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2025年7月

【読書日記】志位和夫『科学的社会主義Q&A』

志位和夫(2022):『科学的社会主義Q&A学生オンラインゼミで語る』日本民主青年同盟中央委員会,125p.,400円.

 

ここのところ、日本共産党の志位和夫議長は、この「学生オンラインゼミ」を次々と開催し、それを書籍化している。この読書日記でもすでに紹介した『Q&A社会主義と自由』以降は新日本出版社から出されるようになっているが、本書はこのゼミの主催者である日本民主青年同盟(民青)から出されている。私は実は日本共産党に入るまで民青の存在を知らなかった。「みんせい」といえば「民生委員」を思い浮かべてしまう私は、周囲の党員たちの口からこの言葉が出るたびに、「民生委員って日本共産党員がやっていたの?でも年齢的に…」などと疑問を持っていた。同じ支部で活動している70歳台の方々の多くが大学生の時代に民青に出会って加入し、その流れで日本共産党にも入党している。共産党は18歳以上でないと入党できないので、じゃあ民青は日本共産党少年少女部か、というとそうでもないらしい。最近、私の近所の30歳台前半の女性が共産党とつながったが、まずは民青に加入した。民青に明確な年齢の上限はないらしい(とはいっても50歳台の私にお誘いは当然ないが)。
ということで、少しずつ分かってきたのは、やはり大学生の時代は政治活動より学習、ということで日本共産党の理論的支柱となっているマルクスの『資本論』と科学的社会主義とを学ぶことが民青の中心的な活動のようだ。以前、日野市で行われた民青のフードバンクにお手伝いに行ったとき、食料を取りに来た人が「民生って何?」と聞かれ、「大学のサークルです」と答えていた。まあ、カジュアルにはそういうことですね。そしてもちろんフードバンクのような学生らしい社会活動もするという感じでしょうか。
それはともかく、そうした民青の学習に対して、日本共産党はアドバイザー的役割を持つということで、志位さんは近年積極的に「学生オンラインゼミ」を行っているという次第。この科学的社会主義をテーマにしたゼミは「第2弾」ということです。

読者にみなさんへ
はじめに――科学的社会主義との出会いは?
質問1 「科学的社会主義」と「マルクス主義」は違うのですか? いま学ぶ意義は?
質問2 「科学的社会主義」の「科学的」とは何ですか?
質問3 弁証法とは何ですか? 志位さんは弁証法をどのように身につけたのですか?
質問4 理系の勉強の中で、科学的社会主義が役に立つことはありますか?
質問5 マルクスといえば『資本論』が有名ですが、『資本論』は何がすごいんですか?
質問6 旧ソ連や中国に自由がないのは、もともとの理論に問題があるのではないですか?
質問7 資本主義のなかに社会主義・共産主義のヒントのようなものはありますか?
質問8 ロシアの侵略について科学的社会主義の立場からどういう分析ができますか?
質問9 科学的社会主義を勉強するにあたってのコツを教えてください
質問10 マルクスの理論が正しいなら、どうしてまだ社会主義にならないのですか?
当日の質問1 社会主義は「脱成長社会」なのですか?
当日の質問2 歴史に必然があれば、偶然もあるのですか?
学生へのメッセージ――「肝心なのは世界の解釈ではなく、世界の変革である」(マルクス)

この読書日記でも以前紹介したように、以前不破哲三さんの『科学的社会主義を学ぶ』(2001年)を読んだ。その前には日本共産党の都党学校で科学的社会主義の講義も受けたことがある。また、それらよりもう少し前にエンゲルスの『空想から科学へ』も読んで、この読書日記でも紹介した。
ということで、何となく日本共産党が自分たちの議論の支柱というか根拠というかにしている科学的社会主義がどういうものかはわかってきたが、不破さんだけでなく、志位さんの話も聞いてみると大枠としては大体理解できるようになったような気がする。まず、共産主義を目指す日本共産党が科学的社会主義?と思う人もいるかもしれないが、現在日本共産党は社会主義と共産主義を使い分けていない。「・」でつなげて表現することも多い。まあ、言葉が違うわけだから厳密にいえば違いはあるんだろうけど、これも日本共産党がよくいっていることだが、マルクス自身も共産主義・社会主義に明確な青写真を描いているわけではなく、未来社会については意図的に曖昧にしている。日本共産党は「多数者革命」を目指しているために、未来社会として社会主義・共産主義社会を実現する時は、為政者が勝手に作るのではなく(それが旧ソ連や中国の失敗でもある)、皆で話し合って決めていくということなのだ。そして、これはエンゲルスの書名から勝手に思っていることではあるが、その理論的根拠としての社会主義が、空想に基づくものではダメであって、しっかりとした科学的論拠を持った理念でなければならないということである。
そして、マルクスの社会思想の基礎として、史的唯物論と弁証法を学ぶことが、科学的社会主義の基礎になっているように感じた。この辺りから、本書に沿って説明していくことにしたい。実は正直言って、『Q&A社会主義と自由』も書名にあるように、本書と同様、学生からの質疑応答という形をとっているが、本当に学生からの質問なのかなあ?と疑ったりもしましたが、本書の場合は素朴な質問でありながら、私などでは発想しないような新鮮な視点もあって面白い質問です。
まず、質問1の科学的社会主義とマルクス主義は何が違うかという質問。私も周囲の党員と話をしていると何となく感じるのは、「マルクス主義」という言葉を日本共産党は好んでいないということ。私の理解では、やはりマルクス主義とはマルクスそのものではなく、マルクスの流れをくむそれ以降の時代の論者ということだ。不破さんはマルクスを絶対視してはいけないといってはいるが、志位さんにしてもやはりマルクスそのものを論じることが最優先で、その後の時代で否定されたマルクスの議論やマルクスの時代的な制約をあまり論じない。その一方で、マルクスの議論が彼独自のものではない、というところは結構強調しているのかもしれない。マルクス主義というとマルクスを起点とする経済学だと感じてしまうが、マルクスはその時代までに多く出されていた研究所や単なるパンフレットの類を読み漁ることによってマルクス独自の議論を発展させてきたということもあるのかもしれない。そしてそのことは弁証法の議論にもつながるのだろう。
質問3は弁証法の解説に充てられている。ギリシア哲学者のプラトンの著作は「対話篇」と呼ばれている。著作を残さなかったプラトンの師ソクラテスはプラトンの著作に必ず登場し、他の登場人物と対話をしながら哲学論議を発展させていくのだ。最近でも「哲学対話」などが流行っているし、かつては権威主義的だった都市計画もまちづくりと言い換えられ、住民との合意形成が重視されるように、偉い人が一方的に物事を決めていくことから対話の重要性が主張されているように思う。志位さんによれば、そうした対話的な議論のしかたが近代で復活するのがヘーゲルであり、それを受け継いだマルクスにとっては中心的な科学的論証の手段となったようだ。この本には出てこなかったと思うが、ヘーゲルの用語に「止揚」というものがあるが、弁証法とは複数の異なった意見を、また一つの事象をさまざまな事象との関連の中で考える、ということから出発し、議論を発展させ高めていく、そして単なる妥協ではなく、対立を乗り越えていく=止揚が目指されるようなものなのかもしれない。
そして、質問4が本書の一つの目玉かもしれない。志位さんは学生時代、工学部で理論物理学を学んでいたといいます。エンゲルスに『自然の弁証法』という本があり、私も岩波文庫版を購入して読み始めて断念しましたが、ここで志位さんは自然弁証法の観点から物質の階層性について論じていて、私は少し疑問に感じるところもありましたが、なかなか面白く読みました。
質問6もなかなか鋭い。以前、この読書日記で紹介したリチャード・パイプス『共産主義が見た夢』はまさに実現した共産主義者による悪事の数々を元々の理論に原因があるとする代表的な論者らしい。もちろん、現代日本で共産主義社会を夢見る日本共産党はこの質問を否定するが、そのことを科学的に証明するのは実はけっこう難しいのではと思ったりもする。そして質問10がまたまた鋭い。ここまで書かなかったが、私が日本共産党の科学的社会主義の理解に対して大いに疑問を持っているのが、いわゆる史的唯物論の理解。本当は史的唯物論=社会発展説ではないのだが、マルクスが当時論じたという社会の発展段階説をけっこう素朴に信じている人が多いようだ。30ページに図版があるが、そのなかに「原始共同体-奴隷制-封建制-資本主義-社会主義・共産主義」という図式がある。志位さんは「もちろん、こういう順番通りにいかないことも、たくさんあるんですけども。」(p.31)としていますが、質問10に対する答えはかなりあいまいなようにも思う。資本主義は自動的に社会主義に発展するわけではなく不断の階級闘争が必要だ、ということと、当日の質問2にあるように、社会発展説は必ずしも必然的な法則ではなく、偶然の要素も大きい。歴史の法則はないわけではないが、将来予測はほとんど不可能。
そして、まさに私の疑問を代弁してくれているのが当日の質問1。資本主義の先に目指す社会は脱成長社会ではダメなのか?ということ。しかし、志位さんは「マルクスの理論が「脱成長」=成長を求めない理論だという主張は、事実とも違うし、私たちは同意することができません。」(p.116)といっている。また、「かりに「成長しない社会」ということを展望しますと、どうなるか。たとえば、社会保障の財源をどうやって見出すのか一つとっても、見えてこなくなります。ですから私たちは、そういう立場をとりません。マルクスが「脱成長」を唱えたというのは、事実の問題としてもありません。」(pp.117-118)とこの質問への回答を締めくくっている。私としてはマルクスが何を言っているかの事実は正直どうでもよくて、また脱成長=経済的衰退というわけでもないと思っている。現状維持をすればよいのであって、それこそSDGsが「持続可能な発展」といっているのにも私は違和感を抱いていて、持続可能であることは必要だが、発展する必要はないのではないかと思うのだ。SDGsの場合はdevelopmentを発展ではなく、開発としていて、別の意味合いもはらんでいるとは思うが、ここに関しても私は疑問を持っている。
まあ、ともかく私自身は日本共産党の科学的社会主義の理解に関して、史的唯物論を中心に疑問を持ってはいるのだが、それを説得力を持って訴えるのはまだまだ勉強が足りない。

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【読書日記】市田忠義『日本共産党の規約と党建設教室』

市田忠義(2022):『日本共産党の規約と党建設教室』新日本出版社,333p.,1,500円.

 

私は2025年4月に日野市長選挙と同時に行われた日野市議会議員補欠選挙における日本共産党の候補者となった。それを機に、30年ほど非正規雇用として勤めた勤務先を退職し、落選した選挙後は日本共産党の専従職員として、その後続く選挙戦を戦う要員として仕事をすることになった。その際、学習のために多くの書籍を提供され、それらを読むこととなった。本書もその一冊。
日本の他の政党のことはいまだによく分からないが、日本共産党ほど国会から地方議会まで及ぶ所属議員やそれぞれの組織の役員、私のような専従職員、そして一般党員までもが、政治を社会を良い方向に変えようと、そして党組織を大きくしようと日々奮闘している政党はないと思う。そして、そのために各人が学習できる媒体が非常に多いのもこの党の特徴である。まず、一般党員、さらには支持者にとってもまず『しんぶん赤旗』がある。赤旗にも政治中心の日刊紙と、週刊誌的役割を持つ、日曜版とがある。また、日本共産党は月刊雑誌も数多く出版している。かなり学術雑誌に近い『経済』と批評誌に近い『前衛』、政治実践的な専門誌『議会と自治体』、一般党員またはそれ以外にも党の活動を知らせる広報誌的な『月刊学習』、それから『女性のひろば』なんて雑誌も出しています。「新日本婦人の会」という組織があり、もちろん今では男性も入会できるが、日野市の日本共産党員の女性の多くが入会している。一応、この組織は日本共産党とは別組織だが、会員はかなり重なっているようだ。なので、この組織も『新婦人しんぶん』を発行していて、雑誌の方はこの日本共産党が出している『女性のひろば』と近い、そんなイメージだろうか。
新聞、雑誌ときて、書籍も多く出している。その版元が新日本出版社だ。本書もそこから出ているが、その内容は雑誌『前衛』に数度にわたって掲載されたものであり、さらにいえば中央党学校の「規約と党建設」という講義がもとになっている。そう、日本共産党はそうした出版物で自主的に学ぶだけではなく、党の様々な組織(例えば、中央委員会の中央党学校、東京都委員会の都党学校など)毎に「教室」を開いているし、またそうした場で教えられる資格というほどのものではないが、毎年「講師資格試験」なるものを行っている(昨年は受けるつもりでいたが、総選挙が急遽決まったために中止になった)。
ということで、先日も日本共産党の綱領をよりよく学ぶ本を紹介したが、本書は規約の意義をつかみ取る内容。そして日本共産党党組織の場合は、組織の一員としてのルール(規約)を学ぶだけでなく、日本共産党のめざす社会を実現するため、議員が掲げた公約を実現するため、この政党を大きくする必要があるということで、規約に従って党活動をすることによって、より大きな党をつくっていく=党建設も重要な問題である。その仕事はこの組織の執行部のみに課された仕事なのではなく、まさに末端の党員の活動が重要であるということを強く意識する必要がある。

まえがき
序にかえて――「叩けよ さらば開かれん」
 参議院選挙の結果を踏まえた党建設の位置付け
 党建設の理論と実践は科学的社会主義の学説の要の一つ
1、日本の民主的変革の展望――党綱領の多数者革命の路線と党建設
2、党規約は、党建設の法則的・原則的方向を明確にした
3、第二十八回党大会第二決議が示した生命力
最後に
【資料】日本共産党規約(2000年改訂)
資料

本書の著者、市田忠義さんは私のような新米党員でも知っている。しかし、私はかなり勘違いをしていた。市田さんは今回の東京都議会選挙で日野市に応援演説に来ることになっていた。残念ながら本人の急病で中止になったのだが、国会議員は1998~2022年の24年間4期参議院議員を務めているが、それまでは長らく党の職員から役員を務めていた方だという。つまり、国会議員として表舞台にも立っていたのだが、専従職員になったのが1971年というから28年間、議員よりも長い期間(もちろん、議員中も党の役員は続くわけだから)裏方としての仕事をやられてきた方ということになる。
なので、例えば長らく委員長を務めていた志位和夫さんの著書は政策的なものや理論的なものが多い一方で、市田さんも本書の巻末のプロフィール欄の3冊の著書が記されているが、本書も含め実践的なものが多いということになる。
本書は山添 拓さんの再選を争った2022年の参議院議員選挙の話から始まる。選挙が終わるとどの党も総括をするわけだが、今もこれを書きながらまさに今年(2025年)終わったばかりの参議院議員選挙の総括がなされている。昨年の衆議院議員選挙に続いて、参議院でも自公与党過半数割れに追い込まれたが、自民党の場合には党内で責任を取って首相はやめろと声が上がる。総選挙の前に行われた総裁選挙に出た陣営から、石破はやめろ、今度は俺だ私だとやりだす。この状態を不思議だと思わないのか?自民党が選挙で負けた(負けたといってもいまだに第一党なのは信じがたい)のを石破さんのせいにしているが、自民党全体への支持が減じたのであって、責任を取るのであったら党全体でやるべきだと思う。
まあ、それはともかく日本共産党はともかく会議が好きな組織である。これは本書に書いてあったというより、つい最近私の所属する地区の委員長から説明を受けた内容も含む。本書に〔資料〕として規約本文もつけられているが、そこにあるように、日本共産党には中央組織(中央委員会)をはじめとして、都道府県組織(例えば、東京都委員会)、地区組織(例えば、日野市・多摩市・稲城市を管轄とする南多摩地区委員会)、規約にはないが市区町村組織(例えば、日野市委員会)、支部があり、各支部で毎週、毎月、年○回と会議がある。日本共産党は一応上意下達の組織ではないことにはなっていますが、上位組織での会議による決定事項が下部組織へと伝えられ、「討議」されて、最終的に一般党員から構成される「支部」の支部会議で討議される。そして、本書で結構大事なのが、この支部の在り方なのだ。私が所属している(実は私も専従職員になって所属が変わるのだが)支部は「居住支部」あるいは「地域支部」といって、要は居住地をベースにして近所に住んでいる党員同士が組織化されたものである。一方で「職場支部」もある。私も入党する際に、「地域支部にしますか、職場支部にしますか?」と尋ねられたが、私はアルバイトのみだったし、規模の大きな会社だったが経団連に加入している企業で、国土交通省をはじめとする公的機関がメインの受注先だったので、この会社に日本共産党員なんていないだろうと思ったし、どうやったら社内の党員にたどり着けるだろうというところも不明だったので、特に職場支部は考えなかった。というよりも、私が入党を決めたことの一つは自分が住んでいる地域との結びつきをつくりたいということだったので、迷うことなく居住支部に所属することになった。
しかし、本書を読んでみると、特に職場支部は、もともとあった組織に所属させてもらうというものではなく、同じ職場に複数人の党員がいれば、支部を作って、職場で働きかけて支部員(党員)を増やすべく活動をするということらしい。とはいえ、社内の労働組合が盛んであった時代であれば、労働組合運動と共産党の活動は方向性が同じなので、働きかけもしやすいが、今日の多くの企業では難しいように感じた。また、私の所属する日野市には多くの居住支部があるが、高齢化が進んでいて、活動できる党員が3人の支部もある。私はそれを知って、何気なく「支部の統廃合はしないんですか?」と聞いたことがあったが、基本的にはそれはしないという。やはり一度できた支部にはそれなりの人口を有する居住地が広がっていて、その住人への働きかけ次第で党員を増やすことはできるはずだという信念があるようだ。そして、このことは確認していないが、私自身も自治体のむやみな統廃合や、特に近年多くの自治体で進んでいる公立学校の統廃合には基本的に反対だし、企業の吸収合併もいいとは思わない。そういう意味で、そうした統廃合に対しては日本共産党の立場は当然推進ではないと思うから、自分たちの組織に関してもそういう意識はあるのかもしれない。
まあ、いずれにせよ、市田さんは京都府委員会での活動が長かったようですが、学生支部や職場支部、中央委員会での仕事もされてきた方なので、そうした自身の経験、また本書のような内容をもって、全国様々な場での講演活動もされてきて、全国各地の支部の実態を聞いてきた経験も含めて、非常に多面的に党建設について論じている本である。私の党組織に関する知識の程度に応じて、本書から学ぶことは違うと思うので、機会あるごとに立ち戻りたい著書であった。なお、一つ書き忘れたが「党建設」という言葉は、政党という組織を一から作り上げるというイメージを持ってしまうが、党をつくって今年で103年の日本共産党ですから、一から作るのではなく、常に組織を更新し、大きくする努力を積み重ねる、ということを「党建設」という言葉に込めているということを、最後に書いておきたい。

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【読書日記】『月刊学習』編集部編『日本共産党改定綱領の用語解説』

『月刊学習』編集部編(2022):『日本共産党改定綱領の用語解説』日本共産党中央委員会出版局,127p.,800円.

 

日本共産党には党員が身につけるべき綱領がある。しかし、その文章は本書の巻頭に収められているものとしても、9~37ページで29ページ分しかない。変なたとえではあるが、日本国憲法のように、文章一つ一つが余計なものをそぎ落として洗練されており、短い。そんな短さの中にも、日本共産党が理解する戦前から現代までの日本の歴史と世界の政治状況が示されている。なので、綱領そのものを読んでも深いところまで理解は及ばず、大まかな党の方針というか、骨子というか、そういう理解なのだと思う。
なので、それを補足する文献は必要で、この読書日記でも紹介した、志位和夫『新・綱領教室 上/下』がその役割を果たす重要なものということになる。一方で、本書は上に書いたように、127ページの小冊子で、「用語解説」の体裁をとっている。日本共産党が発行している雑誌に『月刊学習』というのがあるのだが(私はきちんと読んだことがない)、ここに連載されていた内容をまとめたのが本書だということになる。

『日本共産党改定綱領の用語解説』刊行にあたって
日本共産党綱領
綱領の用語解説
1. 戦前の日本社会と日本共産党
2. 現在の日本社会の特質
3. 21世紀の世界
4. 民主主義革命と民主連合政府
5. 社会主義・共産主義の社会をめざして

本書は確かに用語解説になっている。日本共産党綱領に傍線とページ番号が書いてあり、2,3の項目で1ページの解説がなされている、という体裁である。しかし、綱領の順序に従っているので、綱領本文⇔解説文という往復をしなくても、解説文だけをページ数に沿って読むだけで十分読み物として魅力的である。時折写真は図版も挿入されていて、ある意味高尚な「綱領」を一般党員にも分かりやすい言葉で、しかし内容のレベルを落とすのではなく解説されていて、とても勉強になった。
最新の「日本共産党綱領」は2020年1月に改訂されたものだが、日本共産党党員、特に私みたいな専従職員は機会あるごとに立ち戻らなければならない文書だし、その場合に気になった個所は再度解説を読むことができるという便利な本であった。

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【読書日記】ソルニット『ウォークス――歩くことの精神史』

レベッカ・ソルニット著,東辻賢治郎訳(2017):『ウォークス――歩くことの精神史』左右社,517p.,4,500円.

 

読書日記を書き始めたところで、大学の講義が始まり、私の人生も大きく転換し、選挙が立て続けにあって、すっかりおいたままになっていた原稿。この本は本当に読みたかったもの。まずは、ソルニット。どこから読んでいいのか迷うほど、魅力的なテーマを多方面に、でも(日本語で読めるものに限定してですが)すべて読むのを諦めてしまうほど多くもないので、と迷っていた。私の関心からすれば本書が最優先なのだが、いかんせんページ数も多く値段も高い。そう、歩くこと、それはこの読書日記でも何度か書いているように、私が本格的に取り組みたいと思っていながらもう四半世紀というテーマである。そして、訳者の東辻さん。レスリー・カーンの『フェミニスト・シティ』の訳者であり、自身も『地図とその分身たち』という地理学者にとって魅力的な著書を出しているし、ソルニットの訳本も多く手掛けている。ちなみに、印刷物の東辻さんの「辻」という字、点は一つしかありません。しかし、PCやウェブでは点が一つの字は出てきません。ご本人もそこは諦めているようで、自身のウェブサイトでも点が二つを使っていますが、印刷物は点が一つです。

第1部 思索の足取り
 第一章 岬をたどりながら
 第二章 時速三マイルの精神
 第三章 楽園を歩き出て――二足歩行の論者たち
 第四章 恩寵への上り坂――巡礼について
 第五章 迷宮とキャデラック――象徴への旅
第2部 庭園から原野へ
 第六章 庭園を歩み出て
 第七章 ウィリアム・ワーズワースの脚
 第八章 普段着の1000マイル――歩行の文学について
 第九章 未踏の山とめぐりゆく峠
 第十章 ウォーキング・クラブと大地をめぐる闘争
第3部 街角の人生
 第十一章 都市――孤独な散歩者たち
 第十二章 パリ――舗道の植物採集家たち
 第十三章 市民たちの街角――さわぎ,行進,革命
 第十四章 夜歩く――女,性,公共空間
第4部 道の果てる先に
 第十五章 シーシュポスの有酸素運動――精神の郊外化について
 第十六章 歩行の造形
 第十七章 ラスベガス――巡りあう道

さて、読み始めてあまりにも訳文の素晴らしさに唸ってしまった。もう、英語からの翻訳の域を超えて、しかも本書は文学作品ではないのに、詩的な魅力を持つ文体になっている。それは『フェミニスト・シティ』を読んだ時には感じなかったもので、おそらく東辻さんがこれまでソルニットの翻訳を複数手掛けるなかで、ソルニットの原著の文体を身に着けて、自在に東辻さん自身の日本語の文体に置き換える術を実装したのではないかと勝手に想像している。
しかし、一方であまりにもよどみない文体は、本書からさまざまな気付きを得ようとしている私のような読者にはある意味での注意が必要だと気付く。さらっと読めてしまい、内容がしっかりと頭に残らないのだ。という心配は読み進むとともに消えていった。東辻さんの訳文を借りて、著者のソルニットが語り始めるその内容に惹かれていった。本書の帯にある「歩くことがもたらしたものを語った歴史的傑作。」という言葉は大げさではない。
すでに、この読書日記で『ユリイカ』特集「わたしたちの散歩」やアーリ『モビリティーズ』の時に書いたように、私は「歩くこと」に関心を持っていて、何かしらの文章を書きたいと思っている。しかし、上に挙げた雑誌と書籍にずいぶん私が書きたいことを書かれてしまっていることもあり、実は本書を読むのは怖かった。私が書きたい以上のことが書かれていて、私の書きたいことが網羅されていたら、もう私が書くべきことはなくなってしまうからだ。その怖さは完全に的中したのだが、私が考えている以上のことがこれだけ書かれていたら、もうそれは書き手ではなく、読み手としての快楽に浸るしかない。いや、もうそれで十分なのだと思う。私自身は大した書き手ではないのだし。
それはともかく、歩くことについて私が関心を持ったのは、私以前の日本の地理学者がすでに論じていた、ベンヤミンの遊歩だが(実際には私自身はベンヤミンをあまり読んでおらず、むしろロラン・バルトの都市のレクチュール実践としての歩くこと、です。)、都市の歩行と対照的な田園・農村での歩行、そして山岳などの歩行にいたる。『ユリイカ』では逍遥学派に関する論考もあり、歩行と思考についての議論もあった。
そうしたなか、本書で「そうきたか!」と思ったのが第三章。そう、歩くといえば二足歩行。これを人類が手に入れたこと、ここに着目するのが面白い。永山マキさんの曲「グランドウォーカー」(2006年のアルバム『銀の子馬』収録曲)を思い出した。もちろん、著者は人類が二足歩行を獲得したことで知性を発達させたとか、そういう人類礼賛をするわけではない。
第四章の巡礼、第五章の迷宮、こうした話題もありそうで意外になかった気がする。第2部は先に述べたように、これまでも多くの論者が取り組んできたテーマ。その中で、本書が独自に取り組んでいるのが「ウォーキング・クラブ」。私がかなり以前読んだもので、英国のサイクリング・クラブに関する論考が非常に興味深く、今でも強い印象が残っているが、そうした個人の趣味が人々をつなぐ団体・組織の存在の歴史はなかなか面白い。たまたま開いたら面白い記述を見つけた。「世界がひとつの庭園であると思い込むこと。それは世界が本当にひとつになることを妨げている障害から目を背ける、本質的に非政治的な振る舞いというべきであろう。一方、世界をひとつの庭園にしようと試みることは往々にして政治的な試みとなる。」(pp.248-249)これは、ヨーロッパでは山岳会という学術的、出版や探検活動、社交的な意味合いが強かったが、米国ではそこに政治的な意味合いを加え、1892年に設立されたのがシエラ・クラブだという。なので、第十章のタイトルには「大地をめぐる闘争」とあるのだ。
第2部が田園・農村・山岳での歩行を扱う一方で、第3部は都市の歩行を扱うものなので、こちらも大半はこれまで論じられてきた領域。ここにも本書独自の議論が第十三章にあり、それも政治的な意味合いが強い。都市の公共空間=街路を市民が歩くこと。集団となって歩くこと=デモ行進はまさしく、歩くという行為によって自らの権利を主張する政治的アピールであり、それこそ場合によってはバリケードを用いた権力闘争の場ともなる。また、第十四章はまさに同じ訳者が手掛けた『フェミニスト・シティ』にもつながる話題であり、フェミニストとしてのソルニットの真骨頂といえるかもしれない。
そして第4部はこれまでの歩行論からはみ出した、著者独自の議論。特に最終章でラスベガスを扱うのはあまりにも想定外というか、私も一読では消化不良。ラスベガスという街は、それこそ私はベンチューリを通してしか知らないが、基本的には自動車の街だ。それをあえて歩くこと、そこからも多くの学びが得られるようだ(ベンチューリの著書のタイトルは「ラスベガスから学ぶこと」)。第十六章では「歩行を用いた(芸術的:引用者)パフォーマンス」(p.458)、「歩く芸術家」(p.456)を論じる。この議論は、私が2013年に書いた論文の中で紹介した英国の地理学における芸術論の中にもあった。従来の芸術といえば絵画や彫刻で、静的なものであったわけだが、現代芸術は動的なもの、また室内から屋外に飛び出す。普遍的な価値からサイトスペシフィックへという流れの中で、都市を歩くということを含む芸術の在り方が模索されている。
読後かなり経ってしまっていて、読み直すことはできないので、かなり短い紹介にするしかないと思って書き始めたが、私の勝手な拡大解釈も含めていろいろ書くことができた。それほど本書は刺激的な読書であり、機会があればソルニットの他の著書、また東辻さんの著作、そして本書の再読に挑戦したい。

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【映画日記】『小林さんちのメイドラゴン』『アイカツ!~輝きのユニットカップ』『遠井さんは青春したい!』

2025年6月29日(日)

府中TOHOシネマズ 『小林さんちのメイドラゴン さみしがりやの竜』
アニメが先か、原作漫画が先か、覚えていないが子どもたちがずいぶん前から観ていて・読んでいて原作漫画もそこそこ集めている作品。娘と二人で観に行った。かれらによれば、本作は原作漫画の一部を映画化したもの。私もそこそこ観たり・読んだりしていたので、前提は知っているが、この映画は漫画原作の映画化にしては珍しく、前提について説明がない。小林さんというとある一人の女性労働者が、お酒に酔った勢いでドラゴンを助け、自宅で同居し始める。助けられたことのお礼として、身の回りのこと(いわゆる家事)をやってくれる、ということで、このドラゴン(通常は人間の姿をしている)が一人暮らしの小林さん宅でメイドとして同居する、ということでこのタイトル。そのうち、ドラゴン界からこの小林さんちに同居している「トール」というドラゴンに引き寄せられて複数のドラゴンがやってくるようになり、この映画は「カンナ」というドラゴンを中心とするお話し。なお、この原作にはスピンオフも多く、わが家には『カンナの日常』なる本もある。
娘曰く、原作と違う個所も少なくないとはいうが、基本的なストーリーは原作があるため、原作をしっかり読んでいない私のような鑑賞者にとっても十分に楽しめる内容。なお、ずいぶん前からドラゴンものが多いのは、異世界ものと並んでの漫画界の大きな潮流だが、異世界ものはある程度議論があると思うが、ドラゴンものはどうなのだろうか?なお、『ヒックとドラゴン』もあるように、単なる日本的傾向ではないようだ。
https://maidragon.jp/movie/

 

2025年7月5日(土)

立川シネマシティ 『アイカツ!~輝きのユニットカップ』
こちらも娘と観に行った。「アイカツ!」はかなり以前の作品なので、動画配信サイトで観ていたころは娘も小さく、一緒に観ていたし、また元々がバンダイナムコのアーケード・ゲーム(おもちゃ屋などにあるタイプ)であり、娘とけっこうやっていた時期もある。今回の映画はテレビシリーズの総集編ということだが、初代シリーズの二代目主人公の時代の一エピソード。見終わってみると、私も娘も記憶になかった内容なので、十分楽しむことができました。ストーリーには記憶がないという新鮮さと、人物と作品世界には懐かしさを感じるということで、実は上映回数が少なくて、夕方から夜にかけての回を観に来たのですが、わざわざ来た甲斐があったという感じ。
https://www.aikatsu.net/portal/memorial_stage/unitcup/

 

2025年7月19日(土)

調布シアタス 『遠井さんは青春したい!『バカとスマホとロマンスと』』
こちらは完全に娘趣味で、娘に付き合って観に行きました。ストロベリー・プリンスこと「すとぷり」(よく分からんが、Vtuberではないものの、本人たちの顔は出さずにアニメキャラのような形で歌やらなんやらで活動しているYouTuber集団。以前はサマーランドとコラボをしていて、娘とプールに遊びに行きました)がYouTubeでやっていた企画を膨らませてアニメ作品に仕上げたもの。メンバーの「ジェル」が自身を高校生に見立て、架空の女子高生も自身で演じる。二人で立ち上げた「青春ロマンス部」をめぐって展開する学園もの。マインクラフトを用いたYouTuberたちの動画も子どもたちは好んで観ているが、なかなかあなどれない、こういう人たちのストーリーテリング。かれらは実際にゲーム実況をしているだけで、シナリオを描いている人が裏方にいるのかもしれないが、なかなか作り込んであったりする。本作はそのジェルなる人物が共同脚本で仕上げたもののようだが、なかなか面白い。
https://movie.toi-san.com/

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