【読書日記】いちむらみさこ『ホームレスでいること』
いちむらみさこ(2024):『ホームレスでいること――見えるものと見えないもののあいだ』創元社,157p.,1,400円.
本書は「10代以上のすべての人に」と題された「あいだで考える」というシリーズの1冊。小ぶりな版でページ数も少なく,素敵なデザインの一冊。本書もいちむらさん自身の筆によるカラーの作品で飾られている。著者についてはこの読書日記でも何度か書いてはいるが,本書はご自身の経緯も含めて詳しく書かれているので,改めて説明しておきたい。
はじめに
1章 公園のテント村に住みはじめる
2章 ホームレスでいること
3章 わたしたちのゆれる身体
4章 切り抜けるための想像力
本書の冒頭は「東京の真ん中にある森林公園のずっと奥に,ブルーテントの村がある。」(p.9)という文章から始まる。著者がここに住みはじめたのは20年前からだという。当時,公園内には350軒ほどの小屋やテントがあったというが,現在は15軒ほど,40名ほどの暮らしがあるという。その公園が何公園かは書かれておらず,私自身も東京でホームレスがまとまって暮らしている場所などは知らない。日本の地理学者にはホームレスの研究をしている人が少なくないが,大阪に偏っているため東京の事情は分からない。
本書で著者がブルーテント村の住人になることを選択することになった具体的な経緯が語られているわけではない。現在でもいちむらさんは絵画を中心としたアーティストだが,おそらくアート関係で生計を立てられていたわけではないと思う。何らかの形で給料をもらう勤務形態を取っていたが,その生活に耐えかねてブルーテントの住民になる。私は大学院まで出て無利子の奨学金を600万円以上かかえていたものの,博士課程の時から非正規で働いていた会社の給料は単身生活には十分すぎ,結婚する時にはまだ若干奨学金の返済が残っていたが,卒業時の奨学金とほぼ同額の貯金もあったので,一人暮らしの時はお金に困ったことはなかった(まあ,大した贅沢もしない質素な生活だったが)。それが結婚して子どもが生まれ,持ち家を立てるということになり,その住宅ローンの頭金ということで貯金は全くなくなり,それから15年,全く上がらない給料を毎月もらわないとローンも支払えない自転車操業の日々が続いている。その会社の仕事にも嫌気がさしてきたが,転職するにしても給料が下がってはいけない,1か月でも給料のない隙間期間を作ってはいけない,などの厳しい条件の下で,なんとなく今の仕事を続けている毎日。もうすでに私には家族がいて,有体のいい方をすればかれらを路頭に迷わせるわけにはいかないが,いわゆる家賃というものに振り回されない生活があるというのは,いちむらさんの生活スタイルを知った時に目からうろこという衝撃だった。地理学におけるホームレス研究の多くが日雇い労働者を対象としたものだったので,建設現場の日雇い労働をする高齢男性が中心であると同時に,その生活実態を明らかにするような研究ではなかったので,固定された家や職というものから自由である存在ということは知っていたし,かれらはいうなれば資本主義のシステムにうまく利用されながら(搾取され),それでいてそのシステムにうまく乗れた人には与えられる生活保障にはあずかれないという存在だった。しかし,いちむらさんはあえてその資本主義のシステムには乗らず,利用されず,逆に食料や衣料の過剰生産のおこぼれを活用するという形で資本主義に抗いながら利用するという生き方は理想的のようにも思えた。もちろん,例えば冬のような季節であれば,家があれば寒さから逃れ,比較的容易に暖を得ることもできる。屋外の生活ではそうはいかないわけだし,食についても1日3度決まって摂らなければならないということからは自由だが,本当に欲しい時に摂ることができないというリスクを常に背負っている。そういう意味で,もし家族などから自由であったとしても,そこに身を投じる勇気は私にはない。著者の存在は私にとって憧れであり続けるのだ。
先にも書いたように,いちむらさんが住むようになって20年間で,ブルーテント村の住人は激減している。本書によればそれは行政の成果である。表向きにはホームレス状態で困っている人に手を差し伸べ,生活保護につなげ,社会復帰をさせてきた,という行政の成果に見えるだろう。しかし,少し前では東京の渋谷区のいくつかの公園再開発で,最近では大阪の釜ヶ崎(まさに大阪の地理学者たちが研究し続けているフィールドだ)で暴力的にホームレスの追い出しが行われた。いちむらさんたちが住むブルーテント村はそういう分かりやすい一掃追い出しはなかったようだが,まずは新しい住民を増やさないということが決められ,実行されたという。今住んでいる人は(既得権益として)住むことを認められるが,新しい人は住まわせない。ということは,行政側が現在住んでいる人のことを全員把握しているということだ。さらにいえば,2人で1つのテントに住んでいた人が何らかの事情で2つに別れるとか,テントを別の場所に変更するとか,そういうことも認められないのだろう。テント以外の場所でとどまろうものなら,そうした場所に水をまいたり,さまざまな形で嫌がらせをするという。そして,頻繁に住民に声をかけ支援へとつなげる。支援につなげると書けばよいことのように思うが,実態はそうでもないらしい。劣悪な居住環境に押し込められたりして,ブルーテント村に戻ってくる人も多いという。しかし,戻ってくるというのは行政にとっては新規参入者と同じ扱いになるので,そこで居住が許されるわけではない。そもそもホームレスの方々はさまざまな事情で今の生活に落ち着いており,また様々な試行錯誤を繰り返して自分なりに快適な生活をそこで築こうとしているのだが,行政はそれを理解していないし,理解しようともしない。いや,そもそも私も以前はまったく理解できていなかったし,多くの人も同じように理解しようともしないのだろう。いずれにせよ,普通に生活している人の姿も見えにくくなっている今日の社会のなかで,そもそもが見えないものとされているホームレスの生活実態は,いちむらさんのような活動がなければ理解するすべもないのだ。
いちむらさんの発信がさらに重要なのは,女性のホームレスの立場からの発信であること。それは単にいちむらさんが女性であるとういうことだけではなく,彼女自身が一般社会とはまた少し違った意味あいでの男性中心社会であるブルーテント村において,女性の居場所を作り続けているということ。それはとかく孤立しがちなホームレス社会のなかでの女性であるいちむらさんが自分自身の安全のためもあるが,同様の立場に立たされている女性たちの安全も確保するために,女性同士で連帯することを行ってきた。とはいえ,いちむらさんのすごいところは相手の立場や主体性を常に優先的に考え,無理やりにではなく,自主的に参加しやすい場を作り上げているところだ。
それから本書では,2020年に予定されていて2021年に開催された東京オリンピックに関することも書かれている。いちむらさんが反五輪の会のメンバーとして,2020年東京五輪大会で重要な反対運動をしていた(今でも続いている)ことはこのblogでも再三書いたが,本書ではホームレスとの関係で詳しく書かれている。オリンピック反対運動としては,明治公園でのホームレス追い出しの事件が中心だが,新国立競技場建て替えという大きな問題だけでなく,特に渋谷区に関しては現在まで続く公園の再開発とそれに伴うホームレスの追い出しは長期間にわたって繰り広げられているのだ。その筋では有名になった宮下公園(現ミヤシタパーク)から始まって,現在でも美竹公園が再開発進行中であって,その近辺では,公園という限定された空間だけでなく,公園と公園を線で結ぶような通り全体においてホームレスの痕跡を消し去り,きれいなものに置き換えていくというまさにジェントリフィケーションが進行しているのだ。そうした動きに対していちむらさんたちは抵抗し,ホームレスの痕跡を残し,自らの居場所を主張し,道行く人たちにもその存在を知らせ,かつ排除するのではなく共存していく道を考えさせるような活動を行っている。そう,ホームレスを追い出そうとするのは国家権力や行政だけではない。直接手を下すのは行政から委託された民間の建設業者であり,さらにそこから委託を受けた警備会社である。そして,道行く人もホームレスに嫌がらせをし,暴力をし,排除に手を貸すのだ。世界中で起きている宗教や民族,性的志向などマイノリティを社会から排除する力と同じ構造がそこかしこで進行していて,しかし一方では当事者が声を上げ,市民の一部がそれに連帯し,という動きもある。
ともかく,本書はそうしたマイノリティの生き方について深く考えるきっかけを与えていれるものであり,多くの人に読んでもらいたいと思う。
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