【読書日記】志位和夫『科学的社会主義Q&A』
志位和夫(2022):『科学的社会主義Q&A学生オンラインゼミで語る』日本民主青年同盟中央委員会,125p.,400円.
ここのところ、日本共産党の志位和夫議長は、この「学生オンラインゼミ」を次々と開催し、それを書籍化している。この読書日記でもすでに紹介した『Q&A社会主義と自由』以降は新日本出版社から出されるようになっているが、本書はこのゼミの主催者である日本民主青年同盟(民青)から出されている。私は実は日本共産党に入るまで民青の存在を知らなかった。「みんせい」といえば「民生委員」を思い浮かべてしまう私は、周囲の党員たちの口からこの言葉が出るたびに、「民生委員って日本共産党員がやっていたの?でも年齢的に…」などと疑問を持っていた。同じ支部で活動している70歳台の方々の多くが大学生の時代に民青に出会って加入し、その流れで日本共産党にも入党している。共産党は18歳以上でないと入党できないので、じゃあ民青は日本共産党少年少女部か、というとそうでもないらしい。最近、私の近所の30歳台前半の女性が共産党とつながったが、まずは民青に加入した。民青に明確な年齢の上限はないらしい(とはいっても50歳台の私にお誘いは当然ないが)。
ということで、少しずつ分かってきたのは、やはり大学生の時代は政治活動より学習、ということで日本共産党の理論的支柱となっているマルクスの『資本論』と科学的社会主義とを学ぶことが民青の中心的な活動のようだ。以前、日野市で行われた民青のフードバンクにお手伝いに行ったとき、食料を取りに来た人が「民生って何?」と聞かれ、「大学のサークルです」と答えていた。まあ、カジュアルにはそういうことですね。そしてもちろんフードバンクのような学生らしい社会活動もするという感じでしょうか。
それはともかく、そうした民青の学習に対して、日本共産党はアドバイザー的役割を持つということで、志位さんは近年積極的に「学生オンラインゼミ」を行っているという次第。この科学的社会主義をテーマにしたゼミは「第2弾」ということです。
読者にみなさんへ
はじめに――科学的社会主義との出会いは?
質問1 「科学的社会主義」と「マルクス主義」は違うのですか? いま学ぶ意義は?
質問2 「科学的社会主義」の「科学的」とは何ですか?
質問3 弁証法とは何ですか? 志位さんは弁証法をどのように身につけたのですか?
質問4 理系の勉強の中で、科学的社会主義が役に立つことはありますか?
質問5 マルクスといえば『資本論』が有名ですが、『資本論』は何がすごいんですか?
質問6 旧ソ連や中国に自由がないのは、もともとの理論に問題があるのではないですか?
質問7 資本主義のなかに社会主義・共産主義のヒントのようなものはありますか?
質問8 ロシアの侵略について科学的社会主義の立場からどういう分析ができますか?
質問9 科学的社会主義を勉強するにあたってのコツを教えてください
質問10 マルクスの理論が正しいなら、どうしてまだ社会主義にならないのですか?
当日の質問1 社会主義は「脱成長社会」なのですか?
当日の質問2 歴史に必然があれば、偶然もあるのですか?
学生へのメッセージ――「肝心なのは世界の解釈ではなく、世界の変革である」(マルクス)
この読書日記でも以前紹介したように、以前不破哲三さんの『科学的社会主義を学ぶ』(2001年)を読んだ。その前には日本共産党の都党学校で科学的社会主義の講義も受けたことがある。また、それらよりもう少し前にエンゲルスの『空想から科学へ』も読んで、この読書日記でも紹介した。
ということで、何となく日本共産党が自分たちの議論の支柱というか根拠というかにしている科学的社会主義がどういうものかはわかってきたが、不破さんだけでなく、志位さんの話も聞いてみると大枠としては大体理解できるようになったような気がする。まず、共産主義を目指す日本共産党が科学的社会主義?と思う人もいるかもしれないが、現在日本共産党は社会主義と共産主義を使い分けていない。「・」でつなげて表現することも多い。まあ、言葉が違うわけだから厳密にいえば違いはあるんだろうけど、これも日本共産党がよくいっていることだが、マルクス自身も共産主義・社会主義に明確な青写真を描いているわけではなく、未来社会については意図的に曖昧にしている。日本共産党は「多数者革命」を目指しているために、未来社会として社会主義・共産主義社会を実現する時は、為政者が勝手に作るのではなく(それが旧ソ連や中国の失敗でもある)、皆で話し合って決めていくということなのだ。そして、これはエンゲルスの書名から勝手に思っていることではあるが、その理論的根拠としての社会主義が、空想に基づくものではダメであって、しっかりとした科学的論拠を持った理念でなければならないということである。
そして、マルクスの社会思想の基礎として、史的唯物論と弁証法を学ぶことが、科学的社会主義の基礎になっているように感じた。この辺りから、本書に沿って説明していくことにしたい。実は正直言って、『Q&A社会主義と自由』も書名にあるように、本書と同様、学生からの質疑応答という形をとっているが、本当に学生からの質問なのかなあ?と疑ったりもしましたが、本書の場合は素朴な質問でありながら、私などでは発想しないような新鮮な視点もあって面白い質問です。
まず、質問1の科学的社会主義とマルクス主義は何が違うかという質問。私も周囲の党員と話をしていると何となく感じるのは、「マルクス主義」という言葉を日本共産党は好んでいないということ。私の理解では、やはりマルクス主義とはマルクスそのものではなく、マルクスの流れをくむそれ以降の時代の論者ということだ。不破さんはマルクスを絶対視してはいけないといってはいるが、志位さんにしてもやはりマルクスそのものを論じることが最優先で、その後の時代で否定されたマルクスの議論やマルクスの時代的な制約をあまり論じない。その一方で、マルクスの議論が彼独自のものではない、というところは結構強調しているのかもしれない。マルクス主義というとマルクスを起点とする経済学だと感じてしまうが、マルクスはその時代までに多く出されていた研究所や単なるパンフレットの類を読み漁ることによってマルクス独自の議論を発展させてきたということもあるのかもしれない。そしてそのことは弁証法の議論にもつながるのだろう。
質問3は弁証法の解説に充てられている。ギリシア哲学者のプラトンの著作は「対話篇」と呼ばれている。著作を残さなかったプラトンの師ソクラテスはプラトンの著作に必ず登場し、他の登場人物と対話をしながら哲学論議を発展させていくのだ。最近でも「哲学対話」などが流行っているし、かつては権威主義的だった都市計画もまちづくりと言い換えられ、住民との合意形成が重視されるように、偉い人が一方的に物事を決めていくことから対話の重要性が主張されているように思う。志位さんによれば、そうした対話的な議論のしかたが近代で復活するのがヘーゲルであり、それを受け継いだマルクスにとっては中心的な科学的論証の手段となったようだ。この本には出てこなかったと思うが、ヘーゲルの用語に「止揚」というものがあるが、弁証法とは複数の異なった意見を、また一つの事象をさまざまな事象との関連の中で考える、ということから出発し、議論を発展させ高めていく、そして単なる妥協ではなく、対立を乗り越えていく=止揚が目指されるようなものなのかもしれない。
そして、質問4が本書の一つの目玉かもしれない。志位さんは学生時代、工学部で理論物理学を学んでいたといいます。エンゲルスに『自然の弁証法』という本があり、私も岩波文庫版を購入して読み始めて断念しましたが、ここで志位さんは自然弁証法の観点から物質の階層性について論じていて、私は少し疑問に感じるところもありましたが、なかなか面白く読みました。
質問6もなかなか鋭い。以前、この読書日記で紹介したリチャード・パイプス『共産主義が見た夢』はまさに実現した共産主義者による悪事の数々を元々の理論に原因があるとする代表的な論者らしい。もちろん、現代日本で共産主義社会を夢見る日本共産党はこの質問を否定するが、そのことを科学的に証明するのは実はけっこう難しいのではと思ったりもする。そして質問10がまたまた鋭い。ここまで書かなかったが、私が日本共産党の科学的社会主義の理解に対して大いに疑問を持っているのが、いわゆる史的唯物論の理解。本当は史的唯物論=社会発展説ではないのだが、マルクスが当時論じたという社会の発展段階説をけっこう素朴に信じている人が多いようだ。30ページに図版があるが、そのなかに「原始共同体-奴隷制-封建制-資本主義-社会主義・共産主義」という図式がある。志位さんは「もちろん、こういう順番通りにいかないことも、たくさんあるんですけども。」(p.31)としていますが、質問10に対する答えはかなりあいまいなようにも思う。資本主義は自動的に社会主義に発展するわけではなく不断の階級闘争が必要だ、ということと、当日の質問2にあるように、社会発展説は必ずしも必然的な法則ではなく、偶然の要素も大きい。歴史の法則はないわけではないが、将来予測はほとんど不可能。
そして、まさに私の疑問を代弁してくれているのが当日の質問1。資本主義の先に目指す社会は脱成長社会ではダメなのか?ということ。しかし、志位さんは「マルクスの理論が「脱成長」=成長を求めない理論だという主張は、事実とも違うし、私たちは同意することができません。」(p.116)といっている。また、「かりに「成長しない社会」ということを展望しますと、どうなるか。たとえば、社会保障の財源をどうやって見出すのか一つとっても、見えてこなくなります。ですから私たちは、そういう立場をとりません。マルクスが「脱成長」を唱えたというのは、事実の問題としてもありません。」(pp.117-118)とこの質問への回答を締めくくっている。私としてはマルクスが何を言っているかの事実は正直どうでもよくて、また脱成長=経済的衰退というわけでもないと思っている。現状維持をすればよいのであって、それこそSDGsが「持続可能な発展」といっているのにも私は違和感を抱いていて、持続可能であることは必要だが、発展する必要はないのではないかと思うのだ。SDGsの場合はdevelopmentを発展ではなく、開発としていて、別の意味合いもはらんでいるとは思うが、ここに関しても私は疑問を持っている。
まあ、ともかく私自身は日本共産党の科学的社会主義の理解に関して、史的唯物論を中心に疑問を持ってはいるのだが、それを説得力を持って訴えるのはまだまだ勉強が足りない。


最近のコメント