【読書日記】伊藤 守編『東京オリンピックはどう観られたか』
伊藤 守編著(2024):『東京オリンピックはどう観られたか――マスメディアの報道とソーシャルメディアの声』ミネルヴァ書房,247p.,4,500円.
オリンピック研究を出がけるようになり,書き上げた論文を,参考文献に入れた論文の著者に送るという行為を続けている。なんだかんだで,これまで5本の論文になっているので,何度も連絡をした人もいる。一度だけメールをいただいた人や,まったく応答のない人もいるが,著書を送っていただくことも少なくない。本書もそんな経緯で,執筆者の有元さんから,出版前に連絡をいただき,送りたいから住所を教えてほしいということで発行日前に送っていただいた。3,000円を越える本はなかなか買えないので,非常にありがたい。
本書は編者を代表者とする科学研究費の共同研究として2019年から取り組まれた成果の一つだという。伊藤さんは意外にもあまり文章を読んできていないが,一世代上のメディア研究の代表的な社会学者であり,土橋さん,有元さん,山本さんは私と同世代のカルチュラル・スタディーズの影響を受けた社会学者である。清水さんが日本のオリンピック研究では避けて通れない先駆者の一人である。本書ではじめて名前を目にする人たちは1981年生まれの堀口さん以外は1990年前後の生まれの若い研究者。とてもワクワクしながら読み始めた。
はじめに:伊藤 守
序章 ソーシャルメディア時代の「オリンピック経験」と「世論」:伊藤 守
第I部 オリンピック開催をめぐる世論の変化とメディア接触行動
第1章 開催の賛否にゆれる世論:伊藤 守
第2章 オリンピックのニュース経験――大学生のケーススタディ:土橋臣吾
第II部 オールドメディアと〈五輪神話〉
第3章 オリンピック報道の「神話」とその揺らぎ――新聞報道を中心に:伊藤 守
第4章 テレビ的「神話」に飲み込まれるニュース番組――開会式前後の争点に着目して:田中 瑛
コラム 東京2020における「文春砲」のレトリック:堀口 剛
第III部 ニュースサイトとソーシャルメディア上の言説
第5章 オリンピックと「怒り」のプラットフォーム――Yahoo!ニュースに着目して:有元 健
第6章 SNSにみる情動的なネットワーク形成――「森発言」問題となでしこジャパンバッシングを事例に:加藤穂香
コラム じょぼいね 東京五輪2020+1の現地生態系観察記/フィールドワーク:高原太一
第IV部 アスリート政策とメディア・スポーツの生態系
第7章 スポーツ立国に向けた政策展開とアスリート:清水 論
コラム メディアに現れるアスリートと元アスリート:小石川 聖
第8章 オリンピック・リアリズムとアスリートの政治――「ソーシャルなアスリート」がつくる新しいメディア生態系:山本敦久
おわりに
資料
本書は公的な研究費が用いられた共同研究ということもあり,時間と労力を要するオリジナルデータがいくつか収集されている。その一つは第1章で分析されているもので,その結果は巻末に資料として掲載されている。それは,2012年5月にIOCが行ったもの,2013年8月に朝日新聞が行ったもの,2015年8月に内閣府が行ったもの,2020年7月に共同通信が行ったものなど,東京大会の開催決定に関わるものも含め,それから時系列的に行われた開催の賛否を問う世論調査とも整合させる形で2020年11月に行われている。アンケート総数は600件で,その後2021年6月にも調査が行われ,そちらのアンケート総数は1,000件とのこと。これらのアンケートは,東京大会開催の是非に関するもので,その理由まで尋ねている。開催の賛否については上記にあげたようにさまざまな時期にさまざまな主体によって実施されているが,アンケートの個票に当たれるわけではないので,実施主体が公表する集計結果しかデータがない,という意味において本書で独自に実施されたアンケートが基礎データとなり,次章以降の議論にも関わってくる。なお,このアンケートの独自項目としては,賛否を評価するデータソースが何かを回答させる設問があり,本書のテーマであるオールドメディアとしてのマスメディア(テレビや新聞)とニューメディアとしてのソーシャルメディア(ネットニュースやSNS)の対比があり,それが回答者の年代とリンクされる。
第2章は過去に数本の論文を読んだきりの土橋さんの文章ということで期待したが,大学生にオリンピック関係のニュースへのアクセスに関する調査をベースとしたもので,その分析に対する困難に直面した様子が感じられる。前半で,第1章と同じアンケート結果の年代分析があり,若い年代ほどニュースメディアやSNSを利用するということで,そこに焦点を合わせ,より詳細に大学生22名に2日間の状況を記録してもらうという調査をしている。なかなかすっきりとした結果も出ておらず,得られた知見は有体のものだったようにも思う。後半ではツイート分析もおこなっているが,面白い結果は出ていない。私もオリンピック開催前からツイッターはよく見ていたが,まあ私のアカウントに流れてくるという非常に偏ったものではあるが,オリンピック開催反対のさまざまなツイートが流れてきて,それこそ本当に中止に持ち込めるのではないかという勢いを感じたが,この分析ではそんな勢いはかけらも示されていない。
第II部はオールドメディアに焦点を合わせたもので,第3章は新聞報道に限定した分析を行っている。東京2020大会については,中村祐司(2021):『2020年東京オリンピックの変質』がほとんど新聞記事を資料に時系列的に整理しており,この本は新聞記事を批判的に分析しているわけではないが,第3章はその概要を新聞記事の表象分析という形で論じたものといえ,あまり新鮮味はない。逆にいえば,私たちの東京2020大会の大まかな理解はマスメディアによって形成されたともいえる。第4章はテレビに限定した分析となる。ただ,第3章と同じレベルでテレビを分析したものではなく,開会式をめぐる顛末を追ったもので,また,かなり定性的な分析となっている。
第III部はニューメディアとしてのネットニュースとSNSに焦点を合わせる。第5章はネットニュースとしてYahoo!ニュースを取り上げている。Yahoo!ニュースといえば,よくコメント欄への差別的書き込みがすごいということくらいしか知らなかったが,この論文からそのメディアとしての位置付けについて学んだ。本章では,トップページにあがってくる記事を取り上げ,そこにつけられたコメント数とその内容,そしてそのコメントにつけられたGoodの数などを分析対象としている。私はYahoo!ニュースをそれとして意識して見てこなかったし,コメント欄などもきちんと読んでこなかったので,その状況については学ぶことが多かったし,こういう分析ができるというのはニューメディアに対する学術的調査のあり方として学ぶこともあった。とはいえ,本章がオリンピックというテーマにおいてめざましい成果が得られたかというとそうでもないように思う。まあ,こういう試行錯誤が重ねられてニューメディア研究が発展していくのだろう。ただ,本章は編者の伊藤氏も近年テーマとしてきた「情動」という主題を一貫したものとして論じているのはさすがだ。第6章も同様に,Twitterを対象とした調査・分析をしたものである。著者の加藤さんは第5章の著者である有元さんの所属大学である国際基督教大学の博士課程に在籍しているということで,有元さんの指導もあったのかもしれない。ここではSocial InsightというSNS投稿分析ツールを用いているという。そんなツールがあることも知らなかったが,特定のハッシュタグによるツイートがやはり特定の有名アカウントを中心に拡散していく様子が,その投稿内容も含めて分析されている。そして,そこにネット右派に関する分析も加えていて興味深い。
ここまでは少なくとも,本書のテーマであるオリンピックとメディアの関係を,オールドメディアとニューメディアの差異に着目しながら調査・分析が試みられてきたが,第IV部は残念ながら本書のテーマにしっかりと沿ったものにはなっていない。上述したように,第7章の著者は日本におけるオリンピック研究を牽引してきた研究者であるが,メディア研究における業績はほとんどないように思う。それはしかたがないが,第7章はメディアというテーマを一切気にかけていない内容のように思われた。第8章は,先日このブログでも紹介した『ポスト・スポーツの時代』の著者であり,オリンピック研究のなかでもアスリートに着目している稀有な存在である。この章でも「ソーシャルなアスリート」という興味深い概念を提示していて,この章単独としては非常に興味深い論考である。しかし,やはり本書のメインテーマに関しては,「メディア生態系」という概念は提示しているものの,第III部までの具体的な定量・定性的データに基づく調査・分析はなされていない。
ということで,本書は期待して読み始めたものの,残念ながら有用な知見を得られるものではなかった。とはいえ,ソーシャルメディアに関する調査・研究は本格的に始められたところであり,またソーシャルメディア自体が次々と形を変えていくという難しさも持っている。
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