【読書日記】志位和夫『新・綱領教室 下』
志位和夫(2022):『新・綱領教室――2020年改定綱領を踏まえて 下』新日本出版社,246p.,1,500円.
上巻は以前紹介しましたので,今回は下巻です。上巻の際も書きましたが,本書は2020年に改訂された日本共産党の綱領を解説するもので,綱領の構成に沿って話が進んでいます。第三章までは日本共産党における日本と世界の歴史認識の整理であり,現在の日本が対米従属と大企業優先の経済(独占資本主義)を特徴とすると結論付けられていた。それに続き,第四章以降では,そうした日本のあり方を党としてどう改革していきたいのかという道筋が示される。綱領を読んだだけではさらっとしていて具体的な社会像が描けないが,本書を読むとそれが明瞭になります。
第四章 民主主義革命と民主連合政府
第五章 社会主義・共産主義の社会をめざして
【資料】日本共産党綱領(2020年改定)
日本共産党に対する誤解としては,ソ連や中国のように,共産党による革命があり,一党独裁の政治が行われるというものがある。しかし,日本共産党が示しているのは共産主義革命ではなく,民主主義革命だという。ソ連と中国の存在のゆえに日本においては早くから共産主義が弾圧されてきたという歴史があり,日本共産党への支持は少数派にとどまっている。冷静に考えても少数派の日本共産党が革命を起こし,一党独裁の状況を作り上げるのは不可能である。その不可能性のゆえに,日本共産党に対する誤解は,それを暴力的に行うという「暴力革命」というレッテルをつけようとしている。しかし,これも具体的に考えてほしい。確かに,日本にはいまだに革マル波(日本革命的共産主義同盟・革命的マルクス主義派)という団体はあるそうで,かれらは1970年前後にヘルメットをかぶって角材や鉄パイプを持った暴力的なデモを行っていた。しかし,日本共産党とは別組織であり,そもそもつながっていたとしてもヘルメットと鉄パイプ,火炎瓶で政府を転覆させる革命が行えるのであろうか,あるいは地下で軍事組織を準備しているのだろうか。およそ考えにくいことである。実際に戦後も70年にわたって公安警察が日本共産党を調査し続けても何も出てきていないという話もある。
いずれにせよ,この日本でそういう革命を考えるのは現実的ではなく,日本共産党は現行の法体制に基づいた現実的な革命を描いている。それは一党によるものではなく,民主連合政府というものである。1955年以降の自民党中心の政治においても,かつて何度か連合政府が組まれたことがあるし,連合野党というものができたこともあったが,そこに共産党は含まれていなかった。それが近年では市民連合が主導する野党共闘として,共産党が含まれるようになり,近年は選挙を戦ってきている。現在の日本共産党が目指す民主主義革命とは,共産党を含む野党連合により政権を奪取し,米国従属・大企業優遇の政治から,市民の声を聴く政治,すなわち本来の民主主義を取り戻すことを目指している。
その際に,共産党を含む連合政府ができた時に,共産党独自の政策の行方はどうなるのか,ということをこの本では詳しく議論している。具体的には自衛隊と天皇制である。日本共産党は戦前から戦争反対を訴え,天皇中心の軍国主義を批判してきた。つまり,戦後においては天皇制と自衛隊の廃止は,他の政党にはない主張である。しかし,連合政府として国政を行う際には,共産党の独断で天皇制と自衛隊を即座に廃止することはしないと宣言している。あくまでも,国民の大多数の意志に従い,平和の外交が進み,世界で軍縮が進んできて,日本国民が他国の脅威に怯えなくなって防衛力の必然性を感じなくなった時点で自衛隊を廃止するといっている。天皇制についても,憲法違反の行為がなされないように注視することと,天皇家に対する人権侵害が行われないようにことに留意しながら,こちらも国民の総意に従うものとしている。
本書,特に下巻は当然といえば当然ですが,意外にもマルクス入門的な意味合いもあるかと思う。第四章の後半には,共産党の民主主義革命の前段階として,現在の資本主義のあり方に対して「ルールある経済社会を築く」方策が述べられる。そこで,マルクス『資本論』から「工場法」に関する議論がある。なお,いわゆる資本主義の暴走のことを『資本論』では「大洪水」と表現しているらしい。最近話題のマルクス研究者,斎藤幸平さんの出世先が『大洪水の前に』というタイトルだったが(私は未読),マルクスのこの記述からきているのか。それはともかく,マルクスの生きている時代にも工場労働者の労働時間を規制する運動があり,労働時間の短縮によりイギリス産業が盛況に転じたというのだ。まあ,それは後のアメリカでオートメーション化により賃金の上昇と労働時間の短縮が達成されて高度成長期が生じたことと通じるのだろう。
第五章はまさに,日本共産党がどのような形で日本社会を社会主義・共産主義へと変えていくのか,その道筋が語られる。私は非常勤先の講義で1516年のトマス・モア『ユートピア』の話をしている。以前も書いたように,エンゲルス『空想から科学へ』での空想的社会主義の典型として訳者が『ユートピア』を挙げているわけだが,その記述は綿密で,具体的な社会の在り方が政策のように示されている。マルクスが描く社会主義・共産主義社会の在り方はどういうものだったのか,それを受けてのレーニン,実現したソ連,そして中国の社会の在り方との関係が気になってはいた。しかし,本書によれば,マルクス自身は社会主義,共産主義の名の下で望まれる社会の「青写真」を描き,それに合わせて社会を作り上げていく行為を厳しく戒めたというのだ。とはいえ,何も方向性がないのでは社会主義でも共産主義でも何もない。いわゆる共産主義は,私有財産ではなく,財産は共有するという基本があるとは思う。しかし,社会主義の基本は,資本家と労働者という階級の分断を解消することであり,本書には物象化という概念は登場しないが,私がかつて学んだように,労働者が自分が生産している商品を,自分が私用するということと切り離すという意味での物象化も解消するように,生産手段を社会化するということが基本であるという。例えば,実現した社会主義国ではこの「社会化」は「国有化」を意味していたわけだが,本書では「社会化」の具体的な記述はない。どのような主体が所有するのか,その主体がどのような性格をもち,どのような規模を持つのか。そこは状況に応じて具体化されるべきことだということだろう。ともかく,生産手段を社会化することで,労働は全ての人の行為となる。そのことで,必要な労働量は社会の構成員全員に分配されるので,一人当たりの労働時間は短くなる。また利潤最優先の資本主義社会から脱すれば,必要以上の労働力は生まれない。多くの人が自由な時間を持つこととなり,個人の人生はより豊かになり,その豊かさは社会に還元される。まあ,いいことづくめのように聞こえますね。確かに,自由時間さえも制限をつけていた『ユートピア』と比べて,19世紀末に書かれた,ウィリアム・モリス『ユートピアだより』は文体自体が近代小説になっているので単純比較はできませんが,人々はより自由に豊かに生活している様子がフィクションとして描かれています。私のような人間はこういう議論を読むと素直に受け入れ,そこに未来社会の希望を持ってしまいますが,素直に受け入れない人は圧倒的に多いし,そういう人が現実にいることを考えると,そういう人と共生する社会にこうした自由で豊かな社会が現実的なものになるとは残念ながら,失礼ながら思えない。
とはいえ,こうした希望ある社会の姿を示すことをやめずに活動し続けることしか私たちにできることはないのかもしれない。


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