(地理学)
7
脱オリエンタリズム:遠く離れた場所における親しみの衝撃について:ジェイムス・ダンカン(地理学)
8
異国の親しみと親しみやすさの異国情緒:ギリシアへの世紀末旅行者:ロバート・シャナン・ペッカム
9
クローゼットを通じた旅:マイケル・ブラウン(地理学)
10
プロバンスの地図越しの記述:『プロバンスの12か月』における旅の癒し:ジョアンヌ・P・シャープ(地理学)

1992年にルイーズ・プラットの『帝国のまなざし:トラベル・ライティングと文化の越境化』が出てから,近代期の植民地支配に関連する旅行記をポストコロニアル研究の文脈で,「トラベル・ライティング」という用語を用いて分析することが一般化したようだ。ジョセフ・コンラッドの『闇の奥』もフィクションでありながら植民地主義を前提とした旅行記的形式をとっており,初期にコンラッド研究をしていたサイードも『オリエンタリズム』(1978年)のなかで,この種の作品をいくつも取り上げているので,起源はそこまで遡れる。コンラッドに限らず,D・H・ロレンスや,フローベール,ランボーなどもヨーロッパ諸帝国の植民地を旅していた。私も非常勤先の講義で旅行記とユートピア文学を通してヨーロッパ史における地理学を解説しているので,この手のテーマはなじみ深い。学生にはレポートとして,平凡社の東洋文庫を読ませていて,そこから学ぶことも多い。一応,寄稿者の専門分野を日本語で示したが,自分の理解が心もとないものもある。「Expository Writig Program」とは何だろうか。「Department of English」というのも,日本であれば英文学とでもできようが,米国の大学のなかでどういう意味あいなのか。『Geographies of writing』という著書を持つNedra Reynoldsの専門も「writing and rhetoric」となっていて,イマイチ理解できていない。英語文献を読んで馴染みがないものに出会うと,そういう分野を紹介している日本語文献を検索するが,なかなかヒットしない場合も多い。英語圏に限定しても,日本の研究者がフォローしていない分野もやはりけっこうあるのだろうか。
さて,内容ですが,2章はアフリカに関するもの。タイトルでは18世紀初頭とありますが,アフリカ大陸はヨーロッパにとって,古代から地中海世界の一部であり,身近であった。航海時代の初期も,スペインによる大西洋横断の前に,ポルトガルによるアフリカ大陸周回があった。基本的に15世紀にはアフリカ大陸沿岸に植民都市が建設され,沿岸地域はヨーロッパに知られていた。しかし,その後南北アメリカ大陸は東海岸からなだらかに標高が上がっていくという特徴もあり,一気に植民地化されるのに対し,テーブル上の地形であるアフリカ大陸の内陸は探検が進まなかった。この章では,『ロビンソン・クルーソー』(1719年)で知られるダニエル・デフォーの1720年の作品『船長シングルトン』を取り上げている。日本語は2015年に『名高き海賊船長 シングルトンの冒険一代記』というタイトルで翻訳されているとのこと。
3章はチベットを題材としている。チベットといえば,上記非常勤の講義でレポートの課題図書として,デシデリ『チベットの報告 1・2』平凡社(東洋文庫)を入れていたので,少し理解しやすいかと思っていたがそうでもなかった。イタリア人デシデリはキリスト教の布教目的で18世紀初頭にチベットを旅しているが,この章では英国による1784年から1904年までのものを対象としている。18世紀で取り上げられるのは,ジョージ・ボーグルという人物。検索すると日本語でも解説記事が出てくる。知らない歴史が多いので,本書を読む際に調べるべきだった。続いてはサミュエル・ターナーという人物。こちらも解説出てきますね。どちらも「外交官」という肩書になっています。続いて,ブライアン・ホジソンでこちらはWikipediaにも記事があります。本書ではオースティン・ワデルという人物とともに仏教との出会いについて論じられる。20世紀初頭の事例はラドヤード・キプリングの作品『少年キム』。作家名と作品名は知っているが,Wikipediaだけでも学ぶことは多い。日本の滞在経験もある旅行家で,彼だけでもトラベル・ライティング研究の題材になりそう。それから,フランシス・ヤングハズバンドという人物で,1919年に王立地理学協会の会長を務めているという。そういえば,ブラッド・ピットが主演した『セブンイヤーズ・イン・チベット』なんて映画もありましたね。ハインリヒ・ハラーという登山家による1952年の自伝を原作にしているようです。
4章は,リチャード・バートンという人物の訳による『千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)』について。以前,ボルヘスのバベルの図書館について調べている時に,『千夜一夜物語』についでどこかで何かを読んだ。そんなことは常識だとは思うのだが,私にはいろんな常識が欠けているので,ディズニー作品でも知られるアラビアン・ナイトは,アラブ世界の口承伝承的なもので,それをヨーロッパ人が翻訳し,書物化したことが歴史的には大きい。ここで論じられるのは,バートンによる「Sotadic Zone」という概念だが,翻訳はなく,それについて論じた日本語の文献も見つからなかった。本書にはまさにこの言葉をタイトルにしたバートンの著書はないが,ウェブで調べると「モハメッド帝国の社会的・性的関係」という副題のついた書物が出てくる。この章もタイトルにあるようにセクシュアリティがテーマだが,ヨーロッパがアラブ世界を性的堕落として描いたということくらいしか想像できないが,この概念をウェブで調べると,どうやらバートンは実際にアラブ世界を地理的ゾーンとして「Sotadic」を画定しているようだ。とはいえ,この単語は手元にある『リーダーズ英和辞典』にもなく,ギリシアの詩の一形式で好色的なものという意味しか分からなかった。
5章は19世紀中ごろのインドにおける英国人女性を題材としている。以前書評を書いた『旅にとり憑かれたイギリス人』のなかに,1857年のインド大反乱(セポイの反乱)によって居住地から逃れて旅をしたクープランドという女性の旅行記の分析を読んだので,テーマ的には同一かと思うが,英文を読んでもあまり理解できなかった。この章のタイトル「ラクナウからの逃避行」は1858年に描かれた絵画のタイトルであり,白人女性が手を取り合って逃げるさまを描いている。幼い子は有色人種の女性(召使)が抱え,小さな子どもと老女を男性が導いている。本書では,逃避中の滞在地における住まいについても論じられていた。
6章の著書,デレク・グレゴリーについては明治大学の大城直樹さんがその研究動向についてその都度書いてきているが,この頃から始まったエジプト研究についてはまだ書かれていないようです。ヨーロッパ人のエジプト旅行については私も『フロベールのエジプト』を読んだので,何となくイメージはつく。もちろん,ピラミッドなどの古代遺跡が調査の対象となり,観光資源にもなるが,早くからイスラーム圏に含まれ,エキゾチックな雰囲気もあり,ナイル川沿岸を中心にヨーロッパ人の旅行先として整備されたようだ。ヨーロッパ人向けのホテルが建設され,フロベールの旅行記にあったように,売春宿もあったらしい。本書には他の章でもべデカーというドイツの旅行案内書,マレーというイギリスの案内書などについての言及もある。そんな近代観光にいたるまで考察されています。
7章はもう一人の編者ダンカンによるもの。ダンカンは1990年に現スリランカであるセイロン島のキャンディ王朝に関する研究書を出しており,この章もキャンディ王朝を題材にしている。セイロン島については,ノックス『セイロン島誌』平凡社(東洋文庫)をレポート課題図書にしていた。こちらは17世紀後半にセイロン島に漂着した若き英国人がキャンディ王朝に捕らえられ,19年後に脱出したという記録。本章の検討対象は19世紀後半以降の旅行記だが,やはり議論の仕方がグレゴリーよりダンカンの方が私には馴染みます。キャンディ王朝は1815年に英国の支配下に入っているので,本章は植民地としてのセイロン島に赴いた英国人の記録ということになる。異国情緒を感じながらもその土地の風景に英国らしさも求める。
8章は私なりに不十分な理解ながら,発見が多かった。19世紀末のギリシアを対象としているが,なぜギリシアがポストコロニアル視点に立ったトラベル・ライティング研究の対象となるのか。まあ,私の拙い知識でも考えれば分かる。ギリシアは古代にヨーロッパ的知性の基礎を築いたともいえるが,ヘレニズム文化やビザンツ帝国にも含まれ,徐々に西方に中心を移すヨーロッパにとっては東方=オリエントとも位置付けられる。バルカン半島はイスラームの影響下にあり,オスマン帝国の領土ともなる。この章では19世紀後半が論じられ,マレーの旅行案内書も登場する。ここには言及はないが1896年に近代オリンピックの第1回大会がアテネで開催されたが,その後1897年にクレタ島をめぐってトルコと戦争になり,1919年の本格的な戦争にまで続く。この章の最後には,ギリシアとアイルランドの奇妙な結びつきと題された節がある。
9章はマイケル・ブラウンという地理学者によるものだが,「クローゼットの地理学」なんて論文も書いていて,性的少数者の研究者のようだ。この章では,米国のゲイ作家ニール・ミラーの二つの作品(1989年と1992年)を論じているが,前半で精神分析と文芸批評についてや,クローゼット概念(性的少数者がそのアイデンティティをクローゼットにしまい込んだ状態からカミングアウトする)の解説などがある。ミラーについては日本での紹介もまだないようで,やはり理解は浅いが,ラカンやドゥルーズ・ガタリを用いて分析している。
最終章である10章は,初期のころから私が好んで読んでいる地理学者ジョアンナ・シャープによるもの。9章も現代作家の作品を取り上げたが,ここでは英国からフランスのプロバンスに移り住んで,プロバンスに関する著作を持つピーター・メイルを取り上げる。メイルについては取り上げられている1989年の作品は『南仏プロバンスの12か月』として,1991年の作品は『南仏プロバンスの木陰から』として翻訳されている。色々考えさせられる論文だったが,やはり消化不良。イギリスから見たフランス,都市と農村,旅行者・移住者・地元民,裕福で清潔な暮らしと農業労働など,こう書いてしまうと少し陳腐化した観光研究のテーマですが,シャープの手にかかると魅力的な議論です。でも,珍しくフェミニズム的観点は少なかったかも。
少し丁寧に読書日記を書こうと思って,いろいろ調べたら学ぶべきことが多かったです。本来なら調べながら読んだらもっと理解が深まるのだが,通勤電車の中でということなので,難しいですな。

| | コメント (0)

【映画日記】『雨を告げる漂流団地』『アイ・アム・マキモト』『千夜,一夜』

2022年101日(土)

調布シアタス 『雨を告げる漂流団地』
小学2年生の娘と2人で過ごす日。なかなか1日すごすのは難しい。映画はほんの2時間だが,電車で移動して,映画館のある街に行く。ランチをする。映画の前後に買い物をする,という諸々を含めるとけっこう1日つぶれるので,とても良い。この日は以前に少し娘が関心を示していた映画の予告編を見せると,やはり観たいというので,132分と彼女にとっては少し酷だが観に行くことにした。
上映時間の長さもあるが,子どもが主人公のアニメ映画なのに,客席に子どもの姿はあまりない。取り壊しが決まった,5階建てのいわゆる「マッチ箱」団地。取り壊しにより移転した2人の小学生を含む6人が主人公。自分の子どもたちはほとんどしないが,私たちの世代は,よく探検ごっこをしていた。主人公たちも,取り壊しでフェンスで囲まれた団地に忍び込む。すると,大雨が降ってその団地が漂流してしまうという珍奇な展開。それこそが子ども的な発想であり,もう少し短くして子ども用にしたらよいのに,と思ったが,途中の展開が古き良き時代の街の廃墟みたいな展開なので,ノスタルジー喚起の戦略なのだろうか。個人的には好きなストーリーだが,少し冗長な気もした。娘は一度トイレに立ったが,そこそこは楽しんだ様子。
https://www.netflix.com/jp/title/81328781

 

2022年109日(日)

立川シネマシティ 『アイ・アム・マキモト』
妻が息子と観たいといっていた作品で,前夜にウェブ予約を済ませていたが,当日の朝になって頭が痛いと言い出し,急遽私が行くことになった。私も観たいとは思っていたが,観てよかったと思える作品。イタリア映画のリメイクとのこと。ただ,日本では2008年に『おくりびと』という映画が米国アカデミー賞の外国語映画賞を受賞するなどし,舞台が山形県だったこともあり,その続編的な意味合いも感じる。『おくりびと』の人気に乗じて全国の役所(山形県のみという設定も可能)に担当課ができる。本作の舞台である山形県庄内市(実際には庄内町)でも「おみおくり課」ができたが,現在は担当職員は1人(主役の阿部サダヲの他に,でんでん演じる男性もでてくるが,課のスペースにいるのは阿部のみ)。最終的にはつぶされてしまう,そんな設定を思い起こしてしまう。
日本の映画には,ドキュメンタリーで優れたものが多いが,社会問題を告発するドキュメンタリー的要素を含む映画はあまり多くない(それでも,以前に比べると確実に増えてはいます)。そういう意味で,注目すべき本作。まず,ここをもう少し丁寧に描いてほしいが,主人公のマキモト(牧本)が発達障害のような特性を持っていて,その特性を活かした職場を市役所が提供していて,上司も一定の理解があるというところ。それから,全編を通じては孤独死の問題。それをさまざまなケースがあり,遺族との関係についても少し詳しく描いている。宇崎竜童演じる最後の人物についてはメインで描かれ,炭鉱における劣悪な労働環境,ホームレスの問題,それから少ししか描かれないがお墓の制度的な話。いろいろ考えさせられる要素が盛り込まれています。とはいえ,商業映画であり,それぞれの問題に対する掘り下げも欲しいところ。
なお,本作にはなかなかの俳優が多数出演しているのも見どころの一つ。個人的には宮沢りえと満島ひかりの共演というのは嬉しかった。あえて書くと,満島さんの演技が素晴らしかった。とはいえ,やはり阿部サダヲのはまり感が素晴らしい作品。息子も満足しておりました。
https://www.iammakimoto.jp/

 

吉祥寺アップリンク 『千夜,一夜』
この日は当初,妻と息子が午前中でかけ,私と娘がお昼に合流し,その後私が一人で映画を観に行く,ということだったが,息子と一緒に帰宅し,家で食事をしてから再び出かけることになった。選んだ映画は『しんぶん赤旗』に紹介されているのを読むまで知らなかった日本映画。田中裕子さん主演ということで,少し心躍る。共演は尾野真千子さんとか,魅力的な作品。
結局,予告編も観ることなく観に行った。冒頭,田中裕子演じる主人公は30年も失踪した夫を待ち続ける,ふさぎ込んだ面白みのない女性を印象付ける。それが映画が進むにつれてどんどん輝いてきて魅力的な人物に見えてくる。女優として女性として田中裕子の魅力を楽しめる作品。ちなみに,尾野真千子演じる女性も夫が疾走したということで,その先輩である主人公に相談してくるという設定。その辺りの不自然さを解消するように,舞台は新潟県の佐渡島に設定されている。明言はしていないが北朝鮮による拉致問題を根底にしている設定。しかし,本作ではその特殊な問題に切り込むのではなく,そうした問題を素朴に問い直すところに魅力がある。身近な人が特に理由もなくいなくなること。それを残された人間はどのように思い,感じ,悩み,行動するのか。近年は子どもの失踪(そのいくつかは結局事故に遭い,遺体で発見されているが)も多く,本作の問いかけは適用範囲が広い。こちらも田中裕子と尾野真千子という世代の違う女優二人の演技合戦も魅力。
https://bitters.co.jp/senyaichiya/#

| | コメント (0)

【読書日記】金坂清則『イザベラ・バードと日本の旅』

金坂清則(2014):『イザベラ・バードと日本の旅』平凡社,271p.880円.

 

私は2021年の『人文地理』で「文化地理」分野の「学界展望」執筆を担当した。2020年に公表された文献を整理するという仕事だ。1999年公表分に続いて2回目の仕事だが,今回初めて著者からの文献提供を受けた。それが本書の著者である。これまで著者の文章を読んだことはなかったが,金坂氏は地理学者でありながら,イザベラ・バード研究者として名をはしていて,2020年もいくつもの研究を発表していて,それらを送っていただいた。2020年の成果は論文や記事の類が多く,彼のこれまでのバード研究の文脈が理解できるようにと,DVDと新書である本書を同封してくれたのだ。
お送りいただいた論文はいくつか読んだのだが,最終的に学界展望には分量の問題から金坂氏の文献を取り上げることはできなかった。それから月日は経ち,私が修士論文で取り上げて,いくつか雑誌論文にもした,写真家の田沼武能氏が亡くなった。修士論文の提出は1995年で,論文は1997年に一つ,2001年に一つ,2010年に一つ,という遅々としたペースでしか進んでいなかった。次の論文の骨子も考えてはいたが,田沼氏の生前に仕上げることはできなかった。ということで,今更ながらオリンピック研究をひと段落させたので,取り組み始めた次第。
取り上げる田沼氏の作品群は,岩波ジュニア新書,ちくまライブラリー,岩波書店の同時代ライブラリーという新書や選書の類で発表されたフォトエッセイの類。世界一周的な体裁をとるこれらの,文章を使った一般向けの作品を,旅行記の一種として扱うこととし,トラベル・ライティング研究の文脈で位置付けることとしている。旅行記に関する最近の日本の地理学研究として真っ先に思い浮かぶのが,金坂氏のイザベラ・バード研究ということで,本書を読むこととした。

はじめに
第一章 旅と旅行記を正しく理解するために
第二章 イザベラ・バード 旅の生涯
第三章 1878年の日本の旅の特質
第四章 連携する支援と協力
第五章 日本の旅と旅行記がもたらしたもの
おわりに
イザベラ・バード略年譜

まだ,日本の地理学で「トラベル・ライティング」と明記した論文を読んだことはないが,本書では第一章の冒頭で「旅と旅行記に関する研究」(p.14)として,ほんの2ページ足らずだが,いわゆるトラベル・ライティング研究に言及し,金坂氏が継続的に研究しているものは「ある特定の人物に絞」(p.15)っていることからも,そうした研究とは一線を画するものであると,自身の旅行記研究を位置づけている。本書は平凡社新書の一冊であり,著者の膨大な研究のダイジェスト版にすぎないが,これを読むだけでも著者の研究姿勢の厳格さが伝わってくる。
バードの旅行記は平凡社の東洋文庫にいくつか翻訳されてきた。日本の旅についても原著がいくつかあり,日本語訳は,著者のいう「簡略本」を基にしたことを始め,さまざまな問題があるということで,著者は原著の「完全本」を彼独自の「ツイン・タイム・トラベル」という手法で研究し,その研究成果を踏まえて翻訳本を出版している(同じ東洋文庫として)。また本書の後半には,「旅行記に写真を活用するという点ではパイオニアの一人となり,旅行化としての新たな境地を開いたのです。」(p.241)と述べているように,バードが残した写真も重視しており,展覧会を開催し,写真集を出版することも著者はしている。また,おそらく本書がダイジェスト版ともいえる,バードに関する研究の集大成として英文書も出版しているとのこと。1947年生まれというから,今年75歳にしてこの精力的な研究活動に頭が上がらない。
「ツイン・タイム・トラベル」とは,過去の旅行記に記録された旅を,現代人が辿ることによって,時間差の追体験をしながらその旅行記を読むということ。確かに,翻訳家は基本的に書かれていることを第一に考えればよいが,地理学者の場合は「とにかく現地」主義という考えが強い。私はそういう考えに欠けているため,怒られることもあるが,現場主義のジャーナリストも同じような考えがありますね。実際に現地に赴くことで,新たな情報が得られないかもしれないが,その場の空気を吸い,その場を生きる人と会い,時間と空間を共有することで,言葉や情報という明確なものにはならないかもしれないが,多くのものを得る,という考え。それは私も否定しません。著者は100年前のしかも英国人が観た日本の姿を想像しながら,旅行記に書かれている場所を辿り,その場所の郷土や歴史を調べる。それはそこに残された史料を集めることだけではなく,そこに現在住む人に話を聞きながら100年前の風景を想像する。そういう果てしない作業を著者が長年かけて行ってきた。こうした作業から,過去の翻訳の致命的な欠陥を細かいところから指摘し,訂正していく作業。確かに,そこまでやらないと見えない境地にたどり着いているのだと思う。
ということで,目次にもあるように,著者は単に旅行記の作者であるバードのことだけではなく,バードを支えた人物たちについても細かく調査している。その人物にはアーネスト・サトウやチェンバレンなど著名な人物もいるが,そうした人たちが残した文書をつぶさに調査し,またその調査は当時の日本や英国の新聞にも及ぶ。終章では,そうしたバードの旅が何をもたらしたのかについても議論している。このイザベラ・バードという人物は小柄な女性で体も弱く,その治療も込めて外国旅行を開始したというが,現代のような交通機関が発達していない時代にこれだけの旅をし,また多くの旅行記を残し,その偉大さに本書の著者も惹かれて,人生を捧げるように彼女の旅について研究してきたのだろうが,その研究によってよりバードについての理解が進んだのだろう。日本語のみならず,バードと同じ英語でも発信することで,著者は英国でも広く評価されているという。研究者としてのあり方も含め,学ぶこと多い読書だった。

| | コメント (0)

【映画日記】『夏へのトンネル,さよならの出口』『映画デリシャスパーティ♡プリキュア』『秘密の森の,その向こう』

2022年910日(土)

府中TOHOシネマズ 『夏へのトンネル,さよならの出口』
以前に予告編を観た時,娘が観たいといっていたので,2人で観に行くことにした。電車が鹿と接触して遅れることがあるという,田舎町の男子高校生が主人公。都会から引っ越してきた女子高校生と出会い,2人だけの秘密を持ち,お互いの願いを叶えようとする。生徒たちの間で噂になっていた「うらしまトンネル」というものを発見してしまい,2人はそれぞれ幼少期に抱えた悩みを解決しようとする。
発想が面白く,それを物語化する精緻な設定がなされていて,飽きさせない。恋愛ものとしては多少単調だが,後日談にもしっかりと重きを置いていて,面白い。奇抜な発想の物語って,後日談的な話の展開を読者に委ねることが多いけど,この位続けてくれると観る者としてはありがたい。
https://natsuton.com/

 

2022年923日(金,祝)

府中TOHOシネマズ 『映画デリシャスパーティ♡プリキュア』
前回のプリキュア映画も観に行き,その時も書いたと思うが,娘はこれといってプリキュアに熱心なわけではない。ただ,一時期,家で2人で過ごす時間が長い時はNetflixで過去のプリキュア映画などを観ることもあり,なんとなく,新しい映画が始まると,「観に行く?」と聴き,行っているような気がします。
実際に映画館に来てみると,ドラえもんやクレヨンしんちゃんとは違って,客席は閑散としていることが多かった。プリキュアって一時期は人気があったけど,今はどうなのかなあと思っていました。でも,今回は公開初日に観たこともあり,ほぼ満席。一応,世代交代もちゃんと行われているようですね。そして,映画に来てみるとそれなりに楽しめるってのが嬉しい。最近は適役の悪さ加減も変容していて,今回は適役の声優を花江夏樹がやっていたりします。
https://2022.precure-movie.com/

 

2022年928日(水)

立川シネマシティ 『秘密の森の,その向こう』
先週から大学の講義が始まりました(事情により休講とさせていただきましたが)。後期は午後の早稲田の授業がないため,子どもたちが帰宅するまで,週一回のわずかな自由時間ができました。ということで,早速映画を観に行きました。『燃ゆる女の肖像』が日本でも話題になった監督セリーヌ・シアマの作品ということで予告編すら観ずに観に行きました。主人公の少女は8歳。私の娘も今年8歳になるので,その挙動一つ一つが可愛くてしかたがない。必要最小限の登場人物と舞台しかない短い作品ですが,一つ一つのシーンが愛おしく感じられる,懐かしいフランス映画(でも,決して古臭いわけではない)という印象。
https://gaga.ne.jp/petitemaman/

| | コメント (0)

« 2022年9月 | トップページ | 2022年11月 »