【読書日記】脇 義重『福岡が丸見えになった日――検証[福岡オリンピック]』
脇 義重(2007):『福岡が丸見えになった日――検証[福岡オリンピック]』不知火署簿,147p.,1,575円.
福岡市は東京都とともに,2016年の夏季オリンピック大会の招致運動をしていた。私もよく認識していなかったが,本書によれば札幌市も立候補しようとしていたらしい。今,「日本における反オリンピックの系譜」という論文を書いている。1988年名古屋招致,1998年長野冬季大会,2020年東京大会に関しては書籍という形でまとめられている。2008年大阪招致に関しても,自費出版的な形で出されているが,その他は書籍という形でまとめられていないものも多い。2008年横浜招致については以前もこのブログでも書いたように,他の本に若干資料があった。招致は大抵当該の市議会で議決されているので,その年月日が分かれば市議会議事録検索でどんな議論がなされていたのか,どの会派が賛成して反対したのか,などは確認することができる。今回,福岡についても市議会議事録で確認できたのだが,Wikipediaで招致決定の年月日を調べようと思ったら,本書が原典として記載されていた。慌ててAmazonで調べると,古書で出回っていたので,早速購入した。タイトルからだけでは反対運動の本かどうかは確信がなかったが,やはり期待通り反対運動家の活動報告でした。
はじめに
1 迷走のはじまり
2 署名できてよかった
3 市民の8割は反対している
4 流用予算を市に返せ
5 福岡市落選
6 検証 福岡オリンピック
著者の脇さんは,博多湾に埋立地(人工島)が作られようとする頃(なんと1985年!)から,そのことに反対する「博多湾会議」として運動をしている人であるという。そういう意味においては,2008年の大阪オリンピック招致の反対運動の人たちと似ている。実際に本書の中では,初期の段階で大阪で招致反対運動をしていた方を招待して講演をしてもらっている。また,1998年の長野冬季オリンピックの際には江沢正雄さんが中心となった運動がされていたが,その記録がしっかりと書籍化していたこともあり,本書の著者たちも読んでいたようだ。また,JOCに福岡招致の反対の意を伝えるために上京してJOC職員と会うことになったが,その時には東京で反対運動をしていた「東京にオリンピックはいらないネット」の方と合流してJOCに向かったという。本書には上述したように,札幌市の招致撤回の話も何度か出てくる。札幌市では,開催計画がかなり詰められていて,予算の方もきちんとした額で組まれていたという。しかし,市長はそうした計画や予算を市民に提示した上で,招致の賛否を問う住民投票を実施し,反対派が多かったために招致を断念した,と説明されている。しかし,現在札幌市は2030年以降の冬季大会の招致活動をしていることもあり,この2016年夏季大会の招致に関してはネットで検索する限りは出てこない。また,Wikipediaに2016年札幌招致の記述はいくつかあるが,本書の記述のような内容は書かれていない。本書がどういう情報源に基づくものなのかは分からないが,かなり信憑性のある情報のように思う。それに対し,2008年大会の大阪招致における開催計画はかなりいい加減なもので,予算も札幌市の計画などと比較して非常に低い額に設定されていたという。そうした,比較においても福岡市の招致もかなりひどいものだと本書は説明している。
とにかく,日本におけるオリンピック招致に対する反対意見は,三つの点で大体共通している。一点目は財政的な問題。東京都はともかく,日本の地方自治体はどこも財政的には厳しく,市民の生活も良くならないなかで無駄な税金を使ってほしくない,というもの。二点目は特に横浜,大阪,福岡,そして東京にも当てはまるが,ある意味負の遺産と化した,湾岸の埋立地活用を推し進めようという強引な開催計画。そして三点目はいまだに少しも前進しない市民参加のない行政トップの強引な決定と推進。ただ,2006年前後の招致活動となった福岡は,1991年前後の長野における招致活動とは異なり,反対運動を支持する市民の反応が大きかったようだ,ということである。長野では市議会,県議会でもほとんど反対派を排除したり,反対派の選挙立候補者の惨敗という状況だったが,2008年横浜招致の際には市議会でも一定の複数人の反対派があり,福岡では市民アンケートでも7,8割の反対票を集める状態だった。それなのに,2016年の東京招致の際にも反対派が運動していたにもかかわらず,2020年東京大会の際は招致段階での反対運動は確認できておらず(おそらく「東京にオリンピックはいらないネット」は活動を続けていたと思うが),都議会でも反対の声はあったとは聞いていない。東京での開催が決まってからも,反対していた国会議員は山本太郎一人だったといわれているし,1年延期の実際の開催間際には反対の声が高まったとはいえ,コロナがなければ本当に反五輪の会などのほそぼそとした運動にとどまっていたかもしれない。
まあ,いずれにせよ,本書の存在は,日本でオリンピックを開催しようという自治体や政府,それよりむしろ財界からの圧力が大きいのかもしれないが,それに対峙する市民たちの姿が常に継続して存在してきたということがよくわかった。
最近のコメント