【読書日記】佐藤次高『イスラーム世界の興隆』
佐藤次高(1997):『〈世界の歴史8〉イスラーム世界の興隆』中央公論社,382p.,2,524円.
以前からイスラームについてはしっかり学ばないといけないと思っていた。読むべき本の目星はつけていたのだが,かなり高価で古書店でもなかなか見つけられなかった。アブー=ルゴドの『ヨーロッパ覇権以前』はイスラームについてもかなり説明をしているが,本書の著者佐藤次高氏は訳者の一人である。また,大学の授業用に買っていた山川出版社の高校の世界史の教科書の筆頭著者にも佐藤氏は名を連ねている。たまたま調布のブックオフで本書を見つけ,著者が佐藤氏であることから,しかもかなり値引きをされていたので,購入することにした。読んでみると,今私が知りたい情報がほとんど詰まっていた。なお,こうして改めて目次を入力していると,その理由も分かる。イスラーム世界自体がアラブ世界を中心に流動的に「興隆」していることもあり,本書は各時代で中心となる都市を各章の副題としているのだ。地理学者にとってこれほど魅力的なイスラーム史はない。なお,後で書くように,本書には地理学者が多数登場する。
1 世界を変えるイスラーム
2 イスラームの誕生――メッカ
3 ムハンマドの後継者たち――メディナ
4 分裂と統一――ダマスクス
5 繁栄の二世紀――バグダード
6 変革と激動の時代――バグダードからカイロへ
7 西方イスラーム世界の輝き――コルドバ
8 十字軍とイスラーム世界
9 マムルークの活躍――カイロ
10 大航海時代前夜のイスラーム世界
実のところは本書を読み終えてからずっと非常勤先のレポートの採点に追われていて(A4で2枚と制限をつけたものの,136人分もあった),なかなか読書日記が書けず,かなり時間が経ってしまって詳細な日記は書けません。とはいえ,本書で学んだイスラームの歴史についてはしっかりと頭に入れておきたいので,今後も継続的にイスラームものの読書は続けたい。本書で知りたかったことの一つ。例えば,現エジプトのアレキサンドリアで1世紀頃に活躍したというプトレマイオスという人物がいる。彼は天動説の宇宙体系の提唱者として,コペルニクスの地動説が登場するまで,天動説の代表的な論者であったが,そうした天文学の知識を使って緯度経度に基づく世界地図を描いたことで知られている。その書『地理学』は東海大学出版会から翻訳もある。そのプトレマイオスの著書と地図は,ヨーロッパでは中世には忘れ去られてしまい,ルネサンス期に再発見される。どうやって再発見されたかというと,ルネサンス期にヨーロッパ人が関心を持ったアラブ世界にアプローチするなかで,アラブ人がプトレマイオスを含む,古代ギリシア時代のさまざまな知見をイスラーム圏の人々が継承していたというのだ。このことについては5章に記載がある。「イスラーム社会の知識人」と題された節では,「ギリシア学術の導入」(p.165)について,「カリフ・ハールーン・アッラシード(766-809年)は,バグダードにギリシア語文献を中心とする図書館を建設し,これを「知の宝庫」(ヒザーナト・アルヒクマ)と名づけた。その息子マームーンは,父の残した「知の宝庫」を拡充して「知恵の館」(バイト・アルヒクマ)と改め,魏シリア語文献の組織的な翻訳を開始した。」(p.166)と解説されている。ギリシア語,シリア語,アラビア語に堪能なキリスト教徒が主任翻訳官に命じられ,アリストテレス『命題論』『形而上学』『自然学』,プラトンン『国家論』,ギリシア語の旧約聖書などがアラビア語に翻訳されたという。もちろん,それらを含む「外来の学問」だけでなく,自らのアラブの学問についても体系だって研究されていたという。こういうところで驚いてしまう私自身が,いかにヨーロッパの科学技術が過去においても最も進んでいたと信じ込んでいる証拠だが,アラブ世界は中国から輸入した紙を使った書物がヨーロッパよりもはるかに早い段階で作られていたという事実を知ることになる。
続いては都市のあり方についてである。極めて有名なのに(高校の世界史の教科書にも登場する),『ヨーロッパ覇権以前』を読むまで知らなかったイブン・バットゥータは本書にもたびたび登場する。バットゥータは14世紀のモロッコ人であり,イスラーム圏の西の端から30年かけて横断旅行を行い,東の端まで,すなわちほとんどのイスラーム圏を旅した人物である。バットゥータなど当時のイスラーム世界を旅した人の記録によると,その中心都市であったバグダードは世界で他に類を見ない規模の都市であり,しかも13世紀には繁栄のピークを過ぎており,10,11世紀にはもっと巨大だったという。まあ,そう書かれてもイマイチピンとこないのだが,本書には多くの写真や地図が掲載されている。もちろん写真は現代でないと撮影されないわけだが,それでも多くの建築物は現代まで保存されたもので,数世紀を超えて同じ姿かどうかは分からないが,いずれにせよ精巧なデザインのそこそこの規模がある建築物(多くはモスク)の存在を知ることができる。バグダードについては中央の黄金門宮を中心に円形の城門が配置された復元図や,中国の長安城と日本の平城京との比較図も掲載されており,長安城の規模にはかなわないものの,平城京と同規模の拡がりを持つ都市だったことが示されている。
本書で新たに知った知識は現在スペインとポルトガルがあるヨーロッパのイベリア半島へのイスラーム勢力の拡大についてである。このこと自体はもちろん知っていて,コロンブスが大西洋航海に出る年として覚えさせられた1492年にスペインからイスラーム勢力を追い出すレコンキスタが行われたということまでは知っていた。しかし,私の知識のイメージでは,ヨーロッパ世界にムスリムたちが一定の数移住し,キリスト教社会のなかで共生していたのかと勝手に理解していた。sかし,スペインのアンダルシア地方は,もともとイスラームによって建設されたアンダルスの都の名残だという。7章の冒頭を引用すれば,「711年の春,ジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島に進出した1万2000のアラブ軍は,ベルベル人の将軍ターリク・ズィヤード(720年没)の指揮のもとに破竹の進撃をつづけた。」(p.210)とあるように,かなり早い段階で,しかも軍隊による侵攻という形で領土を獲得していったことが分かる。なかでもコルドバというイスラームが建設した年は「世界の宝石」とたたえられたほどの都市だったという。この地方では革製品や織物業,陶器や刀剣などの工業の他,農業生産でも灌漑技術を用いて果実を中心に商品作物を栽培し,発達していた商業によって各地と貿易もされていたという。
続いて私が知りたかったのは,1382~1517年という長きにわたるマムルーク朝の存在である。こちらもやはり『ヨーロッパ覇権以前』で知ったのだが,マムルークというのは奴隷軍人のことであり,マムルーク朝というのはそうした奴隷軍人が政権を取ってしまったということで,私は非常に驚いた。それと同時に,『ヨーロッパ覇権以前』ではアラブ世界を中心に奴隷貿易が行われていたということも知った。大航海時代後のヨーロッパによる黒人奴隷貿易が盛んになる前の時代の話である。中央アジアのチェルケス人やベルベル人といわれる人が奴隷とされ,ヨーロッパの使用人などにもなっていたようだが,イスラーム世界では軍人として利用された。トマス・モアが1516年に書いた『ユートピア』では,基本的に国内では貨幣は使われていないのだが,貿易はしていて,外貨は獲得している。その外貨をいつ使用するかというと有事の際であり,戦争に対しては国民は戦わず,外国から軍人を購入するという。まあ,イスラーム社会が同じ論理で軍人に奴隷を充てていたのかは分からないが,なかなか興味深い。しかし,奴隷と一概に言っても近代期の黒人奴隷と違って,購入した若者に対して軍事訓練だけでなくイスラーム社会に馴染むための言語教育や文化教育などを含めてさまざまな投資がなされていたという。そういう余裕がなくなってきてこの制度が破城したところまでが説明されている。それだけしっかりと教育がされていれば,軍人奴隷たちが集団となって力をつけた時,かれらが政権をとることになるということも納得できる。
またまた『ヨーロッパ覇権以前』情報だが,この本は13世紀を中心に論じられていて,この時代と言えばモンゴル帝国が勢力を拡大した時代であり,イスラーム社会もその被害を受けている。イスラームの中心都市であったバグダードはモンゴル軍に陥落され,いくつかのイスラーム王朝はモンゴルの支配下に置かれた。本書にもそのことに関して記述があるが,鮮明に記憶には残っていない。モンゴルがイスラーム世界においてどんな支配を行ったのか,今後も気にかけておきたい。
さて,最後に本書に登場した地理学者の名前を列記しておきたい。「ギリシア奴隷出身の地理学者ヤークート(1179-1229年)」(p.44),「アラブの地理学者ムカッダスィー(生没年不明)」(p.95),「十世紀の地理学者イスタフリー」(p.177),「十世紀のアラブの地理学者イブン・ハウカル(生没年不明)」(p.220)。イスラーム世界の地理学者については今後も調べていきたい。


最近のコメント