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2023年8月

【映画日記】『マイ・エレメント』『シン・ちむどんどん』

2023年820日(日)

府中TOHOシネマズ 『マイ・エレメント』
基本的に3DCGのアニメはあまり好きではないので,この作品もあまり観る気はなかったが,夏休みも終盤になって子どもたちと過ごすイベントのレパートリーに困ってきたところ。以前は娘はこの作品にそれほど興味を示していなかったが,急に観たいといってきたので,気は乗らないが観ることにした。
すると,思っていたのとは異なり,娘よりも私自身が引き込まれる作品だった。エレメントがかつての四大要素であることは予告編で分かっていた。火・水・空気(映画では雲)・土(映画では木)を人間界の属性である,人種や民族になぞらえているということは分かったのだが,実は移民の物語にも準えている作品だった。多民族国家としての「エレメント・シティ」だが,実のところは水がマジョリティであり,水を必要とする木と,水の変化した状態である水蒸気の塊である雲は,当然のことながら水と相性がよく,共生しているといえる。しかし,基本的にこの時点で混血はないようだ。それに対して,火はエレメント・シティにやってきた新参者という設定になっている。もともと,火だけが暮らしている国があり,そこに災難があり,主人公の父親は夫婦で新天地を目指して,その国を離れ,エレメント・シティにやってくる。火の言葉はエレメント・シティのものとは異なり,父親夫婦がやって来た時はさまざまな差別にあう。それでも,かれらはいわゆるエスニック・ビジネス的な雑貨店を経営し,そこを中心に火の移住者たちが集住して,ファイアー・タウン的なものが形成される。主人公の女性は父親を継いでその雑貨店の店主になろうとしているが,そこでとある水の公務員と出会い,要素間を越えた男女の関係へと進展していくという物語。
確かに,人類が歴史的に経験してきたものをうまく表現しているとは思う。しかし,植民や移民,強制労働移住などの人類の歴史においても少なからず混血があったということをこの作品では描こうとしていない。また,主人公二人の要素間の恋愛をきっかけに要素間の関係の変化を描いている。しかし,この作品でも要素間の関係は恋愛を除いては描いていて,恋愛という結びつきが生じた時に,それ以降どうなるのか,つまり生殖行為が行われて子どもを産み育てるというところまでは描いていない。そういう意味でも,また主人公同士の心を通い合わせるところの過程があまり丁寧に描かれていないという印象は拭えない。
https://www.disney.co.jp/movie/my-element/

 

2023年825日(金)

東中野ポレポレ 『シン・ちむどんどん』
ようやく子どもたちの夏休みも終わり,この日は始業式だったが,私も休みをもらって少したまった私用を済ませていた。そして,帰宅した息子と一緒に映画を観に行くことにした。同じ監督の『センキョナンデス』は見逃してしまったので,楽しみに久しぶりの東中野まで出かけた。予約の時点でかなり席が埋まっていたが,なんとこの日は上映後に監督二人の舞台挨拶があるという。
今回も選挙の話だが,昨年行われた沖縄知事選挙を追ったドキュメンタリー。今回は現知事の玉城デニー氏と前回同様の佐喜真淳氏,そして下地幹郎氏の三人の戦いとなった。このタイトルは,NHKの朝ドラ「ちむどんどん」からきているわけだが,監督のプチ鹿島氏が,彼は毎日新聞を複数紙くまなく読むという人だが,ある新聞が候補者三人に出したアンケートの結果から,興味深い事実を見つけ,それを本人たちにぶつける,というところからきている。「好きなテレビ番組は」という問いに,三人すべてが「ちむどんどん」(玉城氏はNHK朝ドラと答えただけのようだが)と回答したという。特に佐喜真氏はSNSでちむどんどんのPRをさんざんやっていたということで,鹿島氏はそれを怪しいとにらんで,本人に質問をぶつけた,という内容。
まあ,それはともかく選挙の結果は既に知っていて,投票時間が終わる20時の時点で玉城氏に当選確定が出たということは知っていた。しかし,実際には玉城氏34万票に対し,佐喜真氏が27万票と,大差というわけではなかったということを改めて知る。この映画ではその辺りには深く突っ込みを入れておらず,しかも選挙の話は前半で終ってしまう。選挙の話の時から辺野古の話はあるのだが,後半の見せ場は沖縄国際大学の前泊博盛さんの研究室を訪ねて聴く話である。現在埋め立て工事が進められている辺野古は,名目としては世界一危険な基地といわれる普天間基地の返還に対して,代替の基地を作るということで,辺野古が完成してから普天間が返還されるということになっていて,時の総理大臣がよく口にするように,「唯一の選択肢」とされている。しかし,そもそも実績としても世界一危険な基地は普天間ではなく嘉手納であるということ。辺野古の海を埋め立ててキャンプ・シュワブに滑走路を作るという計画は1960年代からあったこと,などさまざまな事実が知らされる。つまり,米軍の計画において,普天間返還は代替滑走路が必須ではないということ。嘉手納はどうしても手放せないので,普天間を捨て石として返還対象としたこと。辺野古の計画は米軍もしていて,その時は大浦湾の軟弱地盤のことをおそらく調査していて,そこを避けるような滑走路計画がなされていたということ。新たな滑走路は辺野古だけではなく,沖縄本島のなかで10ヵ所程度検討されていたという。
もう一つの見どころはやはり辺野古である。座り込みをしている人たちから話を聞いたり,その場でダースレイダー氏がラップを披露していたりするのだが,最後のシーン,辺野古の反対運動に関わるお三方の言葉の大きさである。この映画は基本的に本人が出演するドキュメンタリー作品なので,取材対象者の意見を聴いた後に,監督&主演の二人のコメントがある,というのが基本的な作りなのだが,このお三方の言葉は重すぎて,監督&主演の二人のコメントを挟まずにエンドロールに入る。この編集の仕方,本当にこれ以外の選択肢がない終わり方だったと思う。そのなかの一人の言葉に,「米軍よりも日本政府が怖い」というのがあった。まさにその通りで,もちろん沖縄では米兵がやったさまざまな犯罪や,米軍が起こした事故もたくさんある。しかし,そのようなものを容認して基地を持続させ,さらには思いやり予算などといって基地に関わる費用も日本政府が払い,さらには沖縄で自衛隊施設を増やしていくというのが昨今の沖縄である。
舞台あいさつについて書く気力までなくなってしまったので,この辺で。
https://www.shin-chimudondon.com/

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【読書日記】竹田いさみ『世界史をつくった海賊』

竹田いさみ(2011):『世界史をつくった海賊』筑摩書房,238p.760円.

 

今年度の後期のみ,東京海洋大学で一コマ,人文地理学の授業をすることになった。継続して数年教えることができるのであれば,講義内容をじっくり作っていきたいところだが,今期のみなので,これまでの内容を流用する予定。それは,現在早稲田大学で教えている,ヨーロッパにおける旅行記・ユートピア文学の系譜といった内容だが,少しはアレンジしたいと考えている。元の授業内容では,コロンブスの航海日誌も含めて,モア『ユートピア』,スウィフト『ガリヴァー旅行記』,ジェイムス・クックの航海など,航海にまつわる話も多い。今回は海洋大学(水産大学と商船大学が統合した大学)とのことで,少し海の割合を増やしたいなと思った。
少し前から海賊を論じた書籍がいくつかあったのを思い出し,可能な限りで読むことを思いつき,その一冊目。著者の竹田いさみさんは,本書の後,2019年には中公新書から『海の地政学』も出しているので,併せて読んでみたい。なお,本書はちくま新書の一冊。とはいえ,今現在進行形で読んでいる,薩摩真介『〈海賊〉の大英帝国』(2018年,講談社選書メチエ)は,本書とテーマがほとんど重複しているにもかかわらず,薩摩氏の本では本書への言及が全くないなど,少し気になる点もある。薩摩氏は1976年生まれの英国に留学経験のある専門的な歴史学者だが,竹田氏は1952年生まれで,やはりオーストラリアとイギリスに留学経験があるが専門は国際政治であり,歴史を専門とはしていない。その辺りを注意しておこう。

まえがき
第一章 英雄としての海賊――ドレークの世界周航
第二章 海洋覇権のゆくえ――イギリス,スペイン,オランダ,フランスの戦い
第三章 スパイス争奪戦――世界貿易と商社の誕生
第四章 コーヒーから紅茶へ――資本の発想と近代社会の成熟
第五章 強奪される奴隷――カリブ海の砂糖貿易
あとがき

先に書いたが,著者は歴史を専門としていないが,もちろん本書を書くにあたって参考にされた文献は数多く,巻末に文献表が示されており,日本語文献,翻訳文献,英語文献なども押さえている。ただ,残念なのが本文にはそうした文献への参照がほとんどないことだ(皆無ではない)。そして,全般的に多少歴史小説的な書き方がされている部分も多い。おそらく,新書を読むような一般的な読者にはその方が読みやすいのだろうが,私のような読者にとっては,本当の史実に基づいているのかという疑念を抱かせてしまう側面もある。しかし,一方で多少細かいことは気にしない大胆なストーリー展開は長いスケールの歴史の流れを把握するには利点があり,そういう意味でも本書は成功していると思う。
本書の主張は端的にいうと以下のとおりである。第一章は導入としてのフランシス・ドレークという人物の紹介になっていて,この人物は生還した初めての世界一周旅行達成者というある意味歴史に名を残す人物でありながら実は海賊であり,またその海賊がエリザベス女王と密接に結びついて,イギリスと海洋覇権時代を支えたのだという。第二章の記述に妙に納得させられた。世界史の流れとしては,かつてアジアとの交易の中心はマルコ・ポーロなどを排出したヴェネツィアの商人だったわけだが,イタリア半島によって分けられた地中海の東西において,東のヴェネツィアと西のジェノヴァが無駄な争いをしたおかげでヨーロッパの発展が遅れたなんてことをアブー=ルゴド『ヨーロッパ覇権以前』は論じていた。ヴェネツィアからヨーロッパ北部からブリテン島へは陸路を使って輸送していたわけだが,ジェノヴァの商人たちがヨーロッパ大陸を西から海路で運ぶ経路を開発する。古代ローマ帝国の時代からルネサンスまではイタリアがヨーロッパの中心だった。しかし,その後15世紀末に向けて,スペインでカスティーリャ王国とアラゴン王国が一緒になり,カスティーリア語文法書が作られ,レコンキスタによってイスラーム教が排斥され,ユダヤ教徒も追いやられる。近代的な国家に向けてスペインができあがり,ジェノヴァ出身の水夫だったコロンブスがスペイン国王の名の下に大西洋横断を達成する。一方で,ポルトガルもアフリカ大陸を周航するルートでインド洋にたどり着くようになり,この両国が世界の海を制し,トルデシリャス条約を結び,新たにヨーロッパによって発見される地域の領有権を勝手に二分した。この時のポルトガルの国力については分からないが,スペインによって併合された時期もあるといことだが,いずれにせよスペインはハプスブルク家によるネーデルラントの支配も含め,本書にあるように小さな島国であったイギリスに対して,人口規模も含めて大国だった。それがイギリスとスペインの覇権争奪戦争によってイギリスが覇権を握るのだが,国力という観点で,いかにイギリスがスペインに勝るようになったのか,その辺りの詳細についてこれまで私は無頓着だったような気がした。本書の議論はその辺りを埋めてくれる。海賊というのは端的にいうと略奪行為であり,当時でさえ違法であった。その辺りの詳しいことまで本書は踏み込んでおらず,そこは薩摩氏の本で補足したいが,いずれにせよ,イギリスは海上の略奪というかなり特殊な方法でスペインの富を徐々に奪い,イギリスに蓄積させていくという,私的な海賊行為を国家の成長と策略に利用するというやり方でスペインを凌いでいったのだ。海賊は奪った船を自らのものにすることもできるため,搭載されていた物資を奪うだけでなく,戦力としての船ごとこちらの陣営のものにしてしまう。
第三章も納得することが多かった。ヨーロッパがアジアのスパイスを欲しがっていたというのは知っていたが,どの程度の需要があったのかというところは多少の疑問を持っていた。冷蔵・冷凍技術がない時代において,肉の保存のためという言い方があったが,保存のためには塩で十分ではないかと思っていたからだ。ただ,シヴェルブシュ『楽園・味覚・理性』に社会的地位を示すために大量のスパイスを使うという話はあったが,本書において,スパイスは次章のコーヒーの話とともに,医薬品としての役割が大きかったという説を重要視している。ということで,第四章はコーヒーと紅茶の話。イギリスが紅茶の国というのは常識だが,コーヒーハウスもイギリス発祥だといわれると納得もする。植民地主義的飲料としてはじめにイギリスに定着したのはコーヒーだったとのこと。当時イギリスで流通の多かったコーヒーはアラビア半島の現イエメンのモカ港から出荷されたモカ・コーヒーだったという。東インド会社が中心となって貿易されたが,そこに非正規ルートでまた海賊が関わったという。コーヒーも当初は嗜好品というよりは,滋養強壮という側面も含めての薬用だったという。そして,コーヒーハウスはそうした商談などの場として利用され,普及する。極めてホモソーシャルな社交の場となったのに対して,紅茶を囲むティータイムは女性同士の社交の場としてその後の時代に登場したという。紅茶の誕生は,中国貿易の輸送の際に水に落としてしまった茶箱のなかの茶葉が発酵したという逸話は知られているが,いずれにせよティーは以前から紅茶を意味していたわけではなく,元々は緑茶だったという。アラブ世界のコーヒーに対して紅茶の生産地はアジアである。トワイニングやフォートナム&メイソン,ブルックボンドなど名だたる紅茶メーカーの歴史が語られてそれぞれ興味深い。
第五章では砂糖生産の話もあり,そこからまた話が拡がる。砂糖も当初は薬用としての役割が強かったようだが,現在でも語られるように砂糖には依存症の傾向があり,摂取するとやめられない。砂糖は熱帯地方で生産されるため,植民地でのプランテーションが一般的である。黒人奴隷の市場は当然のようにトルデシリャス条約によってアフリカ大陸を支配していたポルトガルが主導権を持っていたが,彼らを働かせる生産地はスペイン植民地の方が多かった。そこで,また海賊の出番である。ポルトガルの黒人奴隷貿易の主導権を利用したり奪ったりしながら裏取引でスペインに奴隷を流し,また場合によってはスペイン領ごと奪ってしまうような形で略奪物をイギリスの財産にしていく。ここで興味深い話は,黒人奴隷の探し方である。当初はアフリカ大陸内にかなり散り散りに住んでいる住民たちを悉皆的に捕まえていたようだが,効率が悪いので,現地の黒人王国の主張と交渉し,奴隷集めに協力してもらったようである。そういう地元権力者との結びつきというのは現在でも続いているように思う。まあ,そんな感じで三角貿易が成立するようになり,徐々にイギリスはスペインという大国に対抗できるような国力を持つようになり,最終的に本書冒頭にあったスペインとの覇権争奪戦争に勝利し,大英帝国としての覇権状態を築くことになる。その海上戦争の際にもスパイ行為も含めて海賊たちが大いに活躍したとのこと。こうしてみると,やはり国が大きく発展する際には日本も含めどこの国でも悪事のかぎりを尽くしていることが分かる。本当に人類って邪悪な存在だなと嫌になってしまう。

 

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【読書日記】樺山紘一編『世界の旅行記101』

樺山紘一編(1999):『世界の旅行記101』新書館,286p.1,800円.

 

樺山紘一氏の著作は大学院時代に一冊読んだ記憶がある。ちょっと縦横比が変則版の書籍だったことまで覚えているが,書棚には見当たらない。記憶違いだったかもしれないが,本書を古書店で見つけ,迷いなく購入した。少し前に,トラベル・ライティング研究関連の文献をいくつか紹介していて,前川健一『旅行記でめぐる世界』(2003年,文藝春秋)について書いた(と思っていたが,途中で頓挫していて,先ほど簡単に書き終えてブログに公開したところ)。こちらは戦後日本人が海外旅行をして日本語で書いた旅行記40冊を紹介しているが,本書はギリシア・ローマ時代から,日本語で読める文献なのでどうしてもヨーロッパと日本が多いが,それ以外の地域も含む101冊を対象としている。
編者の樺山さんは「旅行記を読むということ」と題された4ページの序文を書いているが,本文は執筆していない。54人の執筆者が,基本的には1冊につき2ページの文章,必要なものについては地図や図版を1ページ掲載するという形でまとめられている。これだけの範囲にわたって,歴史学を中心に世界各地の地域研究,文学者,人類学者,民俗学者と多様な執筆陣を集めて編纂する作業はさすが樺山さんという感じ。なお,地理学者も若干名います。石山 洋さんはチェリー=ガラード『世界最悪の旅』というイギリス人による南極探検記を紹介している。竹田 新さんはイブン・ジュバイル『旅路での出来事に関する情報の覚書』という,12世紀のイスラーム教徒のメッカ巡礼記を紹介している。どちらも地理学者として知っていた人物ではない。
私もとある大学で,ヨーロッパの旅行記・ユートピア文学を講じる授業を長年してきていることもあり,受講生にも平凡社「東洋文庫」のなかの一冊を読むようなレポートを課してきた。そんなこんなで,それなりに知っているつもりではいたが,本書で取り上げられた書籍は知っているのがせいぜい4割程度で,まだまだ知らないものは多い。そして,「東洋文庫」の出版は本当に数多く多様で,本書で取り上げられるものも半分以上は東洋文庫のものではないかと思うくらいだ。

I ギリシア・ローマ旅行記
II 東洋旅行記
III 大航海時代
IV 宗教と旅
V 探検の時代
VI 旅行文学
VII 外国人と日本
VIII 日本人の旅行記1――江戸時代まで
IX 日本人の旅行記2――近代以降

ということで,101冊というとそれほど多くないとは思うが,こういう場で紹介しきれるほどではなく,本当に日本語で読めるものに限定しても思ったよりも多様だなということを思い知らされた読書だった。私が主に触れてきたのは「III 大航海時代」と「V 探検の時代」であり,平凡社「東洋文庫」の存在を知ってから「II 東洋旅行記」について少しずつ知るようになった。ここにはマルコ・ポーロの『東方見聞録』も入っているが,この有名な本に隠れて有名ではないものの存在も知ったし,また特に少し前からきちんと読んでみたいと思っていたイブン・バットゥータは重要である。私が旅行記・ユートピア文学の講義をし始めた2000年代全般から世界の状況も大きく変化し,欧米中心から新興国の発展がめざましく,社会科学のなかでもそうした地域への注目が著しい。世間では,特に日本の政治においては,もうすっかり日本の地位が没落したことを認めたくないのか,米国追随の状況が続いているが,米国中心の世界と,中国,旧ソ連という意味におけるロシアではなく,BRICSの一員としてのロシア,そしてイスラーム諸国等との対立を軽減していくためにも,世界史の理解を改めていく必要性を強く感じる。
そういう意味でも,旅行記というのは重要な存在のように思う。旅行というのは発地と着地とがあり,その二つの場所間の関係があって初めて成立する。また,点と点を結ぶ現在の航空機による移動とは異なり,徒歩なり船なりで線として結ばれる二地点間の旅程も大きな意味を持つ。地形や気候という自然地理的条件。安全に旅を行えるかという通貨地域の政治的・宗教的状況。それらを理解するためにはまさしく地理学が重要であり,トラベル・ライティング研究に地理学が寄与する役割は非常に大きいように感じる。
そういう意味でも,本書は基礎的な情報を与えてくれていて,事典のようにいつでも参照し,原典にあたっていく,そういう指針を与えてくれる。とはいえ,一作品2ページという制限があり,また著者が多様で,各項目の書き方がまちまちであるのは難点だが,まあ,致し方がない。


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【読書日記】前川健一『旅行記でめぐる世界』

前川健一(2003):『旅行記でめぐる世界』文藝春秋,254p.720円.

 

著者の経歴については詳しく書いていないが,旅行者であり,自身が1988年に『東南アジアの日常茶飯』という著書を出版し,どうやら著作家として生計を立てているようだが,1952年生まれなので,初めての本が単純計算で36歳の時と考えると,旅行関係の職業に就いていたのだろうか。ともかく,著者自身が世界中を旅行し,同様に旅した人の旅行記を収集してきたという。
と,ここまで3月に書いて,放置してしまったようだ。他の旅行記関連の本を読み,紹介文で本書にも触れようと思ったらブログには掲載されておらず,ファイルを探したら見つかった。もう半年近く前の読書なので,覚えている限りで紹介したいと思う。

第一章 海外旅行自由化以前の旅
(1)特派員の再訪
 『戦後の世界を飛ぶ』/『欧米千時間の旅』
(2)有名人の旅
 『モンマルトルの空の月』/『外遊日記』/『巴里ひとりある記』『わたしの渡世日記』
(3)留学記
 『何でも見てやろう』/『アメリカ感情旅行』
(4)探検・冒険の本
 『食生活を探検する』/『太平洋ひとりぼっち』
第二章 海外旅行自由化のはじまり
(1)若者の旅
 『青春を山に賭けて』/『16歳のオリザの未だかつてためしのない勇気が到達した最後の点と,到達しえた極限とを明らかにして,上々の首尾にいたった世界一周自転車旅行の冒険をしるす本』
(2)添乗員の旅
 『日本版ユリシーズ物語』
(3)ノンフィクション賞の旅
 『中国・グラスルーツ』/『森の回廊』
(4)ベトナム
 『三文役者のニッポン日記』/『サイゴンから来た妻と娘』
第三章 研究と仕事の旅
(1)言葉の旅
 『私の朝鮮語小辞典 ソウル遊学記』/『トルコのもう一つの顔』
(2)タイの農村で
 『タマネギ畑で涙して』/『マンゴーが空から降ってくる』
(3)駐在員の海外滞在
 『新西洋事情』/『バリ島駐在物語』
(4)妻たちの海外
 『マダム・商社』/『20年目のインドネシア』
第四章 アジアへ,アフリカへ
(1)トイレを探る
 『東方見便録』
(2)アフリカの旅
 『花のある遠景』/『アフリカ33景』
(3)インドの旅
 『インドを食べる』/『インド日記』
(4)女は滞在する
 『タイ国の花ヨメさん』/『イスタンブールのへそノゴマ』
第五章 70年代の移行の旅行ブーム
(1)再生の旅
 『63歳からのパリ大学留学』/『シゲさんの地球ほいほい見聞録』
(2)憧れの西洋
(3)『深夜特急』とその時代
(4)雑学の旅
 『パリ旅の雑学ノート』『香港旅の雑学ノート』/『河童が覗いたヨーロッパ』/『エジプトがすきだから。』『無敵のソウル』
あとがき
旅行記年表

この読書日記を書き始めた3月は学会発表を目前に控え,トラベル・ライティング研究の枠組みで発表する予定だったので,文献探しをしていて,本書のことはAmazonでみつけた。私自身は旅行好きな人間ではないので,他の論文などで良く紹介される小田 実『何でも見てやろう』すらも知らなかったくらい。沢木耕太郎『深夜特急』くらいは知っていたが,その表紙のデザインからアガサ・クリスティばりの旅行ミステリー小説だと思っていた。ともかく,旅行記研究の論文を読み進めるにつれて徐々に知識はついてきたが,こういう網羅的な書籍があるのはとても助かる。なお,本書は日本人旅行者によって書かれた日本語の書籍のみを対象としている。
目次が非常に詳しいが,著者自身が日本人が書いた海外旅行に関する旅行記は網羅的に収集したいと思っているくらいだから,本書一冊ですべて紹介できるわけではないが,帯に「戦後日本人を旅にかりたてた40冊とその時代」とあるように,多様な人物による,多様な目的,多様な旅行先の40冊が紹介されている。私は今回トラベル・ライティング研究という枠組みを用いたいと思っているが,旅行記に関する文献を読み進めるにつれ,旅行記というのは多様でなかなか一枚岩ではいかないなと思う。とはいいつつも,旅が好きではない私ではあるが,旅について書かれたその多様な記述と体験には非常に興味を引かれる。特に,本書のように時代ごとに紹介されると,日本という国が明治維新によって欧米に追い付き追い越せと近代的発展を遂げ,近隣諸国への軍事侵攻を行うような帝国へと変貌する。第二次世界大戦で連合国軍に敗戦し,米軍の占領下から復興を遂げ,高度経済成長を遂げ,先進国の仲間入りを果たす。しかし,1990年代以降は低成長の時代へと突入し,韓国・中国をはじめとしたアジアの新興諸国の発展に追い抜かれようとしている。そういう欧米やアジア諸国との経済面での国としての関りと,個人の旅行者としての関りには一定の関係がありながらもある意味では異なった関りが見いだせる,という意味において非常に興味深い。

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【映画日記】『クレヨンしんちゃん 超能力大決戦』『クロース』『ジェーンとシャルロット』

2023年86日(日)

府中TOHOシネマズ 『しん次元!クレヨンしんちゃん 超能力大決戦~とべとべ手巻き寿司』
クレヨンしんちゃんが3DCG化されるというのを私はあまり快く思っていなかったし,子どもたちの反応もイマイチだったので,これは観ないで済むかなと思いきや,突如娘が観たいというので観に行った。色々出かける先に困る夏休みなので致し方がありません。監督が大根 仁であるのが唯一の希望か。物語的にも映像的にも特筆するところはなし。最後に怪物が出てきますが,3DCG特有のリアルさで娘を怖がらせてしまう。
https://shinchan-movie.com/

 

2023年814日(月)

前日から,娘と妻が,妻の友人宅に泊まりに行ったこともあり,息子と2人で過ごしていた。息子は息子でこの日は中学校の理科の宿題のために,友人と動物園に行くというので,この日は一人で行動させてもらった。渋谷で映画二本立て。

渋谷シネクイントWHITE 『クロース』
まずは何度か観たいと思っていたが,時間があわずに断念していた作品。カンヌ映画祭でグランプリを受賞したとのこと。ある意味『怪物』と近いところがあるが,主人公は日本でいうところの中学校に入学した男の子二人。これまで,幼馴染として常に二人で過ごしてきた,レオとレミ。レオは花卉栽培農家で,忙しい収穫期がある。その時期は家族に負担をかけないためにか,頻繁にレミの家に泊まりに行き,同じベッドで眠る。そんな何気ない日常は,知らない人の多い社会(中学校の同級生)に入ることで変わっていく。異性を意識する年ごろでもあり,学校では同性同士の親密さを揶揄される。レオはそれに敏感に反応して,自分のなかの男らしさを育て,ある意味でのホモソーシャルな関係を同級生男子たちと築こうとしていく。一方のレミは相変わらずのレオとの関係を望んでいるわけだが,徐々に二人の間にすれ違いが生じていく。
もう上映開始から一か月以上経っているのでネタバレをしてしまうが,結果的にレミは自死を選んでしまう。ここからの描き方が独特な気がする。レオはレミの死の可能性に恐怖を感じるシーンがあるが,それはそうなるかもしれないという予感もあったということだ。またレミの死後もレミの母親に自責の念を抱きながら接していくのだが,なんだかんだいってもレオは自分の選んだ生き方を継続する。これまでのレミとの思い出とこれからの自分の人生とをある種天秤にかけた場合,レオにおいてその比重は後者にある。これはフィクションとしての物語としてはこれまであまりなかったように思うが,ある種のリアルでもあるかと思う。
https://closemovie.jp/

渋谷シネクイント 『ジェーンとシャルロット』
続いて,違う建物だがシネクイントで観たのは,フランスの女優シャルロット・ゲンズブールがドキュメンタリー作品の監督として,自らの母であるジェーン・バーキンを撮った作品。日本での公開直前の716日にジェーンは亡くなったとのこと。シャルロットは私より1歳年下で(おない歳かと思っていた),多くの作品を観てきたわけではないが,何となく親近感があり,この作品はどうしても観たかった。
冒頭は日本の渋谷文化村オーチャードホールでのジェーンのコンサートの様子から始まる。私が初めてシャルロットの作品を観たのは,オープンしたての文化村ル・シネマでの『なまいきシャルロット』だった。1985年の作品だが,Wikipediaによると日本での公開は19894月になっていて,まさに大学入学直後,文化村も開館年であるようだ。なので,東急の文化村ル・シネマではなく,パルコのシネクイントでこの映画を観ることになるというのは,同じ渋谷ではあるが,少し残念。ジェーン自身が3きょうだいの真ん中,シャルロットもジェーンの娘として,それぞれ別の父親だが3人の娘の真ん中,そしてシャルロットも3人の子どもを産んでいる。そのなかでも真ん中のアリスという女の子の話がよく出てきて,3人きょうだいの真ん中の独特な存在という話題で盛り上がる。ジェーンにとっての一人目の娘,シャルロットにとっては姉にあたるケイト・バリーは写真家をしていたようだが,2014年に亡くなり,そのことがジェーンにとっては人生の大きな節目だったようだ。私は積極的にジェーンについては出演作品を観たり,音楽作品を聴いたりしていないが,娘の視点からのこの作品は感情移入させられます。シャルロットの父親は有名な音楽プロデューサーのセルジュ・ゲンズブールだが,1991年に亡くなっている。作品の終盤にセルジュの暮らした部屋を二人で訪れるシーンがある。シャルロットの管理でそのままに残されていて,ジェーンが訪れるのもセルジュの死後は初めてだという。まさに博物館化する価値のある部屋。シャルロットは今後も映画を撮るのだろうか。ミュージシャンとしての顔もあまり知らないが,多才な人である。
https://www.reallylikefilms.com/janeandcharlotte

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【読書日記】新外交イニシアティブ編『世界のなかの日米地位協定』

前泊博盛・猿田佐世監修,新外交イニシアティブ編(2023):『世界のなかの日米地位協定』田畑書店,204p.1,980円.

 

新外交イニシアティブは自身でもYouTubeチャンネルを持っているが,さまざまなシンポジウムを企画していて,別のチャンネルであるシンポジウムを聞いたことがある。そのなかでも,1977年生まれという猿田佐世さんの話が非常に魅力的で,珍しい苗字も相まって,一度で顔と名前を覚えた。私より年下であるが,新外交イニシアティブの代表を務めていて,弁護士であり,お子さんもいて,この団体の活動では海外でのロビー活動もされていて,著書もいくつもあり,国内では講演で飛び回る,そんな方。こういう人の活躍を見ると自分の人生って何だったんだろうと空しくなるが,その猿田さんが私の住む日野市に講演にやってくるというので聴きに行った。しかも,無料ということで,受付で売っていた著書の一冊を買うことにした。単著ではないが,つい最近までその存在すら知らなかった日米地位協定に関する本書を選んだ。
日米安全保障条約がいかにも不平等なものであるということは漠然と知っていたが,特に日本に駐留する米軍のいかにも不条理な振る舞いを許しているのが,この日米地位協定なるものの存在だということは,政治に関心を持ち始めたここ数年で知ることになった。本書は署名にあるように,日米地位協定を世界のなかで考えるという趣旨で,日本と同様に国内に米軍が駐留する国について,その地位協定を検討している。よく,日米地位協定について,「こんな状況は日本だけだ」なんて言い方がされるが,そこを具体的に比較している。なお,本書は基本的に猿田氏と1960年生まれという前泊氏の2人の名前しか出てこないが,本文自体は新外交イニシアティブのスタッフの手によって整理されたもののようだ。

『世界のなかの日米地位協定』発刊によせて
「旗国法原理」の呪縛を超えて「領域主権」確立へ
「対米従属構造」の解説――日米地位協定問題のポイント:前泊博盛
はじめに:猿田佐世
第一章 地位協定の概要
第二章 日本国内法の適用除外特権,米軍施設・区域の排他的管轄権
第三章 航空機・ヘリ事故時の対応
第四章 航空機訓練による危険・爆音
第五章 刑事裁判権及び身柄拘束
第六章 アメリカに対して損害賠償請求もできない現実
第七章 環境問題
第八章 米軍駐留経費負担
【インタビュー】1 普天間第二小学校 窓枠落下事故について
        2 米兵犯罪遺族の山崎正則さんに聞く
【コラム】
あとがきにかえて 対談「日米地位協定の質」:前泊博盛×猿田佐世
巻末資料 日米地位協定 条文

ちなみに,【コラム】は全部で10項目あり,本文中に挟まれている。上に,本書は国内に米軍が駐留している国がそれぞれどのような地位協定を結んでいるかという観点があると書いたが,主にはやはり第二次世界大戦で日本と同様枢軸国だったドイツとイタリアとなる。その他にも,アジア地域の同盟国である韓国や,ヨーロッパのベルギーとイギリスなどが対象となっている。なお,詳しくは説明しないが,基本的にドイツやイタリアは日本と同様の趣旨で戦後まもなく米軍が駐留し,現在までし続けている。やはり連合国軍の代表として,これら枢軸国に二度と戦争を起こさせないという大義名分がありながら,世界中で米国が「世界の警察」というプレゼンスを示してきたと思う。戦後間もない頃はドイツもイタリアもやはり日本と同様の不平等な地位協定を結ばされ,多くの事故が起こったという。ただ,戦後の占領下から主権を取り戻し,各国は自国で起こった米軍・米兵による事故・事件を教訓に,自国の主権を守るために闘い,競技し,地位協定の内容を変更していったという。日本でも,地位協定は日米安全保障条約というある意味抽象的なものの下に,具体的な内容を与えるもので,それらは頻繁に行われる会議によって具体化されてきたという。それであれば,逆に会議によって修正していくことができるのだ。日本以外の各国はそれを行い,自国の権利を取り戻すように変更してきているのだが,日本は全く変更されていないという。その結果が,米軍・米兵が起こした事故・事件に対して,治外法権的に日本政府・行政・警察・司法が関与できない状況を続けている。
もちろん,本書にはそうした,日本で起きた米軍・米兵による事故・事件の事例が非常に細かく整理されている。私も知っている有名なものもあれば,知らなかったことも多い。もちろん,沖縄で起きたものが最も多いのだが,それ以外も多い。なお,米軍はそうした日本の対応(抵抗せずに不平等状態を受け入れている)をいいことに,他国では駐留人数などどんどん減らしているのに,日本では減っていない。米軍施設数は数の上ではかなり急速に減っているのだが,小さい施設を整理しただけで,面積的に大きく減少しているわけではない。なお,【コラム1】は日米合同委員会の説明で,組織図も示されている。非常に事細かに分科委員会や部会を持っている。
日米地位協定の内容はほとんど変更されていないが,米軍・米兵による事故・事件の犠牲になった日本の民間人たちが黙っているわけではない。そうした民間人の働きかけと努力についても本書ではページが割かれていて,非常に重要な点である。本書には二つのインタビューが掲載されている。一つは沖縄で米軍機から小学校の校庭に窓枠が落下したという2017年の事故の当事者(小学校に子どもが通う保護者)へのインタビューで,特に沖縄では普通に生活しているだけの人が被害を受ける可能性が十分にあることを知らせてくれる。もう一つは神奈川県横須賀市で,2006年に一人の女性が米兵にまるで虫けらのように殴り殺されたという事件である。配偶者である山﨑正則さんへのインタビューである。本書にはその殺された様子が事細かに記載されているが,想像するだけで恐ろしい。米兵はその女性に道を聞くふりをして近づき,肋骨複数骨折,内臓破裂など遺体は原型をとどめていなかったという。米兵は女性から1万5千円を奪い,その後何事もなかったようにコンビニエンスストアで買い物をする様子が防犯カメラに写っていたという。当初は山﨑さん自身が警察に疑われ家宅捜査を受けたという。最終的に米兵が逮捕されたが警察からの謝罪はないという。加害米兵も逮捕はされたものの基本的には地位協定に守られているが,山崎さんは裁判を起こし,最終的に加害者には無期懲役が下された。しかし,収監されているのは日本の刑務所ではなく,米国で日本では考えられない待遇で生活しているという。私はこの事件を知らなかったが,このインタビューを読んだだけで忘れられないほどの衝撃を受けた。
なお,【コラム10】が「米軍基地を撤退させたフィリピン」と題されているように,フィリピンは米軍基地を撤退させたという。フィリピンは長らくスペインの植民地だったが,その後米国に併合された第二次世界大戦時に日本の占領下にあったが,終戦後にまた米軍の統治下となり,独立したのは1964年。そんな,世界地図的にも沖縄と近い位置にあり,日本以上にアメリカとの関わりの深いフィリピンで米軍を追い出すのに成功するというのは大きな希望でもある。もちろんフィリピンと日本とでは政治体制が大きく違うが,日本も政権の意向次第で,少なくとも米軍基地を大幅に減らしていくことは可能なのだという希望を与えてくれる。しかし,現状は全く反対で米軍基地を減らすどころか,昨今の日本ではそれを補完するように自衛隊基地を強化している。まあ,ともかく政権交代しか道はないかなと思う次第。

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【読書日記】ブルデュー『ディスタンクシオンⅠ』

ピエール・ブルデュー著,石川洋二郎訳(1990):『ディスタンクシオンⅠ社会的判断力批判』藤原書店,501p.6,000円.

 

現代思想というくくりでは,日本の出版会にも一時期それなりの流行があり,その頃の作品の多くを日本語で読むことができる。しかし,なんとなく直感で読みたい作者と読みたくない作者がいて,ブルデューは私にとって明らかに後者だった。かつて『actes』という雑誌があり,1988年のNo.4には地理学者の間で有名なフーコーのインタビュー「空間・地理学・権力」が訳出された「現代空間論:アイデンティティと境界」という特集だったので,購入して持っている。この号にはブルデューの「アイデンティティと表象」や,マテラルト「多国籍企業の空間支配」などの重要な論文も掲載されている。1986年のNo.1は「象徴権力とプラチック」という特集でブルデュー特集号だったこともあり,おそらく私が大学院に入学した1990年代後半に古書店などで購入したものと思われる。当時はいわゆるカルチュラル・スタディーズと呼ばれる研究群は日本語であまり読めなかったので,文化の研究を志していた私にとって,ブルデューはそれなりに関心のあった思想家だったはずだ。しかし,写真研究を手掛けた頃,法政大学出版局から訳出されていたブルデューの『写真論』を読んだが,そこでブルデューへの苦手意識が宿ってしまったのかもしれない。そもそも,当時も日本語で読める写真論があまりなく,有名な著者によるこの本くらい読んでおかないと思ったのだが,私の研究は個別の写真家の作品に関するものである一方で,ブルデューのものはあくまでも社会のなかでの写真の扱い,もうその本は処分してしまって手元にないので確認はできないが,いわゆる家族写真など,日常生活における写真との扱いについて,膨大な調査結果を元に分析しているものだったと思う。そして,そういう意味ではブルデューの研究方法についてはここである程度触れていることになる。本書『ディスタンクシオン』はあまりに有名だが,意外にも地道な研究で,それこそ『写真論』と同様に綿密に計画された一般の人向けのアンケート調査に基づいた実証研究をベースにしているのだ。まあ,その辺りは数冊でもブルデューの本を読んでいる人には常識だと思うのだが,その辺りは実際に読んでみないと意外にも分からないものなのかもしれない。
ともかく,『写真論』を読んだ頃よりは,素直に読み進めることができた。

本書を読む前に――訳者まえがき
序文
第Ⅰ部 趣味判断の社会的批判
1 文化貴族の肩書と血統
第Ⅱ部 慣習行動のエコノミー
2 社会空間とその変貌
3 ハビトゥスと生活様式空間
4 場の力学
〔付録〕1調査方法について/2補足資料/3統計データ/4社会学的ゲーム

本書の原著は1979年に出されていて,『写真論』やその他の主要な著作より後に出版されている。日本では,本書は藤原書店の前に新評論から1989年に同じ訳者で出版されているが,手元にある藤原書店版には何も書いていない。最近,藤原書店から新版がソフトカバーで出たこともあり,ハードカバーのものは少し安くなったので助かった。なぜ,いまさら読もうという気になったかというと,ティム・クレスウェルという地理学者の1996年の著作『In place / out of place』を翻訳しようと思い立ち,そこで引用されている著書のうち,日本語訳のあるものについては読んでおこうと思った次第。以前にもバフチーン『フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネッサンスの民衆文化』の読書日記を書いた際にも同じことを書いたが,同様にクリステヴァ『恐怖の権力』なども未読のままで,翻訳もまだ未着手である。
さて,ブルデューは,地理学者のグレゴリーによると,構造化理論で知られるイギリスの社会学者,アンソニー・ギデンズなどと一緒に「構造化学派」などと呼ばれている。本書を読むと,確かにブルデューは社会学者であり,フランスの社会学者の祖ともいえるエミール・デュルケームの影響下にあることが分かる。デュルケームが使用していた「社会空間」の用語を多用しているし,社会的事実のような語に対してはむしろ批判的な議論をしている。一方で,本書の副題は明らかにドイツの哲学者イマニュエル・カントを意識しているし,ある意味ではフランスの批評家,ロラン・バルトの影響下にあるようにも思う。バルトは,それまでの文芸批評が高名な文学作品しか論じるに値しないとしてきたのを,大衆文学も含め,さらには文学作品に限定せずにプロレスやシトロエン,旅行案内書など大衆文化全般にまで広げたといえる。もちろん,そうした動向はカルチュラル・スタディーズが引き受けているわけだが,ブルデューも現在いうところの文化社会学的な領域の開発に大きく寄与している。本書の主張を端的に表現することはこれまで繰り返しされていると思うし,それとは別の形で私の言葉でするというのも,意外に難しい。ともかく,私たちが世間話でしてきているような,個人の好みの問題を,いい加減な類型としてするのではなく,社会的な要因によってそうなるのだということを,きちんとアンケート調査に基づいて実証的に,一つ一つ生真面目に議論しているというのが,本書の読書から受けた印象である。
しかし,本書の魅力はそうした研究領域の拡張や,地味な実証分析によるものだけではない。本書を読めば,ブルデュー自身がいかにこうしたテーマについて共著論文で継続的に取り組んできているかもわかるし(著書も共著のものが少なくないのもブルデューの特徴であり,常にテーマに応じて共同研究者がいるというのも強みかもしれない),さまざまな文献を駆使して,この分析を思想史のなかに位置づけ,裏付けている。本書について詳しく解説してもきりがないので,気になった点のみ。ブルデューは本書で,「文化とは,あらゆる社会的闘争目標〔賭金〕がそうであるように,人がゲーム〔賭け〕に参加してそのゲームに夢中になることを前提とし,かつそうなるように強いる闘争目標のひとつである。」(p.386)と文化を定義している。そして,ここにある「闘争」という言葉は,もちろんというかマルクスの階級闘争そのものなのだが,文化を強調するブルデューにあっては,階級というのは現代においては分かりやすい経済階級ということではなく,文化的・象徴的なものであり,その闘争のあり方は,「正統的生活様式を相手に押しつけることを目標とする象徴闘争」(p.385)であるという。また,デュルケームの「社会空間」概念も多用しており,その「空間」の語はもはや地理的な意味からかなり逸脱している。そもそも地理学者が強調する人間の移動はもちろん地理空間における移動(引っ越しや移住,通勤)なわけだが,社会学者が用いる「社会的移動」といえば,個人の階級間の移動(プロレタリアートからブルジョアへ,あからさまに経済階級と結びついた職業間の移動=転職など)であり,そこに空間的な要素はない。よって,改めて地理的な要素について考える際には,「さまざまな集団〔職層〕間での生活様式の相違,なかでも特に文化に関する相違をもっと完全に説明するには,それらの集団の,社会的にヒエラルキー化された地理空間における配置を考慮に入れなければなるまい。」(p.188)などと書く必要がある。ということで,ブルデューは地理空間を完全に無視しているわけではなく,その辺りを丁寧に掬い取っていく作業も必要かもしれない。いつになるかは分からないが,下巻も読まなくては。

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【読書日記】安田浩一・金井真紀『戦争とバスタオル』

安田浩一・金井真紀(2021):『戦争とバスタオル』亜紀書房,373p.1,700円.

 

本書は,YouTube番組「NoHateTV」でおなじみのノンフィクションライター安田浩一さんと,難民フェスを主宰し,入管法問題ですっかり話題になったイラストレーターの金井真紀さんによる共著。実は,私自身金井真紀さんを知ったのは本書を通じてだった。デモクラシータイムスのYouTube番組で,「池田香代子の世界を変える100人の働き人」というのがあるが,そこで本書が取り上げられ,著者のお二人がゲストで出演したのだ。
https://youtu.be/Wu4BrjxrEUk
その後,安田さんの本も一冊読み,金井さんの本も一冊読んだ。本書もそのうち読みたいなと思っていたら,なんと近所のブックオフの棚に並んでいたのだ。古書店で購入しても著者にはお金は入らないし,ここに置いてあれば一般の書店とは違った客層の目に触れるかもしれないし,ここで本書のことを知っている私がわざわざ買わなくてもいいような気もしたが,何となく私に連れて帰ってもらいたそうに訴えかけられたので,それほど安くなっていなかったことを意味のない言い訳にして連れて帰ることにした。

はじめに
第1章 ジャングル風呂と旧泰緬鉄道:タイ
第2章 日本最南端の「ユーフルヤー」:沖縄
第3章 沐浴湯とアカスリ,ふたつの国を生きた人:韓国
第4章 引揚者たちの銭湯と秘密の工場:寒川
第5章 「うさぎの島」の毒ガス兵器:大久野島
付録対談:旅の途中で
おわりに

あらかじめ,上記のYouTube動画で内容については知っていたものの,やはり本というのは実際に読むのとはだいぶ印象が違うものです。金井さんはイラストレータといいながらも自分で文章も書く。本書はお二人が一緒に旅をしながら,もちろん男女別々にお風呂に入り,本文は安田パートと金井パートとが交互に入れ替わるといった編成。もちろん,金井さんのイラストも多数掲載され,写真もある。
NoHateTVでも,最近安田さんの鉄道コーナーがあるのだが,本書とよく似ている。安田さんはお風呂も鉄道も好きだということだが,単にお風呂に入りに行ったり,鉄道に乗りに行ったりするわけではない。安田さんは常に国家という大きなものに抑圧された市井の人々の姿を追っているような気がする。そして,彼の仕事をみると,成長する国家が帝国主義・植民地主義へと移行するその過程が論理的に理解できるような気がする。日本という国は19世紀末に向けて軍国主義へと突き進み,日清戦争・日露戦争を経て,台湾・朝鮮半島を植民地とし,第一次世界大戦では連合国側に着くことで,そのおこぼれをもらう(ドイツが占領していた太平洋島々の委任統治)。中国本土へと侵攻し,第二次世界大戦へと突き進む。この半世紀余りの歴史の中で,本土,植民地,侵攻先でのエネルギー,交通,土木を整備することで国力を高めようとする。そうした多くの尽力を必要とする現場では,国内の棄民はもちろんのこと,植民地からも多くの労働力が動員され,過酷な労働を強いてきた。トンネルや空港,鉄道など,最終的には陽の目を見なかった施設も含め,多くの犠牲が出て,遺構が遺された。そうした痕跡を探して安田さんは日々国内外を問わず駆け回っている。本書は,元来のお風呂好きということもあって意気投合したというのはあるとは思うが,行き当たりばったりの取材旅行に,人当たりがよい女性である金井さんが同行することで引き出された人とのつながりも含めて,後半に向けてミステリー小説を読み進むようなスリリングな展開をしている。
とはいえ,本書はそうした埋もれた歴史を掘り起こすようなスクープなわけではない。当然のように,本書に登場する史実のほとんどをわたしは知らないわけだが,本書に出てくる史実や,その語り部のことをネットで検索すると,そこそこ記事が出てくるのだ。しかし,「はじめに」で金井さんが書いているように,なかなかお二人の本は売れないようで,「おもしろくて売れる本を作って,対抗すればいいじゃん。」(p.3)というのが本書刊行の目的。私が入手したこの本は,2021年9月28日に第1刷で,11月12日の第2刷のものである。2か月経たずに増刷とはなかなか売れているのかもしれない。上にも書いたように,私的にはそれぞれ1冊読んだお二人の本以上に本書は面白く,そこそこ厚いのだが,残りページも気にならずに数日で読み終えた。普通に書棚にならんでいたら背表紙の厚さで躊躇してしまうかもしれないが,本文は軽やかで厚さを感じない本なので,是非多くのお宅にお持ち帰りいただきたい。
さて,内容だが,登場する場所を簡単に紹介しよう。第1章はタイの北西部にあるヒンダット温泉という場所。バンコクからそこまでは鉄道を利用する。それが旧泰緬鉄道というもので,第二次世界大戦中に日本兵が侵攻し,現地の人のみならずオーストラリアや英国の連合国軍の捕虜兵を使ってタイとビルマ(現:ミャンマー)とを結ぶ鉄道として日本軍が建設したもの。私の世代は1985年の公開された映画『ビルマの竪琴』を知っている。中井貴一が主演したものだが,改めて観たいと思う。しかし,Wikipediaで調べたら,なんと1956年に市川 崑監督による二部作映画が作られていたとのこと(しかも,1985年版も市川 崑監督とのこと)。さらには,この作品には原作があり,1948年に刊行された児童向け小説とのこと。原作も読んでみたくなった。そして,このヒンダット温泉というのは日本兵たちが自らの心身を癒すために作ったものだという。それが今や現地の人々に癒しを与えているのだから皮肉なものである。決して,日本が植民地や侵攻の地でインフラを整備したことは良いことであるなんて論調には与しないが,そのようにして現在まで残された戦争遺物というのはけっこう多いようだ。日本ではそういう物が語る記憶を消去したい風潮だが,そうした物は戦争の記憶を語り継ぐことにもなり,著者たちの旅はそのような遺物を捜し,そこに関わる人々の語りを集めているのかもしれない。
第2章は沖縄で唯一残るという銭湯に行く。中澤高志(2022)「銭湯的ジェントリフィケーション」(荒又美陽+明治大学地理学教室編『東京の批判地誌学』ナカニシヤ出版)で東京の状況が語られているように,日本全国で銭湯が求められた時期には多くの銭湯があったが,個々の住宅に風呂が設置されることで,その機能的な役割を終え,銭湯は数を減らし,公衆浴場という役割はスーパー銭湯的なものに奪われていった。同じような過程で沖縄の銭湯も消えつつあるのだが,仲村シゲさんが経営する中乃湯が沖縄で唯一残っている銭湯とのこと。1960年から経営を続けているという。沖縄の1960年といえばまだアメリカ占領期であり,そうした時代を,こうした人々が集まる場で過ごしてきた方に話を聞くだけで,さまざまな物語を聞き出すことができる。唯一の銭湯には常連さんがいて,遠方からわざわざ浸かりに来る人がいて,そうした人の話を聞くのも面白い。
第3章は韓国。南部の釜山に近い温泉をいくつか訪ねる。周知のとおり朝鮮半島はかつて日本の植民地であり,日本は植民地時代に,その植民地(朝鮮半島,台湾島,満州)を訪れる観光ツアーを組んでいた。それと関係するかどうかは分からないが,朝鮮半島には温泉地も整備されていたという。安田さんは日本で2000年代に入って激しさを増した在日朝鮮人に対するヘイトスピーチの現場をいくつも取材してきたこともあり,日韓の歴史には詳しい。金井さんも日本に住む外国人とのネットワークを広げるような活動をしており,自ずから日本に住む数の多い韓国人との関係もあると思う。そんな人間関係から韓国へ行き,年配の人に話を聞き,植民地時代の日本の名残について話を聞く。もちろん,第二次大戦のこと,朝鮮戦争のこと,そしてお風呂に入りに来たこともあり,韓国といえばアカスリ,そしてそのアカスリの道具イテリがイタリアにルーツがあるという話など,どんどん話は膨らんでいく。
第4章から,面白い展開になっていく。神奈川県の寒川町にあった「すずらん湯」という銭湯を訪ねるところから始まるのだが,既に廃業していて,跡地には進学学習塾が建っていた。その銭湯は戦後引揚げ者のための住宅が作られたのだが,風呂なしの住宅であったため,住民が町に請願をして町営浴場として1954年に開業したのだという。この二人の取材はともかく現地に足を運び,手当たり次第に話を聞いて広げていくスタイルだが,ここではうまくいかない。そこで,寒川町の図書館を訪ね,文書館という町に関わる歴史資料を集めているところに足を運ぶ。そこからいろんなことが分かってきて,先ほどの引揚げ者用住宅が,もともとは戦時中に作られた相模海軍工廠の従業員寮だったという。そして,その工場では毒ガスが製造されていたというのだ。色々調べていると,その工場で働いていた人物,石垣 肇さんにたどり着く。石垣さんは現在日野市在住ということで,著者のお二人は石垣さんを訪ねて私の住む日野市に来たらしい。石垣さんに一通りお話を聞いた後,本書はこの「毒ガス工場」のテーマに突き進むことになる。
第5章は,日本で最大の毒ガス工場があった瀬戸内海に浮かぶ広島県大久野島を二人は訪れる。無人島に軍の毒ガス工場が作られ,戦時中の地図ではこの島は黒塗りされている。現在は国民休暇村が建てられ,うさぎが多数生息する「うさぎの島」として観光地化もされているという。二人はその休暇村の温泉につかり(そこは律儀に書名のテーマを守ります),取材を始める。当時は隠蔽されていたこの島の歴史を広く伝えようとする「大久野島の平和と環境を考える会」の山内正之さんが案内してくれる。毒ガスの話はまだまだ続く。本誌の内容はウェブ記事として連載されていたようだが,寒川町の回(第4章)で登場した石垣さんの甥だという高畠 修さんが,都内某所で金井さんに声をかけてきたのだという。高畑さんは叔父が寒川の工廠で働いていたということで,日本軍が作っていた毒ガス兵器に関心を持ち,大久野島はもちろんのこと,大久野島で製造された兵器が運ばれたという中国の北坦村も訪れたことがあるという。それから,大久野島で働いていたという藤本安馬さんにも話を聞きに行くことになる。藤本さんは当時95歳で,昨年末に亡くなってしまったらしい。この人の証言がものすごい。そして,彼も北坦村に行き,住民たちに謝罪をしたという。大久野島から運ばれた毒ガス兵器はほとんど使用されることはなかったのだが,終戦後日本軍はその兵器の後処理をせず,そのまま放置してきたのだという。毒ガスであることを知らずにドラム缶等を扱った現地の人が次々と被害にあったという。本当にひどい話だ。ここではかかなかったが,藤本さんは加害者として中国に謝罪に行ったのだが,彼自身もひどい労働環境で14歳から働かされた藤本さんも被害者の一人である。一方で日本政府は,そのように働かせた国民に対しても,当然その後日本国籍を奪った,朝鮮からの徴用工に対してもほとんど責任を取っていない。そして日本軍が製造した兵器によって戦後被害を受けた中国の人に対しても責任は取っていない。本当に戦争に関してはことごとく日本の行ったことは非道なことばかりで,しかもその末裔である私たちはそこから学ぶこともなく,将来的にも戦争被害を生み出すことになることばかりを推し進めている。
ちょうど終戦の夏,そして直接は関係ないが関東大震災から100年目を迎える直前にいろんなことを考えさせられる読書だった。

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【映画日記】『青いカフタンの仕立て屋』『怪物』『インスペクション』

2023年726日(水)

なぜか,たまたま今回観た3本の映画はいずれも男性同士の同性愛を描く映画であり,いずれもネタバレ的な解説・感想を書いていますので,ご注意ください。

吉祥寺アップリンク 『青いカフタンの仕立て屋』
モロッコ映画。夫婦で営む一軒の仕立て屋で,若い見習い男性が働いている。実は妻が乳がんを患い,体調が安定していない。見習いにも早く一人前になってほしいのだが,次々と辞めては新しい人を雇うの繰り返し。ただ,今回の人は熱心に学びながら働いていて希望が持てる。しかし,妻はこの若者が気に入らない。実は,妻もうすうす気づいているが,夫は同性愛者である。見習いが次々辞めることとそのこととの関係は分からないが,ともかく一日中仕事場で近くで過ごしている男2人に妻は嫉妬というか疑いの念を持っているのだ。実はこの見習いもゲイで,主人に仕事の師匠としての尊敬の念以上の感情を持ち始めて,ある日接近するが,主人が拒むことで,若者はその場を離れることを決心する。その後妻の体調が悪化し,お店を休むことになるが,若者はお店が開かれていないことを心配し,夫婦の自宅を訪ねる。そこから,妻が亡くなるまでの奇妙な3人の生活が始まる。
ちょっと長くなってしまったが,こんな展開。モロッコといえばフランスとの関係が深いですが,『仕立て屋の恋』や『髪結いの亭主』を彷彿とさせるようなタイトルと雰囲気を持ちます。イスラームの影響が強い国ではありますが,ユダヤ教徒も少なくなのか?女性も髪の毛を覆っている人が多いわけでもない。なかなか独特の社会の雰囲気があります。公衆浴場のシーンも印象的。ちなみに,カフタンとはどの程度の拡がりを持つ文化か分かりませんが,女性が結婚式などの晴れの場で着る衣装で,刺繍を贅沢に施したもの。
https://longride.jp/bluecaftan/index.html

 

2023年81日(火)

立川立飛TOHOシネマズ 『怪物』
今回もさまざまな話題をふりまいている是枝裕和監督の最新作。観ようか観まいか迷っていましたが,映画サービスデーに休みを取り,夏休み中の息子と一緒に何か観ようと思い,上映時間と本人の希望との兼ね合いで観ることにした。物語もある程度知られているようだが,冒頭は夫を亡くした安藤サクラ演じるシングルマザーの視点から,小学5年生の息子が担任の教師に暴力を振るわれたということで,学校に抗議に行くシーンから始まる。永山瑛太演じる担任教師は挙動不審で,周りの教師たちに制御されながら対応していることに不信感を募らせる。しかし,ある時,この担任教師は息子さんが星川君という同級生をいじめているんです。と発言し,母親は混乱する。次に担任教師の視点で描かれる。この教師はこの学校に転任して来たばかり。母屋の視点から受ける印象とは違い,正義感が強く一生懸命生徒に向き合おうとしている。自分のクラスの星川君がいじめられていることに気づくがこの時点では,犯人を特定しようという努力はしていない。ただ,一度いじめられている場面で主人公の一人であり,安藤サクラ演じる母親の息子である,麦野君の姿を見かけたこともあり,上記のような発言をしている。麦野君の母親から訴えられたことから,この教師はこの学校の職員の中からも徐々に排斥されるようになり,最終的には母親が訴えていた暴力事件が週刊誌に掲載され,保護者会が開催され,辞職へと追い込まれる。最後は黒川想矢演じる麦野君の視点で,柊木陽太演じる星川君との関係を中心に描かれる。星川君は背が低く中性的な雰囲気があり,男子とつるむよりも女子たちといる時間が長いこともあり,クラスのリーダー的な男子を中心としたグループのいじめの対象となる。一方で,麦野は登下校で星川と会うことが多く,仲良くなるが,クラス内ではそのことを隠している。少しでも二人の関係を男子グループに見られてしまうと「お前らホモかよ」的なからかわれの対象となり,渋々麦野はいじめに加担する。そんな具合で,学校という場は,親は子どもの姿を見られない,教師は授業中以外の児童の様子は見られない,という場であって,クラス内で児童は放課後の他の児童の様子を見ることはない,ということで実態の全てをお互いに知ることなく,知ることのできる断片からお互いの人物像を想像するという,学校に限らない社会全般の他者理解の本質を明るみに出す作品である。
とはいえ,そのことをお互いの誤解として過度に強調するこの作品には,それゆえの欠陥と矛盾が多いようにも思う。ダースレイダーさんのYouTubeチャンネルに北丸雄二さんがゲストでこの作品について論じる動画があった。北丸さんは冒頭でいい映画ですから是非見てくださいと言いながら,特に星川君の父親を演じる中村獅童や,周りの教師たちのステレオタイプ的な演出についてかなり批判をしている。私がさらに感じたのは,主人公たちは小学5年生で,舞台は長野県諏訪市である。現代の小学5年生がこういうあからさまに男らしさ女らしさを原因とした,クラスメイトの目の前でのいじめをするだろうか?なんか,一昔前のいじめの姿のような気がする。もちろん,今でも小学5年生といえば異性愛を意識する時期で,異性愛に違和感を抱く児童に対する嫌がらせ的なものは想像できるが,少なくとも私の子どもたちに聞くようなクラスの状態とは乖離しているように感じた。また,担任の先生に対する周りの先生や保護者,児童たちによる排斥行為もなんか非現実的な印象を受けた。エンタテイメントとしてのドラマや映画ではそういう表現もありえるが,あくまでもドキュメンタリー的リアリズムを追及する是枝作品らしくないようにも感じた。さらに,子どもたち二人と担任の先生にはある程度感情移入できるが,安藤サクラ演じる母親も結局どういう人間だったのか分からない。
かなり批判的な論調で感想を述べてきたが,映画を観ている時はストーリーにも引き込まれ,全く無駄のない作品だと感じた。それに二人の子どもたちの演技というか存在感は素晴らしく,映像的にも洗練された作品であることは間違いない。
https://gaga.ne.jp/kaibutsu-movie/

 

2023年85日(土)

立川キノシネマ 『インスペクション ここで生きる』
こちらは時間的制約の中で決めた作品だが,予告編を観た時に,戦争映画は基本的に好きではないが,どれ以上の何かを得ることができるような期待を抱いた。時は2005年のアメリカ合衆国。2001年の同時多発テロの報復として,テロへの戦争と称して2003年からイラクに対して行われた軍事攻撃が予想以上に長引き,米軍にも無視できない程度の犠牲が出てきている。本国では入隊者を募り,訓練を経たうえで戦地に送り込むということをしている。主人公の男性は黒人のゲイ。ゲイであることが母親に知られてから疎遠になり,彼自身の居場所がなくなり,海兵隊にその場所を求めて入隊を希望する。映画では,その訓練の様子が詳しく描かれる。冒頭で,入隊希望者は教官に「薬物はやっていなか,共産主義者ではないか」などの問いとともに,「同性愛者ではないか」という質問を受けるが,主人公は「ノー,サー」と返答する。しかし,皆でのシャワーの場でちょっとした妄想をしてしまい勃起してしまう。そのことで,その場ではゲイであることを知られてしまうのだが,後に教官の言葉にあるように,このご時世においてそういう理由で除隊させるほど米軍に余裕はない。日本でも自衛隊員のなり手不足が叫ばれているように,米軍においても事情は同じである。なかにはイスラーム教徒もいて,米軍はイスラームのテロ組織を敵としているわけで,そういう複雑な事情で入隊を希望する男性も描かれる。そして,さすがに男女一緒に訓練や生活をするわけではないが,一定数の女性の入隊希望者の姿も描かれる。そういう意味では,私が知るべき知識の多くを提供してくれる作品ではあったが,何か物足りなさを感じた。作品は結局母親と息子の確執の問題へと回収されてしまうような印象で,もっと大きな対テロ戦争の問題や米軍の状況,それをめぐる米国社会のあり方など,そういう側面について知ることはできなかった。
http://happinet-phantom.com/inspection/

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