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2023年1月

【読書日記】バフチーン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』

ミハイール・バフチーン著,川端香男里訳(1973):『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』せりか書房,423p.

 

ティム・クレスウェルという地理学者の1996年の著作『In place / out of place』の読書日記を2022年8月10日に書いた。今回紹介するバフチーンの本は20年以上前に購入したものの,400ページを超える厚さに,なかなか読めずにいた。クレスウェルの本も出版当時に知っていたものの,この本を構成している複数の論文はすでに読んでいたので,購入もしていなかったのだが,何か,私の手で翻訳しておく地理学書はないかなということで読んだ次第。翻訳するには,その本の中に登場する参考文献についても,少なくとも日本語訳が出ているものについては読んでおかないとということで,このバフチーンの本も読み始めた次第。分厚いので,外出先に持っていくわけにもいかず,自宅で朝晩の歯磨きの時を中心に読み進めていたので,随分と時間が経ってしまった。

序論――問題の設定
I 笑いの歴史におけるラブレー
II ラブレーの小説における広場の卑語
III ラブレーの小説における民衆的・祝祭的形成とイメージ
IV ラブレーにおける饗宴のイメージ
V ラブレーにおけるグロテスクな肉体のイメージとその源泉
VI ラブレーの小説における物質的・肉体的下層のイメージ
VII ラブレーのイメージと同時代の現実

本書はさまざまな面で有名なもので,目次にも出てくる「笑い」や「祝祭」,「グロテスク・リアリズム」という概念については,クレスウェルの本に限らず,よく引き合いに出される概念だ。訳者あとがきによると,本書はバフチーンの1940年の博士論文が元になっているもののようで,原著は1965年にロシア語で出版されている。そして,フランスのジュリア・クリステヴァが1966年にバフチーンを取り上げたことから有名になったということはよく知られた話である。
ともかく,結論からいうと素晴らしい読書体験で,こんな本が書けたら研究者人生全く悔いは残らないだろうと思う。とはいえ,私にはこんな分量の本を書くこと自体無理そうだし,バフチーンはもちろん本書だけでなく,素晴らしい著作を数多く残している。そういうことはあまり言いたくないが,やはり頭脳の違いというのを思い知らされる。ところで,ラブレーの『第一之書 ガルガンチュワ物語』,『第二之書~第五之書 パンタグリュエル物語』は渡辺一夫訳の岩波文庫版で持っている。そして,第一之書は一応読んだ。もう10年以上前の話だが,内容は全く覚えていないが非常に衝撃的な読書体験だったことは覚えているものの,第二之書へと読み進める勇気はとてもないまま月日が流れている。このバフチーンの書もそこそこラブレーを読んでから読もうと思っていたのだが,そうはならなかった。ただ,ラブレーの文章(といっても私の場合は日本語訳だが)を全く読まないか,少しでも読んだかによって本書の読み方は違うと思った。
本書前半では,日本語訳もあるリュシアン・フェーヴルの『ラブレーの宗教』を含めて,ラブレー研究をしっかりレビューしている。そもそもフェーヴルの本は知っていたが,バフチーンのこの本より前に書かれていたことに驚くが,バフチーンはきちんと評価しながらもしっかり批判している。「グロテスク・リアリズム」というのはクレスウェルの本でも出てくる,本書によって有名になった概念だが,やはりラブレーを実際に読むとその言わんとするところの雰囲気は分かる。第一之書が最初に出版されたのが1542年とのこと。それから200年ほどたった1726年にジョナサン・スウィフトが『ガリヴァー旅行記』を出版するが,富山太佳夫の解説(『『ガリヴァー旅行記』を読む』岩波書店,2000年)によれば,『ガリヴァー旅行記』にもグロテスクなシーンが多い。とはいえ,実際に『ガリヴァー旅行記』を岩波文庫版(平井正穂訳)で読んでみても,グロテスクな印象は残らない。富山氏のように当時の英国の時代背景が分かっているとそのグロテスクな表現のリアリティが分かるが,全般的にはスマートな作品だといえるのかもしれない。それに対して,ラブレーはあまりにもグロテスクでさすがに500年近く前に書かれたと思わせる奇異な感じがするのだが,バフチーンの解説を読むとそれは時代錯誤的なものではなく,人間存在の普遍的なものを追求するリアリティであると理解することができる。サイボーグかとか,ポスト・ヒューマンなどといわれる昨今ですが,どんな時代でも人間は食べ,排泄し,飲んで,集まり,笑い,叫ぶ。そうすることで,身分や階級などを境界侵犯する。ラブレーの作品はそんな人間の本質が溢れている。それでいて,ラブレーの作品がその作者の天才によって生み出されたわけではないことを丹念に紐解いていくのが本書の魅力でもある。この作品に用いられたさまざまな素材(事柄だけでなく手法も)はこの時代までに出そろっていたことを確認している。
本書の読書はかなり時間がかかってしまったので,後半の方が印象強いのは仕方がないが,後半で固有名論が展開されていたのは驚いた。しかも,作品中に登場する地名が全て実在する地名だというところは地理学者としては嬉しいところ。そして,固有名論というのはそういう実在する固有名と,想像上の人名,そしてその人名が普通名詞的な名前を用いることで意味をもたせ,そのことによって固有名詞と普通名詞との境界があいまいになるという議論が展開される。そして,ともかくラブレーはあらゆる分野の博学者であり,しかも多くの分野における最新の知識を蓄えていた,ということがこの時代にこの作品を生み出すことになったのだと。
ちょっとこれ以上の説明は難しくなってきたが,ともかく機会があれば何度も振り返りたい本。そして訳者の川端香男里さんの本も探して読んでみたくなった。

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【読書日記】荒又美陽+明治大学地理学教室編『東京の批判地誌学』

荒又美陽+明治大学地理学教室編(2022):『東京の批判地誌学』ナカニシヤ出版,291p.3,000円.

 

編著者の荒又氏は他2人の地理学者と私と4人で随分以前から研究会を続けていて,共著論文と4人で翻訳した訳本が1冊ある間柄。荒又氏が代表をつとめるオリンピックの科研でも4人中私も含めて3人が入っているので,最近では私にとって一番近しい地理学者だといえる。
本書は2018年に明治大学に着任した荒又氏が2020年には「惑星的都市化研究所」というのを立ち上げ(あとがきには自身が立ち上げたとは書いていないが,『空間・社会・地理思想』の翻訳特集や,論集『惑星都市理論』をみれば,荒又氏が立ち上げの中心だということは想像できる),本書にいたったようだ。明治大学に所属する地理学者は,文学部(荒又,川口,松橋,梅本,大城)を中心に,経営学部(中澤),商学部(中川,森永),政治経済学部(石山,廣松,飯嶋)と4学部にわたっている。荒又氏は着任に際し,学部横断的な地理学者の人脈を活かした仕事をすでに構想していたかもしれない。
それが実って本書ができあがったわけだが,第5章とコラム2では気候学という自然地理学を専門とする研究者がてがけ,第4章も経済地理学を専門とする松橋氏が環境問題に取り組み,コラム1は米国,コラム2はモンゴル,コラム3は南北米大陸,第7章はフランス,コラム4はヨーロッパ国境地域ということで,まさに現代日本の地理学の縮図のように,多様な研究分野から構成されている。
しかし,冒頭から結論的なことを書くならば,なぜこの内容で「東京」を書名に冠したのだろうか。研究会の名称「惑星的都市化」ということであれば納得だし,南北米大陸を論じたコラム3とパリを論じた第7章は,その論述を東京論につなげようとしているが,第3章,コラム1,コラム2,コラム4は必ずしもそうではない。東京に関係ないものをコラムにしたという言い訳もあるかもしれないが,冒頭から第1章,第2章と直接的な東京論が続くだけに,読み進むにつれて,「あれ,東京どうなったの?」という印象に変化していくのは否めない。そして,「批判は?」「地誌学は?」という疑問については,問いすら発することもなく,読後に「そういえば,そんなタイトルだったっけ?」という感じです。

はじめに:荒又美陽
I部 社会階層と暮らし
1章 ヴァーティカル都市の足もとで:川口太郎
2章 銭湯的ジェントリフィケーション:中澤高志
3章 都市からの田園回帰に関する覚え書――コミューン運動の系譜を辿る:中川秀一
II部 エネルギーと気候変動
4章 東京は「世界一の環境先進都市」を目指します!:松橋公治
【コラム1】アメリカ先住民族と原子力:石山徳子
5章 東京は“熱都”になるのか?:梅本 亨
【コラム2】子供とアイラグ(馬乳酒)からみたモンゴル国の都市と草原:森永由紀
III部 表象と都市
6章 表象の中の東京――「坂」と「谷底」のトポグラフィー:大城直樹
【コラム3】モダン都市研究の拡充と新たなる〈東京論〉のために――南北アメリカ大陸における原近代都市(proto-modern city)を手掛かりとして:廣松 悟
7章 「パリ」という表象の限界と方向転換――東京を考えるために:荒又美陽
【コラム4】「国境のないヨーロッパ」の形成と国境地域の変容:飯嶋曜子
あとがき:荒又美陽

1章はタイトルに「ヴァーティカル都市」とある。私は結局何の動向も追っていないが,一時期三重大学の森正人氏が,学会などで英語圏では垂直性に関する議論が流行っているというようなことを発表していたような記憶がある。その発表もちゃんと聞かなかったので,ヴァーティカリティなるものが何を意味していたのかは分からないが,基本的に水平方向の拡がりを論じてきた地理学が新たに取り込む次元として垂直軸に着目するというのはうなずける話だ。ということもあり,この章のタイトルを見た時,そんな議論を知ることができると期待した。しかし,実際は新自由主義的なジェントリフィケーションの帰結として東京で出来上がった高層建築物のことをここではヴァーティカル都市と表現したに過ぎない。そして,ここで論じられるのはそのこと自体ではなく,湾岸地区のタワーマンションや,墨東地区の主要開発の一つであるスカイツリーの足もとでは,下町といわれる地形的な特徴や低層建築物の街並みの中にも新たな,面白そうな街づくりの実践が行われていることを紹介している。主に,学生を連れた巡検で訪れた地域について,毎年学生と一緒にレポートを書いてきたネタを集約したという感じの章。著者である川口氏は私より2世代上だが,正直言って学部生以来,ちゃんと論文を読んだことがない。日本における時間地理学の共同研究者として名を連ねていて,論集などは読んでいたが,1991年の『人文地理』に掲載された神谷浩夫氏との共著論文「都市における生活行動研究の視点」が最後だろうか。それはともかく,本章は地理学者らしい街歩きの成果ともいえるが,大資本の開発と草の根的な市民の街づくりを単純化して対比したような印象を受ける。とはいえ,本書が学部生や院生を読者として想定しているとすれば,著者の教育者としての側面は高く評価できる。複数人の学生を連れて街歩きをすることを巡検などと称するが,それに先んじて引率する教員は解説用の資料を準備する。現地で学生とともに調査する項目も考え,終了後はそうした結果を取りまとめる必要もある。著者は毎年のようにテーマを決め,この地域を訪れ,学生とともに報告書を作成するという指導を行った結果が,本章としてまとめられたといえる。
2章が私にとって本書の目玉。中澤氏の文章にはいつも驚かされるが,キャッチ―なタイトルといい,唸らされた文章。中澤氏は私より若干年下で,経済地理学を専門とするため,私が専門的な研究の際に参照することはあまりしない。ということで,彼の書いたものをそれほど多く読んでいるわけではないのだが,読んでみると,いつも読まされてしまうような魅力にあふれている。本章もその一つで,ジェントリフィケーションをテーマにしている。とはいえ,彼はジェントリフィケーションを専門にしているわけではないし,私も同じである。日本の地理学にもジェントリフィケーションを専門にしている研究者が何人かいるが,それほど詳しくない私でもなんとなくの不満はある。そんな不満を,最新の研究動向を整理しながら簡潔に指摘し,その不満を解消するような実証的な研究を提示していることにまず感心する。翻訳されたスミスの『ジェントリフィケーションと報復都市』のタイトルにあるように,ジェントリフィケーションは元来資本による再開発を批判する言葉として登場したが,強まる批判運動への報復のように,経済資本のみならず国家権力のようなものが介入してジェントリフィケーションを進め,それが社会にとって良いことだとする言説を流布していくという。その一方で,まさに第1章で良いものとして語られた,既存の建造環境をリノベーションなどで活かしつつアートを導入するような形での街づくり(街の再生)を本章では「穏やかなジェントリフィケーション」と呼び,それもある程度批判する。そういう意味では本章では,本書タイトルの「批判」が息づいている。そして,東京の「銭湯」だ。銭湯は公衆浴場であり,個々の住まいの間取りとも密接に関連している。個々の住宅に浴室が導入されれば,銭湯は利用が少なくなり,また銭湯がつぶれれば,その周囲の物件には浴室を導入しなければならない。また,近年でも『湯道』なる映画が作られているように,日本では銭湯をめぐる人間関係は懐古理想的なコミュニティの姿として表象されている。しかし,東京都内の銭湯は想像つくように減少の一途をたどっている。そして,銭湯の跡地利用を示し,1990年代の政府主導のジェントリフィケーションを論じ,現代の状況として,そうした銭湯および銭湯跡地を活用したまちづくりという観点での関心の高まりを論じている。私も知人がやっていた谷中の古民家カフェを訪れていた際,銭湯の建物を利用したギャラリーである「スカイ・ザ・バスハウス」に何度が足を運んだが,そこについても記述があった。
3章は武者小路実篤によるコミューン運動である「新しき村」を含む日本におけるコミューン運動の系譜を辿るもの。コミューン運動については私もまだまだ勉強が足りないが,都市への流入人口が増えることで都市が拡大し,資本主義的な社会発展を軸として,市民の生活がかつての農村共同体的なものから利便性や生産性を重視する都市的なものへと移行する過程において,それらに抗い,懐古的な形で小さな自給自足的コミュニティを目指すものであるといえよう。本章ではその系譜の概要と,実際の試みの詳細について知ることができる。私がライブ通いをしていた時に,Yaeさんのライブを何度か聴いた。Yaeさんは加藤登紀子さんの娘さんで,加藤登紀子さんの名前は本章に登場し,そのパートナーの藤本敏夫さんの活動が紹介されている。その活動は現在でも「大地を守る会」として千葉県鴨川市で有機農業を中心とするコミュニティを築いていて,確かYaeさんも家族で住んでいたと思う。本章のタイトルは「覚え書」となっているので,今後の研究成果にも期待したい。
II部に入り,第4章の著者である松橋氏は,マッシィ『空間的分業』(2000年,古今書院)の訳者としてくらいしか知らないが,かなりハードな産業の経済地理学を長らくされてきた印象。当然製造業にとってエネルギーの問題は重要で,そういう観点から東京におけるエネルギー問題とそれを解消するための東京都の政策を調べたという内容。東京は日本の首都であるから,エネルギー政策も先導的な立場にあり,清掃工場での償却に伴う発電を含め,再生可能エネルギーへの道を模索している。本章のタイトルはそうした東京都が掲げるスローガンだが,それをそのまま学術論文に流用するのはどうかと思う。石山氏によるコラム16ページのみ。2020年の著書『「犠牲区域」のアメリカ――核開発と先住民族』(岩波書店)を読まねば。
5章はいわゆるヒートアイランド現象を東京について解説したもの。私も本章で登場する三上岳彦氏の授業を学部時代に受けていたので,ある程度知っているつもりでしたが,考えてみればなるほどと思わされる話ばかり。ちゃんとした時間・空間のスケールで事象を考える,まさに地理学的な解説。コラム2は,アイラグ(馬乳酒)を中心に現代のモンゴルを解説している。これはこれでいい文章だが,どう東京論とつなげるのか?
III部に入って,第6章の著者の大城氏は私より人世代上で,院生時代から交流があり,いろいろお世話になった人。沖縄出身ということもあり,1990年代の論文は沖縄をフィールドに自然や歴史にも目配りした魅力的な文化地理学研究だった。その一方で,ここ10年程東京の街を歩く巡検や研究会でご一緒する機会に,東京の近現代史にも非常に造詣が深いことを知り,本章にもそうしたものがいかんなく発揮されている。そして,第1章で期待外れだったヴァーティカリティの一旦ともいえる,都市の高低差をテーマにしてまさにトポグラフィックな考察がなされている。これが批判的かどうかは分からないが,1980年代に流行った記号論的な東京論の現代的ヴァージョンの一形態といえるかもしれない。
コラム3は本書が想定しているような学部生・院生や一般読者には(私も含め),かなり難しいテーマだと思う。英米圏の都市地理学では無視されてきた「原近代都市」なる概念に注目すべしという主張。第7章は長らくパリをフィールドにしてきた荒又氏が,2011年の著作『パリ神話と都市景観』のタイトル「パリ神話」なるものを掘り下げた論考だといえる。ベンヤミンはパリのことを19世紀の首都と呼んだように,ヨーロッパでは各時代に憧れのモデルとなる都市がローマだったり,ロンドンだったり,入れ替わってきた。もちろん,それは20世紀以降も続き,その対象はヨーロッパに限定されずにグローバルな広がりをみせた。それこそ,20世紀は各都市がその地位を争うように,オリンピックの開催都市となり,20世紀後半には都市間競争などという言葉ももてはやされ,1991年に初版が出たサッセンの『グローバル・シティ』では,ロンドン,ニューヨーク,東京がグローバル・シティと位置付けられた。そういうように,世界の各都市は常に優劣の感覚をいだきながら,特定の都市を目指したりする。そういう観点からパリのあり方を議論しているため,直接的に東京論と関係する。そういう意味でも,さすが編者による執筆章であり,批判的な観点も有している。あとは,この論述がどう「地誌学」なのかを論じてほしかった(それは十分可能だと思う)。最後のコラム4は単体として読めば非常に重要な議論で,個人的にも面白かった。ただ,やはり欲を言うのであれば,「国境」というものが日本においてはどうなのか,さらにいえば,東京を論じる時誰もが国境などをテーマにしようとは思わないのであるから,東京論における国境の意義を訴えられればそれこそ批判的な論点を提示できたと思う。

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【読書日記】『仕事文脈』vol.21特集1「政治,日々」

『仕事文脈』2022年,vol.21,タバブックス,131p.1,000円.

 

ここ数年,雑誌『エトセトラ』とこの『仕事文脈』は毎号購入し,読後はこうして読書日記を書いている。今回の『仕事文脈』は2022年11月24日の発行だったら,思いの外買うのが遅くなってしまい,読むのも年を越えてからになってしまった。久し振りの出勤で,往復の電車でほぼ読み終えた。

特集1 政治,日々
清田隆之:「政治をめぐる文化そのものを変えていく」岸本聡子杉並区長インタビュー
山口智美:安倍晋三という政治家が力を持った時代,女性や家族,性的マイノリティをめぐる政策はどう展開されたのか
政治×行動=仕事∞
 川名 潤:私の七年とギロチン
 nichinichi:作ることは生きること,生きることは政治的なこと
 惣田紗希:SNSから離れた場所で試みる土台をつくる
編集部:表現の不自由と政治,表現の不自由展・東京実行員会岡本有佳さんインタビュー+名古屋展レポート
政治に参加する,自分の力を信じる
 和田靜香:政治家だけじゃない 私たちだって主役であるべき
 皆本夏樹:「活動家」ではに「ただの市民」でお,政治的な活動はできると分かった
浪花朱音:「投票に行かない」を選んだ人
丹野未雪:カレーに「選挙」を持ち込んでみた カレーセンターマエダ梅原浩之さんインタビュー

特集2 勉強の入口/出口
編集部:アンケート「勉強する理由」
山本ぽてと:中国語の時間
浪花朱音:調査 あの頃,勉強は変だった……
編集部:なぜいま読書会?みんなで読むと景色が変わる
 双子のライオン堂:「読めてない私大丈夫」みんなで難解な本を読み進める
読書サロン:セクシュアル・マイノリティが登場する古今東西の小説で現実を学ぶ
BREAKFAST
BOOK CLUB:「この時代を一緒にやってこ!」という感覚を同世代とシェアできるのがすごく楽しい
アドルノの読書会:30年以上続けてようやく8分の5 読み終わらない哲学の読書会
小沼 理×浪花朱音:対談“ノー資格者”として働く

丹野未雪:通勤――あたらしい無職 猫も乗ります編
連載
杉野あずさ・みりんとおさとう:仕事回文17
サチ/さようならアーティスト:虹色眼鏡13 愛についてわかったこと,または虹の彼方に。
木下美絵:40歳,韓国でオンマになりました5 豪雨,コロナ,予期せぬ再会
辻本 力:「聞く」という仕事8 「雑談」取材を振り返って
太田明日香:35歳からのハローワーク11 公的支援を利用しながら未経験からデザイナーへ
ニイマリコ:男には簡単な仕事4 でも知らなきゃよかった,にはならないんだよね
さのかずや:無職の父と,田舎の未来について。21 求人と雇用,「みんなで行く」道の歩み方について
文脈本屋さん18 雑貨と本gururi
小沼 理:仕事文脈コラム 傍観者ばかりの社会に未来はあるか

この読書日記はほとんど目次をつけている。私の書評執筆は学術雑誌に掲載してもらう目的で始めたものだが,そのうちはじめから最後まで読んだ本についてはblogで必ず記事にするようになった。そんなことを書くと,意外に本を読んでいないことがばれてしまうが。それはともかく,私が学術雑誌に書評を書き始めた頃(一番最初に掲載されたのは1994年だったと思う),書評にはこのように目次を書くのが普通だった。しかし,そのうち学術雑誌の出版事情も変化し(悪くなり),無駄なページをなるべく減らす(といいながら,最近は補助金目当てに,日本語文献にも英文表記を列記するという訳の分からないことをやっていて,文献表の増加分を本文で減らすという本末転倒)方針が続いていて,ついに二つの雑誌は見開き2ページ厳守になってしまい,こういう形で行数を無駄に使う目次の掲載というのはほとんどなくなった。なお,こうした目次はウェブで入手できることも多いが,私は大抵手打ちでやっています。なので,たまに誤変換などありますが,ご容赦ください。
さて,そうやって手打ちで目次を打ち込んでいると,読書の記憶がよみがえってきます。今号の冒頭は岸本聡子さんのインタビュー。彼女が杉並区長選に当選した後,自分に投票しなかった人,また投票自体をしなかった人の声もしっかり聴いていきたいと表明していたことは知っていたが,「学生の間だけ杉並に住んでいる人とか,仕事が多忙で家には寝に帰るだけの人とか,…従来のやり方では声が届かない大多数の層といかに対話していくかが大事」(p.7)と語っているのが印象に残った。このことはまさに私も思っていて,子どもの小学校のPTA活動をしている時,学校側がよく「地域の人々」といっていたが,あれは町内会の人たちを意味していて,その多くは代々その地域に土地を持っていて,現在は高齢者が多いのが実情だと思う。市役所が開催する「地域懇談会」などにも参加したことがあったが,そこでいう「地域」も近いものがある。ただ,公立中学校の生徒やその保護者を巻き込もうという取り組みがあったが,やはり職場や学校がその自治体以外にある世代が無視されているというのは強く感じた。
山口智美さんは米国モンタナ州立大学の教員をしている人類学者だが,かつてから統一協会がらみの調査・研究をしていて,最近YouTube動画などで見かける機会が多い。荻上チキさんと一緒に一般向けの本を出していたりしているが,彼女の議論をまだまだ知らない人が多いと思う。そういう意味でも,こういう雑誌にこうしてわかりやすく書いてくれるとありがたい。
まず,川名 潤さん,nichinichiさん,惣田紗希さんというお三方の,政治を語ることで仕事が増えた,的なお話が非常に興味深い。近年,○○に政治を持ち込むな,という風潮が変わりつつあるように思う。もちろん,まだまだこの風潮は強いのだが,例えば2020東京オリンピック開催前後に反対の声が多数上がるなか,選手や元選手といった,オリンピックに支えられてきた人たちは,オリンピックの是非について語る権利を奪われていた。しかし,幾人かの元選手は声を上げた。また,著名な俳優たちが有志で動画を作成し,選挙へ行こうと呼び掛けたりもした。とはいえ,そうしたある程度のその職業での地位を確立した人であれば「かっこいい」と支援の側に回る人も多い(もちろん有名であるがゆえにバッシングも多いと思う)が,それほど確たる地位を獲得していない多くの人は,政治的発言によって嫌煙されたり,決して多くない顧客を失ったりすることにもなりかねない。また,そういうことを危惧して不用意な発言を避ける場合も多い。しかし,このお三方は自分の心に正直にいることを選び,政治的な発言をするようになったが,それによって少なからず本職への良い影響があったというお話。
表現の不自由展の話も興味深い。こちらも芸術に政治を持ち込むな的なところから始まった騒動だともいえる。同じようなことは音楽にもあるし,こういうところからも「政治はどこにでもある」という意識を多くの人が持つようになればいい。そうすれば,日常会話として政治の話をしにくい,そこそこ近しい人と政治の話はしにくいという風潮を少しずつ変えていけるような気はする。
和田靜香さんは『時給はいつも最低賃金,これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた。』などの著作があり,非常にユーモラスな立場で執筆活動を行っている方。皆本夏樹さんはこの読書日記でも紹介した『フェミサイドは,ある』というZINEの著者。お二方による自身の経験に基づいた政治参加のお話も貴重。一般市民の政治参加とは選挙だけではない。そういう意味では,選挙権のない18歳未満の人でも,参政権のない日本在住の外国人でも政治参加は可能なのだ。選挙で,自分が投票した候補者が当選しなくても,その候補者を当選させるのと同じ方向性を向いた政治活動は可能なのだ。それがシチズンシップであり,ひどい政治が行われている日本だが,それでも政治集会は行えるし,そうした場で,またSNSでもそうした政治的表現をする自由はまだ確保されている。この現在私たちが持っている自由を,権利を行使しない術はない。
そして,3人の「投票に行かない」を選んだ人へのインタビューもとても興味深い。期待を込めて選挙応援活動をしてその期待を裏切られた経験を持つ人なら誰しも思うこと。なぜ,投票権を持つ半数以上の人がその権利を放棄するのか。それは過半数なので,おそらくその実態は把握できない。ましてや,選挙応援運動をする人はSNSなどで積極的に発信するので,さまざまな気持ちを知ることができるが,投票をしない人の大半はそういうことはしない。ということで,本誌に登場するお三方は特殊な事例と考えるのがいいとは思うが,それでも貴重な意見には変わりない。そして,しっかりとした理由をもって投票をしないという選択肢をしている人も少なくないということを考えさせられるからだ。私たちはとかく,投票もしないような人はどうせ投票に行っても政治が変わるわけがないという無気力無関心によるものだと決めがちだが,何も考えずに決まった党に投票する人よりよっぽどいろいろ考えた末の結論であることも十分に考えられる,そう考えさせられる。
もうすでに大分長くなってしまったが,特集2の「勉強の入口/出口」もとても面白い。語学とか読書会とか,とかく真面目なものだと思いがちだが,何か目標のための努力と捉えるのではなく,目標があったとしてもその過程自体を楽しむということを教えてくれる。私は読書会に参加したことはないが,一般的なイメージは読書会に参加する前にあらかじめ課題図書を各自読んできて,議論したい箇所を決めておく,そんな感じ。でも,おそらく事前に読まなくても,その時間内に読み終わらなくても,一向にかまわない。なにせ,目的は似たような関心を持った複数の人たちが集まって,会話をすることなのだから。そして,重要なのは似たような関心ってところで,考え方が一致するということではないということ。同じ本を読む,読んだ,読みたい人という共通性はあったにせよ,その本をどう読むのか,読んで何を考えたのか,ということは各人ちがうのだ。読書会でそうしたものを披露しあうところに発見がある。ああ,読書会に行きたくなった。
書きたいことはいっぱいある。でも,既に読み終わった本が2冊たまってしまったので,この辺にします。

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【映画日記】『SHE SAID』『妖怪ウォッチ♪ジバニャンVSコマじろう』『ヒトラーのための虐殺会議』

2023年114日(土)

立川シネマシティ 『SHE SAIDその名を暴け』
MIRAMAX
という独立系映画制作会社を立ち上げたワインスタインという人物が,出演女優やスタッフなどに数々の性暴力を働いた,という出来事を記事にした『ニューヨークタイムズ』の記者2人が書いた本を基に作られた映画。その2人をキャリー・マリガンとゾーイ・カザンという私の好きな俳優が演じるということで観ないわけにはいかないです。本作にはアシュレイ・ジャドが本人役で出演し,グィネス・パルトロウも出演さえしていないものの実名で登場する。MIRAMAXという会社を意識して作品を観たことはなかったが,グィネスがアカデミー主演女優賞を獲得した『恋におちたシェイクスピア』が本作には出てくるし,アシュレイの出演作も多く観てきたので,かなりショッキングな内容。そういえば,2人ともある時期から日本で公開されるような作品にはあまり出なくなった気がする。
それはともかく,記者にも危害が及ぶかもしれないというハラハラドキドキを感じながらも,結局はそういうことがなかったようで,ある意味ではハッピーエンドでよかった。そして,主演の2人の俳優は新聞記者を演じながらも映画界のことを憂慮しながら演じているような気がして,演技以上の熱量を感じました。日本でもここ数年で同じような動向がありましたが,報道側が当事者を守りながら先導したわけではなかったことがとても残念に思う。そして,多くの当事者が声を上げ,映画界にそれらを改善しようとする動きはあったが,報道ベースではすっかり忘れ去られているような気がする。
https://shesaid-sononawoabake.jp/

 

2023年115日(日)

調布シアタス 『妖怪ウォッチ♪ジバニャンVSコマじろう』
久し振りの妖怪ウォッチ映画ということで,小学6年生の長男も含めて3人で観に行った。しかし,上映時間が55分ということや,スクリーンが幼い子で溢れているという状況で少し嫌な予感がし,それが的中した。妖怪ウォッチはシャドウサイド編など,大人でも十分楽しめるシリーズもあるが,基本的には幼い子をターゲットとしたものであり,本作はそれにあたる。かなり低俗な内容で,長男がちゃんと楽しんだかどうかは不明。まあ,親としてはああいう客席の雰囲気は久し振りで,それはそれで楽しかったけど。
https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/eiga-yokai/

 

2023年121日(土)

立川シネマシティ 『ヒトラーのための虐殺会議』
急遽,わずかな時間帯で自由な時間ができて,そういう時間的制約の中で選んだ作品。元々ナチスドイツ関連の歴史については疎い私だが,近年は『アンネ・フランクの旅する日記』というアニメ映画もあったし,日本共産党関連の新聞『東京民報』はここのところアンネ・フランク関係の連載が続けられていて,基本的な知識は増えてきた。今回の映画はアンネに代表されるような第二次大戦中ヨーロッパのユダヤ人が大量に鉄道で輸送され,収容所で虐殺されたという計画の全体が決められたある会議の様子を,歴史的資料に基づいて再現したという映画。映画としてはほとんど動きがなく,一室での10名程度の人物のおもに言葉のやりとりを描くものだが,演劇としては典型的なものでもあり,そうした演劇的な映画作品も少なくないので,とても洗練された劇場映画であるという印象。そして,第一次世界大戦で敗戦したものの,再び第二次世界大戦勃発の主要国となったドイツの戦争の動機についても考えさせられる。さらには,現在行われているウクライナへのロシアの侵攻,そして第二次世界大戦ではドイツとともに枢軸国となった日本の侵略戦争,そうしたものが当人にとっては自衛の戦争だと主張する論理もよく分かる作品。
ドイツが戦争を仕掛ける元凶がユダヤ人に向けられているのだ。この会議はもちろんナチスによって主宰されている。ナチスとは当時のドイツの政権を担った国家社会主義ドイツ労働党のことだが,あくまでも与党にすぎず,政府の官僚はすべてナチスの言いなりというわけではない。そして,政党としてのナチスを軍隊として支援する親衛隊がある。この会議には党の役人と,各戦線で活動する親衛隊,そして行政を担う役人たちが集まり,ユダヤ人問題の最終的解決=撲滅に関する党の方針が告げられるのだが,もちろん実際にそれを国家の仕事として認める官僚と,実際にその作業を行う親衛隊との了解を得ないと,物事は進まない。さまざまな意見が戦わされるのだが,各人のユダヤ人に対する考えはかなり共通している。会議のメンバーの中にはある程度の人道的な配慮を求める者や,家族や親類にドイツ人を持つユダヤ人への配慮を訴える者もいるが,そういう特殊な事例を除けば,一致してユダヤ人はこの世から根絶すべしという点で意見を一致している。そして,ドイツの闘いはユダヤ人を根絶してより良い世界を目指すということになっている。それから80年経った現代社会において,一部のネオナチを除いては(本作にはウクライナも登場し,そういう意味でもロシアの侵攻の正当化に寄与する部分もある),ナチスを支持することは望ましくないものとされているが,同じような思考は具体例を替えただけで現代でも息づいているように感じる。
https://klockworx-v.com/conference/

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【読書日記】山﨑孝史編『「政治」を地理学する』

山﨑孝史編(2022):『「政治」を地理学する――政治地理学の方法論』ナカニシヤ出版,236p.2,800円.

 

本書は編者が代表を務めてきた学会の研究グループのメンバー(おそらく何度かの科研費グループでもある)を中心に執筆されている。私もこの研究グループで報告させてもらったこともあるし,フリント『現代地政学』(2014年,原書房)や『現代地政学事典』(2020年,丸善出版)でご一緒した方も多い。個人的にも共著論文がある香川氏と二村氏から,本書をいただいた。出版されたのは昨年の3月だったが,ようやく読むことができた。非常に刺激的で学ぶことの多い読書だった。編者の山﨑氏は単著でも政治地理学の教科書を出版しているが,本書は副題にもあるように方法論的な教科書といえる。そういう意味では,こちらで先日紹介した『論文から学ぶ地域調査』と似ている。とはいえ,『論文から学ぶ地域調査』は卒論生を念頭に置いており,本書の方はより専門的な読者を念頭に置いているように思う。とはいえ,執筆者が自分の論文を取り上げながら,その調査・研究の内実を解説するというところは共通している。ただ,『論文から学ぶ地域調査』の方が,学部学生も手に取りやすい主要な地理学学会誌に掲載された論文を中心にしていたのに対し,本書で取り上げられる論文は地理学の学生にはなじみの薄い雑誌に掲載されたような論文も多い。本書の執筆者には知り合いが多いといいながらも,私も読んでいなかった論文が取り上げられていることもあり,新たに学ぶことが多かった。

序章 「政治」を地理学する――政治地理学の方法論:山﨑孝史
第I部 地理学で「政治」を捉える
第1章 民主主義――投票行動の地域性:山﨑孝史
第2章 支配と対立――民族紛争の空間構造:今野泰三
第3章 地方自治――行政サービスの空間性:畠山輝雄
第4章 外交・安全保障――地政学の歴史と再考:高木彰彦
第5章 環境をめぐる政治――環境運動の役割:香川雄一
第II部 「政治」の地理的諸相を描く
第6章 コミュニティ――ガバナンス論とボランタリー組織:前田洋介
第7章 宗教――異教徒迫害の歴史景観:麻生 将
第8章 ジェンダー――都市郊外の女性と家庭:関村オリエ
第9章 観光――戦争の記憶と場所の「資源化」:佐久眞沙也加
第10章 農産物――アメリカにおける「ローカルフード」の政治性と広がり:二村太郎
第III部 「政治」空間の形成と変容を追う
第11章 大阪と佐世保――アメリカ占領期の朝鮮人「密航」:福本 拓
第12章 ウトロ――在日コリアン「不法占拠」地区をめぐるまなざし:全ウンフィ
第13章 沖縄島――米軍統治の実相と矛盾:山﨑孝史
第14章 対馬――国境離島の実態:花松泰倫
第15章 ランペトゥーザ島――モノが照射する境界化の政治:北川眞也

目次をこうやって転記していると,本書が各章のトピックとそれから構成される内容が非常に綿密に計画されていることが分かる。もちろん,各章は執筆者自身の研究論文の内容なので,かなり特殊なものではあるのだが,政治地理学の諸テーマをかなり網羅するような形で,また各章のタイトルも熟慮されている。
序章では,日本の地理学で方法論に特化した議論が少なかったと指摘し,私が共著で書いた2007年の論文をその例外的なものとして取り上げてくれている。序章では政治と地理学の関係の解説を中心に,本書の意義と構成について書かれている。第1章も続けて編者である山﨑氏の執筆であり,沖縄県の選挙について論じ,選挙地理学という政治地理学の下位分野について解説している。先に各章のタイトルが熟慮されていると書いたが,第1章については選挙=民主主義という誤解を与えかねないので,冒頭でさらっと触れている代議制民主主義だけでなく,もう少し説明がほしかった。確かに,民主主義を地理学的に考察するには選挙結果の地域差を議論するというのが一番わかりやすいが,それだけが民主主義ではないというところについては解説が欲しい。
第2章の今野さんは『ナショナリズムの空間――イスラエルにおける死者の記念と表象』という単著を2021年に出版しているイスラエル研究をしている地理学者。パレスチナ問題についてはサイードの著作などで勉強したつもりでいたが,ミクロな問題やイスラエル側の論理についてはまだまだ理解が足りていなかったことを痛感させられる。今野さんはヨルダン川西岸地区におけるイスラエル入植地でパレスチナ側に殺害されたイスラエル人について調査し,その墓標や記念碑,遺族へのインタビューなどを通じてイスラエル人の想いを明らかにしている。第3章は介護保険の地域差に関するもの。福祉サービスについては日本の地理学でも比較的研究者が多い。福祉サービスは本来,政府や地方自治体の管轄だが,実際には民間団体がサービス提供を請け負っている。もちろん行政は各階層で法律,条令を作り,財政支援を行っているが,介護についてはサービスの受給者である高齢者の地域差,その地域でのサービスを請け負う団体の有無など,地理学者の役割は大きいと思う。
第4章は編者である高木氏の一つ上の世代として,日本の政治地理学を牽引してきた高木氏による地政学の歴史的解説。私も1997年に地政学関連の論文を書いてから,薄く長くお付き合いがあるが,意外に高木氏の地政学研究をしっかり読んでこなかったと反省。近年の地政学ブーム,また自分事として考えていかなくてはいけない喫緊の課題としての安全保障としても,学ばなきゃいけないことは多い。第5章は環境をめぐる社会運動の研究から地理学者のキャリアをスタートさせた香川氏によるもの。最近は環境関係の仕事をしているのかな,と少し疑っていましたが,継続的に考えてきているようで,少し安心。環境問題も本当に自分事として考えなくてはいけない喫緊の課題であり,日本ではまだまだ盛り上がりに欠けるこの分野を牽引していってほしい。
ここから第II部に入ります。第6章の前田氏はボランタリー組織研究としてNGOやNPOの研究を進めてきた。福祉サービスがある意味トップダウンなものだとしたら,ボランタリー組織はボトムアップ的なものだといえる。ここで取り上げられているのは防災関係のボランティア組織で,そういう意味でも地域密着型で,コミュニティとの関りが大きい。私もPTA活動をしていた時に,防災自治活動に参加したことがある。避難所として学校が利用され,そこで必要となる物資に関しては市役所が用意するので,教育委員会も含めた行政がかかわりつつ,地域の町内会(自治会)が中心となるのだが,町内会の偉い人は皆高齢ということもあり,あまり町内会頼りでも良くないという意見もあった。そういう意味でも何をコミュニティとみなすか(行政や学校では「地域」という言葉が好まれるが)が難しく,やはり地理学の知見は重要である。第7章は奄美大島のカトリック教徒排斥について研究してきた麻生氏によるもの。論文は読んでいたが,調査は当初の計画通り順調に進んだというよりは必要な資料を求めて奔走する姿が描かれていて興味深い。思いもよらぬ資料に巡り合うということもあったということは現地調査の醍醐味だともいえよう。
第8章はジェンダーをテーマにしているが,残念ながら本書における女性の寄稿者は少ない。そして,確かに本章はジェンダーをテーマにしたものだが,ジェンダー地理学の一部にすぎず,編者も認めているがフェミニズム地理学の視点はまだまだ足りない。とはいえ,本章は男性労働者の鉄道による長時間通勤を前提とした郊外化は,まさに当時のジェンダー規範が作り上げた空間であり,多摩ニュータウンで生まれた,郊外に住む高学歴専業主婦を職住近接という観点で労働者として取り込んでいく過程興味深い。しかし,その結果女性が正規のフルタイムで働くことになっても家事や子育ては女性が担うというのはジェンダー問題の根の深さを痛感させる。第9章も続いて女性の寄稿であり,沖縄出身の著者が沖縄観光をフィールドとした博士論文の一部を英語論文として掲載したものを基にしている。沖縄観光といっても戦争をテーマとしたものであり,非常に興味深い研究テーマである。第10章の著者二村氏はここのところ私が一番仲良くさせてもらっている地理学者の一人だが,実のところは彼自身の研究については断片的にしか知らない。本書の寄稿されたのは彼が米国留学で提出した博士論文の一部であり,なぜ彼がファーマーズマーケットという対象,ローカルフード運動というテーマにたどり着いたのか,知ることができる。また,日本でも同様の動向がありながら,日本の地理学でこのテーマの研究者は他にいないので,もっと積極的に発信していってほしい。
第III部は地域特殊性のあるテーマやその他雑多なものが含まれている。第11章の著者は最近単著『大阪のエスニック・バイタリティ――近現代・在日朝鮮人の社会地理』を出版し,在日朝鮮人をテーマに研究を進めている。本章では副題にあるように「アメリカ占領下の朝鮮人密航」をテーマにしたものだが,取り上げている論文が二編とも論文集に収録されたもので,私も彼がこのような調査・研究をしているとは知らなかった。現代日本の韓国からの密輸入を扱った映画『ノーボーイズノークライ』があったので,この映画では山口県が登場するが,この論文では佐世保である。テーマ的に複雑で一読しただけでは理解が及ばないが,取り上げている論文が掲載された論文集も興味深いので,機会があったら読んでみたい。第12章は京都の朝鮮人集住地区「ウトロ」を扱ったもの。著者の名前はどこかで見たことがあるが,ウトロに入り込んで調査をしている地理学者がいることは知らなかった。ウトロについては近年日本人による放火事件があり,この事件に関してはジャーナリスト安田浩一さんの話を何度か聞いていたので,本章でウトロの成立過程などが分かり非常に学ぶことが多かった。取り上げられている論文は『都市文化研究』に掲載されたもので,この雑誌はウェブでも入手可能なので,読んでおきたい(読んだことがあるかもしれないが)。
第13章は編者による沖縄の話。第1章も山﨑氏による沖縄県の選挙の話だったが,本章では米軍占領下の沖縄において,男性米兵を相手とした日本人女性性労働に関する文書について解説するものであり,山﨑氏がこの種のテーマも研究していたとは知らなかった。そういう意味で,本書の中でこの章でもジェンダーの問題を扱っているが,戦時下の機密文書ということで,その方面での専門的な話が中心になってしまい,ジェンダー論があまりなされていないのは仕方がない。第14章の著者については全く知らず,また対馬を日本の国境問題として意識したこともなかったので,本章から学ぶことは多かった。ボーダー・スタディーズという分野が日本でも盛り上がりを見せていることは知っていたが,事例研究はあまり読んでこなかった。日本についてもこんなに優れた調査・研究があるならばしっかり勉強していきたい。長崎県に属する対馬は単純に地図で見ても日本本土よりも朝鮮半島に近い。釜山から定期船が出ていることもあり,日本人観光客よりも韓国人観光客が多く,年間訪問客数は島の住人の10倍近いというのだ。そこで,著者は日本人を対馬経由で釜山まで連れて行くという観光ツアーを企画した社会実験を行ったという。自国の国境を意識したことがない日本人は多いと思うが,このツアーはまさに国境というものを,単に二国を分けるただの線としてではなく,連続的に変化する景観で特徴づけられる国境地帯として認識するのに最適だと思う。ここで取り上げている論文の一つは『ボーダー・ツーリズム――観光で地域をつくる』という論文集に掲載されているということで,読んでみたい。
最終章はイタリアのランペトゥーザ島で,この島の名前は地理学者には著者の北川氏によって有名になっている。さすが北川氏という感じの文章で,他の寄稿者の多くは,過去に自分が描いた論文を振り返っている話なのだが,本章は論文執筆時には考察が不十分だったことをさらに進展させる形で書いている。近年のポストヒューマン論やアクターネットワーク理論を援用し,アフリカから地中海を超えてEU側に入ろうとする難民たちが乗り捨てた船をめぐっての議論が展開されていて,これまたそんな理論が背景にかすんでしまうくらい衝撃的な事実と刺激的な論考。
本書はおそらく大学での半期分の授業を行う教科書も意識していると思うが(半期分の授業回数は15回で,本書は15章から成る),私の非常勤先での授業でも使ってみようと思える内容だった。私の授業は一般教養(今はこういう表現は使わないが)なので,方法論の話はしなくても,テーマもバランスがよいし,一度やってみたい。

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【映画日記】『かがみの孤城』『すずめの戸締まり』『嘘八百』

2022年1225日(日)

府中TOHOシネマズ 『かがみの孤城』
辻村深月による原作のアニメ化。辻村氏の小説は読んだことがないが,彼女はドラえもん映画の脚本も書いたことがあり,本作も中学生たちが主人公でどこかファンタジー要素があり,原作との読み比べもしてみたいものだが,アニメ化に何のそん色もない物語。小学2年生の娘と観に行きました。それぞれの事情を抱えて自宅に引きこもっている中学生が,鏡をその出入り口としてとある孤城で出会うという物語。個々人の描写はやはり原作で丁寧に描かれているのでしょうが,映画ではその辺りは少し物足りなさを感じます。とはいえ,物語の設定や展開などとてもよくできていて,安心して観られて十分に楽しめる作品。こういう作品は,子どもが観たいといってくれないと(私の方から問いかけていますが)なかなか観る機会がないので,うちの子どもたちにはいつも感謝しています。
https://movies.shochiku.co.jp/kagaminokojo/

 

2023年13日(火)

府中TOHOシネマズ 『すずめの戸締まり』
新海誠作品は,『秒速5センチメートル』と『言の葉の庭』を観て好きになって,『君の名は。』にいたる。多分,『君の名は。』は息子と観たような記憶があるが,『天気の子』は子どもたち2人と観に行った。ただ,本作に関しては私も含めて子どもたちも積極的に観るとはいっていなかった。人気があるからということではなく,なんとなくわが家では新海作品への期待感は薄れていたが,冬休みを3人で過ごすのに困り,観に行くことになった。
もちろん,映画はとてもよくできていて,3人とも十分に楽しめた。特に地理学者としては,主人公たちが宮崎県から四国を経由して日本列島を縦断して岩手県まで行くというロードムービーとして見られるし,宗像草太という登場人物は,「閉じ師」をしながら大学生をしているが,大学でもその方面の分野を専攻しているようで,自宅には地学や考古学,地質学関連の本に並んで「地理」と書名にあるものも数冊確認でき,なかなか嬉しかった。ここまで有名な作品になっているのでネタバレとかは大丈夫だと思うが,要は日本で頻繁に起こる地震の原因をファンタジー的なもの(あるいは古い伝説的なもの)に置き換えている。一般の人には見えないが,ある扉から「みみず」と呼ばれる妖気のようなものが出てきて,それが地上に落下する際に自身になるという設定。その扉が開かないように日本の東西に二本の杭(作品中でどのような言葉で表現されていたのかは忘れた)が打ってあるが,その一本を主人公が抜いてしまうということで物語が進展する。主人公は東日本大震災で母親を亡くした設定で,東京のシーンでは今年で発生から100年を迎える関東大震災を彷彿とさせる場面もある。現在進行的に発生しようとする地震を食い止める旅がこの映画であることになるが,じゃあ,過去の2011年の東日本大震災や1923年の関東大震災は食い止められなかったのか,閉じ師は失敗したのか,いろいろ突っ込みどころはある。
観終わった後,娘は『神在月のこども』と似ているといっていたが,それは私も思った。先にみみずのことを「妖気」と表現したが,それはその辺りからきている。妖怪は普遍的なものではなく,極めて土着的なものだが,本作における地震の解釈は民俗・土着的なものなのか,そういう意味ではグローバル化を感じさせない日本を描いたナショナリスティックな作品だといえないこともない。
https://suzume-tojimari-movie.jp/

 

2022年17日(土)

府中TOHOシネマズ 『嘘八百 なにわ夢の陣』
2018
年に第一作が公開され,なんと三作目!私の好きな脚本家,今井雅子さんが足立 紳さんとの共同脚本で,監督は式 正晴さん。主演も中井貴一と佐々木蔵之介という地味だが豪華な作品。私は一作目から贔屓目に応援してきていますが,世間的にはどの程度話題になるのだろうか。とはいえ,この手の作品が三作も制作されるというのは非常に稀なので,コアなファンに愛され続けている作品となってきたのかもしれません。
今回はなんと小学6年生の息子と一緒に鑑賞。正直にいうと,本作の脚本は何気に難しい。二作目,三作目と回を追うごとに難しさは増しているようにも思う。おそらく,本当に楽しむには毎回過去作品を見直すという復習が必要なのだろう。決して少なくない登場人物にはそれぞれ役割が与えられていて,それらを把握しないと深いところまでは楽しめないのだ。そして,基本的に登場人物に悪役は存在せず,それぞれがそれぞれのストーリーを持っている。一方で完全なる善人も存在せず,誰もが腹黒いものを持っている。今回それが色濃く反映したのが佐々木蔵之介演じる陶芸家の野田佐輔。まあ,毎回ではあるが,その腹黒い部分を持ちつつのアーティスト魂で安田章大演じるTAIKOHとある意味通じ合ってしまうというところも面白い。本作にも中村ゆりさん出ていますね。本シリーズの森川 葵さんの役どころ,好きです。
本シリーズ初鑑賞だった息子は私の心配をよそに十分楽しめたようです。
https://gaga.ne.jp/uso800-3/

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【読書日記】岡本耕平監修『論文から学ぶ地域調査』

岡本耕平監修,阿部康久・土屋 純・山元貴継編(2022):『論文から学ぶ地域調査――地域について卒論レポートを書く人のためのガイドブック』ナカニシヤ出版,218p.2,400円.

 

本書の監修者,岡本耕平氏は名古屋大学で長らく教鞭を取っていた地理学者であり,定年を前に愛知大学に移っている。本書に寄稿したのはその教え子を含む名古屋大学関係者が中心となっている。と分かったような書き方をしたが,本書には岡本氏の署名による文章はないし,そうした事情については全く書かれていない。書名・副題に「地理学」の語もない。そういう意味では,不親切な本だが,利用者が主に学生だと考えると余計な情報はいらないかもしれない。
それはともかく,目次には著者名とその所属も書いてある。岡本氏の教え子たちが中部圏を中心に多くの大学の職についていて,自然地理学分野は数名ではあるが,研究分野は多岐にわたるというところも含めて,なかなかできることではない。また,著者が自身の論文を振り返り,学術論文という形では語りえなかったこと(裏事情)などを知ることができるという意味でも貴重な本だといえる。

まえがき:編者一同
第1部 【国内調査】
01 身近な地域の成り立ちを考える――発達史地形学へのアプローチ:廣内大助(信州大学)
02 地理学の視点で動植物を調べる:富田啓介(愛知学院大学)
03 「景観」から社会を読む:阿部亮吾(愛知教育大学)
04 伝統行事を地理学で読み解く――聞き取り調査を中心に:石川奈央(東洋大学)
05 産業の歴史を調査する:服部亜由未(愛知県立大学)
06 地理学の視点で「アニメ聖地巡礼」をみる:山元貴継(中部大学)
07 都心居住地の職住関係を明らかにする:稲垣 綾(奈良大学)
08 ボランタリー組織をとらえる:前田洋介(新潟大学)
09 SNSを用いた外国人へのインタビュー調査:阿部康久(九州大学)
10 地場/地域産業で卒論を書く――どう調査し,どう結果を学術的に解釈するか?:立見淳哉(大阪市立大学)
第2部 【海外調査】
11 卒論では海外の調査をどのように研究したらよいだろうか?阿部康久(九州大学)
12 オープンデータ・資料の活用による論文執筆:阿部康久(九州大学)
13 韓国の街を調べる:山元貴継(中部大学)
14 インドにおけるショッピングモール発展に関する調査研究:土屋 純(関西大学)
15 バングラディシュの物乞いをテーマに卒論を書く:杉江あい(名古屋大学)
16 産業から地域をみる――スペインワイン産業の研究:齊藤由香(金城学院大学)
17 カリブ海に注ぐ川を遡る――ニカラグア・モスキート平野のフィールドワーク:池口明子(横浜国立大学)
18 グローバル化と食料の生産空間――インドネシアにおけるエビ養殖のネットワーク:伊賀聖屋(名古屋大学)
第3部 【応用的調査・社会実践】
19 自然災害に関連する石碑と防災教育:大平明夫(宮崎大学)
20 海水浴客の津波避難行動:森田匡俊(岐阜聖徳学園大学)
21 外国人がとらえた日本の都市空間――空間認知の地理学:髙井寿文(早稲田大学本庄高等学校)
22 外国人と地域について考えてみる:片岡博美(近畿大学)
23 飲酒の空間を調べてみよう――アルコールの社会・文化地理学への招待:杉山和明(流通経済大学)
24 大型ショッピングセンターはどこにあるのかを調べる:伊藤健司(名城大学)
25 住宅地図で「コンビニ」を調べる:山元貴継(中部大学)
26 GISデータをつくる・公開する:谷 謙二(埼玉大学)
27 地域事象の教材化と授業開発――地域教育研究への地理学からのアプローチ:鈴木 允(横浜国立大学)

地理学では現地調査=フィールドワークが地図作成とともに重要なものとして教育される。地理学の研究対象は地域であり,研究者がその地域に身を置くことが調査・研究のまず第一の仕事だとされている。本書において面白いのは,あえて現地調査やフィールドワークという言葉を書見に選ばなかったこと。本書の中には必ずしも現地調査によらないものもいくつかあり,だからこそ「地域調査」としているように思う。
章ごとに,現地調査か否か,調査対象地域を示していこう。01と02は自然地理学に含まれる。01は地形学で,論文タイトルにあるように福井平野東縁地域となっている。もちろん地形学でも現地調査は欠かせないが,行って見るだけでは調査にならない。それは範囲が広いということもあるし,ボーリング調査なども必要だからだ。02の著者は近年『はじめての地理学』,『あれもこれも地理学』,『その日常、地理学で説明したら意外と深かった。 街と地域を知るための5つの物語』などと一般向けの地理啓蒙書を書いているので,てっきり予備校の先生だと思っていたら大学の地理学の先生だったんですね。しかも,専攻は生物地理学とのこと。ただ,ここで対象になっている論文は「人と自然の関係史」ということで,完全なる自然地理学ではないようだ。対象地域は愛知県豊田市の矢並湿地とのこと。植物分布の歴史でもあるので過去の空中写真なども利用している。03の著者は古くからの知り合いでもある。修士論文以降は来日するフィリピンからの移民を研究していたが,卒業論文では広島の原爆景観をテーマにしていて,本書ではそれについて書いている。本書には類似した文章も多いが,卒業論文作成時の苦労話のような内容で,これはこれで面白い。04は闘牛をテーマにしたもので,卒論で愛媛県宇和島市,修論で島根県隠岐の島,博士論文で鹿児島県徳之島と,同じテーマで対象地域を変えていく事例を読むことができる。05は歴史地理学分野のもので,対象地域は北海道で,鰊漁を扱っている。歴史地理学でフィールドワークといわれてもピンとこないかもしれないが,この章のようにあるか分からない史料を,現地で発掘するというのも現地調査の醍醐味のようだ。とにかく,そのテーマに関して知っている人から人へと尋ね歩いて情報を仕入れる,というのは探偵などの他業種の行動と似ていないこともない。06の著者も古くから知っているが,山元氏は編者の一人であり,本書では3章分を執筆している。彼は韓国をフィールドとしているが,本書に寄せた文章のいくつかは,教員として自分が指導した学生の卒論だったりする。優れた卒論で,その学生が卒業後に就職する場合など,指導教員が共著者として名前を連ねて雑誌に投稿・掲載することなどがある。06は卒論レベルでよくテーマになるアニメ巡礼を取り上げ,ここでは岐阜県高山市でアンケートを行っている。定性的な分析ではなく,いわれるほどアニメ聖地巡礼は多いのか,割合としてはどの程度なのかという素朴な疑問に応える調査。07はいわゆる現地調査をメインとするものではなく,統計分析をメインとしながら,その限界を補完するためにアンケート調査を行っている。
地理学の調査・研究では統計データをよく用いる。地理学の特徴は,同じく現地調査を基礎とする民俗学や人類学と異なり,対象とするローカルな地域を,より広域な地理空間のなかで位置付けるという俯瞰的な視点が不可欠という側面がある。もちろん,民俗学も人類学も同じような視点を有しているとは思うが,地理学ではスケールという概念を用い,広域とローカルとを自在に収縮して考えられる能力を要する。08はNPO法人について全国的な動向を既存の資料で確認し,東京都多摩市を選出して,多摩市にある法人についてインタビュー調査を行っている。09の著者も編者の一人であり,山元氏と同様に3章分を担当し,そのいくつかは指導学生の調査・研究についての文章である。阿部氏の場合は中国からの留学生の大学院生との共著が多く,09では日本在住の中国人が対象。調査対象を見つけるのが難しいのでSNSを用いたという事例。10は寒天産業というテーマがあり,その主産地である岐阜県山岡町と長野県諏訪湖周辺地域を対象地域としている。この章の特徴は論文としての議論を組み立てる理論の話をしていること。
第2部は海外調査の事例を集めている。11も阿部氏によるもので,中国に進出した日系自動車メーカーを対象としているが,トヨタ自動車が中国全土にどのように販売店を展開しているかということを中国の統計データと付き合わせたという調査・研究。12も引き続き阿部氏によるもので,日本語によるコールセンターが中国に外注されているという事例を追ったものだが,思ったような成果は上がらなかったというもの。やはり海外を事例とする調査は難しいという教訓を伝えるものでもある。13は山元氏のフィールドである韓国で,集団調査を行った事例。悉皆調査のように,ある商業地区の業種などをしらみつぶしに現地で確認したもの。14はインドのショッピングモールに関するもので,ショッピングモールというグローバル化した世界でどこにもありそうなものだが,それぞれのお国の事情があるということが分かるというようなお話。15の著者杉江さんは卒論でバングラディシュの物乞いをテーマとして論文にし,それ以降も優れた論文を次々と発表している研究者だが,ここでは卒論制作時の手続きなどについて書いているが,なかなか普通の卒論生には(現在の私にとっても)なかなかハードルが高いように思う。16はスペインのワイン産業をテーマにしたものだが,好きこそものの上手なれ,という感じで,やりたいテーマが見つかったら対象を国内に限定する必要はないというようなお話。続くコラムも執筆しており,海外調査につきものの現地語の習得について,書かれている。17の著者である池口氏は何度かお会いしたことがあるが,非常にバイタリティ溢れた方。17では,ニカラグアの調査の様子が説明されていますが,立派な大学教員でもそう簡単に真似できない調査。まあ,こういう調査をする人もいるんだなと知ることはできる。18はインドネシアのエビ養殖についての調査だが,著者のこの研究は私が以前読んだ『自然の社会地理』にも収録されていたが,グローバルな食料市場など食をめぐるさまざまな問題をひっくるめて考察しており,こちらもそう簡単にできる調査ではない。
第3部【応用的調査・社会実践】にはかなり雑多な章が含まれている。19は地理教育に関するもの。地理学には学校教育の社会科地理に関する地理教育という分野が含まれる。地理学会の会員の一定数は初等・中等教育の教員が含まれるためである。近年地理という教科が地理総合という名のもとに変貌を遂げているようだ。目玉の一つが防災であり,またGISである。この章はその2つを盛り込んだもので,自然災害の記録を土地に刻む石碑に注目している。20も防災に関わるものだが地理教育ではなく,防災にGIS技術を応用しようというもの。津波の避難訓練時に,訓練参加者の行動を記録し,分析している。21は認知地図研究の一環だが,その対象を日本の都市に馴染みのない外国人とすることで,土地勘や地域の習慣,日本語という言語を習得していない者に対する都市の利便性を測定し,それをまちづくりなどに役立てようというもの。22も同様に,特定の都市で増加する外国人は,その地域に定着し,その地域で活動する主たるアクターになっていく。そうした人たちが住みやすく,また地元の人とともに活躍できる地域づくりを目指すような研究。23は私を含む4人で『アルコールと酔っぱらいの地理学』という本を翻訳した杉山氏による章で,具体的な調査ではなく,訳書などを受け,本格的に日本でアルコールと飲酒の地理学研究をする上での調査計画のような内容。24は名古屋都市圏の大型ショッピングセンターの立地動向を時系列的に把握するにはどうしたらよいかを説明している。25も同様に名古屋市内のコンビニエンスストアの立地動向についてさまざまな情報を組合わせ,GISで地図化する方法を解説。この2章がなぜ第3部に含まれているのかは不明。26はMANDARAというフリーのGISソフトを開発した谷 謙二氏による章。MANDARA以上に「今昔マップ」というのが人気だが,その開発裏話。まさか,一枚一枚の古い地図を入手し,スキャンして電子データ化し,それをつなぎ合わせるという作業をしていたとは知らなかった。最終章である27は再び地理教育分野だが,地理を学ぶ上での歴史的背景という問題を取り上げているが,議論の内容はかなり理念的なもの。
本書の最大の魅力は,個々の著者が自身が過去に書いた論文について,論文に書いていないようなこと(裏話的な)を解説している点である。おそらく,各自が教員として学生に対して口頭ではこれまで多くやられてきたことだとは思うが,そうしたものを公表するということはあまり積極的になされてこなかったと思うが,私はとても重要なことだと思う。そして,このような形で過去の論文を紹介されると,かつて読んだ論文が新鮮な気持ちで再読でき,また発表時には読まなかった論文を読んでみようという気にさせてくれる。
本書の難点を一つ上げるならば,地理学という学問実践において,現地調査が持つ意味や意義について各自が対話形式で議論できるような場があってもよかったと思う。章によっては厳密な現地調査を必要としない統計分析もあったし,アンケートなどの手法もあった。同じ地理学を専攻していても現地へのこだわりや関わり合いは人によって違うし,思い入れも違うと思う。地理学にとって現地調査はなくてはならないものである,ということはよく語られるが,そのなかでの差異とか強度の違いというものはもっと議論されていいと思う。

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