学問・資格

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編22)

Ren, X. (2017): “Aspirational Urbanism from Beijing to Rio de Janeiro: Olympic Cities in the Global South and Contradictions,” Journal of Urban Affairs 39 (7): 894-908.
要旨の冒頭から,「メガ・イベントに関する批判地理学的学究のほとんどは,略奪による蓄積の概念を採用している」という。「略奪による蓄積」とはハーヴェイの『ニュー・インペリアリズム』での有名な概念だが,この概念によって開発による立ち退きやジェントリフィケーションという負のレガシーを論じるのが定番であり,その状態を乗り越えようという試みであり,タイトルにある「熱望的アーバニズム」というキーワードを用いている。事例としては2008年北京大会と2016年リオデジャネイロ大会であり,以前に紹介したShin氏の論文と同様にグローバル・サウスの大会(中国は北半球だが)と位置付ける。熱望的アーバニズムはグローバルな熱望(グローバル・シティの一員になること)とローカルな現実(経済的不安定,不法居住の増殖など)のギャップを強調し,分析的視野を広げるものだと定義される。この観点においては,各都市の歴史的背景が重要で,オリンピック招致前後の都市マスタープランの変化とメガ・イベントの位置付けを辿っています。中国とブラジルの比較を通じ,国家の介入の度合いなども比較の対象になります。メイン・スタジアムの建設や開会式などさまざまな違いがあります。リオの場合は,ファベーラという都市における負の側面がありますが,近年においては外国人観光客の訪問地となったり,ファベーラの商品化も進んでいるといいます。北京の場合も城中村というインフォーマルな居住区があり,オリンピック関連開発に伴う立ち退きなどありましたが,それを覆い隠して一党支配の国家が強く介入してきれいな都市をグローバル社会に示す中国と,論文中では「脈動する民主主義」と表現され,負の側面もまるごとその都市の個性として表現するブラジルとで,メガ・イベントをめぐる,都市・国家のありかたの違いが出てくるわけです。

 

Sanchez, F. and Broudehoux, A-M. (2013): “Mega-events and Urban Regeneration in Rio de Janeiro: Planning in a State of Emergency,” International Journal of Urban Sustainable Development 5 (2): 132-153.
この論文はブラジルのフルミネンセ連邦大学の「グローバル化と首都」研究室,リオデジャネイロ連邦大学の「国家,労働,領域,自然」研究室という共同研究の成果の一部とのこと。リオについてはかなり論文を読んできましたが,1992年の環境サミットから,2007年のパンアメリカン大会,2010年世界都市フォーラム,2013年世界ユースデイ,2014FIFAワールドカップ,そして2016年オリンピック大会と数多くのイベントを開催している。そんな中で,再民主化といえる政治的変容や,都市政策のネオリベラル化などを経てきている。なお,この論文ではボイコフは引用されていませんが,クラインの「参事便乗型資本主義」やアガンベンの「例外主義」というボイコフと同じ参照を通じて,メガ・イベントに乗じた都市政策・開発のあり方を論じています。なお,2007年パンアメリカン大会における費用は過去最大で,かつ民間の投資額は20%にすぎなかったという。また,ワールドカップ開催時は,スタジアム周辺ではスポンサー企業以外の飲食物は排除された。読み終えてから少し時間が経過してしまい,長い論文なので,さーっと眺め返してみても,他の論文と違う論点があまり思い出せません。著者の一人Broudehouxはよく見る名前ではありますが,ちょっと残念。読んでいる時はもう少し得るものがあったような気もします。

 

Becerril, H. (2017): “Eviction and Housing Policy Evolution in Rio de Janeiro: An ANT Perspective,” Journal of Urban Affairs 39 (7): 939-952.
続いてリオデジャネイロの論文。こちらはロンドン大学で博士論文を取得したメキシコ大学の研究者によるもので,博士論文をもとにした論文。タイトルにあるように,アクターネットワーク理論(ANT)を援用してリオにおける立ち退きと住宅政策を論じたもの。こちらは,アクターネットワーク理論はともかくとして,住宅政策を政権の変化とともに丁寧にたどっているところに特徴がある。アクターネットワーク理論については,私がまだラトゥールを読んでいないこともあり,よく分からないこともありますが,公共政策文書(うまく訳せませんが,public policy InstrumentsPPIと略されています)の政治社会学にも依拠すると書かれています。セザール・マイア市長時代(1993-1996)にリオデジャネイロ市当局は住宅政策を作成し始めた。その時は新たな住宅建設よりもファベーラの都市化(インフラ整備=近代化ということか)を重視していた。住宅とは単なる住居ではなく,日照やインフラ,交通,教育,健康,余暇を含む都市構造の統合である,と1994年の市の文書に記載されている。ファベーラ対策重視の政策をFavela-Bairroと呼んでいた。このプログラムには建築家協会やファベーラの住民組織,建設会社などが関わり,銀行からの融資も受けていたようです。マイアの同胞であるコンデ市長時代(1997-2000)にもこの方針は継続した。2000年の市長選挙で,再びマイアが当選するが,この時代(2001-2004)に「新しい」住宅局長のアマラルによって,ファベーラの改良よりも住宅建設が重視されるようになった。それが州知事との対立をもたらす。この時期にファベーラにおける暴力や麻薬取引などが問題になり,立ち退きが論争の的になる。マイアの第三政権時代(2005-2008)には住宅局の予算が削減される。連邦政府のルーラ政権時代(2003-2010)の成長加速プログラム(PAC)は以前も紹介したことがありましたが,これが2007年で,リオデジャネイロのパエス市長時代(2009-2012)には,選挙時の公約に都市無秩序に抗する「秩序の衝撃」なるものがあったようで,やはりスラムの改良よりも住宅建設や立ち退きが優先される。2009年には2016年オリンピック大会のレガシー計画として住宅政策が重視された。さまざまな取り組みがなされたようですが,バス・ラピッド・トランジットやケーブルカーなどの建設に伴う立ち退きや移転などもありました。

 

Hiller, H. H. and Wanner, R. A. (2015): “The Psycho-social Impact of the Olympics as Urban Festival: A Leisure Perspective,” Leisure Studies 34 (6): 672-688.
英語圏のオリンピック研究のレビュー論文を『経済地理学年報』に投稿したものはすでに脱稿してしまいました。ヒラーの論文は以前から紹介していますが,この論文は共著者とともに,継続的に行われているもので,2010年バンクーバー大会に関する住民意識調査を論じた2011年の論文はしっかり読みましたが,この論文ともう一本はきちんと読まずに言及してしまった。ようやくきちんと読みました。今回は2010年バンクーバー大会と2012年ロンドン大会の比較ということになっています。バンクーバーでは自らしっかりと設計された調査をしているのに対し,ロンドンでは民間によるいくつかの調査がなされているようで,この論文ではそれらを利用しています。結果的には,開催が近づくにつれて住民の関心が高まり,ネガティブなものからポジティブなものン変化していくという有体のものですね。なので,この論文は調査結果の報告よりも後半の考察に力が入れられている。それは,ヒラーが1990年に書いた1988年カルガリー大会に関する論文で主張されていた,オリンピック大会が開催都市にもたらす正の側面を強調するものである。オリンピック大会は開催都市でのレジャーの時間と空間を拡大し,またその概念をも拡大する。また,ここではいわゆる日本ではパブリックビューイングと呼んでいる「live sites」にも言及している。私のレビュー調査ではオリンピック研究にパブリックビューイングを扱ったものがないと結論したが,どうやら英語圏ではありそうだ。この論文ではオリンピックの都市にもたらす正の側面をフェスティバルという概念でまとめている。この概念もお祭り騒ぎ的な意味では否定的にとられがちだが,賑わいや活性化という点では,やはり重要なんでしょうね。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編21)

Alberts, H. C. (2009): "Berlin's Failed Bid to Host the 2000 Summer Olympic Games: Urban Development and the Improvement of Sports Facilities," International Journal of Urban and Regional Research 33 (2): 502-516.
著者は米国の大学に所属する地理学者で、前にも紹介したが冬季オリンピックの大会後の施設利用に関する論文がある。名前からしてドイツ人かドイツ系であり、この論文ではドイツのベルリンが2000年夏季大会に立候補したことを事例としている。周知のとおり、2020年大会はシドニーで開催され、環境に配慮した大会として、成功事例ととらえられることが多い。開催都市が決定するのが7年までの1993年であるから、招致活動は1990年代に入ってすぐに行われる。私はこの大会にベルリンが立候補していたことすらきちんと考えたことがなかったが、ベルリンの壁が崩壊したのが198911月だから、その後ドイツ統一の動乱期に招致活動が行われていた。つまり,このオリンピック大会は,ベルリンの壁崩壊に象徴される冷戦の終焉,ドイツの統一を平和裏に祝うための大会と位置付けられた。しかし一方では,東西格差があったドイツで,あるいはベルリンで,円滑に統一を進めるための都市開発計画は規模が大きく時間もかかるため,オリンピック開催のような原動力が必要だった。実際の開催計画に当たっては,競技施設を東西ベルリンのどちらに配置するのかも議論された。最終的にはブランデンブルク門を中心とした半径10km以内に収めるというものだったが,2020年東京大会も一応選手村から8km以内といっているので,決してコンパクトとはいえない。また,この論文に書かれているわけではないが,東ドイツ時代はソ連についでステート・アマ方式(国家が金を出してエリート選手を育成する)でオリンピックでは多くのメダルを獲得していたことが影響しているのか,オリンピックはもちろん国際基準の競技施設が必要とされるが,一般人のスポーツ促進よりもエリート選手が優先された競技施設計画であった。結果的にこの招致活動は失敗する。理由としては統一ドイツの宣伝というには,時間が経ちすぎたというのも一つの原因と考えられる。しかし,ベルリンはこの招致活動で作成された開催計画に沿って,競技施設の整備をある程度進めている。表で示されたリストには5つの新設計画があり,そのうち3つは実現している。その他も近代化や拡張,転換などで既存施設の改修計画も8つ挙げられているが,そのうち1つが実現し,転換は実現されなかった。実際にそうしたことで,ベルリンは2006年サッカー・ワールドカップをはじめとして,2009年アスレティックス世界チャンピオンシップ,自転車や水泳などの国際大会を開催している。ただ,単一競技の国際大会とオリンピックが違うところは複数施設を同時に使うことであり,施設間を観客が移動する必要があり,公共交通の整備が必要となる。そういう意味でも,ベルリンの2000年までの開発は点的開発であり,それらを結ぶ有機的な開発にはならなかった。

 

Evans, G. (2014): Designing Legacy and the Legacy of Design: London 2012 and the Regeneration Games,” Environmental Design 18 (4): 353-366.
2012年ロンドン大会はIOCがレガシー概念を打ち出して招致された大会でしたが,開催決定後もロンドンはレガシー計画をかなり綿密にやったようです。この論文の著者は実際の開催計画にも専門家として参加したようです。しかし,かなり批判的な論調もあったりして,この論文自体のオリンピック大会に対する立場がよく分かりません。そして,2020年東京大会については,あまり開発業者が問題になりませんが,この論文では設計業者などが前半でかなり詳細に論じられています。オリンピック公園の計画図やゾーニング図,3Dパースなども掲載されています。計画図については,概念的なものから,GISを用いた正確で詳細なものになり,最終的には大スケールでマッキントッシュによるデザイン的なものが作成され実現にいたる。レガシー計画では2030年を見越していて,オリンピック公園は住宅や学校,健康施設や職場も含んだ複合的なものが計画されている。クリストファー・アレグザンダーの「生成的都市デザイン」も登場する。後半では持続可能性など環境への配慮についても議論されていますが,ちょっと今の私には難しいようです。

 

Grant, A. (201): “Mega-Events and Nationalism: The 2008 Olympic Torch Relay,” Geographical Review 104 (2): 192-208.
地理学の大学院生による論文。マイケル・カリーの名が謝辞の一番に挙がっていますが,内容的にはジョン・アグニューの指導のようで,地政学ということばが頻出します。2008年の聖火リレーについては,日本でも論じる人が複数いて(なかには中国人留学生のものもあります),中国の対チベット政策に反対して,世界各地を回る聖火リレーに対して抗議運動が行われた。そうした顛末を中国の歴史的な「国民的屈辱」という文脈で解釈しようとする。著者はこの期間中国に滞在したようで,中国の新聞の記事分析もしっかりとしています。2008年北京大会の聖火リレーに関する日本の研究は特に日本での出発点だった長野の善光寺の対応に議論が集中したり,断片的なものですが,この論文では,中国国内のルートやマスコットである「福娃(フーアー)」(論文中では「熊」と表記されているが,パンダを含む5種類の動物がモチーフらしい)にも言及し,多様性の中の国民の統一性のようなメッセージがある。また,チベット側のヒマラヤをも中国に属していることを主張しているようにリレーのコースに組み込む。一方で,台湾は海外ルートの一部として,ベトナムと香港の間に位置づけようとしたが,それはやめたらしい。また,これは私は理解が及ばなかったが,中国側の報道として「風刺的なユーモア」があったと論じている。まあ,ともかく2008年北京大会におけるナショナリズムの表象は,当時の地政学的な中国の位置のなかで解釈する必要があるというのがこの論文の趣旨かと思う。そしてアグニューなども既に中国の研究を手掛けているということが分かった。

 

Bason, T. and Grix, J. (2018): “Planning for Fail? Leveraging the Olympic Bid,” Marketing Intelligence & Planning 36 (1): 138-151.
この論文はオリンピック招致が開発都市のてこになる(leverage)かどうかということを,夏季大会が2016年と2020年,2024年,冬季大会が2018年と2022年に立候補した16都市を検討している。基本的には招致ファイルの内容分析であり,質的分析のソフトウェアNVivoを使用しているというが,そんなのあるんですね。てことしたい内容としては,スポーツへの参加,都市開発,グローバル知名度,ネットワーク化の4つが挙げられている。この辺のことは特定の大会に関する個別の研究でも論じられている内容ですが,この論文の特徴としては,それを16都市について横断的に論じていることと,招致に失敗した事例についても検討していて,しかもそうした研究がすでにけっこうあることを教えてくれることです。

 

Müller, M. (2011): “State Dirigism in Megaprojects: Governing the 2014 Winter Olympic in Sochi,” Environment and Planning A 43: 2091-2108.
dirigismとは統制経済政策とのこと。ミュラーの論文はかなり読みましたが,この論文はそのなかでも最初期のもの。掲載雑誌もそうですが,なんとなく地理学者らしい論文。ミュラーはメガ・イベント研究者ですが,この論文ではメガプロジェクトという言葉の方が多用されています。また,リスケーリングの議論も少し含まれていますね。2011年の論文ですから,対象である2014年ソチ大会の開催前の分析です。もちろん,どの大会も開催都市が主でありながらもある程度の国家の介入があります。しかし,ソチ大会の場合はロシア国家の介入が非常に大きい。これは知りませんでしたが,ソチという都市はリゾートとしてかなり前から開発されていて,観光地として開発されたわけですが,住民規模でも1980年代で30万人で,宿泊可能人数も8万人だそうです。オリンピックへの立候補は1998年大会から行っていましたが,交通インフラの不十分さでIOCに却下されていた。ともかく,2014年大会の開催を勝ち取ったわけですが,その開催計画の主導権はソチという都市ではなく,ロシア国家政府であった。2010年バンクーバー大会との興味深い比較表が載せられているが,バンクーバーの場合,必要な13施設のうち,新設は5つでしたが,ソチでは14施設すべてが新設だった。また,冬季大会としては初めて亜熱帯気候での開催であり,競技実施に関わる雪や氷の確保にも予算がかかる。ボイコフのソチ論文では,「祝賀資本主義」の特徴としての官民連携(PPP)が強調されていたが,ミュラーの解釈は少し違う。民間も開発に参加しているが,それは政府系銀行からの融資によるものだったり,特別な税制措置を受けたものだったり,官と民の境界は曖昧なものになっていると指摘する。そもそも官民連携という言葉を用いず,国家-企業関係と表現する。まさにそれが,論文表題にもある統制経済政策ということですね。そちでは,都市で開催されるイベントへの関与として,国家が一番大きく,グローバル企業がそれに次ぎ,開催都市政府は一番下,という意味でリスケーリングである。

 

Tomlinson, A. (1996): “Olympic Spectacle: Opening Ceremonies and Some Paradoxes of Globalization,” Media, Culture & Society 18: 583-602.
アラン・トムリンソンは『ファイブリングサーカス』(1984年)の編者であり,マカルーンと並んで以前から日本でも知られるオリンピック研究者。私が読む限り,英語文献で開会式を取り上げたものはあまりなかったが,この論文で多数言及されているように,1990年代まではそこそこあったようです。この論文では,1984年ロサンゼルス大会,1988年ソウル大会,1992年バルセロナ大会,1990年アルベールビル大会,1994年リレハンメル大会を事例に,オリンピックの開会式について包括的に論じた論文です。スポーツが消費社会のなかでますますグローバル化するなか,象徴的な意味合いを持つ開会式での表現は,地域,国家,超国家というさまざまなレベルが表現される。しかし,この論文には但し書きがあって,あくまでも著者の英国での文脈による,テレビ放映を鑑賞した分析であり,解釈である。1984年ロサンゼルス大会は当時の評論家の言葉を使えば「スピルバーグ的演出」であり,そのものがアメリカ的だが,特段米国のナショナリズムを表現するものではなく,また今日的なグローバルなものでもない。要はこの時代のグローバル化=アメリカナイゼーションといったところか。当時から自民族中心主義という批判はあった。1988年ソウル大会も,そういう意味ではまだナショナリスティックな表現は少なかったようだ。24回目の大会を強調するような演出で,欧米よりの表現であったようす。1992年バルセロナ大会については少し様子が変わってきて,古代の地中海文明におけるギリシアとバルセロナとの関係を演出し,カタロニア地方の都市であることを強調する。南アフリカのネルソン・マンデラが登場したり,旧ソ連の国々が独立国家として参加したり,湾岸戦争後のイラクとクウェートから参加したりと,希望にあふれた新しい世界が演出された。アルベールビルとリレハンメルについては,フランスとノルウェーという人権等に関する先進国であり,そうした普遍的な世界性が強調された。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編20)

Ponsford, I. F. (2011): “Actualizing Environmental Sustainability at Vancouver 2010 Venues,” International Journal of Event and Festival Management 2 (2): 184-196.
こちらも地理学者による論文で,2010年バンクーバー大会を扱っています。環境的な持続可能性がタイトルに挙がっていますが,環境地理学的な視点を有する貴重な論文かもしれません。前半は組織の話で人文地理学的ですが,後半は冬季大会の施設建設だけでなく,競技開催や施設の維持管理という点でも環境への負荷があるという議論をしています。前に紹介したChappelet2008)でも冬季大会の環境への負荷は,開催が山岳リゾートから都市へと移行するのに伴って,氷が自然状態で作られない温度とか,雪が必要量降らないとかの問題が指摘されていましたが,氷や雪を維持するために塩を使ったりしますが,それが環境への負荷になります。バンクーバー大会では組織委員会内に,環境管理チーム(EMT)を設置し,環境への影響を監視します。単に施設が建設されるとか,大会後に利用がなくなるというこれまでの観点ではなく,施設のライフサイクルを考慮した上での環境への配慮,そして大会実行時に排出される廃棄物も含めて,広い観点から考察されています。

 

Liao, H. and Pitts, A. (2006): “A Brief Historical Review of Olympic Urbanization,” The International Journal of the History of Sport 23 (7): 1232-1252.
以前にもPitts and Liao2013)という同じ著者たちの論文を紹介しましたが,この2006年の論文は引用されることが多く,論文投稿に間に合わせて読んでおいてよかったと思う内容でした。とはいえ,タイトル通りオリンピック大会の歴史を概観するものです。まあ,Essex and Chalkleyの論文とどこが違うかと問われると困りますが,都市がオリンピックによって,「オリンピック都市」化するという議論は面白いですね。そして,都市内における競技施設の分布の類型をしており,Kasens-Noor2016)や白井(2017)と同じような試みで,地理学的です。1964年東京大会は「都市内多角配置」という分類で,1980年モスクワ大会と1992年バルセロナ大会と同じ区分です。

 

Dickson, T. J., Benson, A. M. and Blackman, D. A. (2011): “Developing a Framework for Evaluating Olympic and Paralympic Legacies,” Journal of Sport & Tourism 16 (4): 285-302.
この論文は,Preuss2007)が提示した「レガシー・キューブ」の考え方を発展させ,その概念的なものをより具体的に,測定可能なものを提示しようとした試みです。まず,オリンピックのレガシー研究を1986年から辿っています。確かに,IOC自体がレガシーを主張するのは1990年代ですが,オリンピック研究論文ではけっこう古くから使われている概念です。27もの論文を検討しています。2008年には『スポーツ史国際雑誌』で特集が組まれ,6本の論文が寄稿され,そのうちの1本はPreussGrattonと書いた共著論文です。レガシー研究の多くは夏季オリンピック大会を対象としており,冬季大会が少なく,パラリンピック大会については1つしかないといいます。しかし,レガシーで批判的に論じられるのは冬季大会が大きく,また広い意味での社会にレガシーを残す可能性を有するのはバリアフリー,ユニバーサルデザイン,インクルーシブなどの意味でパラリンピックによるものだといえます。それはさておき,この論文では,エクセルでも作成機能がある「レーダー・チャート」でレガシーを数値化する試みです。それを「レガシー・レーダー・フレイムワーク」と呼び,図化されたものを「レガシー・レーダー・ダイアグラム」と呼んでいます。6つの評価項目に対してリッカート尺度を用いて05までの評価点を付けます。ただ,このダイアグラムは個々の施設ごとに作成されるものではなく,インフラストラクチュアや都市再生,社会資本といったレガシーの種類ごとに作成されるものとして例が示されています。つまり,数値で計測する手法とは言え,非常に複雑で,レガシーの複雑さを表現したものにすぎません。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編19)

Brown, L. A. and Cresciani, M. (201): "Adaptable Design in Olympic Construction," International Journal of Building Pathology and Adaptation 35 (4): 397-416.
オリンピック競技施設の大会後の利用を論じたものはそこそこあるが、この論文は建築物のスケールで、持続可能性や適応性(adaptability)の観点から論じている。最後の方で、あくまでもヨーロッパで開催された大会に限定すると書いているが、事例としては2012年ロンドン大会の水泳競技施設(ロンドン・アクアティクス・センター)と室内自転車競技施設(リー・バレー・ヴェロドローム)、および1960年ローマ大会のパラツェット・デロ・スポルトとパラッツォ・デロ・スポルト(名前が似ていて区別がつかない)の合計4施設。2012年ロンドン大会では、新設する施設であっても、オリンピックに必要な座席は仮設にし、大会終了後は取り外して収容人数を減らすということをやっていた。この水泳競技施設も、最大は17,500人を収容したが、仮設撤去後は2,500人となっている。各競技について、いつからオリンピックの種目になったのかという詳しい説明があり、自転車に関しても、いつからどのような理由で室内施設となったのかが説明される。その一方で、大会後どのように適応性を高める工夫がなされたのかについては分かりやすくは説明されていない。この自転車施設に関しては、建築構造的に、室内空間が48のコラムに分割できるということで市民の要求にあった形での利用がされるようだ。しかし、その改修には総額1億ポンドかかるとかかれていたりする。1960年ローマ大会は57年前の大会だが、掲載された施設内部の写真を見る限り、美しい建築物である。オリンピック村の近くに建設されたパラツェット・デロ・スポルトは、選手たちのトレーニング・ジムとして利用された。採光に関して難点もあった建築のようだが、現代建築の遺産と位置付けられる。パラッツォ・デロ・スポルトは現在はポップやロックの音楽コンサートとしても利用されるような多目的施設となっている。こちらも夏場の室内気温が問題であり、ガラス張りのファサードに赤外線防止シートが貼られた。ヨーロッパでは2014年に「ヨーロッパ・アリーナ協会」なる組織が作られ、おそらく全ヨーロッパ・ツアーを行うようなアーティストのために各国で会場を提供するようなものだと思うが、この施設もそこに属しているとのこと。最後に、さらなる研究として、ヨーロッパで開催されたオリンピック大会のデータを収集するような計画が書かれています。

 

Chappelet, J-L. (2008): "Olympic Environmental Concerns as a Legacy of the Winter Games," The International Journal of History of Sport 25 (4): 1884-1902.
著者はスイスの行政学の研究者で、フランス語のオリンピック本も何冊か出している。この論文は環境の観点から、オリンピック冬季大会の歴史を概観したもの。第1回の冬季大会は1924年のフランス、シャモニーで開催された。はじめの40年間は1932年の米国レイクプラシッドでの開催はあるが、スイスやドイツ、いずれもヨーロッパ・アルプスで行われている。持続可能性という点では、現代の見本になるようなもので、今日では迷惑施設になりつつある、ボブスレーやルージュなどの競技は氷を固めただけのコースで行われていた。米国レイププラシッドで開催された1932年大会は初めて環境問題が生じた大会だとされている。国立公園内を開発するための法律を整備し、地元の活動団体が建設反対運動を行った。1936年の夏季大会は悪名高きベルリン大会だが、同年に同国で開催された1936年ガルミッシュ=パルテンキルヒェン大会も巨大な施設をつくったという。1928年のサンモリッツは、1948年大会も開催しており、既存の施設を利用している。ただ、その後は徐々に山岳リゾート地から、都市での開催が出てくる。それは冬季大会もが規模を拡大してきたことによるものであり、IOCも規模の大きな都市を選ぶようになってくる。この時期の最後の大会である、1968年グルノーブル大会では、施設上の問題がいくつか生じてくる。ボブスレー会場が日照の問題で、競技が夜間に行われたり、ジャンプ会場が強風にさらされ、トレーニングが中止になったり。その他いくつかの施設では標高が低いために、氷や雪が確保できなかったりした。
1970
年代から1980年代は政治生態学的な問題が生じる。1970年代には日本も公害問題が深刻化したが、ローマ・クラブによる1972年の『成長の限界』が出された。ちょうどその都市の1972年札幌大会は、招致活動の主要人物がボブスレー選手であり、Hokkaidou Comprehensive Development Instituteなる組織の長だった人物だという。札幌はさまざまなインフラ整備で利益を得ていたといい、選手村から35km圏内に施設を収めたコンパクトな大会だった。この頃からボブスレー施設は人工物となり,「白い巨象」となりつつあります。1980年レイクプラシッド大会では,ジャーナリストによる環境に関する明晰な分析なども発表され,オリンピックと環境の関係について,関心が高まります。1984年サラエボ大会は冬季大会の社会主義国初の開催になりますが,政治的問題も加わってきます。1990年代になると,IOC自体が持続可能性などを主張するようになり,大会開催都市に環境への配慮を求めるようになる。そういった意味でも1994年のリレハンメル大会はグリーンな大会をめざした最初のものになります。1998年長野大会の記述もあります。子どもの参加(動員?),平和,友好のプロモーションが前面に押し出された。ボランティアの制服などでリサイクル材が用いられた。2000年以降の大会では,より環境の主張が強くなる。2006年トリノ大会では委員会がISO14001を取得するなど,環境基準が進展しますが,2014年ソチ大会では後退したといいます。

 

Chen, Y. Qu, L. and Spaans, M. (2013) :"Framing the Long-Term Impact of Mega-Event Strategies on the Development of Olympic Host Cities," Planning, Practice & Research 28 (3): 340-359.
オランダの建築分野の研究者によるもの。けっこうオーソドックスなオリンピックの都市へのインパクト研究。そして、批判的な視点というよりは成功事例を選んでいるところが、社会学や地理学の研究者とは異なるのかもしれない。ということで、1992年バルセロナ大会と2000年シドニー大会が対象。標題に長期的インパクトとあるように、メガイベントによる社会へのインパクトをいくつかの軸で捉えています。一時的-永続的、直接-関節、短期-長期、単一の結果-多元的な結果。バルセロナは開催が決まった当時、経済的な危機に陥っていたという。危機からの回復のために、オリンピック開催を活用し、都市イメージも改善するという目標を立てている。結果的に、1992年バルセロナ大会は、後に「バルセロナ・モデル」といわれるように、成功事例として捉えられ、もう27年が経過していますが、国際的な観光都市として、近年の京都のように、観光客であふれていることが問題視されているくらいである。バルセロナではよく知られるように、市内に競技施設を4箇所に分散させた。オリンピック村の建設は荒廃した湾岸の工業地帯を活用したものだった。公共と民間の提携により開発は行われ、1980年代後半には東京の湾岸でもよくやられましたが、ポストモダンのこじゃれた建築物がウォーターフロント再開発の象徴になっています。もちろん負のインパクトについても記されていて、特にそれは住宅であり、貧しい人向けの住宅が不足したということ。また、この時代にはまだ環境への配慮という点では足りないところが多く、またそうした少数の反対意見を吸い上げるようなことはなかった。

 

Smith, C. J. and Himmelfard, K. M. G. (2007): “Restructuring Beijing’s Social Space: Observations on the Olympic Games in 2008,” Eurasian Geography and Economics 48 (5): 543-554.
この論文は2008年北京大会を取り上げていますが,どうやらこの雑誌での特集のようです。同じ号に掲載されたFeng, Jian, Yixing, Logan and Wu4人による「北京の社会空間の再構築」というタイトルの論文に対する「アメリカ人地理学者によるコメント」といっています。この4人は表記から見るに中国人かそれに近い人々です。読んでいないのにいい加減なことはかけませんが,日本語で読んだオリンピック論文でも,中国人が北京大会について書いたものは,やはり中国以外のメディアがこぞって北京大会を批判するのに対し,それを擁護するようなものが多い印象がありました。なかには,近代ヨーロッパを基礎とする近代オリンピック思想に対し,そろそろそれとは違ったし思想を加えて転回させる必要があるというもっともな主張もあった。おそらく,Feng, Jian, Yixing, Logan and Wuによる論文は北京大会の成功と北京という都市にもたらした恩恵を強調していたと思われ,Smith and Himmelfardによるこの論文は北京大会の負の側面を強調しようとするものだと思われる。とはいえ,住民の移転や立ち退きに関してはCOHREによる調査に依拠していたり,この2人は本格的にオリンピック研究をしているわけでもなさそうです。ともかく,大気汚染をはじめとする環境問題,公共交通を含めたインフラストラクチュア,そして移転と立ち退きという3点から,北京大会がもたらした負の側面を論じています。

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オリンピック,メガイベント関連文献(翻訳論文編2)

ボイコフ, J.著,鈴木直文訳(2016):反オリンピック,(所収 小笠原博毅・山本敦久編『反東京オリンピック宣言』航思社:133-156).Boykoff, J. (2011b): “The Anti-Olympics,” New Left Review 67: 41-59.
ボイコフの文章で初めて読んだもの。再読しました。2010年バンクーバー大会の話ですが,冒頭ではオリンピックのために作られた特別条例に講義するサイトスペシフィックアートが紹介されています。この条例はなんと,オリンピックの祝祭的雰囲気に反するプラカード,ポスター,横断幕を禁止するものだという。「国際オリンピック委員会(IOC)は多国籍企業ともグローバル機関ともつかない存在になっていて,国家機関,国際機関,各スポーツ連盟,スポンサー企業の結合した巨大な構造のど真ん中に腰を据える」(p.135)という。クーベルタンを社会進化論者だといい,差別的発言を引用する。IOC会長だったブランテージは「シカゴの不動産王」(p.136),サマランチはファランヘ党員であり,フランコ主義者だという。バンクーバー大会では,多くの反オリンピック運動が起きた。この論文で挙げられているものはオリンピックのみに反対している団体とは限らないが,「ノーゲームズ2010連合No Games 2010 Coalition」「コミュニティへのインパクト連合Impact on Community Coalition」「誰も違法ではないNo One Is Illegal」「反貧困委員会Anti-Poverty Committee」「正義の流れStreams of Justice」「女性の力グループPower of Women Group」「盗まれたネイティブの土地でオリンピックを許すなNo 2010 Olympics on Stolen Native Land」「ヴァン・アクト!Van.Act!」「ネイティブ若者運動Native Youth Movement」,こうした団体が「オリンピック抵抗ネットワークOlympic Resistance Network」を形成したという。抵抗の対義語は支配だから,抵抗された主催者側は支配者然としなければならない。ということで,かれらを取り締まる警備体制が強化される。『ファイブ・リング・サーカス』といえば,トムリンソンとファネルによる翻訳された著書ですが,同じタイトルの著書を持つオリンピック批評家,クリストファー・ショーがしつこい嫌がらせを受けたことが記されています。反対運動の面白い事例として写真付きで説明されているのは「オリンピック・テント村」です。やはり活動の拠点があるのは大きい。先ほどの「反貧困委員会」はかなり過激なデモを行ったようで,こちらも写真付きで紹介されていますが,こうした支配-抵抗関係の抵抗側の複数の活動団体が連合を組む時の注意点も論じられています。お互い立場も主張も違うわけですが,やはり仲違いをしてはいけません。また,バンクーバーでは反対運動のなかからメディア自体も生まれ,メディアを通じた活動というのも面白い。

 

コーエン, P.著,小美濃 彰・友常 勉訳(2016):ありがとう,でももう結構―オリンピック協約の贈与と負債―,(所収 小笠原博毅・山本敦久編『反東京オリンピック宣言』航思社:162-210).Cohen, P. (2013): “Thanks But No Thanks: Gift and Debt in the Olympic Compact,” In Choen, P. : On the Wrong Side of the Track?: East London and the Past Olympics, London: Lawrence and Wishart.
訳者による解説によると,著者は文化地理学者だという。残念ながら,私は知らない。この文章は『トラックの裏側?』というタイトルの著書の1章だという。かなりの分量で,内容的にもあまり地理学者らしくはない。人類学者マルセル・モースをはじめとする贈与論の観点から,2012年ロンドン大会を素材にオリンピックに関して議論したもの。冒頭に,2012年大会の開催都市がロンドンに決定した際の組織委員(招致委員?)が発した言葉が「ありがとう,ロンドン」であったというのが,タイトルの由来。オリンピック競技大会の主催者側がその開催都市の住民に対して例を言う。このことの意味を深く問い詰める論文。オリンピック大会の招致競争において,開催都市の住民の支持率が大きな影響力を持つとはよく言われるが,支持してくれたことに対する礼ということが一つある。支持率に応えるべく主催者側は素晴らしい大会(祝祭)を市民に提供する。こうした象徴交換や,実際に税金を費やして開催するこの祝祭によって,雇用創出などの経済効果をもたらすといえば,実際の貨幣交換が行われる。そして,それだけではなく,ここで問われるのが「モラル・エコノミー」だという。「対等な者同士の相互的な贈与関係」であり,「双方に負債を生じさせて友好や協約を固める」(p.165)ことだという。中盤ではボランティアの話もあります。ボランティアの精神とはもともとはキリスト教の施しの精神と類似したものだという。施しとは感謝するものにしか与えられないという指摘が非常に興味深い。イスラームの聖典コーランにも「施しは貧民のみ,それ以外は交換である」(p.177)とあるらしい。「贈与交換と慣習的なコミュニズムのモラル・エコノミーが,今日の資本主義とその債務危機を救済するために動員される」(p.179)。新自由主義化した現在の「グリーン資本主義,倫理的な経営文化の展開,企業の社会的責任の明記,厚生経済など」において,「商品があたかも贈与品のように取り扱われ,贈与品が商品のように扱われる」(p.180)。オリンピックで叫ばれる「レガシー」は相続として論じられる。相続とは血のつながりだけで与えられる贈与だが,良く知られるように相続をめぐってさまざまな問題が生じる。遺産の相続だけでなく,負債も相続されるのはオリンピックと一緒だ。終盤でようやく2020年ロンドン大会の分析に入っていく。まずは市場イデオロギーについて。競争原理の資本主義経済はオリンピック競技大会で戦われる「勝者がすべて」という規範と価値観の参照モデルになっているという。2012年大会では,レガシー評価委員会なるものも設置して,大会後のレガシーを評価している。それに関しては,日本では金子氏による研究があり,また阿部 潔もレガシーとは偶有性がなせる業であり,それを事前に計画することは意味がないといっているが,この論文でも同様にレガシー評価の無意味さを指摘する。ともかく,読み直してみるとなかなか本質的な議論が多く,この文章が収録された本自体を読む必要を感じた。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編18)

Allen, J. and Cochrane, A. (2014): "The Urban Unbound: London's Politics and the 2012 Olympic Games," International Journal of Urban and Regional Research 38 (5): 1609-1624.
オリンピックに関連する都市再生事業には民間企業を含め、さまざまな組織が関わっているため、オリンピックの効果は都市内で収まるものではなく、境界を越えていく、ということが主題のようだ。2012年ロンドン・オリンピック大会を事例としながらも、具体的な説明と同じくらい、学術的な議論が展開されているため、なかなか論旨がつかみにくい。ハーヴェイやマッシィのような地理学者による場所論を用いながらも、コックスのスケールや領域性の議論も展開している。オリンピック開発に関わるさまざまな組織について説明がある。米国ワシントンのアナコスティア川のウォーターフロント再生事業を手掛けた人物や、シドニーのオリンピック公園開発に携わった人物などが、イースト・ロンドンのオリンピック開発に関わっているという。なお、このオーストラリアの会社レンドリース(Lend Lease)は日本法人もあるらしい。
http://www.lljpn.com/index.html
イースト・ロンドンでは住民の転居が行われ、選手村建設のために住居は取り壊された。その選手村は、カタール資本の不動産に売却される。こうした事例は近年の場所論で説明される。アッシュ・アミンの議論も登場するが、領域的な場所ではなく、政治的影響力が移動可能な形式のネットワークとして、結びつきの政治という状況を呈する。バスケットボールのトレーニングセンターはODAOlympic Delivery Authority)によってレイトン湿地に計画され、「レイトン湿地を救う」という団体が反対キャンペーンを行っている。他にも芸術を用いた抵抗運動が行われていたようです。また、アートを中心とした活動も、オリンピック開催時期に実践されていたようです。とはいえ、アンチ五輪という運動というよりは、オリンピックとともに日常生活を送るというようなメッセージのようです。Wikipediaで調べると1996年に設立された市民団体「London Citizens(現在はCitizens UKに改称)」の活動も紹介されています。この団体はODAとの取り決めで、契約者には労働者に対してロンドン生活水準賃金(LLW)を約束させた。また、この団体が活動支援をしているイースト・ロンドン土地トラストという団体も設立し、イングランドで初めての都市共同体の土地トラスト組織だという。まあ、そんな感じで2012年ロンドン大会をめぐっては、開催側もさまざまな組織をアウトソーシングして、また草の根市民グループもいくつかあり、交渉を行うことで自らの権利を主張している。そうした組織・団体はさまざまな規模で、ルーツを持ち、領域的な行政区画の政策に限定されない、スケール横断的な政治が行われる。

 

Ivester, S. (2017): "Removal, Resistance and the Right to the Olympic City: The Case of Vila Autodromo in Rio de Janeiro," Journal of Urban Affairs 39 (7): 970-985.
米国の社会学者による、2016年リオデジャネイロ大会のファベーラの移転を扱った論文。タイトルにあるように、ルフェーヴルの「都市への権利」概念を中心とする考察。とはいえ、ルフェーヴル自体の文献は引用がなく、近年の地理学・社会学の文献を参照しています。私はちょっと前にルフェーヴルの『都市への権利』を読み直し、またハーヴェイによる「都市への権利」論が掲載された『反乱する都市』も読んでみたが、正直言ってこの概念は理解できていない。しかし、この論文では非常に分かりやすくこの概念を定義している。つまり、「都市生活を楽しむ権利、この権利の定義において空間の使用の重要性を強調すること。この権利の基礎と表現としての自己管理」、また「都市への権利は都市居住者の二つの原則的な権利、すなわち参加participationの権利と専有appropriationの権利を含むように洗練される」(p.972)とある。こんな常識的な定義がルフェーヴルのいわんとすることなのだろうか。とはいえ、リオデジャネイロ大会に関する議論は非常に興味深い。中盤では反オリンピック運動の事例がいくつか紹介される。そして、リオデジャネイロの説明に入るが、数あるファベーラのうち、この論文ではヴィラ・アウトドローモが選ばれている。まずは、ここの歴史が概観される。市の西部、ちょっと内陸に入るが、湖畔にある地区。この地区を含むバーハ・デ・チジューカという地域は、1980年代から中流階級のための高層住宅が建設され、レジャー施設や商業施設が開発され、2000年から2010年の間にも人口は倍増している。一方で、低所得者向けの住宅は無視され、低所得者たちは未利用地に勝手に自らのコミュニティを建設した。当初、この地域の建設に関わる労働者も含む低所得者たちは、長距離をバスによって通勤していたが、そのうち近くに住み着くようになり、その後家族を呼び寄せる。ヴィラ・アウトドローモは湖岸にあり、1970年にはF1のサーキットが建設されるが、その周囲に作られたファベーラである。建設労働者やブラジル北部からの移住者によるコミュニティが建設される。元々は湖の漁民たちによるコミュニティがあり、それは1987年に組織化され、コミュニティ内には自動車修理工場やバー、大工、美容室、小さなレストランなどもあった。リオの他のファベーラとはかなり異なっている。1980年代にはこの辺りに音楽フェスを開催する「Rock in Rio」なる施設もあり、にぎわっていたという。1993年からは段階的にこのファベーラの撤去が進み、2007年のパンアメリカン大会、そして2016年にはオリンピック公園として開発されるようになる。住民の組合は市役所の前で抗議活動をするなどし始める。2009年には新しい市長がヴィラ・アウトドローモを含む123のファベーラを撤去することを決める。行政は英国の建築会社にオリンピック公園の設計を委託する。2010年になると、ヴィラ・アウトドローモの地区はメディア・センターとオリンピック・トレーニング・センターになると説明される。その行政による計画(city's plan)に対抗するように、住民たちは近隣の大学の専門家に依頼し、民衆の計画(Popular Plan)を作成する。それによれば、市の計画が全世帯の移住を要求するのに対し、500世帯が残留し、82世帯だけの移住によって成立するという。移住にかかる費用に関しても、市の計画が1世帯当たり63,000レアル(約216万円)であるのに対し、民衆の計画では500万レアルと80倍の金額が試算される。この計画は英国やドイツの大学で受賞し、賞金も得ている。その賞金の一部を住民の声を伝える報道に用いたという。結局、この計画は採用されず、移転を強いられた住民には以前より狭い住居が与えられ、コミュニティは分断された。ほとんどが移転したとはいえ,在留した20世帯については建て替えられた新しい住宅が同じ地で提供された。元々500世帯がひしめき合っていた土地に50戸の住宅である(30世帯はどこから来たのかは不明)。

 

Fussey, P. (2015): "Command, Control and Contestation: Negotiating Security at the London 2012 Olympics," Geographical Journal 181 (3): 212-223.
Fusseyは以前紹介したCoaffeeとともに、ゴールド夫妻『オリンピック都市』に「セキュリティ」を執筆している社会学者。この号の『Geographical Journal』は「メガ・イベントのセキュリティ化」という特集を組んでいる。Coaffeeと同様に2012年ロンドン大会を扱っていている。民族学的調査と40人のセキュリティ専門家に対する半構造インタビューと20人のセキュリティ計画者への追加インタビューから構成される。主に、フーコーの議論に依拠しているが、なかなかすっきりと理解できない。ロンドン大会直前の反対運動と逮捕者の事実がいくつか示される。オリンピック村建設に伴って破壊されたクレイズ・レーン地区の住民や、以前にも別の文献で出てきたバスケットボール・トレーニングセンターの開発地となった湿地における「レイトン湿地を守る」などの活動家、開会式前日の182人のサイクリストが参加した「クリティカル・マス」(自転車を使ったデモ行進のようなもの?)でも大量の逮捕者が出たとのこと。アディダスの低金銀労働に抗議するためのメッセージを集合住宅の壁に投影したりと、さまざまな反対運動が展開され、警察がそれらを取り締まる。オリンピックのセキュリティをカフカの『城』になぞらえて、何が起こるか分からないものに最大限の備えをすることの愚かしさが示されます。
主要なターミナル駅から競技施設までの「グレー空間」についても論じられます。ターミナル駅や空港などはイベントでなくても警備対象で、イベント施設はまたそうですが、その間をつなぐ経路でもセキュリティは重要ですね。と、ここまでわかったように書いていますが、正直言って久し振りに知らない単語の多かった論文。最後にはG4Sという民間の警備会社(といっても日本の警備会社を想像してはいけないかもしれません。最近は軍事的なものまで民間委託される時代ですから)の不備について書かれているが、詳細は不明。ただ、「ほとんどの警備員はオリンピックにはかかわりたくないといっている」(p.221)という従業員のインタビューはなんとなく納得。結論でも書かれていますが、「警備と監視の実践は、場所の偶有性に形付けられ、また形付ける」(p.222)というように、状況によって要求される警備の量や質が、契約後に変更されるようだ。

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オリンピック,メガイベント関連文献(日本語編3)

稲葉奈々子(2015):東京オリンピックと都営霞が丘アパート.寄せ場 27: 61-75
国立競技場の南側に約300戸の霞が丘都営アパートがある。戦前からある「旧霞」と1947年に建設された「新霞」とがあり,いずれも1964年東京オリンピックの際に,新しく建て替えられた都営アパートへの住み替えか,建て替え時の移転かをさせられた。2013年にオリンピックの開催地が東京に決まるが,それ以前に2019年ラグビーのワールドカップに向けて,国立競技場の建て替えが決まっていたようで,この霞が丘都営アパートの住民には20127月の時点で移転の通知がなされている。その後,2013年にオリンピックの開催が決定し,住民に対して新宿区内のいくつかの都営アパートが移転先として提示されたが,論文執筆当時当時約230世帯が住んでおり,2013年の早期移転に100世帯が応じたという。201411月には東京都住宅局が移転の説明会や「意向調査」を行った。自治会の合意をもって全住民の合意とし,移転計画が進行する。20152月には移転を希望しない住民有志が都に要望書を提出する。
この論文は,著者が20146月に住民に対して行ったアンケートの結果と,アンケート回答者のうち,インタビューに応じた10名の方のライフストーリーが説明される。アンケートはポストが閉鎖されていたもの以外への全戸に投函され,43世帯の回答を得ており,回答率は24.7%とされている。このアパートは2DKの間取りでほとんどの世帯が高齢の夫婦世帯か一人世帯かである。移転を促された別の都営アパートは1DKが多く,荷物を処分しなくてはならないことや,そもそも高齢で引っ越し作業や新しい土地での生活の不安などが転居をとどまらせる大きな要因であった。また,ライフストーリーの聞き取りからは5080年間その土地で暮らしてきたことから生じるふるさと意識が大きいとされている。この論文で引用されているいくつかのインタビューは「反五輪の会」が行ったもののようだ。そして,都が行った意向調査には「転居しない」という選択肢はなく,また当時の舛添知事の定例記者会見での応答など,不誠実な対応もかれらに怒りと憤りを感じさせたという。なお,現在アパートは取り壊されている。

 

阿部 潔(2001):スポーツ・イベントと「ナショナルなもの」――長野オリンピック開会式における「日本らしさ」の表象.関西学院大学社会学部紀要 9086-97
まず,メディア研究者である著者はオリンピックをメディア・イベントとして捉え,自らの研究テーマの一つであるナショナリズムに関して論じる,というのが大きな目的である。対象は1998年長野大会の開会式であるが,開会式のテレビ放映を詳細に検討するようなメディア研究ではない。開会式はどういうものであったのかという事実を前提とし,それをめぐっての,主催者側の発言,開会式を批判するさまざまな人の意見(それらは各種雑誌などで発言され,メディアであるとはいえる)を検討し,開会式で表現される記号内容を検討するというもの。ある意味,古典的な記号論的メディア分析といえよう。近代オリンピックの始まりからして,世界中の多くの人が参加し,国対抗で競技が行われるという意味で,コスモポリタニズムとナショナリズムが共存しているのがオリンピック。開会式においても,それは新旧大会でいわれてきたことだ。まあ,それを1998年長野大会の各論として,日本のナショナリズムとして例証したのがこの論文。開会式のプロデュース側も,それを批判する論者も,結局日本のナショナリズムを否定するよりも擁護しているところは同じであるということを確認し,グローバル化によってナショナリズムが消滅するというかつての幻想を否定するという,ありがちな結論にはなっていますが,こういう基礎的な研究は必要です。

 

阿部 潔(2016b):先取りされた未来の憂鬱――東京2020年オリンピックとレガシー.小笠原博毅・山本敦久編 『反東京オリンピック宣言』航思社,40-58
阿部は同じ年に所属する大学の紀要に書いた論文タイトルを「東京オリンピック研究序説」としているように,2020年東京オリンピックに関する研究を着実に進めている。この論文では副題にあるように,組織委員会が2016年に公表している「アクション&レガシー・プラン中間報告書」を丹念に分析している。この中間報告書では,1964年東京大会のレガシーだけではなく,返上・中止になった1940年大会にも触れているという。1940年大会については戦時期のことでもあり,研究では批判的に語られ,公的にはあまり言及されていなかったが,ここにきて,戦争の記憶を消し去ったうえで,來田も指摘しているように,3つの大会に共通する「復興」というスローガンのみが,2020年大会との連続性のために利用されている。これを阿部は「歴史認識・解釈の修正主義」と呼ぶ。1964年大会についても,その過度な開発・高度成長に伴って生じた負の遺産である「公害」には全く触れないという。この中間報告には①スポーツ・健康,②街づくり・持続可能性,③文化・教育,④経済・テクノロジー,⑤復興・オールジャパン,世界への発信,の5本柱がある。それらには政策的な目標があり,①医療費の削減,②エネルギー・観光負荷の抑制,③ナショナリズムの高揚,④セキュリティ技術を通じたテクノ・ナショナリズム,⑤総動員体制,日本の観光資源化。当然,こうしたプラン=計画は市民参加的なものではなく,政府主導のものである。とはいえ,スポーツや文化を盾とすることで,戦時下のような国民への政治的強制ではなく,国民が自ら楽しみをもって自主的に参画するものであることが演出されている。しかし,その達成するところは経済的なものが主である。ここにも阿部はやはりナショナリズムの変容を読み取っている。最後にレガシー概念の語源を示す。この語はもともと「宗教的な権威と使命のもとに派遣された人物(特使)が,その赴任地において果たすべき営為(ミッション)であった」(p.55)という。最後に長くなるが,著者なりの本書表題に関わる引用をしておこう。「2020年東京オリンピックに向けて作り上げられるレガシーは,あらかじめ「先取りされた未来」の姿を描き出そうとする。だが,偶有性に満ち,不確実でもある「社会」を自ら引き受ける勇気を持ち続けようとするならば,私たちはレガシーに潜む暴力に抗い,それを断固として拒否する意思と自由を示さねばならない」(p.58)。

 

西山哲郎(2015):範例的メディアイベントとしての2020 東京オリンピック・パラリンピック大会の行方について.マス・コミュニケーション研究 86: 3-17
冒頭でまず,1964年東京大会が,テレビ時代の到来を早め,国民のほぼ全員に同じ映像体験を提供したことに成功したメディアイベントだったとする。そして,2020年までに生じている「長期的な情報空間の変化」(p.4)に目を向けるべきだという。中盤では,2020年東京大会の問題をうんぬん語り,2012年ロンドン大会が模範例になるだろうという。一例として自転車文化の活性化を挙げている。日本選手の障がい者スポーツでの活躍を論じ,「そういう意味で「国威高揚」ができるなら,2020東京オリンピック・パラリンピック大会は,真の意味で豊かな社会を日本に実現する機会として利用できるだろう。」(p.10)と書いているが,その真意が読み取れない。メディアコンテンツの話は「最後に」とされてしまう。メディアイベントにおける歴史的な新聞社の役割を指摘し,テレビ時代には広告代理店が,インターネットとスマートフォンの時代にはどうなるのか。リアルタイム性を議論している途中で,なぜかオリンピックの放映権料の話が挿入され,テレビ以外の多様なメディアで今後どうなるのか,結論がないまま終わってしまう。

 

西村 弥(2018):東京オリンピック開催準備における政府間関係・組織間関係に関する考察.明治大学政経論叢 86 (34): 43-74
2020
年オリンピック・パラリンピック競技大会は20139月に開催都市を東京に決定した。20141月には東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が設立された(20151月に公益財団法人に移行)。201310月には政府内にも2020年オリンピック・パラリンピック東京大会推進室を設置した。20157月には「平成三十二年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法」が成立し、201510月には文部科学省の外局としてスポーツ省が発足する。著者は政治学で博士を取得し、行政学を専門分野としているようだが、この論文では「集権・分権/融合・分離」モデルを援用するという。
まずはオリンピック憲章から関わる諸組織の権限について確認している。実際の大会開催は開催国のNOCが運営するが、オリンピック競技大会に関するすべての権利はIOCが所有するものとされている。あらゆる側面においてIOCは最高権限を有している。権限の観点からは、オリンピックにおけるIOCJOC、組織委員会の関係は「集権・分離型」と整理される。ここで面白いのが、オリンピック関係組織と開催都市(東京都)という自治体との関係を論じる前に、オリンピックを招致するという行為における民主的正当性の有無を確認している点である。これは「地方自治法等で想定されている自治事務といえるのかどうかという点についても疑問が残る」(p.54)としている。20117月に石原都知事が立候補の意思表明をJOCに提出したとされる。9月には招致委員会が発足するが、東京都議会が正式に決定するのは10月になってからだという。ただ、結論的には手続き上は問題ないとされ、それ以上は論じられていない。東京都内に設けられた「オリンピック・パラリンピック準備局」の定員は265人、一方NPO法人である組織委員会の職員は11,33名だという。それらの多くは他の機関、団体からの出向者でまかなわれ、34%が都職員、民間企業から31.3%、地方自治体から18.4%、国から3.4%、その他12.9%だという。大会時には7000名規模に拡大される予定だという。都と組織委員会との関係は「分権・融合型」だという。上記した国のオリンピック・パラリンピック推進本部は、関係機関や関係団体に対して意見や協力を提供するのみだという。大きな権限は有していない。また、新たに設置されたスポーツ庁に関しては、庁内に「オリンピック・パラリンピック課」があるが、実質的な役割はない。ちなみに、スポーツ庁の定員は120名である。と、ここまで興味深い事実を確認しているが、結論としては「集権・分権/融合・分離」モデルでの分類を確認することで終わってしまっている。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編17)

Roessner, L. A. (2014): "Sixteen Days of Glory: A Citical-Cultural Analysis of Bud Greenspan's Official Olympic Documentaries," Communication, Culture & Critique 7: 338-355.
この論文でも、オリンピック映画を取り上げた学術研究といえば、レニ・リーフェンシュタールによる1936年ベルリン大会の記録映画と、1964年東京大会の市川崑監督作品に関するものがほとんどだという。日本における研究も同様だが、米国のグリーンスパン(1926-2010)なる人物が多くのオリンピック・ドキュメンタリー映画を制作していたことは私も知らなかった。2008年の北京大会が最後になるが、それまでの40年間に43本の作品を制作しているという。その中には1998年長野大会も含まれ、夏季大会のみならず、冬季大会も制作していたとのこと。この論文は、カルチュラル・スタディーズ的な文脈で、批判的な立場から、グリーンスパン作品を分析している。グリーンスパンは1948年のロンドン大会で、ラジオ報道者としてニューヨークのWMGMという放送局のために取材したのが初めてだという。若干21歳の青年はその後10年にわたって、スポーツ記者としてホッケー、バスケ、テニス、陸上競技などをWMGMのために取材したという。そんななか、1948年と1952年の大会において、重量挙げで金メダルを獲得したジョン・デイヴィスを取り上げた15分間のドキュメンタリー作品『世界最強の男』が1952年に制作された。この作品が売却され、オリンピック関連のドキュメンタリーがお金になることが分かった彼は、その後も作品を制作し、1967年にカッピー・プロダクションという会社を設立し、1936年ベルリン大会の陸上での金メダリスト、ジェシー・オーエンスに関する作品は22時間にも及ぶもので、エミー賞を受賞している。1984年ロサンゼルス大会で、公式の大会ドキュメンタリー映画を制作することとなり、この論文のタイトルはその映画のタイトルで、1994年リレハンメル大会にも同じタイトルが用いられた。とにかく、グリーンスパンはIOCのお墨付きで、公式オリンピック映画を制作し続けることとなり、クーベルタンのオリンピック理念を、現代アメリカ流に変換させたものとして表現していく。オリンピックのテレビ放映に関する論文でも、アメリカ的な番組は選手の個人誌に焦点を当てて、ドラマ化するのが常套手段だというものがあったが、まさにそれはグリーンスパンの発明品なのかもしれない。例えば、私も知っている米国の助成陸上選手ジョイナーは貧しい地区で育っていて、まさにアメリカン・ドリームの体現者だった。スポーツによる人間精神の称賛と国境を越えた普遍性という、「競技大会のバラ色のビジョン」(p.349)が彼の作品では描かれる。それは、「人種差別主義や性差別主義、権力の不均等な配分、社会的病理など、オリンピックによって生じるスポーツの好ましくない側面を無視し、覆い隠している」(p.349)。

 

Hiller, H. H. (1990): "The Urban Transformation of a Landmark Event: The 1988 Calgary Winter Olympics," Urban Affairs Quarterly 26 (1): 118-137.
ヒラーは早くからメガ・イベント(メガ・イベントという語が一般化する前、ホールマーク・イベントと呼ばれている頃から)研究を続けている研究者で、メガ・イベントでも特にオリンピックに集中して研究をしてきている。この論文は初期のころのものだが、所属がカルガリー大学になっていて、ちょうど1988年冬季大会を経験している。オリンピックの社会学的研究を押し進める著者だが、とかく社会学的な観点からだと批判的な立場を取りがちで、著者自身も2010年大会への南アフリカのケープタウン招致活動を取り上げた論文では批判的な論調である。しかし、この論文はそうではない側面をうまく引き出している。とはいえ、一般的な意味でのオリンピック称賛の立場ではなく、あくまでも学術的な立場であるのがさすが。冒頭で、オリンピックのようなメガ・イベントは本来エリート主義的なもので、経済的ブースター(後援者)によって経済発展の道具として用いられることを認識している。一方で、住民はこの時期でもデンバーが住民投票で、冬季大会の招致活動をやめさせたという事実があったり、エリート主導のメガ・イベント招致に対する抵抗運動がある。かつて、万国博覧会も大衆動員の手段として用いられたこともあり、商業的に成功したオリンピックとして知られる1984年ロサンゼルス大会に続く、1998年カルガリー大会も同じような側面を持っていると指摘する。「定義からして、オリンピックはエリート主義のスポーツ・イベントであり、巨額の公的資金が、出場選手の支援や施設建設に用いられ、それらはエリート・スポーツの訓練や競技に用いられる」(p.122)という。限られた高額の観戦席のチケットは、一部の住民にしか行き渡らない。しかし、カルガリーでは多くの住民が大会開催を支持していたという。住民の意識によって、このエリート主義的なイベントは都市祝祭に変容するという。カルガリーという都市の歴史において、大会開催が決まった1981年は経済成長のピークだった。エネルギー産業の発展によって1961年から1981年までに人口は倍増したが、1970年代中ごろから住宅価格などが落ち込むようになり、1981年に住宅市場の崩壊や収入の下落、失業の増加、転出の増加などが始まる。
招致・開催側は都市イメージや人口の回復を目論んでいたわけだが、その一方で市民たちはこのイベントを歓待したという。まずは、子どもたちが教育プログラムを通じてこのイベントに参加した。ショッピング・モールに展示をしたり外国からの選手や観客に手紙を書いたりした。カナダ国内での聖火リレーはメディアで毎日報道され、参加者も増えた。この大会の重要なレガシーはオリンピック・プラザの建設が新市庁舎に近接して建設業者にショッピングモールの建設地としても魅力を与え、結果的には新しい舞台芸術センターなど多様なエンタテイメントの場となった。カルガリーには夏の年間行事として「カルガリー・スタンピード」と呼ばれるロデオのイベントがあるが、これをオリンピック開催時に数箇所で行ったという。恒例の無料の朝食がふるまわれる。オリンピック・プラザに近い広場では空を色とりどりのバルーンが覆ったという。また、大会期間中に、クリスマスの屋外照明を出し、訪問者を歓迎したという。もちろん、文化イベントであるオリンピック芸術フェスティバルも開催された。この大会では、ジャマイカのボブスレーチームが話題になったが、金メダルを取るようなエリート選手だけでなく、こうした民衆のヒーロー的な話題があったのも大きい。選手と都市住民との社会的な距離を取り除き、同じ市民として相互に注目しあうような関係が築かれたのではないかという。街中では、外国からの観客に対して地元住民が自分の家に招待してお茶をしたり、ホテルが満室で宿泊先がない旅行者、あるいは選手の家族に民家を提供したりという草の根の参加が観察されたという。最後の方でジェイコブズにも言及しながら、こうしたランドマーク・イベントは街路や舗道、広場といった場所で、祝祭的な活動が人々の正の感情を呼び起こし、都市生活を活性化させる可能性を秘めている、と締めくくっている。この論文は、それを実証的にきちんと示したわけではないが、とかく批判的な立場で論じがちなメガ・イベントに対して、偶然から生じる市民参加について論じることも重要だと教えてくれる。

 

Silk, M. (2011): "Toward a Sociological Analysis of London 2012," Sociology 45 (5): 733-748.
かなり漠然としたタイトルで、1990年代ならまだしも、ちょっと懐疑的に読み始めた。著者自身は2012年ロンドン・オリンピックをはじめ、2012年ソルトレイクシティ大会、2008年北京大会、1998年のクアラルンプールのコモンウェルス大会などを手掛けているようだが、この論文はいまいち論点がはっきりしない。カルチュラル・スタディーズの影響下にもあるようで、ホールやギルロイ、ジェイムスンやジェソップ、バウマン、フェザーストーン、ハーヴェイやズーキンなども引用されている。一応、論点を3点ほどに絞っていて、1つ目がドゥボールの議論によりながら、オリンピックが新自由主義的な資本主義の論理の下でのスポーツのスペクタクルであると論じる。2つ目はジェソップの「グローバル都市化Glurbanization」の概念を用いて、メガ・イベントを契機とした、ポスト産業都市の生き残りをかけた、公民連携(PPP)による開発を論じる。3つ目は「過去の商品化」というタイトルで、2008年北京大会の閉会式での8分間のロンドン・プレゼンを論じている。改めてこの論文の発表時期を見ると、また2012年大会の前なので、本番の開会式は分析しようがない。2012年大会の開会式については日本でも優れた研究があり、この論文での分析はあくまでも限定的な印象を受ける。ただ、開会式にみられるナショナリズムとコスモポリタニズム、そして国民の多様性の称賛という話は、日本でも阿部 潔が論じているし、さまざまな大会で同じようなことが主張されている。ということで、ちょっとオリジナリティにかける論文だった。

 

Shin, H. B. and Li, B. (2013): "Whose games? The Cost of Being "Olympic Citizens" in Beijing," Environment & Urbanization 25 (2): 559-576.
2009年の単著論文に続いて、同じ2008年北京オリンピック大会を扱ったShinさんの共著論文。2009年の論文では、北京の状況についての説明が多かったが、この論文は論点を絞っている。2009年の論文では「都市的農村urban village」と表現されていたが、この論文では、公的な用語としても定着したのか、「都市のなかの村villages-in-the-cityVICs)」と表現される。中国語では「城中村Chengzhongcun」というらしい(Wikipediaではurban villageになっている)。ウェブで調べると写真が出てきますね。衝撃的です。
http://www.mascontext.com/issues/19-trace-fall-13/the-chengzhongcun-urban-traces-of-the-village/
政府の調査によると、2000年代にVICsは北京に332存在しており、このうち231を「環境改良」という事業の下に取り潰すことを決め、2008年オリンピック大会までに171の取り壊しを計画していたという。この論文では、北京市の海淀区Haidian3箇所のVICでインタビュー調査を行っている。調査は200812月から20091月にかけて行われている。2009年の論文でも説明したが、北京では農村部から都市部への人口流入が激しく、都市が拡張し、かつて農村だった場所の土地所有者が、都市化される過程で、その土地に賃貸住宅を建て、農村からの移住者を住まわせるということが行われ、それがVICと呼ばれる。農村からの移住者は都市市民とはみなされず、公的なサービスを十分に受けられず、公共住宅には入居できないために、こうしたインフォーマルな賃貸住宅に住まざるを得ない。一方で、貸主はこの賃貸収入が所得の重要な部分を占めるといった次第。インタビューは移住者と貸主の両方について行われ、移住者が28人、以前からの居住者(≒貸主)が20人の合計48人である。北京は環状線が発達していて、インタビューの対象となった地区は、第三環状線の外側、第四環状線の外側、第五環状線の外側からそれぞれ1箇所選択されている。北京の都心4区(第三環状線内)と外縁部4区についての人口データ(移住者の割合や人口密度)などが示されている。北京大会の住民の支持率は2000年時点で94.6%を占めていたという。移住者はオリンピック開催に反対していたわけではない。この辺りが日本とは明らかに事情が違う。ある意味インフォーマルに移住してきたものは、住居を追われることになっても仕方がないと回答している。また、VICの取り壊しはオリンピックに始まったものではなく、いつ取り壊しが来ても仕方がないと思っていて、また政府のやることは自分たちとは関係ないというか、自分たちの意見で政治や行政が変わるとは考えていない。取り壊しを当然だと考えているのは移住者だけではない。貸主であるかつてからの北京居住者も取り壊しは仕方がないと考えている。しかし、実際に取り壊しの計画はあまり進んでおらず、取り壊しが行われない限りはインフォーマルな住宅建設、賃貸経営をやめないという。実際、2009年の論文にも書かれていたが、農村からの移住者たちは、オリンピックに関しても建設作業員として関わるような労働者であり、それだけでなく、北京の経済成長にとって欠かせない存在でありながら、排除の対象にもなっている。この論文でも、ルフェーヴル以降流行りの概念である「都市への権利right to the city」(p.573)が出てくるが、欧米で議論されるような意味とはだいぶ異なる。そういう意味でも、このShinさんの研究は非常に重要であるといえる。

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オリンピック,メガイベント関連文献(日本語編2)

金子史弥(2018):2012 年ロンドンオリンピック・パラリンピックの<スポーツ的レガシー>とは?──評価報告書の検討を中心に.広島経済大学研究論集 41 (3): 3-21
2014
年の論文に引き続き、2012年ロンドン大会を事例とした「スポーツ・レガシー」の検討。2014年の論文以降、関係機関によってレガシーに関する評価報告書が20132016年にかけて刊行されたということで、それらを検討している。英国がロンドン大会以降にスポーツに対して払った助成金などをデータで示し、2012年以降も一定の水準で推移していることが示される。英国の夏季オリンピック大会におけるメダルの獲得数に関しても、2016年リオデジャネイロ大会でも合計数はロンドン大会よりも多い。一方、市民のスポーツ参加率は2012年以降減少しているという。後半はレガシー評価報告書の検討だが、いくつかの機関によって報告書が出されているため、それぞれの立場によって主張が異なっている。総じていえば、それらは「スポーツ参加の実態や人びとの行動様式に対して具体的にどのような長期的変化(=<レガシー>)をもたらしたのかについてはほとんど論じていない」(p.17)と結論する。これを受けて2020年東京大会だが、著者は「日本のスポーツ政策研究者の真価が問われている」(p.18)と述べるが、英国ですらこうなのだから、いくら研究者が頑張ったって日本で実りあるスポーツ政策が生まれるとは到底思えない。

 

佐伯年詩雄(2015):2020東京オリンピック競技会――レガシー戦略の虚像と実像.スポーツ社会学研究 23 (2): 25-44
しっかり読み直すと,2014年の『現代スポーツ評論』の文章はオリンピック総論をしているのに対し,こちらは2020年東京大会の各論でした。まず,2016年大会の招致から,石原都知事の力が大きかったわけですが,まず著者はそれが長年にわたってと財政を苦しめてきた東京湾岸の臨海開発事業をどうにかしようという動機があると指摘する。石原は東京マラソンの計画・実施して成功させた実績もある。なお,この論文はやはり学術論文への参照はなく,事実関係もほぼ報道記事やWikipediaなどによる。2016年大会への招致は,都市改造を正直に打ち出していたために失敗し,2020年大会ではそれを「復興五輪」に置き換えた。ともかく,石原の人脈を使った「オールジャパン」で勝ち取った開催は,まさに「アベノミクス」にも乗っかったもの。この論文で面白いのは,広島と長崎の招致活動を論じているところ。これが成功すれば,まさにグローバルな招致活動として,上からのというよりは下からの動機によって,また複数都市での開催という初めての試みでもある。そういう貴重な招致活動は結局,国内でその首都が,国策も絡んだ招致活動につぶされる,というのがまさに今日の日本の政治状況を反映しているといわざるをえません。

 

小澤考人(2016):「虚構の時代」のオリンピック再考.現代思想 44 (1): 268-278
著者は東海大学で教鞭をとる観光学系の研究者で,2012年ロンドン大会を中心にオリンピック研究を手掛けている。『現代思想』のこの号は「見田宗介=真木悠介」の特集号。見田宗介は著名な社会学者だが,私は真木悠介名義の『時間の比較社会学』しか読んだことがない。ただ,この本はとても素晴らしかった。なぜ,別名義で書いているのかなど基本的な知識はないが,ともかく前の世代の優れた社会学者であることは間違いない。この論文を読むと,どうやら見田の有名なテーゼで,戦後から現在までの日本社会を,理想の時代⇒夢の時代⇒虚構の時代のようにとらえているようだ。1964年の東京大会は夢の時代のものであり,2020年大会は虚構の時代のものである,という前提を批判するというのがこの論文の趣旨のようだ。まあ,虚構のという表現は当時はやりのポストモダンと類似したもので,今日の状況をポストモダン論で論じる学術研究者はもういないように,1990年代に提示された「虚構の時代」というモチーフをまともに議論する人はいないかもしれない。ともかく,この論文の著者は現代日本は虚構どころか「現実的」なモードが顕在化しているという。例として,ディズニーランドでも今日では夢の世界,あるいは現実味のない虚構の世界ではなく,キャストのサービスの現実を客も話題にするなど,現実的なのだという。まあ,ともかく1964年という夢の時代にオリンピックにさまざまなものを託したのに対し,2020年は託す夢もなく,オリンピックに悲観的な論調が学術研究者の間で蔓延している状況を小澤氏はなんとか打破したいと考えているようだ。彼にとってオリンピックは「「現実(戦略)的」な視点から望ましい社会のあり方を構築していく貴重な機会として活用することが需要になる。」(p.276)という。もちろん,その根拠となるのが2012年ロンドン大会である。もちろん,この大会を成功とみなす研究者も多いが,負の側面も多く指摘されているのも確かだ。

 

來田享子(2014):東京オリンピックが世界に発信できること――内向きと外向きのスローガンを重ね合わせるために.現代スポーツ評論 30: 52-68
この論文の著者はかなり以前からオリンピック研究を手掛けていて,特にオリンピック大会の女性の参加に関する地道な歴史的研究がある。『現代スポーツ評論』の特集号「東京オリンピックがやってくる」に彼女が寄せたのはオリンピック総論であり,佐伯氏のネガティブな論調ではなく,ポジティブに捉えようとしたものである。東京が招致に成功した3度のオリンピック大会時の世界向けのスローガンを検討する。返上した上に中止になった1940年大会は,関東大震災からの復興を謳っていた。当然,1964年大会では戦後の復興であった。いずれも,今日のような都市間競争の中での招致運動とは異なるので,どちらかというと世界に向けたスローガンではなく,国内に向けられた内向きなものであった。そして,2016年大会は招致に失敗し,それを教訓に2020年大会では東日本大震災からの復興五輪を謳い,招致に成功する。つまり,東京大会は3回とも「復興」をスローガンとしており,特に2020年大会は「選手たちは常に,観る者としての日本人を勇気づける存在であ」(p.57)るという。次に議論は,オリンピック運動と開発分野との関りへと移り,IOC1992年から国際労働機関(ILO)とかかわりを持っているという。ILO史料の研究論文に依拠して,ILOとクーベルタンとの関りを示し,「両者に共通する意図は,大衆/労働者の教育と労働者の余暇ないしレクリエーション,そして現在でいうところのスポーツ・フォー・オールという3点に集約される」(p.61)という。次に話はオリンピックと国際機関との連携に移り,以前にも別の論文で紹介した,オリンピック・ソリダリティ(OS)の説明があり,UNOSDP(国連平和と開発のためのスポーツ事務局)を紹介している。最後に,オリンピック運動と被災地復興支援との関連をみることで,東京オリンピックのスローガンがあながち的外れなものではないことを示す。独立した復興支援のNGOが,IOCを含むさまざまな組織から支援を受け,スポーツを中心とした復興支援活動をしているというのだ。ただ,課題としては,この十分に可能性を持った2020年東京大会のスローガンである「復興」を,国内向けのものだけで終わらせるのではなく,グローバル社会に向けた外向けのものに実質的にしていくことができるかどうかにかかっている。この論文は既に5年前に書かれたものだが,今日の状況が著者の目にどう映っているのか,知りたいところである。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編16)

Coaffee, J. (2015): "The Uneven Geographies of the Olympic Carceral: From Exceptionalism to Normalization," The Geographical Journal 181 (3): 199-211.
ゴールド夫妻『オリンピック都市』でもセキュリティに関する章を担当しているCoaffeeの単著論文。近年増加している都市の軍事化や監視化という学術的な議論をベースにして、オリンピックのセキュリティ計画を考察する。具体的には2012年ロンドン大会の大会後レガシーについて論じているが、2014年ソチ大会や2016年リオデジャネイロ大会にも応用しようとしている。フーコー『監獄の誕生』の「監禁群島carceral archipelago」といった概念を援用している。かつては監獄など特殊な場合に行われていたものが、わたしたちの日常生活に入り込み、例外的なものが常態化する。アガンベンの「例外主義」がここでも登場するが、9.11以降、戦争という例外的な状態が「テロへの戦争」といういつ起こるか分からない危機への備えということで常態化する。
オリンピック大会でセキュリティが強化されたのは9.11以降の2004年アテネ大会であり、2000年シドニー大会の5倍の費用が費やされた。特別に訓練を受けた警官が70,000人、兵士が35,000人、13,000台の監視カメラ、航空機迎撃ミサイル、NATOの大量殺傷兵器、AWACSの監視航空機、警察ヘリコプターなどなど。それ以前には、1972年ンミュンヘン大会のテロもあり、それ以降も警備は強化されていた。ロンドンでは、2012年大会の開催が決まった翌日に鉄道ネットワークを標的とした同時多発テロが起こり、当初の大会セキュリティ予算225百万ポンドが4倍の10億ポンドへと引き上げられた。グローバル・シティにおけるセキュリティはただでさえ、世界に対する名声となるが、メガ・イベント時にはそれに加えて強化される。大会の準備に向けてさまざまな団体がセキュリティに関わり、3か月前の20125月には「Operation Olympic Guardian」という訓練が始まり、またロンドン上空に「無飛行地帯」も確立されたようだ。「コミュニケーションと論争」というタイトルで、報道なども検討している。メディアも過剰なセキュリティに反応しており、一方ではそうしたことによって多くの人(市民やテロリスト)がその警備について知ることになる。しかし、他方ではオリンピック反対運動家たちの批判点も生み出している。
結果的にはロンドン大会は深刻なテロリズムの恐怖なしに過ぎ去った。ただ、過剰なセキュリティ計画は大会後のレガシーとしてイースト・ロンドンの景観に物質的に刻み込まれることとなった。セキュリティは既に都市再生プログラムにおけるインフラストラクチャーになっており、それが長期にわたるコミュニティの安全を宣伝することになる。そういう意味でもオリンピックのセキュリティ整備はレガシーとなる。例えば、選手村は現在民間住宅になっているが、設計段階からセキュリティが組み込まれており、このモデルは将来的な住宅設計に応用される。また、その技術や知識はロンドンを中心としたネットワークに蓄積され、今後のメガ・イベント開催都市への青写真となる。実際にグラスゴーで行われたコモンウェルス競技大会の準備に活用されたようである。2014年ソチ冬季大会は、ロンドン大会とはまた違った民族関係のテロの脅威が高まっていて、ロンドン以上のセキュリティ体制が引かれた。そのおかげで6,000人の選手と14万人の観客を守る「歴史上最も安全なオリンピックになる」(『ボストン・ヘラルド』)と評された。しかし過度な警備は、さまざまな活動家のデモをも制限してしまい、そのことが開催国のイメージを下落させる。ロシアはオリンピック・アリーナから12km以内に「プロテスト地区」を設定し、また女性パンク団体の活動家2人を監獄から解放したり、北極油田開発に反対するグリーンピースの活動を許したりしたそうだ。しかし、ソチ大会の数か月前、201312月にロシア南部の都市ヴォルゴグラードで2件の自爆テロが起きる。このことで、米国がロシア政府にセキュリティ関係で財政支援を申し出、ロンドン大会での経験を英国もロシアに支援する。開催直前の20141月に警備地帯が内陸に40km黒海沿いに100km拡張され、橋やトンネル、病院やホテルなど6,000の施設が警備内に含まれた。2016年リオデジャネイロ大会についても検討されている。リオでは国際テロよりも、長期にわたる国内犯罪の方が優先事項だった。リオでも、オリンピック開催が決まった数日後の20091017日に麻薬ギャング同士の抗争で、警察ヘリやバスの襲撃があった。結果的にはリオでは、そうした対策はファベーラに向かう。
冒頭の議論は、監視化に向かう現代社会を批判的に論じているが、オリンピックに関する説明は、軍備化や過剰な監視には批判的だが、どうにもセキュリティの大切さに同意しているように読めてしまう。結論ももう一度はじめの議論には立ち戻っているのだが、結局著者は社会がどうあるべきかと考えているのかはよく分からない。セキュリティ・監視・警備というのは結局、保険や災害と同様に、事件が起こらなければいいわけで、起こらなかったことは警備を厳重にしたからなのか、ただ起こらなかったのかは誰にもわからず、警備の効果は明確には分からない。

 

Borgers, J., Vanreusel, B. and Scheerder, J. (2013): "The Diffusion of World Sports Events between 1891 and 2010: A Study on Globalisation," European Journal for Sport and Society 10 (2): 101-119.
ベルギーの体育学者による世界中へのスポーツ・イベント拡散に関する研究。国際的なスポーツ・イベントについて27の団体が1891年から2010年までに開催した850のイベントを対象としている。グローバル化に寄与したスポーツを、職業スポーツと民衆スポーツに分け、後者に関してはフィットネス産業などを挙げているが、この論文では前者を扱うとしている。この論文では、世界スポーツ・イベント(WSEs)という用語を、「世界中から選手が参加できる職業的あるいは職業化されたエリート・スポーツの競技大会」(p.102)と定義して使用している。そして、それらは国際スポーツ団体(ISBs)によって組織されている。世界スポーツ・イベントのグローバルな拡散は、政府組織や多国籍企業と結びついた国際スポーツ団体の権力の増大と拡張に影響されている。スポーツのグローバル化は単なる均質化ではなく、相互依存的な経済・政治・社会・文化的要因の相互作用の結果である。世界スポーツ・イベントの検討を通して、この論文では2つの問いを考察している。11891年から2010年までどんな拡散パターンがみられるか、2)各時代でどんな変化がみられるか。
イベントの選定に際し、特殊な施設での競技、海や山、冬季などを除外している。団体としてはIOCに認可されている国際スポーツ団体、最大でも年に1度の開催、継続して開催、開催都市との結びつき、異なる場所での開催、世界中からの選手の参加、というのが条件である。最後の条件から、アジア大会などの地域大会は含まれない。情報源は各スポーツ団体のウェブサイトと、なんとWikipediaである。まず、マクロな地理的区分として、国連が採用している6区分を使用している。1.アフリカ、2.アジア、3.ヨーロッパ、4.中南米、5.北米、6.オセアニア。選定された27の国際スポーツ団体の70%はヨーロッパで設立されたものである。1891年に開催されたスポーツ・イベントはなんと、ウェイトリフティングである。一番新しいのはトライアスロンで、大会としては1989年に行われている。マクロ分析は20年区分で表にされているが、世界地図で示されているのは40年区分。ヨーロッパ→北米→中南米→アフリカ→アジア→オセアニアという順で拡散している。開催比はヨーロッパが徐々に低下し(9454%)、北米は1971-1990がピーク(23%)、中南米は1951-1970がピーク(12%)、アジア(920%)とオセアニア(17%)は増加している。イベント数自体は、1891-1910年で39だったのが、1951-1970年に1531991-2010年に301にまで増加している。その結果、1891-1930年を「萌芽期」、1931-1970年を「出現段階」、1971-2010年を「拡張段階」としている。同様の集計はイベント数だけでなく、開催都市数でも表にされている。1950年まではヨーロッパの限られた都市のみでの開催だったが、1951-1970年に新たな都市が増え、その後も増加している。
この後細かい分析があると思いきや、分析はここまで。ディスカッションでは、近年の目覚ましいアジア化の過程や、戦時紹介したイスラーム諸国でのオリンピック開催可能性研究などを挙げて、石油経済国での開催などを論じている。そして、最近では国家やイデオロギーよりも市場や消費に関連して、イベントがグローバルに拡散するという。また、イベントのグローバル化は脱領域化を志向している。越境選手の登場と同様に、越境する世界スポーツイベントという概念を導入している(日本の研究者の論文に依拠して。千葉直樹『グローバルスポーツ論――「越境スポーツ選手」の社会学』はその論文著者の著作)。それとともに、イベントの意思決定権が徐々に組織的なものから企業的なものへと移行する。近年、招致都市の住民が反対運動を起こすというのも、社会・経済的な理由だという。それは、経済効果や計画・意思決定の不透明性への不信感であり、ローカルとグローバルの権力闘争だという。

 

Gaffney, C. (2010): “Mega-events and Socio-spatial Dynamics in Reo de Janeiro, 1991-2016,” Journal of Latin American Geography 9(1): 7-29.
この論文も、オリンピック関連論文を集め始めた当初に読んだもの。その頃は、単純にネット検索でPDFで入手できる論文を探していたが、はじめのころに入手できたのが、今まで読んだことのない南米の地理学雑誌であり、ブラジルの地理学者による論文ということで、驚いた次第。当初は様子見で、傍線も引かずに読んでいたので、中身をすっかり忘れてしまったが、この論文は後に読むオリンピック論文の中でもよく言及され、またGaffney自身のほかの論文も読んだり、また彼自身がスイスでオリンピック研究をしている地理学者Müllerと同じ大学に異動したりして、やはり重要なことを再認識して読み直すことにした。
Gaffney
2008年にリオデジャネイロとブエノスアイレスにおけるスタジアムに関する著書を書いていることもあり、前半はサッカー・スタジアムに関する議論が中心になっている。そして、リオデジャネイロは2014年にFIFAワールドカップ、2016年にオリンピック夏季大会を開催しているが、それ以前から歴史的な経緯をたどっているのが、この論文の特徴。前半は若林幹夫の「スポーツ空間」と同じような議論をしていて面白い。オリンピック都市という表現はゴールド夫妻の著書名もあり一般化しているが、Gaffneyは「オリンピック地理」という表現や「スポーツ的星座」という表現をしている。都市内に散在するスポーツ施設は普段は別々に運営され、集客があるが、オリンピックのような場合は観客が施設間を移動する必要があり、それらを結ぶ公共交通が必要となる。点と点が線で結ばれ、という意味で星座なのだ。そして、国際的レベル、国家、都市、ローカルといった多様な空間スケールにおいて、設置主体、管理主体、イベント運営主体、観客などさまざまな主体が関わるなか、こうしたスタジアムは空間的な階層に埋め込まれるという。
さて、リオデジャネイロは1919年に南米サッカー選手権を開催し、初めてメガ・イベント開催都市となる。5チームのトーナメント戦という規模だが、決勝戦でウルグアイを破って優勝したブラジル・チーム。大統領は政府機関や銀行を休業させ、企業も休み、多くの公共空間に民衆たちが放送を聞くために殺到した。18,000人収容のスタジアムに25,000人が集まったという。この南米サッカー選手権は再び1922年にリオデジャネイロに戻ってきて、ブラジル百周年博覧会の一部として開催された。ともかく、1930年代から1940年代にかけて政府はスポーツが国民アイデンティティを高揚させる手段として認識するようになった。ブラジルではこの頃サッカーは民衆のものであり、スタジアムも安価で入場できるものであった。FIFAが戦後初めてのワールドカップをブラジルで開催することを決め、新しいスタジアムを建設し、1950年に開催される。スタジアムは民衆にとって象徴的な存在になる。1958年と1952年のワールドカップでのブラジルの優勝によって、1970年代の軍事政権はサッカーを積極的に国民統合に利用する。しかし、1990年代に入るとFIFAIOCはスタジアムに一定の要件を課すようになり、VIP席の設置や駐車場の確保、報道席や、チケットを持った人に個別の席をあてがう方法などであり、スタジアムが欧米方式になっていく。
リオデジャネイロのメイン・スタジアムであるマラカナンは1998年以降に段階的な改修を始める。プラスチック製のシート、民衆から離れたところにVIP席を設置、収容人数は減り、近年では監視カメラの設置など、先日紹介したベイルの著書で述べられていたような、スタジアム内の階層分化が明確になる。1950年から2007年まで、リオデジャネイロは国際的なスポーツ・イベントを開催していないが、2007年にパンアメリカン大会を開催する。サッカーはブラジル国民にとって、貧困から脱する数少ない手段となり、プロ選手を目指す若者が増える。パンアメリカン大会の開催が決定した2002年以降、政府はスタジアム建設、改修、交通、通信インフラの整備に巨額をつぎ込む。ワールドカップ開催に際し、会場となる12の都市にスタジアムが作られていくが、かつてのマラカナンとは異なり、民衆に開かれたものではなくなっていく。また、そうした開発によって警察が介入するような形での貧者の追い出しが常態化する。スタジアムのような公共財を民間企業に売却するようなネオリベラルなモデルで開発は進んでいく。この論文は、2016年オリンピック大会の開催がリオデジャネイロに決まって間もない頃に書かれているので、詳細については検討されていないが、オリンピック関連開発はオリンピック公共局(APO)といわれる団体が実行することとなり、それはまさしくネオリベラルな計画だったという。なお、この論文ではかなりネオリベラリズムが強調されているが、ボイコフと同様にクライン『ショック・ドクトリン』も引用されていて、オリンピックという特別な状態が一時的な民主主義の停止をもたらし、軍事化された排他的空間を生産し、住民の移転や環境の荒廃をもたらしたという。メガ・イベントを目的とした都市改変は、公民連携(PPP)によるコンセッション方式で行われるが、大会後は組織委員会をはじめとした組織は解体され、残されるのはネオリベラルな形式をした政治経済的レガシーである。

 

Shin, H. B. (2009): “Life in the Shadow of Mega-events: Beijing Summer Olympiad and Its Impact on Housing,” Journal of Asian Public Policy 2 (2): 122-141.
著者は英国で地理学を教える韓国人であり、昨年2度ほど来日して、1度目の際、国立競技場の建設現場やオリンピック施設の建設が予定されているベイゾーンなどを一緒に巡検した。この論文も、彼に会う前に急いで読んだが、傍線もつけずに読んだため、今となっては中身を忘れてしまっているため、再読した。彼の研究関心はおそらく住宅にあり、ジェントリフィケーションを専門分野としている。そんななか、2008年北京オリンピックに関していくつも論文を書いていて、この論文はその1つ。韓国人なので、1988年ソウル大会についても詳しく、この論文でも、2008年北京大会は、1968年メキシコ大会、ソウル大会に次いで3番目の途上国でのオリンピック開催だと表現している。北京は2000年大会にも立候補しており、わずか2票差でシドニーに敗れたとされているが、1993年段階では、まだ中国は人権問題などIOCが求める開催国の要件を満たしていなかったともされる。北京は1990年にアジア大会を開催し、その後年平均10%近いGDP成長を遂げる。1998年にソウルがオリンピック夏季大会開催が決定したのは、韓国で大統領が軍事クーデターを通じて政権を掌握した2年後だと指摘している。そういうこともあり、2008年大会の開催都市決定時においても、中国には人権の問題や環境への配慮の問題などいくつか懸念事項があったが、IOCは希望的観測を含めて(韓国はオリンピック後に急速に民主化した)、北京に決定したという。とはいえ、ソウルでは非常に暴力的な立ち退きが行われ(1980年代には日本でも地上げとかいってやってましたね)、21世紀に入った中国でも多くの貧者が住居を追われた。この論文では、中国でこの期間の経済成長において、不動産への直接投資が割合を増していくことが示されている。多くの者が投機目的で住み替えをし、住宅価格は高騰する。一方で貧者たちは住処を失っていく。高度成長期の日本も同様だが、農村から都市へと移住し、一方では都市の拡張に伴い、都市外縁部の農村が都市化する。移住者はそうした都市縁辺部の民間の安い住宅に住み、かつて農村だったそうした郊外ではかつての農民が住居を賃貸して移住者を住まわせる。そうして多くの「都市的農村urban village」が登場する。かれらは教育レベルが低く、低賃金労働者となり、都市の社会サービスも制限される「新しい都市貧困者」を形成する。オリンピック開催時にあって、世界的な注目が集まるなか、これら「都市的農村」は「目障りなものeyescore」とされ、競技施設の建設用地内に居住するという直接的な理由でなくても、排除の対象となる。時には、麻薬やギャンブル、売春といったものと関連させてメディアが描くことで、社会的な排除の対象とみなされる。しかし、一方で安価な労働者として、そうした農村からの移民は高度成長を遂げる中国都市において重要な存在であり、またかれらを住まわす住居のオーナーにとっても顧客として重要な存在である。その辺りのジレンマを抱えつつも、貧者の排除は進んでいく。とはいえ、対象の立ち退きにあった人たちが実際にどこに行って、どのような生活をしているのか、素朴な疑問を抱いてしまう。

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