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2025年10月

【読書日記】加藤直樹『九月、東京の路上で』

加藤直樹(2014)『九月、東京の路上で――1923年関東大震災ジェノサイドの残響』ころから,215p.,1,800円.

 

2023年91日、私は東京都庁の前にいた。関東大震災から100年目のこの日、都庁前で「小池百合子、東京都知事は関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送れ」デモに参加したのだ。関東大震災100年ということで、東京都の「東京都人権プラザ」で開催された企画展で飯山由貴さんの映像作品『In-Mates』が上映中止となったことを受けて、東京都の人権に対する姿勢、そして関東大震災の朝鮮人虐殺についての小池都知事の理解などに対して抗議するという意味でも、単に100年ということ以上に大掛かりなデモだった。
その頃は、この飯山さんをめぐるすったもんだに関するNoHateTVなどのYouTube番組をよく見ていたが、なかなか関東大震災の朝鮮人虐殺に関する書物を読むところまではいけていなかった。本書についても、そうした番組でも本当に基本的な文献として触れられていたのに、入手することもしていなかった。今年に入って、またまた古書で見つけ、そんなに安い値段にはなっていなかったが、状態も良かったので購入しておいた。これまた読む機会がなかなか訪れなかったが、今年(2025年)の91日は意を決して、両国にある横網町公園で開催される関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に参列することとしたのだ。そして、まさに読むのはこの日だろう、と久しぶりの電車での遠出となることもあって、本書を往復の電車で読むこととなった。

まえがき 新大久保の路上から
年譜
本書に登場する事件の現場地図
凡例
1章 19239月、ジェノサイドの街で
2章 19239月、地方へと拡がる悪夢
3章 あの9月を生きた人々
4章 90年後の「9月」
参考文献一覧
関東大震災の朝鮮人・中国人虐殺をもっと知るためのブックガイド
あとがき

本書は私が普段読んでいるような、そしてそうした日常的な読書から想定するような構成ではない、とても凝った作りになっている。巻末の著者プロフィールには本書が初の著書であるとあるが、肩書に「ジャーナリスト」という言葉はない。「フリーランス」とは書かれているが、安田浩一さんのように、ジャーナリストと多少活動を狭めるのではなく、もっと広く「ライター」というような位置づけなのだろうか。ともかく、本書は綿密な取材に基づいたルポルタージュとはいいがたい。しかし、読者のことをよく考えて構成されていて、そしてこの事柄、関東大震災時に起きた朝鮮人等に対する虐殺に関して、それほど知識がない読者に対しても、また私のようにある程度知識を持っている読者に対しても興味深く読めるような、そして多くの学びと気づきを得られるような本となっている。また、一度読んですっと頭に入るような形での「読みやすい」構成になっているとは必ずしもいえない。とはいえ、読みにくいわけではなく、読むたびに味わえる、なんとも不思議な構成だというのが私の印象である。
1章はおそらく、関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺に関する具体的な資料を手に、その出来事が起こった現場を訪れ、当時のようすに想いを馳せながら現在の風景を眺める、あるいはその事件にかかわる痕跡を見出す、そういうフィールドワークを基に執筆されていると思われる。そして、それを192391日から時系列的にたどっていくような構成で配置している。場所としては、92日の品川警察署前から始まり、旧四ツ木橋付近、神楽坂下、亀戸駅付近、千歳烏山、3日に入って上野公園、東大島、永代橋付近、4日に入って京成線・荒川鉄橋上、亀戸署といった具合。
2章では、それが地方に広がる様子を同じようにたどっている。94日熊谷、5日江東区旧羅漢寺付近、6日寄居警察分署、9日池袋、12日逆井橋、など。第3章は朝鮮人虐殺を当時記録したものを、文学者や子どもたち、ノンフィクション作家、国会議員などの言葉・絵画表現などをたどる。そして、第4章は現代のようすを伝えている。一つには「ほうせんか」のような、この出来事を市民の手で明らかにし、風化させないような活動。一方では、この現代において同様の朝鮮人差別を行う人々。そして、2005年の米国でもハリケーンという自然災害において黒人に対するヘイトクライムが発生してしまう。最後の文章は「「非人間」化に抗する」と題されている。まさにこの一言に尽きる。人権の問題はもちろん難しい問題だが、究極的に単純化すれば、他人を自分と同等の人間とみなす、ということに過ぎない。もちろん、なかには自分の命を粗末にする人、自分の存在を肯定できない人もいるが、自分が傷つけられたり卑しめられたりするのが嫌だという人は、他人が自分と同じ人間存在であると考える以上、その他人を傷つけたり卑しめたりはしないはずだ。

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【読書日記】ヴァンダン『地図とデータで見る移民の世界ハンドブック』

ヴァンダン, C. W.著,太田佐絵子訳(2022)『新版 地図とデータで見る移民の世界ハンドブック』原書房,177p.,2,800円.

 

先日紹介した『地図とデータで見る気象の世界ハンドブック』と一緒に購入したもので、同様に非常勤先の授業で用いた。そこでも書いたように、通年で担当している「人文地理学」を春学期は日本地理、秋学期は世界地理でやろうとしている。基本的に日本の地理学における人口地理学は国内問題を扱っているのでどうしようかと考えたが、素直に考えたら人口地理学とは地域ごとの人口の増減、および人口移動を扱う学問なので、世界的な人口移動といったら移民となる。移民研究を人口地理学だという人はあまりいないが、素直に考えれば移民研究は人口地理学だと思う。という、個人的な理屈で、秋学期は移民問題を扱うことにした。いずれにせよ、移民問題は社会科学全般として間違いなく重要な分野であり、また地理学においても、一般的には社会地理学に含まれるが、重要であることは間違いない。
以前から読みたいと思っていたのは、本書に挙げられているそれほど多くない参考文献のなかで、さらに少ない日本語訳のある文献のひとつでもある、コーエン, R.著,小巻靖子訳『移民の世界史』東京書籍、だったがおそらく読むのもそうたやすくはないと思い、この原書房のシリーズを読むことにした。

はじめに
さまざまな移住、要因と展望
ヨーロッパ、世界のおもな移住先のひとつ
激動する途上国――アラブ世界、アフリカ、アジア
新世界――移住の地
未来に向けた政治的課題

移民の話は以前、別の大学で社会学の講義を担当した際にも取り上げていたが、その時から心がけていたことは、移民という現象はグローバル化によって登場したものではないということ。いわゆるグローバル化とはコロンブスの大西洋横断に始まる、ヨーロッパ列強による植民地支配をベースにしていると私は考えている。植民地支配もそれ以前からあったものだが、近代以降の問題としてとらえている。しかし、移民自体は民族大移動も含めて近代以前からあるもので、時間のスケールは変化したが、人類史において移動というのはかなりの規模で行われてきた。コーエンの図書は書名からして、そうした歴史も踏まえて移民を考えるものだと思うが、本書は残念ながらそうではなかった。
とはいえ、目次からも分かるように、移民地誌ともいえるような構成で、地域別の問題を丁寧に扱っている点で学ぶことが非常に多かった。まず、前半は世界的な移民の状況とその原因について説明する。国際移民の要因と題して、いくつか挙げている。まずは経済発展と政治危機、次いで人口動態と急激な都市化と題し、貧富の差と連動して人口の増減の地域的偏りがある。さらには環境要因として温暖化の影響で居住地を離れざるをえない人たちも移民となる。また、数としては限られてはいるが、人身売買や密入国斡旋の問題も一つの単元をとって説明する。難民と避難民についても一つの単元。そして、私が知りたかったことは「ディアスポラとトランスナショナルなネットワーク」と題して、中国とインドからの世界中への労働移民について一つの単元で説明している。個人的にはこの問題を「ディアスポラ」として扱うには違和感があるが、とはいえこの問題の理解は非常に浅いので何とも言えない。本書では、「中国系ディアスポラ(華僑)」と表記され、5000慢人という数字が挙げられ、「歴史の古い」(p.30)とされるが、この数字がどのくらいの歴史的期間で推計されたものかは分からない。そして「インド系ディアスポラ(印僑)」は3700万人とされる。本書ではその歴史の説明もないし、別の表現では「クーリー(苦力)」と表現されると思うが、その言葉も使われていない。なお、Wikipediaによれば、「苦力(クーリー、くりょく、タミル語: கூலி、英: coolie)は、19世紀から20世紀初頭にかけての、中国人・インド人を中心とするアジア系の移民、もしくは出稼ぎの労働者。」と説明されていて、比較的歴史の浅いものとされている。Wikipediaの参考文献では「ディアスポラ」とタイトルにあるものもあるので、私の理解が誤っているようだ。一冊くらい本格的な著書で学ぶ必要があるようだ。ともかく本書では、分布図が掲載されているので、それは頭に入れておきたい。なお、この単元の最後に、「トルコ、マグレブ地域、ロマ」についての若干の記述もある。続く単元は、留学生と頭脳流出、そして観光、巡礼、陽光を求めるシニアたち、という単元があるのも面白い。そして前半は環境移民で閉められている。
地域別の説明はヨーロッパから始まり、「世界のおもな移住先のひとつ」と表現される。ヨーロッパで移民の話と言えばEUのことを知らなければならず、その過程で定められたシェンゲン協定だが、協定を結んでいる国々のメンバーとEUのメンバーが完全に一致しているわけではないということは知らなかった。そして、この各論は国別の説明に入り、ドイツ、フランス、イギリスとアイルランド、地中海ヨーロッパ、東ヨーロッパ、ロシアとそれぞれの抱える事情が説明されている。
続いて、アラブ世界、アフリカ、アジアと移る。アラブ世界の説明で用いられている地図は、なぜかアラビア半島が一部しか含まれておらず、アフリカ大陸北半分とヨーロッパが入っている。中近東ということで別の単元があるので、ここでは移住というものが特定の地域単体の問題ではない、複雑な問題であることを意識させる。アフリカ大陸全体の難民送り出し国と受け入れ国の地図が掲載されているが、お互いに難民を出しているし受け入れてもいることが分かる。国内も地域によって安定している場所と不安定な場所があるのだろうか、この地図からは判断できない。また、東西南北それぞれ接している国との関係は異なることがよくわかる。中近東についてはクルド人やイスラム国など、国境を越えた存在が移民・難民にとって重要なので、国内の差異も意識した地図になっている。そして、トルコやイスラエルについても別単元として詳しく説明されている(データと地図は詳しいが文章はそれほどでもないのがやはりこの本全体を通じての印象で、残念ではある。)アジアについても、「中国、インド、パキスタン」、「東南アジア」と別れている。アジアにもロヒンギャという国境を越えた難民となる民族が説明される。それから、アジアで興味深いのは労働移民が本国にもたらす「仕送り」の存在だ。歴史的な移民の多くは、本国を捨て、文化や習慣は移住国でも維持するものの、本国との関係が希薄になる場合が多い。しかし、現代の東南アジアから排出される移民の多くは(日本で働く東南アジアの人々も典型的だが)本国に住む家族や親類に送金することがベースとなっている。
続いて南北アメリカ大陸とオーストラリアの章だが、「新世界――移住の地」と題されているのが興味深い。移民大国であるアメリカ合衆国については、まず全国の出身地分布が掲載されている。そして、今日の状況だが、「警察の暴力に対する抗議運動」の分布図が載っているのがすごい。今日の移民問題とは関連性は薄いと思うが、人種差別と移民排斥運動とは地続きだということか。同様に移民の国であるカナダは、英国のみならずフランスからの移民も多く、多文化主義の政策がとられていることでも知られ、また数的には思ったほど多くはないが、移民の受け入れもある国である。
続く中央アメリカもまさにコロンブスがたどり着いたという意味で移民の地域であると同時に、黒人奴隷貿易の中心でもあり、今日においても人の流れは絶えない。南米大陸の移民の流れも複雑で、経済発展も遂げながら貧富の差も激しく、移民の排出も受け入れもあり、隣国同士でも流れがあるという。オーストラリアについては、「世界の十字路にある歴史」(p.146)と表現される。ニュージーランドと人の流れの特徴は多少異なるが、よりよい住環境を求めて日本からの移住も少なくない。
最終章では、グローバル・シティの議論あり、アフリカの都市化の議論は非常に興味深い。日本の技能実習制度も基本的には二国間協定だといえるが、移民政策の主要なものとして二国間協定を挙げている。東南アジアの事例で登場した海外送金の問題も世界地図で示され、グローバルな現象として把握されている。移民政策は一つのガバナンスとして、気候危機もんだなどとともにグローバル規模で国際社会全体で取り組まなければならない課題であり、その一例として新型コロナウイルスのパンデミックの例も挙げられている。
なかなか説明文が不十分なところは否めないが、読者に対してボールが投げられたという感はある。読者は問題視式をもって、さらなる学びを進めていく必要があろう。

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