【読書日記】小林エリカ『女の子たち風船爆弾をつくる』
小林エリカ(2024):『女の子たち風船爆弾をつくる』文藝春秋,395p.,2,500円.
風船爆弾については他の本の読書日記でそこそこ書いたと思うので,繰り返さない。風船爆弾の縮小模型が展示されているという,神奈川県登戸にある明治大学登戸研究所資料館にようやく行く機会が訪れたので,本書を読むことにした。結局行く当日までに読み終わらず,行きの電車の中でも読みながらだった。ただ,登戸研究所資料館で,本書の刊行と,それに併せてか分からないが,資料館での少女と風船爆弾をテーマにした特別展を記念して,資料館の館長である山田 朗氏と本書の著者である小林エリカ氏の対談をYouTubeで視聴した氏,また別のYouTubeチャンネルで,白井 聡氏と島田雅彦氏がやっている番組に小林エリカ氏がゲスト出演したものも視聴していた。著者は漫画家でもあり,本書でもさまざまなイラストがあしらわれている。著者は小説家でもあり,本書は創作物だが,書かれていることはほぼ史実に基づくものであり,248に及ぶ注釈と,小さい文字で8ページに及ぶ参考文献リストがつけられていて,さまざまな史料の断片をつなぎあわせた創作物である。
プロローグ
第一章 昭和十年― 1935-
第二章 昭和十七年― 1942-
第三章 昭和二十年― 1954-
エピローグ
注
付記
参考文献リスト
謝辞
目次を書いたように,日本の戦前から戦後にかけて年ごとに構成されている。章とは別に「一」から始まる区分があり,「八十八」まである。これはプロローグの書き出しに「この街は,あの震災から十二年目の年を迎える」(p.8)とあり,1923年の関東大震災の12年目を「一」とし,「わたしは,小学校一年生になる。」(p.8)とあるように,登場人物の年齢とその年代設定がはっきりされている。そして,この区分はその88年後の2022年まで,一年ごとに物語は推移する。「八十七」には2021年に開催された東京オリンピックのことが記されている。「二」の書き出しは「春が来る。わたしは,小学校二年生になる。桜の花が咲いている。」(p.34)という調子で,登場人物の少女たちが一年一年学年を上がり,歳をとっていきながら進行する。少女「たち」と書いたのは,特定の一人に名前を付けて具体的に描く作品ではないからだ。少女たちは東京にあった複数の学校の通う同年代のお互いに知ることもない子どもたちで,しかし同じ場所で同じ時期に同じ風船爆弾の生産に携わり,また散り散りになり同じ日本という国で戦後を迎え,人によっては間もなく亡くなり,人によっては現代まで生き延び,そうしたさまざまな人生を送る女性たちの半生を,記録に残った史実をフィクションのなかでつなぎ合わせ,結び付け綴った,そんな作品。
作中で「わたし」と語られるのは,東京にあった幾つかの学校,雙葉学園,跡見学園,麹町学園の児童,生徒たちである。それぞれの学園には児童・生徒・卒業生などの直接の声を含む記録が残されていて,それらが本作品を構成する重要な要素となっている。一方,語り手ではない「少女たち」も登場する。「わたし」にとっての憧れの的である,宝塚少女歌劇団の団員たちである。本作は,名もなき東京の学園に通う「わたし」たちと,有名で戦中の暗い社会を照らす光のような存在である「少女たち」は直接交わることはないが,間接的に関わり,また同じ戦争という時代を生き,形違えど日本という国が起こした戦争に加担させられていく。戦争が終わったらそれで誰もに幸せな生活が戻ってくるわけではなく,そうした女性たちの青春がまさに戦争によって形作られたわけで,その記憶を持ち続けながら戦後の日本社会を生き延びたのだ。
本作品は戦時下の日本社会全体を描くものではないが,日本では国家総動員法という法律に結実していた,この近代戦争の「総力戦」という形ですべての国民が巻き込まれた戦争の姿を,「少女」という非常に限定された属性を持つ人間を取り上げ,日本軍が行ったさまざまな戦略のうち,「風船爆弾」というかなり特殊なものに主点を合わせて描いた稀有な作品である。
宝塚少女歌劇団の「少女たち」は戦時下にさまざまな海外公演をしている。一つは日独伊三国同盟の友好の使者としてドイツやイタリアに公演に出かけているのだ。そして,日本の植民地や戦地に近いところでの公演。「慰安」というと戦時中に兵士の性の奴隷となった従軍慰安婦をすぐに想起してしまうが,文化的な次元でも戦地の兵士たちを慰安する存在として少女たちが利用されたという。この史実は全く知らなかった。
さて,メインは風船爆弾だが,その直径10mにも及ぶ風船は,上質な和紙を用い,その和紙をこんにゃく糊で貼り合わせたということは知識として知っていた。本書はその過程を一つ一つ丁寧に辿っている。上質な和紙を作ることができる産地は日本中にあるが,特に関東圏では埼玉県の小川町には作者が取材に行っているとのこと。こんにゃく生産についても群馬県の下仁田にも行き,コンニャクイモを自宅で栽培もしたという。食用としてのこんにゃくは日本の食卓から消えた。
「わたし」と「少女たち」は,爆弾風船を媒介しても結びついていく。少女たちが華々しい姿で公演を行っていた劇場は戦局が激しさを増すと軍に接収され,その広い空間を使って日本各地で生産された和紙とコンニャクイモと「わたし」たち若い女性たちが集められて,風船の貼り合わせが行われた。これまで,個別の「わたし」として実際に知り合うこともなく,作者という神の目から眺められていた女の子たちが同じ場所で出会っていたことが知らされる。この劇場を使った風船爆弾の作業だけでなく,戦時下には授業の一部が奉仕活動としてさまざまな場に清掃などで駆り出されていたことも丁寧に記述されている。
そして戦時下の記述の分量に引けを取らない形で記述されている戦後の話も重要である。そもそもが,自分たちが何を作らされていたのかを知らされなかった女の子たちが,戦後そのまさに青春の一時期の経験をどのようにその後の人生で消化していったのか,風船爆弾について知らされた時どう思ったのか,その経験を胸の奥にしまった人,家族にだけは話した人,家族を持つこともなかった人,それぞれ想定される(もちろん史実に基づくものも)さまざまな女性の人生を描く。時には同級生の集まりで,自分の子どもの保護者の集まりで,さまざまな形で経験を共有したり,文集という形で言葉として残したり,戦争を経験した一市民の戦後の人生の一端についても考えさせられることが多い。
ともかく,本書は小説という形式を最大限に活かして,断片的に残された史実を集約し,大手の出版社から比較的安価で入手しやすい形で活字として残したという意味で,非常に大きな意義を持つ作品だと思う。
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