【読書日記】バフチーン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』
ミハイール・バフチーン著,川端香男里訳(1973):『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』せりか書房,423p.
ティム・クレスウェルという地理学者の1996年の著作『In place / out of place』の読書日記を2022年8月10日に書いた。今回紹介するバフチーンの本は20年以上前に購入したものの,400ページを超える厚さに,なかなか読めずにいた。クレスウェルの本も出版当時に知っていたものの,この本を構成している複数の論文はすでに読んでいたので,購入もしていなかったのだが,何か,私の手で翻訳しておく地理学書はないかなということで読んだ次第。翻訳するには,その本の中に登場する参考文献についても,少なくとも日本語訳が出ているものについては読んでおかないとということで,このバフチーンの本も読み始めた次第。分厚いので,外出先に持っていくわけにもいかず,自宅で朝晩の歯磨きの時を中心に読み進めていたので,随分と時間が経ってしまった。
序論――問題の設定
I 笑いの歴史におけるラブレー
II ラブレーの小説における広場の卑語
III ラブレーの小説における民衆的・祝祭的形成とイメージ
IV ラブレーにおける饗宴のイメージ
V ラブレーにおけるグロテスクな肉体のイメージとその源泉
VI ラブレーの小説における物質的・肉体的下層のイメージ
VII ラブレーのイメージと同時代の現実
本書はさまざまな面で有名なもので,目次にも出てくる「笑い」や「祝祭」,「グロテスク・リアリズム」という概念については,クレスウェルの本に限らず,よく引き合いに出される概念だ。訳者あとがきによると,本書はバフチーンの1940年の博士論文が元になっているもののようで,原著は1965年にロシア語で出版されている。そして,フランスのジュリア・クリステヴァが1966年にバフチーンを取り上げたことから有名になったということはよく知られた話である。
ともかく,結論からいうと素晴らしい読書体験で,こんな本が書けたら研究者人生全く悔いは残らないだろうと思う。とはいえ,私にはこんな分量の本を書くこと自体無理そうだし,バフチーンはもちろん本書だけでなく,素晴らしい著作を数多く残している。そういうことはあまり言いたくないが,やはり頭脳の違いというのを思い知らされる。ところで,ラブレーの『第一之書 ガルガンチュワ物語』,『第二之書~第五之書 パンタグリュエル物語』は渡辺一夫訳の岩波文庫版で持っている。そして,第一之書は一応読んだ。もう10年以上前の話だが,内容は全く覚えていないが非常に衝撃的な読書体験だったことは覚えているものの,第二之書へと読み進める勇気はとてもないまま月日が流れている。このバフチーンの書もそこそこラブレーを読んでから読もうと思っていたのだが,そうはならなかった。ただ,ラブレーの文章(といっても私の場合は日本語訳だが)を全く読まないか,少しでも読んだかによって本書の読み方は違うと思った。
本書前半では,日本語訳もあるリュシアン・フェーヴルの『ラブレーの宗教』を含めて,ラブレー研究をしっかりレビューしている。そもそもフェーヴルの本は知っていたが,バフチーンのこの本より前に書かれていたことに驚くが,バフチーンはきちんと評価しながらもしっかり批判している。「グロテスク・リアリズム」というのはクレスウェルの本でも出てくる,本書によって有名になった概念だが,やはりラブレーを実際に読むとその言わんとするところの雰囲気は分かる。第一之書が最初に出版されたのが1542年とのこと。それから200年ほどたった1726年にジョナサン・スウィフトが『ガリヴァー旅行記』を出版するが,富山太佳夫の解説(『『ガリヴァー旅行記』を読む』岩波書店,2000年)によれば,『ガリヴァー旅行記』にもグロテスクなシーンが多い。とはいえ,実際に『ガリヴァー旅行記』を岩波文庫版(平井正穂訳)で読んでみても,グロテスクな印象は残らない。富山氏のように当時の英国の時代背景が分かっているとそのグロテスクな表現のリアリティが分かるが,全般的にはスマートな作品だといえるのかもしれない。それに対して,ラブレーはあまりにもグロテスクでさすがに500年近く前に書かれたと思わせる奇異な感じがするのだが,バフチーンの解説を読むとそれは時代錯誤的なものではなく,人間存在の普遍的なものを追求するリアリティであると理解することができる。サイボーグかとか,ポスト・ヒューマンなどといわれる昨今ですが,どんな時代でも人間は食べ,排泄し,飲んで,集まり,笑い,叫ぶ。そうすることで,身分や階級などを境界侵犯する。ラブレーの作品はそんな人間の本質が溢れている。それでいて,ラブレーの作品がその作者の天才によって生み出されたわけではないことを丹念に紐解いていくのが本書の魅力でもある。この作品に用いられたさまざまな素材(事柄だけでなく手法も)はこの時代までに出そろっていたことを確認している。
本書の読書はかなり時間がかかってしまったので,後半の方が印象強いのは仕方がないが,後半で固有名論が展開されていたのは驚いた。しかも,作品中に登場する地名が全て実在する地名だというところは地理学者としては嬉しいところ。そして,固有名論というのはそういう実在する固有名と,想像上の人名,そしてその人名が普通名詞的な名前を用いることで意味をもたせ,そのことによって固有名詞と普通名詞との境界があいまいになるという議論が展開される。そして,ともかくラブレーはあらゆる分野の博学者であり,しかも多くの分野における最新の知識を蓄えていた,ということがこの時代にこの作品を生み出すことになったのだと。
ちょっとこれ以上の説明は難しくなってきたが,ともかく機会があれば何度も振り返りたい本。そして訳者の川端香男里さんの本も探して読んでみたくなった。


最近のコメント