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2024年1月

【読書日記】周司あきら・高井ゆと里『トランスジェンダー入門』

周司あきら・高井ゆと里(2023):『トランスジェンダー入門』集英社,229p.1,056円.

 

昨年はLGBT理解増進法なる法律が国会で議論され,その様子を国会中継で見ていたので,トランスジェンダーについてはさんざん考えさせられた。著者の一人である高井さんはTwitterを通じて多くの情報発信をしていたので知っていたし,またショーン・フェイ『トランスジェンダー問題』の翻訳もしていたので,こちらも読みたいと思いながら,そこそこ厚かったので,手を付けられずにいた。そんな時に本書が出て,こちらもそのうち読まなきゃなと思っていたが,少し経って入手する機会があり,新書ということもあったのでさくっと読んだ。

はじめに
第1章 トランスジェンダーとは?
第2章 性別移行
第3章 差別
第4章 医療と健康
第5章 法律
第6章 フェミニズムと男性学
おわりに

私がジェンダーについて意識したのはいつ頃だろうか。おそらく大学院の頃だと思う。大学院の頃はかなり社会学にかぶれていて,図書館の閉架で『現代思想』の関心がある論文をコピーして読んでいた。とはいえ,『現代思想』には社会学ど真ん中の論文はそれほど多くなく(大澤真幸さんの論文はそこそこ読んだ),それよりも私は東京都立大学にいたので,大学の紀要である『人文学報』を読んでいた。読んでいたといっても,江原由美子さんの論文がほとんどだった。江原由美子さんといえば上野千鶴子さんと並んで(?)フェミニスト研究者の先駆的な存在だと思うが,思い返すとそういう関係の論文を読んでいたわけではない。江原さんはそのころシュッツ研究をして,また都立大内にあったエスノメソドロジー研究会のメンバーでもあった。なので,私がジェンダーに関心を持ったのはそこではないらしい。そういえば,月刊誌『地理』では当時「社会地理学とその周辺」なんて特集や連載が組まれていて,そこでジェンダーの話題があったかもしれない。ジャクソン&スミス『社会地理学の探検』の目次にはジェンダーの文字はないが,その頃の社会地理学といえば,人種・ジェンダー・エスニシティが大きなテーマだった。日本でも神谷浩夫さんを中心にジェンダー地理学の日本への紹介は進んでいた。でも,なんとなくしっくりこない。私が地理学経由でジェンダー概念を考えたわけではない気がする。ジェンダー地理学はあくまでも男女の性別を根本的に考えるわけではなく(もちろん,そういう研究もあったし,そのなかのいくつかは『空間・社会・地理思想』に訳出されていた),性別の問題を地理学的分析に取り入れるというものだった(男性中心主義的な地理学にとってはそれすらも新しかった)。私自身は当時ポスト構造主義というか,社会構築主義にかぶれていて,ジェンダー概念というのは,単に性的二元論(男か女か)を乗り越えて多元論にするというより,全てを相対化して区別をなくすものと私は考えていた。ジェンダーというものは社会が私たちにその区分を押し付けるものであり,幼い頃から私たちは積極的にどれかの区分を受け入れるのであって,ジェンダーに関して学び,考え,論じることでその受け入れ方について自らが決定していくことができるものだという,かなり相対主義的な考えを持っていた。そういう私にとってトランスジェンダーという存在は,なかなか理解はできないでいる。ノンバイナリーはまさにそうした考え方に合致していて理解しやすいが,トランスジェンダーは最終的に当事者が男女どちらかの性に帰属しようとするものであり,相対主義的な考えでは理解できない。相対主義的なジェンダー概念というものも,言ってしまえば机上の空論であり,この考えによって個々人が性差というものから完全に解放されるわけではない。
そういう意味において,トランスジェンダーという存在は,私のジェンダー概念を根本から突き崩し,再考させようとしている。それはまだ完全に突き崩されておらず,再考を何度も繰り返すことの必要性を痛感する。例えば,誰しも自分の身体への違和感というか,不満なところは多いと思う。背が低い(高い),痩せている(太っている),目が小さい,一重である,鼻が大きい(小さい)といった外見上のもの。目が悪い,鼻が詰まりがち,運動が苦手などの行動上のもの,また私は男性であるので女性のものは思いつかないが,早漏などの性的なものまであるだろう。そうしたもののほとんどは自分の力では変更できず,場合によっては整形手術などで変更する人もいる。『ドラえもん』のなかには顔のパーツを福笑いみたいに取り替えたり,お互いに体のパーツを交換したり,レンタルの身体のパーツがあったり,というエピソードがいくつかある。自分の気に入らない体の部分を交換するのだ。しかし,それぞれ長所と短所があり,交換しても完全に満足できるわけではなく,結局は自分のものが一番良いという結末になっている。それはそれで非常に保守的で現状維持的な考え方を植え付けるものだとは思うが,本人が身体的な部分に不満を持っていたとしても,その不満を解消するような部分に交換しても悩みが解決するとは限らないということは伝えてくれる。そういう意味でも,多くの人はそうした短所も自分の一部だとして一生付き合っていくのだと思う。
トランスジェンダー当事者による話のなかで,第二次性徴期に生じる変化に耐えられないというものがある。それはトランスジェンダーに限らず誰にしも起こりえるもので,私はそうしたものや,またトランスジェンダーの人が感じる違和が,上述したようなシスジェンダーの人の多くも感じている自身の身体的部分への不満とどこが根本的に違うのか,程度の問題ではないかと思っていた。しかし,シスジェンダーが第二次性徴期に感じる戸惑いは,第一次性徴を受け入れた上でのものだが,トランスの場合は,第一次性徴で違和を感じつつ育ってきた上での決定的な違和であると考えることもできる。シスジェンダーの場合は戸惑いを感じながらもそれを受け入れたりのりこえたりしていく一方で,トランスジェンダーはこれまでも戸惑いながらどうにもできずに生きてきての第二次性徴であるために,これ以上耐えられない,ということかもしれない。
すっかり前振りが長くなったが,本書はそうした私のもやもやを完全に解消するものではないが,基礎的な知るべき事項を淡々と説明してくれる。まさに帯にあるように「最初に知ってほしいこと。」なのだという。「知るべきこと」と他人からの上から目線ではなく,当事者のお願いとして説明されている。そして,重要なのは,まずは「トランスジェンダー」という概念を提示して,それについて知ること,考えることがまずくるのだが,その先にはトランスジェンダーと同じ言葉を使うにしても,個々の当事者の状況はそれぞれであり一般化するのも難しいということを認識すること。それはもちろんシスジェンダーについてもいえることなのだが,それを相対主義的にシスからトランスへと切れ目ないグラデーションとして捉えるのではなく,あくまでもトランスの人びとはシスには見えない風景を見ているということに思いをはせることも重要だと思う。どこからがシスで,どこからがトランスだという明白な区分線を引くことは難しいかもしれないし,意味のないことかもしれないが,個々の当事者にとってはおそらくその区分は明白なのだろう。
さて,また本書で主張していることから外れてしまったが,個人的にハッとさせられた部分がある。35ページに太字で書かれている部分。

一つ目は,「女の子として/男の子としてこれからずっと行きなさい」という課題。
二つ目は,「女の子は女の子らしく/男の子は男の子らしく生きなさい」という課題。

二つ目のことは私がジェンダー概念としてこれまで考えてきたものである。これは「らしさ」を自分で定義することでのりこえることができる。しかし,一つ目のことは自分ではどうにもならない。性別は生物学的に決定されている,と私が主張したいわけではない。生物学的に男女を区別するのは難しいということはある程度知っている。しかし,まさに性別というのは人間社会で生物学的に判断されているわけではなく,社会的に他人から判断されるのだ。自分がこうあろうと外見の決定権を持って作り上げても,周囲の社会が自分の思うように判断してくれるとは限らないし,自分がいかに性別・性差にこだわらない生き方をしようが,周囲は性別・性差で判断しようとしてくるのだ。その軋轢によって,社会の視線が差別となって当事者を襲う。そこから逃れるために,「性別移行」という手段が当事者にはあり,社会の側には「法律」がある。とはいえ,法律だけで全てが解決するわけでもなく,社会全体の理解を深める一つの方法として学問があり,「フェミニズムと男性学」がある。トランスジェンダーの問題はまさに,これまで主に女性が担っていたフェミニズムのみで解決するものではなく,この社会のマイノリティとして機能してきた男性が担うべき男性学が考えていかないといけない問題だ。とはいえ,アカデミックのみで議論を費やしても社会全体にはなかなか進展しない。本書では目次を別にして議論はされていないが,アクティビズムとしてのさまざまな団体の活動が非常に重要である。冒頭に触れたLGBT理解増進法の国会での議論においても,そうした活動団体の方が参考人として答弁をしていたが,なんとそこにはトランス差別をしている団体も入っていた。活動団体といっても必ずしも当事者に寄り添うものとは限らないというのも難しいところだ。

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【読書日記】池田浩士編『大東亜共栄圏の文化建設』

池田浩士編(2007):『大東亜共栄圏の文化建設』人文書院,348p.2,800円.

 

非常勤先の授業で,第一次世界大戦と第二次世界大戦における日本のことをうまく話ができなくて苦労している。そんななか,古書店で見つけ,迷わず購入した。元々私は政治や経済よりも文化的なものに関心を持っていて,第二次世界大戦についても,院生時代に読んだ難波功士(1998)『「撃ちてし止まむ」――太平洋戦争と広告の技術者たち』講談社,のようなものを読んで理解を深めようとしていた。しかし,今に至るまでその機会はほとんど訪れず(自分がサボっていただけだが),自身の加齢にも従って,抽象的なことよりも具体的なもの,本質的なことより些細なことに目が奪われるようになってきた。また,文化的なものへの関心は継続しつつもより政治的なものへと,学術的な次元に加えて生活実践的な次元で関心を持つようになった。政治的なものといっても,かつては大文字の政治よりも小文字の政治が重要なんていっていたけど,最近は大文字の政治を変えないかぎりダメだななんて思うようになって。いずれにせよ,本書はそんな私が今読むべき本のように思えたのだ。

はじめに:池田浩士
統治の秘法――文化建設とは何か?:藤井祐介
シンガポールにおける皇民化教育の実相――日本語学校と華語学校の比較を中心に:渡辺洋介
花木蘭の転生――「大東亜共栄圏」をめぐる日中大衆文化の交錯:鷲谷 花
稲も亦大和民族なり――水稲品種の「共栄圏」:藤原辰史
葬法の文明論――植民地朝鮮にける土葬と火葬:高村竜平
「大東亜共栄圏文化」とその担い手たち:池田浩士

さて,編者の池田浩士さんはもちろん有名な方だが,私にとってはオリンピック反対論者仲間の一員としての文章しか読んでいなかった。オリンピックについては,これまた有名な天野恵一さんがいくつか編著を出しているのだが,長野冬季オリンピックを批判した,1998年の『君はオリンピックを見たか』に池田さんがベルリンオリンピックについて書いている。そんなところだが,本書を購入しようと思ったのは藤原辰史さんが書いているところだ。私が観ているYouTubeの複数のチャンネルに度々登場して,いつもいいことを言っている人物だということは知っていたし,魅力的な著書を出している研究者であることも知っていたが,実際に文章を読んだことはなかった,そういう意味でも読むのを楽しみにしていた次第。
とはいえ,読み終わってから大分経過してしまったので,ダイジェスト的に書きたい。まず,藤井祐介さんの文章だが,これがのっけから驚く内容だった。というよりは,私が無知なだけだが,本書のタイトルを見て,私は大東亜共栄圏の建設というのはあくまでも政治的な次元の話であり,もちろん目的としてはその地の資源を本国で利用するためにはインフラ整備など生産や輸送の基盤を作るという意味で経済的な次元でもあると考えていた。なので,本書タイトルにある「文化建設」とはあくまでも解釈の問題だと思っていたら,そうではなく,当時の日本政府とその政策を学術的に支える有識者とその主張を国民に届けるさまざまなメディアが文化建設という概念をきちんと提示しているのだ。例として挙げられている1930年代末に刊行された時点の定義は以下のようにある。「文化建設:文化財を築き上げることであって,例えば日本主義精神文化の建設,東洋道徳の建設,仏教教義の大陸還元,日満支経済ブロックの建設,支那天文学の復興等の如きである。」(p.15)。実際の侵略戦争はそうした議論に従ったわけでもないとは思うが,まさに大東亜共栄圏の理論的支柱は文化の次元で練り上げられてもいたということをこれでもかというくらい思い知らされる論文。
渡辺さんの論文にも私自身の無知を思い知らされた。先日この読書日記で紹介した『歴史和解と泰緬鉄道』でも知ったことだが,日本が真珠湾を攻撃したのは米国に対する宣戦布告なわけだが,それに先んじて日本軍はシンガポールを奇襲攻撃することで英国にも宣戦布告していた。その奇襲攻撃は成功し,シンガポールを「太平洋戦争勃発からわずか70日で陥落し,1942年2月15日,英国は二本との降伏文書に調印。シンガポールは昭南島と改名され,その後三年半にわたる日本の占領統治を受けることとなる。」(pp.75-76)この論文はその占領期の教育について論じている。日本政府としては当然占領下においた土地における教育は日本語教育であり皇民化教育なわけだが,いかんせん本土から遠く離れたシンガポールまで日本人教師をすぐに必要な数だけ派遣できるはずがない。ということで,華人の多いシンガポールでの教育はかれらによる華語教育を全て禁止するわけにもいかず,行われていた。そして,この論文が興味深いのは,当時の事情をする人物に聴き取りをしているとこだ。実際の教室の様子まで,詳しく考察されている。
鷲谷さんの論文は少し私には難しい。映画と演劇の話である。中国の古い戯曲である「花木蘭」について論じている。日中関係が悪化する前の1930年代は日中の映画界関係は良好で交流があったという。1939年に上海で制作された映画『木蘭従軍』は「「国防映画」としてのナショナリズムのみならず,アメリカニズムを露骨に体現する作品でもあった。」(p.147)という。花木蘭とは主人公の女性が女性であることを隠して従軍するという設定で,ひょっとすると手塚治虫の『リボンの騎士』のルーツの一つなのかもしれないと思ったり。それはともかく,近年のディズニー作品『ムーラン』は木蘭のことのようだ。『木蘭従軍』は日本でも論じられていたようで,戦後には東方国民劇が1941年に舞台「木蘭従軍」を上演したということで,そんな系譜を丁寧に辿っている。
そして,藤原さんの米の品種改良に関する論考は圧巻。現代に神話化されているという側面もあるだろうが,近代以前から日本の主たる農作物であると同時に主食ともいえる「米」。その生産はまさに国家事業であり,水不足や冷害,虫の害などに強く,生産性の高い品種を作ってきたというのは何となくわかったつもりでいたと思う。この論考ではそれに携わった科学者としての技術者が科学的中立性を素朴に信じつつそれが国粋思想的な装いを帯びるということをまず論じている。そして,実際に侵略戦争へと突き進む政府の動向に呼応するように,稲作は日本全国に展開するだけでなく,朝鮮半島に,満州に,そして台湾へと展開していくのだ。さらにはタイやフィリピンについても,地元の南方種と日本種の混交までもが計画されていたという。
髙村さんの死者の扱い(土葬か火葬か)に関する論考も,単純そうで複雑で興味深い。大まかにいえば,日本は火葬で,朝鮮半島では土葬が一般的だったのだが,朝鮮半島が日本の統治下になり,火葬が持ち込まれる,という話だが,そんな単純ではない。そもそも,日本では火葬が一般的という理解も作られたもので,朝鮮半島のそれも同じである。そして,日本が朝鮮に火葬を押し付けた的な話でもない。その辺りをじっくり考えさせられる。編者である池田さんによる最後の章は,最初の藤井さんの論考の続きのような内容だが,具体的なものはあまり記憶に残っていない。パラパラとめくって思い出すのは,1942年から発行されていた月刊誌『東亜文化圏』に関する議論だ。「社会科学諸分野の発言」(p.318)として地政学も挙げている。また,1942年に組織された「大東亜問題調査会」などについても説明され,そのメンバーの名前が細かく記載されている。これらの研究者について調べてみるのも面白いと思った。

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【読書日記】小山さんノートワークショップ編『小山さんノート』

小山さんノートワークショップ編(2023):『小山さんノート』エトセトラブックス,286p.2,400円.

 

以前,『地理科学』で雑誌『エトセトラ』のVol.7の書評を書いた。そこでは,本書の一部とそのワークショップの様子が報じられ,本書刊行の予告もされていた。ということで,翌年に刊行された本書をようやく読むことができた。
https://doi.org/10.20630/chirikagaku.77.3_184

はじめに――小山さんノートとワークショップ:登 久希子
小山さんが生きようとしたこと:いちむらみさこ
小山さんノート
 序章 1991年1月5日~2001年1月31日
 第1章 2001年2月2日~4月28日
 第2章 2001年5月7日~8月21日
 第3章 2001年8月22日~2002年1月30日
 第4章 「不思議なノート」2002年9月3日~10月4日
 第5章 2002年10月30日~2003年3月16日
 第6章 2003年7月3日~2004年10月12日
小山さんノートワークショップエッセイ
 小山さんとノートを通じて出会い直す:吉田亜矢子
 決して自分を明け渡さない小山さん:さこうまさこ
 「ルーラ」と踊ること:花崎 攝
 小山さんの手書きの文字:藤本なほ子
 沈黙しているとみなされる者たちの世界:申 知瑛

本書は,かつて東京の公共公園でテント生活をしていて,テントで具合を悪くし,救急車で病院に搬送されたもののなくなってしまった女性が遺した手書きのノートを,彼女を知る2人の女性を中心にパソコンに入力するワークショップによって書籍化したものである。目次を見ても分かるように,関わっているのはおそらくすべて女性である。男性の読者である私は,小山さんは何歳なのか,本書に掲載されたノートは2004年10月で終っているが,いつ亡くなったのか,彼女が過ごした公園はどこで,テントはそのどの辺りにあったのか,彼女が足しげく通った喫茶店や古書店はどこなのか,そういう個別具体的なことを明らかにしたい衝動に駆られてしまう。実際にワークショップのメンバーたちは,小山さんの日常的な足跡を辿るフィールドワークもやっていたというから,彼女たちにとってその辺りの具体的な事柄は明らかになっているのだろう。しかし,そんなことは本書には書き込まれていない。むしろ意図的にその辺りを明らかにしていないように思われる。ある意味で,本書はフェミニズムに貫かれた作品であり,マスキュリニズムへの抵抗だと考える。本書にはワークショップのメンバー7人が文章を寄せているが,この7人がワークショップの全メンバーとは限らないだろう。そして,このメンバーのうち,実在する小山さんを知っているのは2人だけだという。本文中にも小山さんが書き溜めたノートは100冊に及ぶと本人が書いていた。実際に残った80冊をPCに打ち込んだ結果,A4サイズの用紙で659枚分になったという。本書に収録されたノート分は235ページに及ぶがそれでも,「抜粋」(p.10)にすぎない。本書を読む限り,小山さんの文章にはほとんど無駄なところがなく(本文にも書かれているが,彼女は自分のノートを読み直し,場合によっては修正を加えているようだ),編集された方も苦渋の選択でこの分量にしたのだと思う。なお,第4章は「不思議なノート」と題されているが,これはノート1冊分を全て収録しているという。
さて,小山さんノートに入ろう。私たちはホームレスの生活実態をどのくらい知っているだろうか?いや,そもそも他人の生活実態についてはほとんど知るすべはない。自らが日記を公開している場合は断片的に知ることができるが,それは表向きに公開することを前提とした表向きの生活実態であろう。そういう意味でも,日々の生活の様子を,そして人間関係や自身の精神状態を書き記したこのノートは,それこそ『コロンブス航海誌』のような資料的価値を有する文書だと思う。とはいえ,コロンブスの航海日誌がそうであるように,一般的な価値よりも個別具体的な価値だといえる。このノートを通じてホームレス一般を論じられるわけではないし,女性のホームレスとしてありがちな苦難を小山さんは受けているが,それとてホームレス女性一般に当てはまるものでもない。このワークショップに参加された方にもホームレスを経験された(ている)方がいるが,さこうまさこさんの文章のタイトルが示しているように,小山さんノートにはまさに小山さんそのものが刻まれているように思う。私が書評した『エトセトラ』には本書に寄稿した人たちの他にナガノハルさんによる文章が掲載されている。『エトセトラ』では各人の文章が短いこともあり,本書を通読したのとは異なった印象がある。『エトセトラ』では「キラキラ」という小山さんが遺した「手のひらサイズの古布を縄のようにして,周りに銀色の細いテープをくるくると巻き,それを渦巻き状に固定したもの」(『エトセトラ』p.9)と説明され,いくつか写真が掲載されている。『エトセトラ』を読む限りでは,このキラキラが小山さんと他のホームレス女性たちとを結ぶ物理的な絆のような印象を受けるのだが,改めて読んでみると,それを小山さんから直接手渡された人は少なく,実際には遺品として残された多くのキラキラを,小山さんを知らないワークショップのメンバーたちが手書きのノートと一緒に受け取ったということだ。小山さん自身が書くノートには,男性のホームレスや支援団体の人,区役所の職員などは登場するが,自分と同じ立場の女性ホームレスの存在はほとんど描かれていない。登場するのは長年同じテントで暮らしながらも一般的にいえば家庭内暴力的なハラスメントに遭い続け,最終的には亡くなってしまった男性。そして,テント村でかなり支配権を持っていた男性で,この男性は小山さんに事あるごとにちょっかいを出し,特に一緒に暮らしていた男性が亡くなってから,その関与の度合いを強くしようとしていた。ただ,小山さんはこの男性を拒絶し,それ以降男性も関与を強めることはなかった。ともかく,そういう男性との関りがあったせいか,小山さんは極力多くの人とは関わろうとはせず,かなり自分から望んだ形で孤独だった。ただ,一人小山さんが親しみを持って眺めていた人物は一人いて,かなり若いという以上のことは性別も含めて分からないが,常にテント村に住んでいるわけではなく,時折現れるその人物に半ば憧れ,そして積極的に挨拶をしていたようだ。
さて,小山さんノートには日常の些細な行動が事細かに記されていて,小山さんという一人のホームレス女性の特殊な事例ではあるが,ホームレスの生活について垣間見ることができる。まずはお金の収支。この日記は目次にあるように,古いところでは1991年からあるが,本格的には2001~2004年の期間である。私が本格的に音楽ライブに通うようになったのは2005年くらいからだったと思うが,その頃はライブチケットの購入のウェブ化は進んでいたが,まだまだ先行発売とかことあるごとに何月何日の朝何時から予約開始ということで,特定の場所で整理券配布とか,そういうのをやっていた。音楽には限らないと思うが,そういうチケット販売とかそういう関係だと想像するが,行列に代わりに並ぶという単発のアルバイトがあったようだ。小山さんは同居人と一緒に時折くるそのバイトをして,1回2,000円程度の収入を得ていた。そのバイトに関する記載は徐々に減っていくのだが,2度ほどは行政職員の紹介で数日間で数万円というアルバイトもしている。しかし,それは競争率が高いようで,小山さんはたまたま2回とも雇用されたが,テント村の誰もが雇用されるとは限らないようだ。それから,小山さんが一貫して行っているのは古書店通いだ。古書店に売る本の調達をどうしているのかは不明だが,週に1回くらいだろうか,古書店に通って一回数百円のお金を手にしている。その他は同居人に渡されたり,公園で拾ったりしている。小山さんは東京都内のおそらく代々木公園規模の山手線内の公園のテント村で暮らしていたと思われるが,その規模の都心の公園であるからこそ,日々の公園内の散歩がさまざまな物資を獲得することとなっている。小山さんはノートを読む限りにおいて小食である。ホームレスは当然毎日の食糧確保が難しいわけだが,小山さんは必要以上の食糧が入手できたとしてもガツガツ食べるようなことはない。彼女が生きるために必要としているのは煙草とお酒のようだ。とはいえ,お酒は依存症のような飲み方では決してない。動物にとって生命に必要な食糧以上に,嗜好品としての煙草とお酒を必要としている。そのために,公園散策ではいわゆる「シケモク」を拾い,時折出会う瓶に残されたお酒を大切に持ち帰って,大切に消費している。
そして,『エトセトラ』でも論じられていたのが,喫茶店通いである。彼女にとっての喫茶店通いは,彼女の生活の中でわずかな時間だけでもクッションのついた椅子に座れ,暖や寒を取ることができ,何よりも室内空間であり,暖かい一杯のコーヒーを飲むことができる。喫茶店の店員については詳しくは記されていないが,いくつかの店では,常連さんとして丁重に扱われ,「今日は〇時間過ごさせてもらった」とノートに記されていることも多く,先日私が訪れたタリーズコーヒー国分寺店でも「混雑時は90分を目安に」などと書かれているように,長時間滞在を好まない店が多い一方で,小山さんは3時間や4時間過ごさせてもらっており,また本人がそのことのありがたさをしみじみと書き記している。喫茶店で彼女はまさにノートを書いている。このノートは書く一方のものではなく,本人が読み返すものでもある。読書家でもある小山さんだが,当然好きなだけ本を読める環境にはない。だから,自分で書いた文章はおそらくまさに自分が読みたい文章でもあるように思う。こういう書き方はなんだか失礼にもなるような気もするが,小山さんの文体はとても美しく(字も豪快な達筆だ),思想的にも魅力的なものが多い。政治的な発言も時折あり,また本書に収録されたエッセイで申 知瑛さんが書いているが,天皇に対する憧れが記されたりもしている。
このノートの最後の方には「ルーラ」という架空の人物が登場し,ルーラが登場する際の文章はかなり妄想がかっているような印象を受ける。日常生活でも手に入る現金が極端に減ってきて,彼女が必要なのは日に数百円なのだが,それすらも手に入らない状況が続く。読みながら,この本に収録されたノートの残りページが少なくなっていくのを確認しながら,彼女自身の死期が迫ってきていると思わざるをえず,とてもいたたまれない気持ちになる。
このノートはある意味で本当に奇跡のような形で残され,こうして世に出された。小山さんはもちろん,特定の時代を特定の場所で生きた,唯一無二の存在だが,同じように綱渡りのように生をつなぎながら生きている人は世界中に沢山いる。そういう人たちに思いをはせながら,少しでもそうした人たちが救われるような社会を作っていかなければならないと思う。

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【読書日記】宇佐美久美子『アフリカ史の意味』

宇佐美久美子(1996):『アフリカ史の意味』山川出版社,82p.729円.

 

先日もイスラーム史の入門書を紹介したが,イスラームに関しては,たまたまアブー=ルゴド『ヨーロッパ覇権以前』を読んだから多少の知識を得たが,私は元来一般常識を有しない人間。アフリカに関してはまさに本書の対象読者と同様に,ほとんど何も知らない。長年田沼武能氏の研究をしてきたが,田沼氏が黒柳徹子氏のユニセフ親善大使としてのアフリカ訪問に同行しているのに,アフリカの理解はできていない。本書は山川出版社の「世界史リブレット」シリーズの14巻で,たまたま古書店で見つけたもの。まさに,今の自分に必要なものだと思い手に取り,読むことにした。

もはや遠くないアフリカ
アフリカのとらえかた
アフリカ史の課題
アフリカについての歴史記述の歩み
黒人王国,帝国
スワヒリ文明の起源
アフリカ史の学びかた

著者は1956年生まれで,本書執筆時に40歳。「現在,相模女子大学講師」とある。40歳で講師って,やはりそれだけアフリカ史を専攻していることと女性であることが就職にも関係しているようにも思う。女性に焦点を合わせた著作などもあり,またイスラーム関連の共訳書もある。本書にも日本に限らず世界的にもアフリカ史というものが学問の,そして社会の終焉に置かれてきた状況が語られ,また同時に嘆かれている。
冒頭では,日本が1994年にルワンダ内戦のPKOに自衛隊を派遣したことを例に挙げ,アフリカが日本にとって遠い存在ではないこと,というより遠い存在とするべきではないことを強調している。まずは,私たちが有する「アフリカのイメージ」を突き崩すことから始めなければならない。私たちはとかく「アフリカ」と一枚岩的に語りがちだが,本書によれば,アフリカ大陸全体で800以上の言語,「人種的にも黒人であるネグロイドのほかに,われわれと同じ黄色人種であるコイサン(ブッシュマンやホッテントット)や,外来のアラブ系,インド系,中国系の人びと,そして白人も居住している。」(p.8)
アフリカの一枚岩的なステレオタイプとその歴史の神話化は,アフリカについて常に語る主体がヨーロッパであり,当事者の声が反映されていないことが大きい。最近私も大航海時代以降の奴隷貿易に関する書物などを読むにつれ,ヨーロッパ人の黒人に対する態度が長らく続いた植民地時代に培われたものだということを理解するようになった。初期に植民地化されたアメリカ大陸ではまずはヨーロッパ人が先住民に対してひどい態度をとったのだが,先住民の数が減り,労働力不足を補うために利用されたアフリカ黒人奴隷に対しては先住民以上にひどい扱いだったことを知る。こうして長い歴史の中で培われた態度は,植民地支配が終り,人権が主張されるようになってからもなくならず,21世紀になっても米国でブラック・ライブズ・マターと叫ばなくてはならない状況があるというのがその証左である。もちろん,当事者としての黒人が沈黙を強いられ続けたわけではない。本書でもさまざまな人物が登場する。まず,「ガーナ独立の父エンクルマ」(p.13)には『自由のための自由』と『アフリカは統一する』(野間寛治郎訳,理論社)という訳書があるようだ。
アフリカに存在していた(る?)王国についても多くの記載がある。ブガンダ王国は東アフリカのビクトリア湖北西岸に存在したもので,1894年にイギリスの保護領下に入る。ブニョロ王国はウガンダ北西部に存在した。1922年にはウガンダにマケレレ大学が設立され,ユニバーシティ・カレッジに昇格した1948年の翌年に歴史学講座が開設されたが,その講義内容はヨーロッパ史だったという。翌年にインガムという常勤講師が「熱帯アフリカ史」という講義を行ったが,それでもアフリカ社会側の視点ではなく,支配側からの視点だったという。1885年に創設されたコンゴ自由国はベルギー国王の私有財産としての植民地だったという。現代のアフリカにおける民族紛争の代表例ともなっている,ツチ人とフツ人(報道では「族」が使われることが多いが,本書では「人」となっている)との関係についても説明がある。「現在のブルンジ,ルワンダには先住民として狩猟採集民トワ人が暮らしていた。そこへ7~10世紀に西から移動してきた農耕民フツ人が定住し,さらに15,6世紀にその地を「アフリカの角」地域出身の遊牧民ツチ人が征服して,ブルンジ,ルワンダ両王国を築いた。」(p.20)20世紀に入ってドイツがルワンダを植民地化することで介入した結果,現代の民族対立を生み出していった過程が説明されている。端的にいえばフィクショナルな両民族のイメージを植え付けたことが原因である。
続いて,史料の問題としてアフリカの文字の問題を解説する。アフリカで用いられていた文字として,アムハラ文字はエチオピアで用いられているもので,19世紀に文字が創案された音節文字。バイ文字はリベリアに住むバイ人の文字で1833年頃に考案されたという。バムン文字はカメルーンのバムン人の固有の文字。20世紀初頭にスルタンが考案した。イスラーム圏では,ナイジェリア北西部からニジェール南部の人びとの母語であるハウサ語や,東アフリカ海岸地域でアラブ人やペルシア商人がバントゥー系の人びととの交流から生まれたスワヒリ語など,イスラーム圏の影響にある言葉がある。こうした書き言葉が自らの歴史を記録し,後世に伝えることになるのは当然だが,書き言葉として残されないまでも口伝いによる口承伝承も重要である。もちろん,物質として歴史を伝える考古学の仕事,また言語間の系譜関係を調査する言語学についても記載がある。
そうはいっても本書では,自らの言葉でなくてもアフリカの歴史について知ることができる資料について整理している。古代の代表的なものはプトレマイオスの『地理書』であるが,その後のアラビア語の記録の方が重要だ。10世紀に活躍したマスウーディーの『黄金の牧場と宝石の鉱山』が東アフリカの交易や海運の様子を伝え,11世紀のバクリーは西アフリカについて『諸道と諸国』をしるしたという。12世紀のイドリーシーは地理学者と紹介され,『ルッジェロの書』は「西アフリカについての記述に限れば十分に信頼できる」(p.34)としている。14世紀のイブン・ハルドゥーンは,これまでの地理書とは異なり,『歴史序説』と『イバルの書』によって「近代的な意味での歴史家であった」(p.34)と評されている。14世紀にはウマリー『諸都市のある諸国を見る道』,イブン・バットゥータの『都市の不思議と旅の驚異をみる者への贈り物』が挙げられる。17世紀にはアラビア語による『スーダン年代記』などが口承伝承に分析と史料批判を加えて記述したものがあるという。口承伝承をアラビア語で写しとっただけの『カノ年代記』や『キルワ年代記』なるものもある。18世紀には『ゴンジャ年代記』が書かれたが,この王国は現在のガーナ中部に16世紀末に形成されたもの。19世紀末以降は,アフリカ人自身が西洋諸語を用いて自らの歴史を叙述したものが現われる。ジョンソンの『ヨルバ人の歴史』(1897年),エガーレブバ『ベニン小史』(1934年)などが挙げられている。
ここまでは積極的な意味で活用できる史料だが,奴隷貿易時代には,ヨーロッパにとって都合の良いものが多数出ていたようだ。それらについてはここで具体例を示す必要はないが,要はアフリカ人は奴隷にふさわしいということを(似非)科学的に証明しようとするものだ。そこにはヘーゲルやリンネの名前も挙げられている。それ以降のアフリカ探検家たちの記録も似たようなものだが,ブルース『ナイル川の水源発見の旅』(1790年),バルツ『北・中央アフリカの旅行と発見』(1857-58年),ギアン『東アフリカの歴史・地理・通商にかんする文書集』(1856年)などについては「貴重な史料を残した例」(p.42)としている。植民地期のアフリカ研究についても,スティガンド『ジンジュの国』(1913年)とフィッシャー『黒いガンダ人の物語』(1912年)などは「比較的先入観にとらわれずに著された歴史書」(p.43)としている。1940年代後半以降にはイギリス,フランス,ベルギーがそれぞれの植民地に大学を開講し,アフリカ史講座が設置され,スタッフも徐々にアフリカ人が担当するようになった。そのなかで「アフリカ側からみたアフリカ史の再構築の試みがK・O・ディケやJ・D・フェイジを中心に着手された。」(p.44)そして,独立後については各国で「自民族の歴史を取り戻し,新しい世界史をアフリカからの目でとらえなおそうという試みがなされた」(p.46)のは当然だ。ここで重要なものとして挙げられているのが『ユネスコ版アフリカの歴史』で,これは1970年に発足した「アフリカの歴史」起草のための国際学術委員会によるプロジェクトの成果だという。この流れの象徴的存在として本書では,1868年に発見された大ジンバブエ遺跡の調査について説明されている。この発見にはドイツ人地理学者マウフが参加していたという。
続いて,そうした調査研究によって明らかにされた黒人の王国や帝国について記載されている。注釈のあるものを列記すれば,11~19世紀に現在のジンバブエに存在したモノモタバ王国,ただ注意しなければならないのは,一概に「王国」や「帝国」と表現するが,その内実はアフリカ以外のものと一様ではなく(アフリカ以外でもその用法には注意しなければならないとは思うが),どのような支配体制だったかは個別に吟味する必要がある。「アフリカにおける王国とは,もともといくつかのクラン(氏族:引用者)が集まってできあがったものであった。クランのメンバーは共通の祖先を信じ,一人の選ばれた首長のもとで暮らしていた。(中略)王は政治的な支配者であるばかりでなく,クランの長として先祖と現世の社会をつなぐ宗教上の神聖な役割をはたしていた。」(p.53)現在のザイールからアンゴラ北部にかけて14~19世紀にかけて支配したコンゴ王国がある。16世紀にポルトガルから統治制度を学ぶ前は中央集計的な国家機構は存在しなかったという。西アフリカにあったダホメー王国は西欧の絶対王政に近い統治機構を備えていたという。17~19世紀末まで大西洋奴隷貿易に関与することで繁栄し,白人奴隷商から入手した火器による軍事力で独裁的な中央集権国家となった。スーダンのニジェール川流域にあったマリ王国は1235年にさまざまな種族を吸収して帝国になったという。商人による広域な活動により,さまざまな財を集中させ,軍事的・経済的に他のグループに優越していたという。ニジェール川中流域にはソンガイ帝国があり,11世紀にはイスラームに改宗し,1468年にマリ帝国の一部を征服し,マリ帝国の支配体制にならって中央集権的な帝国を築いた。
本書の最後にスワヒリ文明について詳細に記載されている。スワヒリ語については先にも少し触れたが,現在のソマリア南部からモザンビーク北部にいたる海岸地帯であり,古くからインド洋の海上貿易によって諸地域との関係を結びイスラームの影響が強い。「スワヒリ地域のイスラーム化は,北部では7,8世紀,南部では11世紀と考えられている。」(p.64)16世紀初頭にはポルトガル人が多く訪れその繁栄ぶりを驚きを持って記録しているという。スワヒリ語はそんななか,10世紀当たりのアラブ史料のなかに散見され,現在のような形になったのは13世紀以降と考えられている。文献としては17世紀になってからだという。スワヒリ文明については,論者によってアフリカ以外の地域に起源を求めるものが多いようだが,本書の著者は近年現れた現地起源説を重視している。
著者が求めるアフリカ史の転換はやはり人権の問題と関係していて根本的な価値観に関わるものだと思う。黒人が人種として劣っているとか,黒人社会が人間社会として未熟な組織体だとかという考え方は,根本的には人種差別主義に基づく理解である。そもそもが,人間を能力の優劣の尺度に当てはめたり,文化や文明を校庭の尺度で判定したりということをやめる必要がある。人間の違い,社会の違いは優劣や高低によって計るものではなく,横並びの差異であるという価値観の転換が必要である。

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【読書日記】マルクス『資本論1』新日本出版社

カール・マルクス著,社会科学研究所監修,資本論翻訳委員会訳(1982):『資本論1』新日本出版社,248p.1,165円.

 

日本共産党に入党して,マルクス『資本論』は読んでおこうと思った。新日本出版社は日本共産党の出版社だが,2019年から12冊の新版を出したので少しずつ買っていこうかなと,私の支部の市議会議員さんにお話をしたら,旧版で良かったら自宅にあるから差し上げますよ,と第1巻と第6巻とをとりあえずいただいた。こちらは1982年に出た13冊本。新書サイズで手軽なのが良い。とりあえず,第1巻を読んでみた。とはいえ,途中で別の急ぎの本を読み始めて中断しているので,きちんと頭に入った読書とはいえない。とりあえず,どんなことが書かれているのかを把握したという程度。

序言〔初版への〕
あと書き〔第二版への〕
〔フランス語版への序言とあと書き〕
第三版へ
編集者の序言〔英語版への〕
第四版へ
第一部 資本の生産過程
 第一章 商品
 第二章 交換過程
 第三章 貨幣または商品流通

目次に書いたように,世界史にも残る作品であるため,こうした翻訳も書誌学的な価値を重視する。ということで,序文がこまごまといくつもあって,私のような事情の分からない読者には文脈がよく理解できないが,一方では,本作品の本質について書かれている文章だともいえる。
それはともかく,私は修士課程に入った頃に,ピーター・バーガーという社会学者の翻訳本にはまっていた時期があり(当時かなり必読書的だった,バーガー&ルックマン『日常生活の構成』を読んだのがきっかけ),確か,地理学者ジェイムス・ダンカンの論文で引用されていたバーガー&プルバーグ「物象化と意識の社会学的批判」という論文に日本語訳がある(雑誌『現象学研究』に訳出)ことを見つけて読んだ。物象化というマルクス主義用語に興味を持ち,ルカーチ『歴史と階級意識』も読んだ時に,こうした議論がマルクス『資本論』の商品論に基づくことを知り,大学図書館で『資本論』の該当箇所を拾い読みした記憶はある。しかし,それ以来,マルクスの別の作品はいくつか読んだが,『資本論』からは遠ざかっていた。
さて,本論に入りたいが,本書をペラペラめくってどのように自分の言葉で本書の議論を説明すべきか考えると悩みこんでしまう。商品は使用価値と(交換)価値とを含むものである,ということは説明できるが,(交換)価値とは何かということ,また商品生産における労働と自然の関係,そこから導かれる第二の自然(この概念自体が『資本論』にあるのか,エンゲルス『自然の弁証法』のものか?),商品の交換価値によって社会における人間同士の関係が物と物との関係に置き換わることによって物象化が生じる,のような,これまで学んできたマルクス主義的な知識に安易に置き換えてしまって,マルクス自身がこの書で語っていることを純粋に理解することがむずかしい。一方で,商品のフェティシズムという議論はマルクス自身のものではなく,マルクス以降のマルクス主義者によるものだと勝手に思っていたが,本書に既に第1章第4節に「商品の物心的性格とその秘密」というものがある。こうして読んでいると,本当に本書が150年以上前に書かれたものとは思えない新鮮味を感じる。
その一方で,貨幣に関しては,この時代特有の議論が非常に新鮮に感じる。とはいえ,現代の資本主義経済において貨幣がどのような存在なのか,経済学的に正確な説明を私ができるわけではないし,本書におけるマルクスの議論もきちんと理解できているわけではないのだが。本書前半では,交換価値の説明として複数の商品の等価値について論じられているが,第3章で貨幣の議論に移行する。ヨーロッパでは長らく,貴金属である金貨や銀貨がその希少な金属的価値と等しく用いられてきたようだが,短期的な物価の変動に左右されないが故に,各商品の取引を行う媒体としての共通的価値を有する貨幣としての役割を果たしていたと思う。江戸時代の日本でも小判や銅や鉄,真鍮などの硬貨も同じように金属そのものの価値と同等だったのだろうか。いずれにせよ,電子決算がなされる現代とは明らかに違っており,貨幣そのものの物質的価値を中心に議論ができるのが興味深い。
ともかく,商品の価値を需要と供給の関係からではなく,労働力などの生産手段や生産過程から考えるというのがマルクス経済学の醍醐味なので,もう少し読み進めないとなんともいえないな。手元にある『資本論6』も興味深い目次なので,読んでみることにするか。

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