学問・資格

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編10)

Swart, K. and Bob, U. (2004): “The Seductive Discourse of Development: The Cape Town 2004 Olympic Bid,” Third World Quarterly 25 (7): 1311-1324.
南アフリカ共和国による2004年オリンピック大会の招致については,この論文でも引かれているように,Hillerによる2000年の論文がある。また,南アフリカ共和国についてはこの論文を読み終えた後に,宮内洋平『ネオアパルトヘイト都市の空間統治』(2016年,明石書店)を読み始めてしまったため,この論文の印象がかなり薄れてしまった。この論文でも,この招致活動が具体的にケープタウン都市内の施設配置や地区計画,インフラ整備などに与えた影響などは考察対象ではない。グローバル資本において,招致活動が都市間競争に与えた影響といったあたりが考察対象となっている。今回の招致はアフリカ大陸から初めてのものだったが,2016年リオデジャネイロ大会がまだ決定していないこの時点では,一方の南米からの招致はすでに1936年にブエノスアイレスからなされている。南アフリカ共和国は民主化以降にメガイベント招致を積極的に行い,1995年のラグビー・ワールドカップ,1996年にサッカーのアフリカ・ネーションズ・カップが開催され,オリンピック招致へと乗り出している。Hillerの論文にもあったが,ケープタウンは「人間の開発」をテーマに掲げた。この大会への招致は11の都市が名乗りを上げ,ケープタウンは1選考に残った5都市のうちの1つとなった。IOCとしては,五大陸を示す五輪を全うするためにもアフリカ大陸での開催を目指しているが,ケープタウンは最終的に落選した。IOCのアフリカ人委員もケープタウンにはほとんど投票しなかったといわれている。ケープタウンの犯罪率の高さは観客の安全を確保できない,などが大きな理由である。ただ,この招致活動は世界に対してアパルトヘイト後の世界に対する新たなイメージを提示したという意味では遺産を残したといえる。今後は人間の開発という意味でも,招致過程に市民参加を含めていくことが課題だといえる。

 

O’Bonsawin, C. (2010): “’No Olympics on Stolen Native Land’: Contesting Olympic Narratives and Asserting Indigenous Rights within the Discourse of the 2010 Vancouver Games,” Sports in Society 13 (1): 143-156.
知り合いではなかったが,この雑誌を所蔵する大学の地理学者にお願いしてコピーしていただいた論文。本当にこういうのありがたいです。さて,カナダのオリンピック招致,開催事情はこれまでもいくつかの論文を読んできましたが,この論文は先住民の扱いに関してです。論文タイトルを読んだ時にはボイコフが論じている反オリンピック運動について詳しく知ることができることを期待していたが,読んでみると,運動そのものではなく,なぜ五輪に反対するのかという動機を詳細に検討したものだった。オリンピックにおけるジェンダーや人種,エスニシティの問題は日本でも井谷聡子さんという人が論文を書いていて,このバンクーバーの「No Olympics on Stolen Native Land」についても書かれている。五輪開催都市/国の先住民問題で有名なのは2000年シドニー大会だが,2002年ソルトレイクシティ大会と一緒に論文の前半で触れ,「どちらの事例においても,先住民の人々は名目的なかつ取るに足らない役割へと追いやられている」(p.144)と述べられている。オリンピックの開会式ではそうした先住民を登場させたり,またそのモチーフだけを美的に利用したりしてその開催国の文化的多様性を強調し,その多様性を包摂する調和した社会が表象される。バンクーバー大会でも9つの先住民(First Nationと表現するようですね)から200人の代表が開会式に登場し,250人の非先住民のダンサーが「インディアン」のような恰好をして躍っていたという。カナダでは1988年のカルガリー大会でも先住民活動家による活動があったようです。この論文では,土地をめぐっての植民者の観点と先住民の観点について,カナダ連邦政府とブリティッシュコロンビア州の法律,オリンピック憲章と国連との関係など,丁寧に検討されています。IOCは国連が主張する持続可能性や公正な手順などを組み込んで,「アジェンダ21」を採択します。しかし,2つの深い欠陥があると指摘しています。1つはそれがオリンピック憲章にしっかりと固定されていないこと,2つめは周縁化された人々の基本的な人間的必要と権利を考慮していないことだといいます。今後は反オリンピック運動の主張に真摯に耳を傾け,オリンピズムに人権の問題をしっかりと組み込むことが要求されます。

 

Sebastião, S. and Lemos, A. (2016): “The Community Voice in the Preparation of a Mega-event: Rio 2016,” Cuadernos.info 39: 209-224.
ポルトガルの政治学者による2016年リオデジャネイロ大会に関する論文。地元住民の声を地元3紙の新聞報道からくみ取った研究。パブリック・リレーションに関する研究がベースにあります。2013年の新聞でリオ大会に関する119の記事に対して,定量的分析と定性的分析をしています。定量的分析からは必ずしも地元住民の声を反映できるわけではありませんが,鍵となる主題を記事数でランキングした2位に「Protest」が挙がっていたり,競技施設の建設現場で死者が出た事件の記事が多く,「準備における問題」が3位だったりして,五輪開催に否定的な声が新聞にそれなりの頻度で登場します。質的分析では,そうした住民の声や行為者,関心に焦点を合わせたものになっています。「コミュニティの声」は組織によって,その主要人物がジャーナリストに接触して新聞報道として公の場に届けられます。リオ大会では,スタジアムの民営化や数千世帯の立ち退き,インフラ建設や湾岸汚染の浄化などをめぐって市民の反対運動が起こっています。リオではワールドカップとオリンピックに反対するCPRCOという団体が組織され,住民の排除をめぐって市長との会合を要求したそうです。

 

Hiller, H. H. (1998): “Assessing the Impact of Mega-events: A Linkage Model,” Current Issues in Tourism 1 (1): 47-57.
以前紹介したOldsの論文は他人に複写依頼をしてようやく入手したものだったが,そのコピーに含まれていた次の論文がこのヒラーによる論文。ところが,ヒラーは自らのサイトでほとんどの自著論文をPDF公開しているので,難なく入手。こんなきれいなPDFがあるのだったら,Oldsのも公開してほしかった。さて,ヒラーは1990年代後半からメガ・イベントおよびオリンピックについての研究を進めている社会学者だが,この頃は特に南アフリカ共和国を専門的に調査していたようです。この論文の前半はタイトル通り,メガ・イベントのインパクトを評価するモデルの提示ですが,後半は2004年オリンピック夏季大会へのケープタウンの招致に関する事例となっています。まず,インパクト評価に関してですが,従来の研究は原因-効果関係を特定することが主眼でしたが,もっと広い視点で考える必要性を訴えています。そこで出されるリンケージモデルとは,原因→効果の一方向的時間軸だけではなく,フォーワード・リンケージという従来通りの原因→効果の時間の流れと,バックワード・リンケージという結果→目的・背景という逆の流れを想定し,さらにパラレル・リンケージというものを設定し,副次的な効果を分析に組み入れています。原因-効果というと,目的が達成されたという計画上の問題だけですが,想定外の効果が正負両方含まれるというのが,メガ・イベントです。
ケープタウンの事例に関しては,この論文自体が招致初期段階に書かれていることもありますが,バックワード・リンケージに関すること,特に住宅と移転に関することが考察されています。まず,招致委員会が地元からの批判を最小限にするためにはそうしたことへの配慮が必要です。しかし,都心近くでの低賃金住宅の供給が望まれましたが,多かれ少なかれその問題は無視されたといいます。全国的には2,3百万戸の住宅が必要だとされていましたが,1999年までに政府は百万戸の建設を目標にしていたという。西ケープに位置する黒人タウンシップには東ケープからの国内移民がやってきて,数千人が掘っ立て小屋のような不適切な住居で暮らすという。オリンピックによって都市の状況が改善されるという期待によって,オリンピック開催への支持は白人よりも黒人の方が高かったようですが,この時点でのそうした貢献は疑問視されると結論付けられています。

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オリンピック,メガイベント関連文献(翻訳論文編1)

マカルーン, J.著,光延明洋訳(1988):近代社会におけるオリンピックとスペクタクル理論.マカルーン, J.編,光延明洋・今福龍太・上野美子・高山 宏・浜名恵美訳『世界を映す鏡―シャリヴァリ・カーニヴァル・オリンピック―』平凡社,387-442.MacAloon, J. J. (1984): “Olympic Games and the Theory of Spectacle in Modern Societies,” In MacAloon, J. J. ed. : Rite, Drama, Festival, Spectacle: Rehearsals Towards a Theory of Cultural Performance, Philadelphia: Institute for the Study of Human Issues.
この本は随分以前から知っていたが,結局入手しなかった。翻訳には高山 宏が関わっていて,「鏡に映される二十世紀」(pp.469-477)という高山氏にしては短めの解説を寄せている。そこで高山氏は,編者による序文「序説 文化的パフォーマンス,文化理論」(pp.11-33)を絶賛している。この序説はマカルーンによるものである。訳書タイトルにはないが,原著タイトルには「Drama」とあり,「社会劇」という捉え方がこの論集を通底している。そもそもこの論集は1977年に行われたシンポジウムの記録であり,マカルーンの報告に付随して,1936年ベルリン大会と1964年東京大会の記録映画の上映もあったようだ。それはともかく,劇学という系譜として,ケネス・バーク,アーヴィング・ゴフマン,G・H・ミードからグレゴリー・ベイトソンなどの議論が概観される。
本書でマカルーンは「米国のオリンピック候補にもなった一流の陸上競技選手から学問の道に転じ,異色の文化人類学者として知られる。」(p.188)と紹介されている。さて,ようやくオリンピック論文の紹介だが,かなり抽象的な議論が多い。いくつかの言葉が検討される。この章の中心にあるのは「スペクタクル」。この英語はラテン語のspecere「(意図的に)みる」が直接的で,さかのぼればインド・ヨーロッパ祖語の語根spek-「観察する」に由来するという(p.391)。そして,この語の使用法の歴史についても検討している。
この論文の主たるテーマは「スペクタクル」だが、ドゥボールの『スペクタクルの社会』が出発点なわけではない。スペクタクルは本書の原著タイトルにある4つの概念の一つであり、1つ目の概念「儀礼」の検討にもかなりの議論を費やしている。また、スポーツにおいても「play a game」であり、遊びとの共通性があり、オリンピックにおける競技と遊び=遊戯との違いも検討される。論文の中盤でベイトソン『精神の生態学』に依拠した議論が展開されるが、私にはいまいち消化不良。原著タイトル3つ目の概念が「Festival=祭典」、4つ目が「スペクタクル」であり、この後この論文では両者の違いが検討され、これが非常に興味深い。「祭典の場合、ドップリのめり込むくらいでなければ参加したことにはならない。冷めた傍観者的行動はお呼びではないのだ。一方、スペクタクルなら、そういう放埒な行動も許される。距離を置いて観察する見物人に徹する、というのがそれだ。見物するだけで結構、それ以上の規制はせず、後は観察者と「見物」との対話に任せる、というスペクタクルには随意性と個人的選択の余地が立派にある。」(p.433)そして、スペクタクル概念の検討において、ドゥボールとブーアスティン『幻影の時代』が対比される。対極的な政治的立場にある2人の著者がある部分では似たような主張をしていることの妙。
「オリンピック大会のスペクタクルは、ハンナ・アーレントの用語を使えば、清濁合わせのんだ「陳腐化(banalization)」を必ず果たしてくれるのだろうか?」(p.439)の記述からは、ムニョス『俗都市化』との接合ができようか。また、1972年ミュンヘン大会におけるテロ事件を、「冒涜」や「タブー」としてきたことも、人類学的な解釈が可能(p.441)。なかなか読み応えのある論文だった。やはり彼の著書である『オリンピックと近代――評伝クーベルタン』(645ページ!)も読まなければならない。

 

ブルデュー, P.著,櫻本陽一訳(2000):オリンピック――分析のためのプログラム.ブルデュー, P.著,櫻本陽一訳『メディア批判』藤原書店,140-145.Bourdieu, P. (1994): “Les Jeux Olympiques: Programme pour une Analyse”, Actes de la Recherches en Sciences Sociales 103: 102-103.
この論文は,翻訳の対象となった原著(原題は『テレヴィジョンについて』)に収録されたものではない。ただ,オリンピックといっても短い文章で書かれている内容はテレビ放映に関わるものだということで,翻訳では本書に収録されたのだと思われる。書かれている時代が時代なので,そんな目新しいことは書かれていないが,以下の引用はさすがブルデューという観点です。「オリンピック全体を見る者は誰一人いないため,自分が見ているものが全体ではないということに誰一人として気づいていないという意味では,対象が二重に隠されているのである。」(p.141)そして,タイトル通り,オリンピックに関する社会学的研究はこういうことをしろという分析計画の提示になっています。①オリンピック・スペクタクルの社会的な構築の分析,②テレビ映像の生産の分析,コミュニケーション手段を生産している界の総体の分析,スポーツ生産の産業化の分析。

 

ホブズボウム, E.著,前川啓治訳(1992):伝統の大量生産―ヨーロッパ,1870-1914―.ホブズボウム, E.・レンジャー, T.編,前川啓治・梶原景昭他訳:『創られた伝統』紀伊國屋書店,407-470.
オリンピックを「伝統の発明invention of tradition」の枠組みで論じる文献がいくつかありましたが,いずれもホブズボウム自身がオリンピックについて言及しているような書き方をしていたので,読んでみました(というか,今まで読んだことなかったのかよ!)。この論文は,この論文集の巻末に置かれていて,総括的な意味でヨーロッパの19世紀末から20世紀初頭(第一次世界大戦前)に起こったさまざまな事柄を取り上げていますが,その後半でスポーツが国民国家形成に大きな役割を果たしたことが示されます。イングランドのサッカー,大陸でのサイクリング。ともかく,1870年以前は民衆レベルで共有されるスポーツのようなものはなかったという。それが,英国ではイングランドのサッカー,ウェールズのラグビーなど地域色がありながら,特定の競技が地域対抗で競われる,などと国家内のアイデンティティと国家間の対抗,そして国際大会と広まっていく。その過程でやはりクーベルタンの思想と,その実現としてのオリンピックが重要であるようです。ただ,1914年までに限定していることもあり,本格的にオリンピックが伝統となる前に話は終わってしまいます。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編9)

Lenskyj, H. J. (2012): “Olympic Education and Olympism: Still Colonizing Children’s Minds,” Educational Review 64 (3): 265-274.
批判的な研究が多い著者ですが(カナ表記に困るお名前です),教育関係の論文もいくつかあるようです。オリンピック教育への関心は2004年以降ということですが,タイトル通り,理念ばかりを掲げるオリンピズムとオリンピック教育が子どもや若者の頭脳を植民地化すると訴えます。日本でもよくありますが,オリンピックやパラリンピックの出場選手が子どもを前にした教育の場に登場し,善き「ロール・モデル」を演じるというわけです。スポーツで夢を成し遂げた実例として,IOCの人間性祝福イデオロギーを体現します。紛争や搾取,さまざまな民族問題は無視した多文化主義。これまでも,オリンピック教育を批判してきた論者が紹介されます。そして,そうしたオリンピック養育に登場するのがスポンサー企業。企業がさらに子どもたちを食い物にしていくということです。

 

Oliver, R. (2011): “Toronto’s Olympic Aspirations: A Bid for the Waterfront,” Urban Geography 32 (6): 767-787.
前に紹介した,Urban Geography誌のオリンピック特集の1本。著者はバージニア工科大学の地理学の研究者とのこと。トロントはオリンピックの開催都市になったことはないが,かつてからウォーターフロント開発の起爆剤としてオリンピックを利用しようと何度も招致運動をしてきた歴史が語られます。幾人かのインタビューも含みますが,基本的に新聞記事の分析になります。オンタリオ湖に面したトロントの湖岸地区は長い間公共空間とされ,私有化を拒んできたという。この地区の詳しい土地利用については説明されていないが,いわゆる工業地帯があり,脱工業化後の再開発が中心だとは思う。トロントのオリンピック招致運動は1954年に始まる。ローマで開催された1960年大会の招致であったが,計画要件がIOCのものを満たされておらず,招致は失敗している。1976年大会にも名乗りを上げたが,この大会は同じカナダのモントリオールで開催されている。都市の希望は国策により阻まれたことになる。当然,同国による続けての開催はほとんどないので,当面カナダでの開催はありえない。次なる招致は1996年大会だが,先にOldsの論文で確認したように,1986年バンクーバー万博以降,カナダではメガイベントによる都市にもたらされる弊害に反対する市民運動が勢いを増し,この招致は失敗している。ここでは,「サーカスよりパンを」という名前の活動団体が紹介されている。ただ,この論文では「1996年の試みは無駄な努力ではなかった。IOCは歴史的に繰り返し招致する都市を好む」(p.773)と記している。最後に2008年大会への招致運動がこれまでより詳しく論じられている。この間にウォーターフロント再開発も独自の進展を遂げており,各種組織が2008年の招致活動を支援する。しかし,やはりトロントが招致すべきかどうかにかかわる公的な議論もされないまま話が進み,より広い市民のコンセンサスを得られない。最終的には都市としての問題だけではなく,州政府,連邦政府の目論見のもとで計画が決定される。実際の競技会場の地図も掲載されている。ただ,最終的にIOCは政治的約束にではなく,確実な財政的関与を要求するため,トロントは開催都市とはなれなかった。とはいえ,ウォーターフロントの再開発はいつくか成果を生み出してはいて,トロントにおけるウォーターフロント再生がいかに重要かを市民たちが議論する素地も残している。将来的にも2015年のパンアメリカン競技大会の開催都市となり,これはもう決定しているが,2020年と2024年大会への招致も準備しているとされている。

 

Shoval, N. (2002): “A New Phase in the Competition for the Olympic Gold: The London and New York Bids for the 2012 Games”, Journal of Urban Affairs 24 (5): 583-599.
以前別の文献で言及されていて読みたかった論文。意外にも非常勤先の電子ジャーナルで入手することができました。しかも,この論文著者はイスラエルの地理学者だとのこと。2000年前後は都市研究としてのオリンピック研究が一気に登場する時期で,EssexとChalkleyという2人の地理学者による一連の論文や,AndranovichとBurbank,Heyingという3人の政治学者による一連の論文,社会学者Rocheのメガイベント本や,同じ社会学のHillerが積極的に論文を発表していたのもこの頃です。
この論文は前半でオリンピックの歴史的経緯を概観し,時期区分をしています。そして2000年以降に世界都市であるロンドンやニューヨークが2012年大会に向けて招致に乗り出したことを,新しい段階に入ったと捉えています。この議論は日本の都市社会学者,町村氏が『スポーツ社会学研究』に2007年に寄せた論文「メガ・イベントと都市空間――第二ラウンドの「東京オリンピック」の歴史的意味を考える」の論旨と共通しています。町村氏もオリンピックだけでなく万博にも注目していますが,Shovalの興味深いことは,時代的に万博→オリンピックという流れがあり,一度万博は下火になるのだが,1980年代に復活してきて(その最後に愛知万博が位置づけられます),その後にオリンピックの開催都市が新しい段階に入るという仮説です。そして,著者は町村氏と同様にこの動向には悲観的な見方をしています。経済効果についても,都市再開発についても,都市イメージの向上についてもあまり正の効果は見込めず,場合によっては負の効果をもたらすと警告しています。ただ,これはよく言われるように,オリンピックが肥大化し,それを開催できる都市は限られてしまっていることと,都市の側もそれなりの規模の変化をもたらすにはそうした契機に期待するしかなくなっているということでしょうか。

 

Burbank, M. J., Andranovich, G. and Heying, C. H. (2002): “Mega-events, Urban Development, and the Public Policy”, The Review of Policy Research 19 (3): 179-202.
2000年前後に米国で開催された3つのオリンピック大会,1984年ロサンゼルス大会,1996年アトランタ大会,2002年ソルトレイクシティ冬季大会についていくつかの論文を発表している政治学者と都市計画研究者の3人。これまで読んだ2本の論文はAndranovichが筆頭著者でイマイチ面白くなかったけど,Burbankが筆頭著者の本論文はなかなか面白いです。この論文で言及されているやはりBurbankが筆頭著者の2000年の論文は市民による抵抗を主題としていてもっと面白そう。この論文では,米国におけるオリンピック開催が,1984年から2002年に至るまでいかに推移したかが分かりやすくまとめられている。1984年は1932年にも開催経験のあるロサンゼルスということで,メインスタジアムは改修して利用し,その他大学の協力のもと,公的資金に頼ることなく成功させたという意味で,オリンピック史の転換に位置づけられている。しかし,アトランタではその実績がないため,それなりの公的資金を用いて競技施設を新設し,インフラを整備している。それだけではなく,世界的な都市間競争に立ち向かうにはアトランタはまだそのレベルには達していなかった。この論文のタイトルにもあり,掲載雑誌もそうであるように,本論文の主眼は都市開発ではなく,あくまでも公共政策にある。都市政策が管理主義的なものから企業家主義的なものに移行するというのはハーヴェイのお馴染みの議論だが,1984年ロサンゼルス大会はその一つの手本である。しかし,それはネオリベラリズムの一端であるが,都市政策という意味では典型ではない。ソルトレイクシティは1972年から冬季大会への招致運動をしてきたという。1992年にも立候補をしたが合衆国はアンカレッジを選択する。スキーリゾートとして国内では地位を持っていたが,それをより国際的な観光地として名を売りたかった。ここでも,かなりの公的資金が投入され,カナダと同様に市と州,連邦の3つの政府が関係する。この時代になると,オリンピックを利用した公的資金の投入は,さまざまな市民の反対運動にあうことになる。オリンピック関係の決定に市民の参加が含まれるようになるのはまだ先なのだろうか。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編8)

Khakee, A. (2007): “From Olympic Village to Middle-class Waterfront Housing Project: Ethics in Stockholm’s Development Planning,” Planning, Practice & Research 22 (2): 235-251.
先に書くと,この論文はオリンピック研究とはいえない。タイトルにオリンピックとはあるが,間接的にしか関わっていない。ストックホルムは1912年に一度オリンピックの開催都市となっている。まあ,その頃の大会は規模が小さいのでレガシーなんてものはないのだろうけど,この論文には一切その記載はない。ストックホルムは2004年夏季大会の招致運動をしていたが,アテネに決まった。論文タイトルから理解されることは,招致段階に計画されたオリンピック村が,招致失敗に伴って中流階級のウォーターフロント住宅に変更されたということ。しかし,その具体的な経緯が検討されるのではなく,設計事務所や建設会社に属する5人に計画理念に関するインタビューをしている。オリンピック村として計画されていた敷地限定というよりは,その南ハンマビー地区に関する議論となっている。オリンピック村の計画時点では「世界で一番持続可能な街」という修辞を用いていたが,「都心と臨海を一緒に感じられる街」へと変更された。もちろん,IOC向けの美句と住宅市場の消費者向けの美句とは異なる。この論文では,そこの部分は確認されただけで,もっと抽象的な計画理念の検討が中心。人間,社会,民主主義,生態学的な倫理について,5人の計画者の回答を検討する。環境に対する配慮に関しては強く意識されているものの,社会的弱者の居住権やマイノリティに関する権利などの意識はまだ低いようです。なお,この論文では結局この地区がどのように整備されたかについての情報はありませんが,ウェブで調べると,日本語でも結構出てきますね。

 

Waitt, G. (1999): “Playing Games with Sydney: Marketing Sydney for the 2000 Olympics”, Urban Studies 36 (7): 1055-1077.
1999年という早い時期に発表された地理学者によるオリンピック研究。1990年代には「場所を売る」というテーマ(その後は場所のブランド化)でいくつか論集が出てたりして,ハーヴェイの場所論や都市の企業家主義政策などの議論に乗った論文。前半はちょっと古臭い議論が続き,都市間競争におけるシドニーという,シドニーという都市内の差異に言及しない,地理学的でない印象を受ける。この論文は実際にオリンピック大会が開催される前に発表されていることもあり,競技施設の配置などの詳細を検討するものではない。しかし,その招致活動で発信されたシドニーのイメージや大会コンセプトの検討は詳細で,地理学者らしい分析になっている。この大会で招致委員会は多文化主義政策をとっていたオーストラリアを売りにして,多様性を前面に押し出し,また豊かな自然というオーストラリア全体のイメージを活かしたグリーンな,環境に配慮した大会をアピールしている。しかし,実際は難民の受け入れも行っているオーストラリアであり,先住民や移民の問題は大都市シドニーにおいては深刻である。特に,2つの地区を取り上げ,ベトナム系移民の集住地区につけられた負のイメージなどを解説する。また,環境の問題についてもシドニー近郊の大気汚染や海洋汚染の実態について報告される。

 

Nauright, J. (2004): “Global Games: Culture, Political Economy and Sport in the Globalised World of the 21st Century,” Third World Quarterly 25 (7): 1325-1336.
先日紹介した雑誌Third World Quarterlyからもう一本。グローバル化の文脈でオリンピックを考えた時,2004年大会に立候補したヨハネスブルクの例があるが,今後第三世界での開催があり得るかどうか,招致運動の状況などを知ることができるかと思ったが,かなり一般的な議論だった。「スポーツ-メディア-観光複合体」(p.1326)という興味深い概念はあった。著者は南アフリカの研究をしているようで,ヨハネスブルクがアパルトヘイト後の南アフリカ共和国における観光および経済発展の助力として大規模なスポーツ・イベントを利用としたという説明はある。後半はスポーツのプロリーグの組織と機能が1980年代から1990年代にかけて変容し,メディア産業など別業種の参入により,グローバルな電脳空間上で展開するようになった,という議論になってしまった。

 

Ferguson, K., Hall, P., Holden, M. and Perl, A. (2011): “Introduction – Special Issue on the Urban Legacies of the Winter Olympics,” Urban Geography 32 (6): 761-766.
Urban Geographyによるオリンピック冬季大会の特集号巻頭言。2010年バンクーバー大会を前にして,「招致,計画,そして現実」という調査ワークショップを2009年7月に立ち上げたという。都市計画者や,過去の開催都市の委員長2人,バンクーバー芸術共同体のメンバー,地元のジャーナリストから成るものだった。2009年10月には「グローバル競技大会とローカルなレガシー」というタイトルのシンポジウムを開催し,カルガリー大会の開催当時の市長も呼んで,本号に収録された研究発表がなされたとのこと。この特集号は,冬季大会に関すると題していますが,そんなに限定はされてないようです。だいぶ前に紹介した,Andranovich and Burbank (2011)も収録論文ですし(1984年ロサンゼルス大会と2002年ソルトレイクシティ大会に関するもの)。そして一方ではIOCが本格的に「レガシー」概念を出してきたのが2010年からということで,それも大きなテーマとなっています。

 

Retchie, J. R. B. (1984): “Assessing the Impact of Hallmark Events: Conceptual and Research Issues,” Journal of Travel Research 23 (1): 2-11.
地理学者の友人が勤める大学にこの雑誌の所蔵があり,複写してもらってようやく入手。オリンピック研究は英語圏ではメガイベント研究の文脈でなされることが多い。メガイベント研究は以前,ホールマークイベント研究と呼ばれていたが,その代表的な理論的論文。1984年時点でかなりうまく整理されています。掲載雑誌がTourismではなくTravelだというのも時代を感じさせます。しかも,この著者リッチィはその1974年にも同じ雑誌に共著でホールマークイベントをタイトルに掲げる論文を書いています。
この論文の冒頭でホールマークイベントを以下のように定義しています。「期間限定の一度きり,あるいは繰り返し開催される大きなイベントであり,主として短期あるいは長期滞在の観光目的地を意識やアピール,収益性を高めるべく発展してきた。このようなイベントは,興味を創り出し,注意を惹くのに十分な固有性や優位性,時代的な重要性における成功に依っている。」(p.2)そして,イベントを以下の7つに分類します。1.世界博覧会,2.カーニバルや祭典,3.主要なスポーツイベント,4.文化・宗教イベント,5.歴史的な事件,6.商業的・農業的イベント,7.政治的要人の集まるイベント。しかも,それぞれに順位を与えています。次に,イベントが社会に与えるインパクトも6つに分類し,本文で詳しく解説されます。1.経済的,2.観光・商業的,3.物理的,4.社会文化的,5.心理的,6.政治的。これらは優先順位というより,これまでの研究で優先されてきた順番という感じでしょうか。そして,それぞれに対してそのインパクトを測定するにはどんなデータがあり,そのデータによってどんな指標が測定され,またデータ解釈時の問題などがそれぞれのインパクト分類において表にされています。タイトル通り,概念を分類するだけでなく,調査指針も示されており,さすが引用されることの多い文献です。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編7)

Gratton, C. and Preuss, H. (2008): “Maximizing Olympic Impacts by Building Up Legacies”, The International Journal of the History of Sports 25 (14): 1922-1938.
以前から名前をよく見るPreuss氏の論文をようやく入手。レガシーキューブというのは先日紹介した川辺謙一『オリンピックと東京改造』で登場したのを初めて見たが,出典は示されていなかった。すると,この論文に全く同じ図版で登場します。こちらにも直接の出典は示されていないが,Cashmanという人の2000年シドニー大会に関する2005年の著作についての説明の中に出てくるので,こちらがオリジナルだろうか。あるいはもっと一般的に知られている図式だろうか。ともかく,「レガシー」なるものを計画的/偶発的,ポジティブ/ネガティブ,有形/無形という3次元で捉えようとするもの。この論文ではイベント前後の時期を5つに分け,「イベント構造」なるものを6つの項目で整理します。時期:1.着想と実行可能性,2.招致過程,3.建設とイベントの組織化,4.イベント開催,5.イベント・レガシー。項目:1.インフラストラクチュア,2.知識・技術開発・教育,3.イメージ,4.感情,5.ネットワーク,6.文化。この論文での事例研究はオリンピックではなく,2002年にマンチェスターで開催されたコモンウェルス大会です。都市開発の規模としてはオリンピックとそう大差はないが,グローバルな規模での報道などの発信としては比べ物にならない。最後の文章が興味深いので引用しましょう。「開催国政府はオリンピック大会を開催した場合の真のレガシー効果を真の意味での科学的に評価することを歓迎しない政治的立場がある。」(p.1933)

 

Olds, K. (1998): “Urban Mega-Events, Evictions and Housing Rights: The Canadian Case”, Current Issues in Tourism 1 (1): 2-46.
ようやく入手した論文。この雑誌のこの年次のものを所蔵する大学は2つしかなく,そのうち1大学には地理学者が在籍していたので,はじめましてのメールで依頼をしたところ,快諾してくれて入手。ありがたいです。著者のOldsはカナダの地理学者Leyとの共著で万国博覧会の論文があり,大学院時代に読んでいた。そんな彼がオリンピック関連の論文も書いていることを知ったのはCOHREの報告書を通じてであったが,その報告書が2007年であることを考えると,1998年の段階でこのテーマで書かれたこの論文はかなり先駆的だといえる。
本論文はオリンピックだけでなく,カナダで開催されたメガイベント,1986年のバンクーバー万博,1988年のカルガリー冬季オリンピック大会,そして1996年の夏季オリンピック大会はトロントが招致活動をしていて,これら3つのイベントを考察対象としている。
バンクーバーは2010年に冬季オリンピック大会が開催され,ボイコフの研究でも反オリンピック活動が盛んだった大会で知られる。1986年の万博における貧困層の立ち退きが激しかったということがこの論文で分かり,2010年につながっていくのだと理解できる。カナダも連邦国家だが,居住権に関する法律は州によって異なるようだ。バンクーバーの位置するブリティッシュコロンビア州と,カルガリーのあるアルバータ州とでは,アルバータ州の方が借主に厳しい。日本では賃貸住宅を想像するが,カナダではホテル住まいの人の話が多い。日本でいう日雇い労働者たちが住まう簡易宿泊所のようなものだろうか。でも,カルガリーの話では比較的高級なホテルの話も出てくる。ともかく,ダウンタウンではホテルに常住している人たちが多いのだろうか。メガイベントの決定によって家賃が一時的に上げられたり,観光客のためにリノベーションするという理由で追い出したりということがなされたようだ。会場近くにある大学ではイベント開催に協力していて,その一環として学生住居を選手や観光客のために一時的に利用するなどということもあったようだ。ともかく,バンクーバー万博とカルガリーオリンピックで立ち退きにあった人は多かった。そのこともあり,トロントでオリンピック招致活動が始まってからは反対運動が激しくなり,結果的に招致は失敗に終わったという話。しかし,2010年には再びバンクーバーでオリンピックが開催されてしまい,この頃の教訓は活かされなかったのだろうか。

 

Armenakyan, A., O’Reilly, N., Heslop, L., Nadeau, J. and Lu, I. R. R. (2016): “It’s All About My Team: Mega–Sport Events and Consumer Attitudes in a Time Series Approach,” Journal of Sport Management 30: 597-614.

この論文は2010年バンクーバー大会を事例に,カナダ人543人,アメリカ人247人にアンケートを取った調査。それぞれのナショナル・チームにどんな期待をするかということを,開催2か月前,開催初日,閉会式直後,終了2か月後の4時点で測定したもの。オリンピック研究では,住民や開催国民の意識調査はなされているが,アスリートとの関連についてはなされていないということと,これまでは開催前後の2時点の実施が多かったが,それを4時点にしたというのが新しいところ。しかし,全般的にこの研究はオリンピックがどうかというところよりも,イベントの経過によって意識がどう変わるかということを心理学的統計学的に明らかにすることに重点が置かれていて,統計学的な操作にあてられた説明が多い。結果としては,文化・社会的な類似性を有する2国民であっても,統計学的に有意な差がある。冬季大会はアメリカよりもカナダが強いが,メダルへの期待はアメリカ国民の方が圧倒的に強い。また,時系列的には大会が進行するにつれて期待度は高まっていき,終了後は下がるという傾向がある。

 

Edelson, N. (2011): “Inclusivity as an Olympic Event at the 2010 Vancouver Winter Games”, Urban Geography 32 (6): 804-822.
Urban Geography誌はこの号でオリンピック冬季大会の特集を組んでいる。そのなかでも,読むのはまだ1本目だが,この論文の著者は計画コンサルタント業者のようだが,学術文献だけでなく非常に多くの資料に精通していて素晴らしい論文。私も土木コンサルタント会社で働いているが,日本の企業にも見習ってほしい。そして,バンクーバーについてはこれまでもいくつか論文を読んできたが,この論文で2010年冬季大会の見方も随分変わった。こんな要約では語りつくせない非常に充実した論文である。Oldsの論文で確認したように,バンクーバーは1986年に万博を開催し,その時は多くの立ち退きがあった。その後,1988年のカルガリー冬季大会,1996年のトロント大会への招致失敗と経験を積んできた経緯もあり,メガ・イベント開催に関わる居住権の問題や社会的弱者の権利などに市民が敏感になっている。オリンピックのようなイベントはカナダ連邦政府,ブリティッシュコロンビア州,バンクーバー市という3つのレベルの政府の関りがある。そして居住関係やインフラについてもそれぞれの関わり方がある。それを踏まえて,オリンピック招致活動が始まる前後にバンクーバーに登場したさまざまな団体が概観される。それぞれの団体はいくつかの調査を行ったりしてさまざまな報告書が公表されている。そうした団体は市民団体だけではなく,各政府が関わるものもあり,また直接オリンピックへの関与を謳った団体もある。各団体はオリンピックに向けてさまざまな活動を行ってきた結果,招致委員会が提出した立候補ファイルでは,高度なインクルーシヴに関わる目標が提示され,それが開催決定につながった一つの要因でもある。しかし,最終的な開催計画はやはりかなり透明性の悪い状態で決定したとのこと。とはいえ,各種団体はそこで落胆せずに活動を続ける。この論文で非常に印象的だった記述は,警察や軍隊を監視する団体だ。メガ・イベントの際によく行われるのがホームレスなどの一時的な排除だ。警察権力を用いて強制的に行われる。そういうことがないように,市民団体は警察を監視する。政府はホームレスの一時保護施設を作ったりし,ともかく社会的弱者への暴力だけは認めないという市民一丸となった闘いは功を制したようです。とはいえ,開催都市全体としての変容はやむを得ず,結果的にホームレスの数は1.5倍に増えたとのこと。またインフラに関しても,市民生活に要求される東西の連絡鉄道よりも,空港から市街への南北アクセスが優先されて整備されるなど,オリンピックの弊害は無ではなかった。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編6)

Andravovich, G., Burbank, M. J. and Heying, C. H. (2001): Olympic Cities: Lessons Learned from Mega-events
Politics,
Journal of Urban Affairs 23 (2): 113-131.
アンドラノヴィッチとバーバンクの共著論文は前にも紹介しましたが,彼らは北米の事例でオリンピック研究をかなり手掛けているようです。この論文も2001年という比較的早い時期の都市を文脈にした批判的研究です。この論文でも,1984年ロサンゼルス大会,1996年アトランタ大会,2002年ソルトレイクシティ大会と米国のオリンピックにこだわったているのは,米国ではオリンピック開催に公的資金を投入せず,基本的には民間活力で準備,運営をするということになっているから。まあ,ある意味新自由主義的な企業家主義的都市政策と理解できます。もちろん,招致から開催まで10年ほどかかりますので,この論文で対象としているのは,1970年代から2000年代まで,オリンピックに関わるところでいうとグローバル化や都市政策の変遷などの時代の変容があるなかで,それぞれの時代に開催されているので,それだけでも違いがあります。また,そもそもの都市の違い,夏季と冬季の違いがありますが,この論文では違いを確認しながらもそこに米国における共通点を見出していきます。米国といえど完全に民間活力ではなく,特にソルトレイクシティでは市や州などもかかわっているようです。アトランタでは,オリンピック関連の再開発に対して地域住民による反対運動がけっこうあったようです。ソルトレイクシティでは贈賄問題がありましたし,環境団体による地域住民との反対運動もあったようです。民間活力といえども,市民参加がほとんどないというところは共通しているようですね。

Lenskyj, H. J. (2015): Sport Mega-events and Leisure Studies, Leisure Studies 34: 501-507.
このレンスキーという研究者はかなり批判的なオリンピック研究者のようですが,なかなか論文を手に入れることができません。この論文も非常に短いもので,オリジナルの研究というよりは,レジャー研究の分野での状況報告です。著者はカナダのトロント大学で教育学の研究所に所属しているようですが,社会学がベースにあるようです。1980年代から研究をしているようですが,社会学のレジャー研究ではスポーツというテーマが周縁に追いやられ,そこで女性の問題をとりあげるなどもってのほかだという雰囲気があったとのこと。そもそもオリンピック研究は大学と提携した独特の研究発表の場や,IOCが絡んだものなどがあり,批判的な研究を受け入れる土台がなかなかできなかったということも指摘しています。そんななかで,彼女が2012年に編集したパルグレイブという出版社から出した『オリンピック研究のハンドブック』は批判的なエッセイのみを収録したものであるとのこと。「レジャー研究の調査は,スポーツ・メガ・イベントを批判し,レジャー・サービスを提供するにあたって社会正義という課題に政策立案者の注意を向けることによって,この不均衡に立ち向かうことができる」(p.506)と締めくくっています。

Short, J. R. (2008): Globalization, Cities and the Summer Olympic, City 12 (3): 322-340.
かなり以前から活躍している英国の政治地理学者によるオリンピック論文。以前から読みたかったがようやく入手できた。やはり読んでよかったと思える1本。まだ,こういう論文が何本かあるんだよな。何とか入手する手段を考えなくては。
さて,シンプルなタイトルで,テーマは明白ですが,内容は多岐にわたります。よく語られていることも多いですが,著者なりの特徴のある記述もいくつかあります。まずはオリンピックのテレビ放映権が回を追うごとに倍増しているということはよく知られていますが,IOCに支払われる全体の放映権における米国の割合が徐々に減少しているということ。最近はネット配信やオンデマンドなどで多様化するなか,競技中継にもお国柄が出ているそうです。その国が好きな競技や報道の仕方があり,多様化しているとのこと。また,「大会の都市化」という表現を使って,開催都市の再開発やイメージ作りなどが論じられます。大会に関わる費用対効果分析については随分ページを割いていて,その意味のなさが指摘されています。それから,オリンピックの開催都市になることがかなりのステイタスになるようで,他のイベントを引き寄せ,結局は集まるところに資本は集中し,そうでないところにはどう頑張ってもなかなか集まらないというまさに近年進行するグローバル化の不均衡拡大をオリンピックが助長しているとのこと。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編5)

Kassens-Noor, E.m Gaffney, C., Messina, J. and Phillips, E. (2016): Olympic Transport Legacies: Rio de Janeiros Bus Rapid Transit System, Journal of Planning Education and Research 38: 13-24.
前にも単著論文を読んだことがある,都市計画系のオリンピック研究者Kassens-Noorが,ブラジル出身の地理学者Gaffneyと一緒に2016年リオ大会に関する論文を書いています。リオデジャネイロでは,オリンピックの開催において,4箇所に競技施設を分散する計画でした。当然それらを結ぶ交通計画が必要となるわけですが,リオではバス・ラピッド・トランジット(BRT)が採用されました。リオは3度目の招致で,2016年開催が決定したわけですが,これまでの招致計画で問題だったのが公共交通計画であったようです。グローバル・サウス(最近はグローバル化のなかの南北格差を含めこう呼ぶようです)での新しい公共交通にBRTはよく使われるようです。日本ではあまり見かけませんが,連結式のバスを路面電車のように運行するようですね。日本は路面電車の車両を換えてLRTが使われています。さて,第三世界ではおおむね好評のBRTですが,オリンピックに向けて,IOCの要望に応えながら整備されたリオではどうなのか,かなり批判的に検討されます。実際に整備において,貧困層の立ち退きがあった事例や,環境破壊なども指摘されています。大会開催時はオリンピック・ファミリー(選手や関係者,メディアなど)は既存の道路を用い,住民は過去に培われてきた公共交通は危険で不便だという信念から利用を避ける傾向にあり,利用しているのは外国人観光客だけという実態が示されます。自家用車からBRTへのモーダル・シフトはわずか2.4%と,期待されていた公共交通の分担率が12%から大会後には40%になるという想定にはほとんど達していません。公共交通も近年期待されているオリンピック大会開催のレガシーとなるべくものですから,リオ大会の場合はイマイチだったということでしょうか。

Chalkley, B. and Essex, S. (1999): Urban Development through Hosting International Events: A History of the Olympic, Planning Perspectives 14: 369-394.
この2人のオリンピック論文は2編ほど読んだ。その2編はEssexが第一著者となっているもので,1998年のものが夏季大会,2004年のものが冬季大会を概観するものだ。しかし,この論文を読んでみると,1998年のものとセットになっているような気もする。2人の著者は地理学者であり,論文には世界地図に開催都市が示されたものや,開催都市の施設配置の地図などが掲載されている。この論文も夏季大会について,1896年第1回アテネ大会から1996年アトランタ大会まで触れているが,都市の地図を掲載しているのは,1932年ロサンゼルス大会,1936年ベルリン大会,1976年モントリオール大会,1996年アトランタ大会である。一方,1998年の論文にも同じような地図があり,1972年ミュンヘン大会,1992年バルセロナ大会,2000年シドニー大会の地図が掲載されている。各大会について,2人で分担して調査・研究をしているのだろうか。
この論文では,オリンピック大会の開催が都市に与える影響という観点から,1896-1996年までの大会を4つのフェーズに区分しています。1896-1904年の第1フェーズは規模が小さく,新しい施設の建設など都市への影響は小さかったとされています。1900年パリ大会からは万国博覧会の一部として開催されていたことはよく知られています。第2フェーズの1908-1932年はオリンピックのための主要施設が新設されるようになりました。1908年ロンドン大会は万博との同時開催でしたが,オリンピックのためのスタジアムが建設されています。このように,この時期にはスタジアム建設に伴って,開会式などが祭典化します。1932年ロサンゼルス大会では,仮設施設の建設資材が大会後に売却されるなどもあったようですね。第3フェーズの1936-1956年は1936年ベルリン大会は特別ですが,その後もオリンピック村やオリンピック公園など,複数の施設が集積して開発されるようになりました。第4フェーズの1960-1996年は,競技施設だけでなく,施設が分散することもあり,公共交通機関なども含め,都市構造そのものにオリンピックが契機となるようになりました。1964年東京大会はその規模がかなり大きくなったことで有名です。それもあり,開催都市において住民によるさまざまな運動が生じてきた時期でもあります。1976年モントリオール大会はそうした開発により大きな負債が負の遺産として残されたことがよく知られています。ちなみに,この論文はホールマーク・イベント研究としての位置付けがなされています。

Reiche, D. (2017): Why Developing Countries are Just Spectators in the Gold War: The Case of Lebanon at the Olympic Games, Third World Quarterly 38: 996-1011.
オリンピック関連の文献を読み始めてから気になっていた雑誌『季刊第三世界』のオリンピック関連文献をようやく入手し,その1本を読んだ。ちなみに,第三世界とスポーツということについては,日本でも若干議論があり,石岡丈昇(2004):第三世界スポーツ論の問題構制―認識論的検討とフィールドワークの「構え」―『スポーツ社会学研究』12: 49-60.は読んでみたが,この雑誌は登場しない。まあ,ともかくオリンピックを典型として近代スポーツはさまざまなものとともにヨーロッパから植民地にもたらされたものであり,コロニアル研究の題材には適している。さて,この論文では何がテーマなのだろうか。以前紹介したもののなかでも,南アフリカ共和国がオリンピック招致運動をしたというものがあったが,招致することだけがオリンピック研究ではない。この論文ではレバノンを事例に,途上国とオリンピックの関りを論じている。レバノンはフランスから1943年に独立した国だが,1948年ロンドン大会以降,オリンピックには続けて選手を送り出している。しかし,その数は64年間で夏季・冬季併せて212人,多い大会で20人程度,少ない大会では1名の参加である。しかも,20程度を送り出していた年は,国内での内戦があった時期で,逆にオリンピックがそうした国際政治へのアピールに利用されたりするということを意味している。
なお,この論文は大会参加者や国内のオリンピック組織の要人へのインタビューを含んでいる。レバノンも1950年代から1980年までに4つのメダルを獲得しているが,近年では全くである。そもそも途上国ではこうした国際的なレベルに通用するスポーツ選手を育成するプログラムを持っていない。そもそも,国内で行われているスポーツが,国際大会の規格に適した形で行われていない。こうした国がオリンピックに選手を送るのにはIOCからのお金の流れがあるそうだ。実際にはオリンピック・ソリダリティ(OS)による支援で,2016年リオ大会でレバノンに支払われた額は13.2万米ドルだとのこと。その他に,こうした国ではディアスポラという手段があり,難民などで離散した,レバノン国籍を有する選手をレバノン代表として出場させている。近年では,米国の大学でスポーツを学んだ選手が出場しているとのこと。ただ,そうした特別枠は競技が限られている。また競技によっては国際連盟の力が大きかったり,ともかく途上国の選手がメダルを争うようなことは不可能ではないがとても難しいということがわかる。

Hiller, H. H. and Wanner, R. A. (2011): Public Opinion in Host Olympic Cities: The Case of the 2010 Vancouver Winter Games, Sociology 45: 883-899.
ヒラーはメガ・イベント,オリンピックを専門とする社会学者。ありがたいことに,自分の論文を自分のウェブサイトでほとんどPDFアップロードしてくれている。この論文を含むいくつかのものはオリンピック開催都市の居住者にアンケート調査をした結果報告です。この論文は2010年のバンクーバー冬季大会のもの。これまでも都市住民への意識調査をしたものはいくつかありましたが,学術的なものは少なく,しかも比較可能な形でなされていないという。この調査はかなり形式的な定量的社会調査です。大会開会の直前から閉会3日後まで6時点,1時点500サンプルで合計約3,000の回答を得ています。調査を依頼したオンラインを利用した調査会社はバンクーバー大都市圏内に8,000地点,10万人のパネラーを有しており,そこから年齢や性差などの社会的指標のバランスがセンサスと合うように抽出しているようです。結果的には時期を追うごとに,オリンピック大会に対する肯定的な意見が増えるというもので,それは特に同時期に行われた投票行動と,実際にオリンピック関連イベントへの参加の有無が大きく影響したとのこと。まあ,こういう調査をするとどうしても批判的な結果にはならないということでしょうか。バンクーバーはボイコフの研究などでも反オリンピック運動が盛んな大会,都市でしたが,多くの住民にとっては肯定的に受け止められたということのようです。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編4)

Muller, M. and Stewart, A. (2016): Does Temporary Geographical Proximity Predict Learning?: Knowledge Dynamics in the Olympic Games, Regional Studies 50: 377-390.
またまたミュラーによる面白いオリンピック論文。今回はオリンピックメインではなく,経済地理学の新潮流である知識に関する議論がメインのような論文です。タイトルには近接性という語がありますが,そもそも地理学とは近接性を議論する学問で,経済地理学であれば企業の集積,すなわち経済主体が近接して立地することによって産業あるいは都市が発展するような議論があり,それが徐々にさまざまな技術によって分散しても成立するようになったりするという議論。そして,さまざまな遠隔的なコミュニケーション手段が発達してもやはり対面コミュニケーションが大事なんだといわれたり。ともかく,地図上で表現できる地理的近接性がまずあります。しかし,それは企業が近くに立地しているという永続的なものか,あるいは担当者が移動して面接するような臨時の近接性もあります。そうした人間の接触を通してさまざまな情報が流通するわけですが,単なる情報ではなくそれを「知識」と捉えます。この論文では,ミュラーが手掛けてきたオリンピックでのステークホルダーへのインタビューがデータとして用いられ,定量的な分析がなされています。オリンピックはスイスを本拠地とするIOCがあり,実際の開催に関しては各国のNOCがあり,現在では4年に一度,大陸をまたいで離散的な開催地で実施される大会です。通常は企業活動の売り上げや,特許取得などが知識の効果を測る指標になると思いますが,オリンピックの場合はこの辺りがはっきりとしません。正直なところ,前半の知識の経済地理学に関する議論は面白かったけど,後半のオリンピックの事例はよく理解できなかった。

 

Gaffney, C. 2016. Gentrification in pre-Olympic Rio de Janeiro. Urban Geography 37 (8): 1132-1153.
著者は2010年,2013年とリオ大会関係のオリンピック論文を持つ地理学者だが,2013年時点ではそれこそリオの大学の所属していた。それが,この論文では所属がチューリッヒ大学になっている。まさに,ここでも紹介しているミュラーの所属する大学だ。そして,この論文はタイトルからも分かるように,ジェントリフィケーションをテーマにしていて,この分野の研究者である,ロレッタ・リースやヒュン・バン・シンらに誘われてこの分野のセミナーで報告した内容のようだ。前半ではいわゆるジェントリフィケーション研究の基礎的知識が紹介され,リオデジャネイロの住宅市場の動態などが示される。そして,オリンピック関連の開発がなされる4地区を選定し,現地写真とともに開催前の状況が報告されている。ブラジルでは映画の『シティ・オブ・ゴッド』でも描かれる貧民窟「ファベーラ」というのが有名だが,Barra da Tijucaという地区では,2007年のパンアメリカン競技大会時に選手村の建設でファベーラが撤去され,2016年オリンピック大会の開催が2009年に決定すると,2010年には市当局が2012年までに撤去するファベーラの119に及ぶリストを公表する。実際の解体風景の写真や,オリンピック公園に建設中の建物の写真も掲載されている。「永続的なジェントリフィケーション」や「サブージェントリフィケーション」,「新築のジェントリフィケーション」など,これまでの研究で世界中で観察されたさまざまな種類のジェントリフィケーションがこの時期のリオでも観察されている。市政府は1990年代以降の新自由主義的な中央政府の戦略に追随し,その結果一連の主要な文化・スポーツ・イベントの獲得を目指している,という。

 

Miyoshi, K. and Sasaki, M. (2016): The Long-Term Impacts of the 1998 Nagano Winter Olympic Games on Economic and Labor Market Outcomes, Asian Economic Policy Review 11: 43-65.
愛知学院大学の三好向洋氏と大阪大学の佐々木 勝氏という2人の経済学者による1998年長野大会の長期的な経済効果の分析。ちなみにこの雑誌は日本経済研究センターが出しているもののようです。英文ではありますが,準日本的論文。ただ,方法について丁寧に説明されていてありがたい。とはいえ,私には難解な箇所もあり,正確にどのようなデータをどのように解析してその結果が出ているのかは分からない。結論からいえば,この論文で推計しているのは,長野オリンピックが開催されなかった場合の各指標の推移。それと実際の推移を比較することで,長野大会の経済効果を測定できる。その指標とは県民総生産(一般的にGRPと呼ぶと思うが,この論文では地域限定GDPのように読んでいる)と人口,地価,求人数。生産額に関しては,建設業とサービス業,不動産業を示している。地域区分としては,長野県とそれ以外の46都道府県,オリンピック関連施設は長野県北部に集中しているため,代表して長野市という単位でもいろいろやっているようだ。期間は1985年から2010年。多くの指標に関しては,明らかにオリンピックが正の効果をもたらしているが,建設業に関しては,2002年あたりで逆転する。長野での開催が決定した1991年から開催年までは建設業のピークがあるが,それ以降は下火になっていく。地価についても同様の傾向。求人倍率についてはあまり効果は見られない。

 

Andranovich, G. and Burbank, M. (2011): Contextualizing Olympic Legacies, Urban Geography 32: 823-844.
地理学の雑誌だが,政治科学部に属するアメリカの研究者2人によるオリンピック論文。私の知らなかった論文も含め,前半のレビューはよくまとめられていて勉強になります。IOCが本格的にレガシー=遺産ということを言い出したのはそんなに古い話ではありませんが,この論文ではIOCの言葉とは関係なくとらえています。以前から,オリンピックのような規模のスポーツイベントが開催されると,その時だけ使って,大会後は使われなくなってしまう施設が残るという話は以前から指摘・批判されてきました。そんな施設のことを「白い象」と呼んだりします(この論文ではこの言葉は出てきませんが)。都市再開発に巨額をつぎ込んだ例として,1964東京(97%!),1992バルセロナ(67%),2008北京(65%)などが挙げられています。研究者によるレガシーとの具体的な捉え方についても1984-2008年までに発表された7編の論文についてまとめています。
さて,本論文の本論は米国で開催された1984ロサンゼルス大会と2002ソルトレイクシティ大会のレガシーを分析することになっています。ロサンゼルス大会は商業的に成功した大会として有名で,これ以降テレビ放映権の高騰や,スポンサー企業による商業化などが加速します。しかし一方では,巨額の公的資金をつぎ込んで新しい施設を建設するということには歯止めをかけ,多少施設は分散するが既存の施設をうまく活用し,また当時は大学が利用されましたが,今後の利用を含めた私的企業による施設建設・運営ということが行われました。それが現在のロサンゼルスのスポーツ空間(施設同士のネットワーク)を形成しており,それが大きなレガシーだといいます。ただこの論文では,ロサンゼルスは2028年の開催が決定していますが,そこにいたる招致活動について説明されています。さて,ソルトレイクシティに関しては私はほとんど知識がなく,あまり理解ができませんでした。新聞記事の分析を中心にソルトレイクシティの知名度やユタ州との関係,施設の配置などの問題があるなかで招致運動を重ね,2002年の開催に至ったとのこと。レガシーとしてはソルトレイクシティの知名度向上などイメージの話が主のようです。ともかく,オリンピックのようなメガイベントはその経済効果が期待されていますが,それは「経済発展」というイデオロギーに支えられたものであるということを考えさせられる論文でした。レガシーに関しては日本のオリンピック研究でも比較的議論は盛んで,有形・無形のレガシーがあるということですが,経済的次元に捕らわれない捉え方への可能性がある概念ではあります。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編3)

Gold, J. R. and Gold, M. M. (2008): Olympic Cities: Regeneration, City Rebranding and Changing Urban Agendas. Geography Compass 2 (1): 300-318.
http://www.umsl.edu/~naumannj/professional%20geography%20articles/Olympic%20Cities%20-%20Regeneration%2C%20City%20Rebranding%20and%20Changing%20Urban%20Agendas.pdf
同タイトルの編著書を持つゴールド夫妻ですが,2007年の初版を書いた後に,2012ロンドン大会についても書きたくなったのでしょうか,こんな論文があります(なお,編著書の方は2011年に第2版が,2016年に第3版が出されています)。とはいえ,副題にあるブランド化などテーマを絞って詳しく議論されているかと思いきや,全般的な話が中心で,最後に若干ロンドン大会を4年後に控えた状況などが報告されています。

 

Boykoff, J. (2011): Space Matters: The 2010 Winter Olympics and Its Discontents. Human Geography 4 (2): 48-60.
https://core.ac.uk/download/pdf/48845602.pdf
ボイコフは『反東京オリンピック宣言』にも『New Left Review』に2011年に掲載された「反オリンピック」という論文が訳出され,今年は彼の著書『オリンピック秘史』が出版され,日本でも注目されてきた,元プロサッカー選手という異色の社会学者。なお,本誌は「新たなラディカル雑誌」と銘打った『Antipode』を意識したように2008年に創刊されたようです(この論文を知るまで知らなかった)。ともかく,おそらく地理学者の要望に応えて寄稿したものだと思われますが,同じ年に発表された「反オリンピック」と同様に2010年にバンクーバー冬季大会の反オリンピック運動を取り上げ,特にこの論文では空間論を展開します。具体的にその運動の空間的な展開を分析するわけではなく,ルフェーヴルの空間の生産論やニール・スミスのスケール論などを参照して抽象的な空間論が展開されます。とはいえ,バンクーバーに関しては,先住民から奪った土地でオリンピックを行うことを反五輪運動家が告発し,空間的正義を主張します。各国を回る聖火リレーについても言及され,また反五輪活動家たちは国境を越えて,ソルトレイクシティからバンクーバーに集まるといいます。まあ,思っていた以上にボイコフの文章は洗練されていて読み応えがあります。

 

Kolotouchkina,O. (2018): Engaging Citizens in Sports Mega-events: The Participatory Strategic Approach of Tokyo 2020 Olympics. Communication & Society 31 (3): 45-58.
英語圏でも2020東京大会の研究が出てきました。ただ、掲載されている雑誌からも、都市研究ではないことは分かる。アブストラクトをざっと読むと、東京大会で行われている、マスコットを児童による投票で決めたということ、金メダルを携帯電話などの小型家電のリサイクルから作るということ、そして無償による大会ボランティアという試みをポジティブに評価するもので、あまり期待はせずに読み始めた。
しかし、前半のレビューではメガイベントの負の側面についてもきちんと目配せされている。その上で、この論文のアプローチは市民参加という観点であり、近年のグローバル化した都市における市民のあり方、また市民参加のあり方のオルタナティブを模索する目的であることが分かる。そうしたことについては、草の根からの市民運動が思い浮かぶが、それだけではなく、ある意味政治・経済権力主導のメガイベントをうまく利用して新しい市民参加のあり方を考えるというのは確かに重要だと思う。
もちろん、東京大会はまだ開催されていないので、この論文は開催以前の調査になる。文献調査にソーシャル・メディアのモニタリング、2017年に行われたオリンピックでの広告をめぐる国際会議などでの資料収集、東京オリンピック委員会や電通、ウェーバー・シャンドウィック(米国の広告代理店)の人物などに聞き取りを行っている。これはまだ入手出来ていないが、2016年にはKassens-Noorによる東京大会の論文が出ているようで、それによれば、東京大会では空間情報システムや次世代ロボット、インテリジェント交通システム、高精密度テレビ、長期進化技術、先進ビデオ解析など、技術的な挑戦が試みられるという。また、ジェンダーバランスやバリアフリーも謳っているらしい。
上で書いた、東京大会での市民参加の試みは大体知っている内容だが、改めてメダルの材料をリサイクルから得るという試みの進捗を調べたら、すでに銅メダルは100%、金が54.5%、銀が43.9%集まっているといいます。なかなかバカにできませんね。ちなみに、大会ボランティアについても、予定人数を超える応募があったという報道がありましたが、リオ大会では有償だったそうです。

 

Finlay, C. (2014): Beyond the Blue Fence: Inequalities and spatial Segregation in the Development of the London 2012 Olympic Media Event. Interactions: Studies in Communication & Culture 5: 199-214.
2012
年ロンドン大会が,ロンドンでも外国人労働者や貧困層の集住するイーストロンドンの再開発でメインスタジアムなどが建設されたという話は有名である。建設中は,内部が見えないように青いフェンスを立てるのは普通の措置だと思うが,このフェンスをめぐる抵抗運動を論じたのが本論文。ルフェーヴルの空間生産論を論拠としています。2つの事例が示されていて,1つ目の事例は政治的なものです。オリンピック関連の再開発地区であるイーストロンドンには該当する5つのバラ(Borough:イギリスの行政単位)がありますが,その区議会(?)議員に関する話で詳しくは忘れてしまいましたが,オリンピック準備中にかれらが作った名刺の分析をしています。こういう時に,かれらはどういう肩書で自らをアイデンティファイするのか。なお,その議員は再開発に伴う立ち退きの当事者だったそうです。
2
つ目の事例がその青いフェンスへの落書きです。落書きによる政治的抵抗についてはよく語られることですが,今回の場合はすぐに消されてしまうとのこと。しかし,ソーシャルネットワークの時代,すぐに消されてしまっても,それを撮影し,ネットで世界に拡散することで,その抵抗運動は新しい意味を獲得したという議論です。そこから新しい抵抗運動の形が作られ,ネットを介した不特定多数の運動主体が現れるという,結果的にロンドン大会に修正を迫るような大きな効果は見られなかったが,今後こうした抵抗運動の力はどんどん増していくという。ボイコフとは異なる形での反オリンピック運動の報告でした。

 

Munoz, F. (2006): Olympic Urbanism and Olympic Villages: Planning Strategies in Olympic Host Cities, London 1908 to London 2012. The Sociological Review 52 (s2), 175-183.
翻訳もされた『俗都市化』の著者である,スペインの地理学者ムニョスによるオリンピック研究論文。思いの外さっと読めました。難しい話は少なく,もっぱら選手村の歴史的事実と建築類型に関する議論です。選手村という観点からのオリンピック史というのはありそうでないですね。1932年のロサンゼルス大会では,テイラー主義,フォード主義の影響下で大量生産の住宅であったという。1936年のベルリン大会では合理主義の「快適さ,単純さ,清潔さ」が優先された。戦後の1960年代になると機能主義からラディカリズムへと移行する。高層のプレハブ住宅が登場します。1964年東京大会はメタボリズム建築家によるものだとされます。1970年代に入ると,オリンピック公園が都市のレジャー施設と化していく。1980年代にはポストモダンの影響下で,都市計画全体の文化的象徴として建築が用いられる。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編2)

Pillay, U. and Bass, O. 2008. Mega-events as a response to poverty reduction: The 2010 FIFA World Cup and its urban development implication. Urban Forum 19: 329-346.
https://link.springer.com/content/pdf/10.1007%2Fs12132-008-9034-9.pdf
この論文はタイトル通り,2010年に南アフリカで開催されたワールドカップ大会における都市再開発を扱っている。多くの国際的文献はその収益効果の評価へと向けられるが,この論文では貧困の軽減がもたらされるわけではないことを示している。とはいえ,南アフリカにおいてどこがワールドカップの競技に用いられるために開発されたのかなど基礎的な情報が提供されず,国際的文献の分析に終始しているため,具体的な像がつかめない。まあ,実際には開催年の前に発表された論文であり,最後に「2010年大会に向けての洞察」などとなっている。南アフリカではまだメガイベントが国民形成や,国際社会への仲間入り,経済と再開発の獲得に向けられている。しかし,さまざまな文献から,開発のアジェンダを提言していて,コミュニティ支援プログラムや雇用創出,低家賃住宅の提供,零細企業支援,統合交通システムの提供などが含まれる。

 

Muller, M. and Steyaert, C. (2013). The geopolitics of organizing mega-events. In Handbook on the Geopolitics of Business, ed. Munoz, J. M. S. Edward Elger, 139-150.
https://serval.unil.ch/resource/serval:BIB_F03D204E0F87.P001/REF
ミュラーはメガイベント研究を専門とする地理学者だが,「ビジネスの地政学」と題されたハンドブックの1章ということで,メガイベント組織をビジネスとみなし,それを地政学の観点から論じたもの。よって,目新しいデータなどが使われているわけではないが,うまくまとめられている。まず,オリンピックのようなメガイベントはグローバル資本主義と消費者文化の縮図と認識している。そして,地政学を権力のグローバル競争と定義する。近年のメガイベント招致は新しい地政学的局面に入っているという指摘は,町村氏の議論と同じだといえよう。そして,三つの行為主体を特定している。1.国民とグローバル想像の地政学,2.企業と市場拡張の地政学,3.都市と(不)視覚的な効果の地政学。1.に関してはジョセフ・ナイの概念「ソフト・パワー」の概念を借り,北京大会の中国,アボリジニを開会式に動員したシドニー大会を論じている。国民の包摂と国際社会への仲間入り。2.に関しても北京大会のスタジアムが論じられ,世界的な設計会社による,最先端技術を用いて中国的モチーフをシンボルに仕立て上げる。チケット販売についても議論があり,その金額と販売方法が開催都市住民に開かれたものではない。3.に関してはメガイベとが都市政治から都市地政学へと移行しているという。企業家主義的でネオリベラリズムによる都市再開発は1984年のロサンゼルス大会に始まる。ジェントリフィケーションやブランド化が進展し,創造都市間で過度に競争され,グローバルな要求に都市政策が従属することでメガイベントは都市の均質度の増加に拍車をかける。

 

Hiller, H. H. (2000). Mega-events, urban boosterism, and growth strategies: An analysis of the objectives and legitimations of the Cape Town 2004 Olympic bid. International Journal of Urban and Regional Research, 24(2), 439-458.
http://people.ucalgary.ca/~hiller/pdfs/Olympic_Bid.pdf
かなり引用されることが多い文献。失敗に終わった南アメリカのケープタウンでの2004年夏季大会の招致活動を事例にしています。アパルトヘイトで知られる国ですが,1960年代に産業の成長がみられ人種の差を基礎とする経済格差が広がります。1991年にアパルトヘイト関連法が撤廃され,1994年に全人種参加の総選挙でマンデラ政権が成立。全人種参加の地方選挙の実施は1995年で,新憲法の発効が1997年とのこと。2004年の開催都市は1997年の9月にアテネに決定されますから,まさに民主化に向けた変容のなかで招致活動がなされたといえます。ということもあり,この国においてはオリンピックが単なる都市再開発のような狭い意味ではなく,人間開発(human development)がその理由とされた。具体的な開発においては,不遇地域(disadvantaged area)の多くがその対象となっていた(残念ながら地図が不鮮明で見にくい)。この論文では,その招致計画を以下の項目で詳細に検討しています。不遇地区における施設建設,コミュニティのスポーツ・プログラムを支援するスポーツ施設,人的資源の機会,手ごろな家賃の住宅ストックへの貢献,中小企業への支援,交通システムによる都市統合,コミュニティのコンサルタント,など。もちろんこれらがきちんと盛り込まれていた招致計画であったわけではありません。論文タイトルにもboosterismとありますが,boostとは「景気あおり」などの意味があるように,boosterismには「推賞宣伝」という訳語があります。ケープタウンでは1990年に企業家のアッカーマンという人物の主導で招致活動が始められました。しかし,アフリカ民族会議(ANC)の政権により,招致を政府主導で行う方針となり,その間にケープタウン市が1996年に,市が属する西部ケープ県が1994年に有色人種から指示を受けた国民党政府になります。
とはいえ,オリンピックは南アフリカにとって公私両側にとって,ビジネスの好機とみなされ,観光産業や歓待産業の企業がスポンサーに名を連ねたとのこと。オリンピックへの市民の期待はアンケートによって異なるようで,首都圏や富裕層が住む地区では80%が支持したという結果の一方,ケープタウンでは黒人が92%なのに,白人が62%,白人読者の多い新聞では70%が反対,他の新聞では92%が「No」など。実際には,候補地として落選するわけですが,その前にいくつかの施設が建設され,政府が多額の費用を負担したとのこと。結論としては,「パン」を必要とする人々のために「サーカス」を用意したようなものでしたが,メガイベント開催の大義としては,新しい人道主義的な都市的価値という新たなオプションを用意した,ということのようです。

 

Hall, C. M. (1989): The Definition and Analysis of Hallmark Tourist Events. GeoJournal 19 (3): 263-268.
https://www.researchgate.net/publication/227225064_The_definition_and_analysis_of_hallmark_tourist_events
メガイベント研究という分野がありますが,その前にはホールマークイベントと呼ばれていたようです。ちょっと日本語としてしっくりくるものはありませんが辞書で調べると「折り紙付きの」のような意味位しかなく,まあ本来は規模に限らず重要なイベントという意味合いだったのでしょうか。この分野の先駆的な論文はRitchieという人の1984年のものだがまだ入手できず。とりあえず,継続的にメガイベント研究をしている地理学者ホールによるものがこの論文。地理学雑誌に掲載され,またタイトル通り観光分野をメインとしています。「ホールマーク観光イベントは近代観光のイメージ創造者である」と定義づけ,限られた期間で開催されるイベントを規模の小さいコミュニティ・イベントと比較的大きいホールマーク・イベントに区分し,後者をさらに規模の大きいスペシャル・イベントと最大級のメガ・イベントに区分する表を掲載しています。そして,最後の文章が示唆深いです。イベント計画者や観光研究者は,イベントの招致に当たり,ホストコミュニティの望まない費用を最小限にし,かつ効果を最大限にするように努めなくてはならず,当該コミュニティに持続的で活力のある観光産業を創造しなくてはならない,という。

 

Roche, M. (1994): Mega-events and Urban Policy. Annals of Tourism Research 21: 1-19.
以前にも紹介した,2000年の『メガイベントと近代性』で知られる社会学者の1994年の論文が入手できた。冒頭で,メガイベントはその開催都市に長期的な影響を及ぼす短期開催のイベントであると記し,前半で以前のホールマークイベント研究はその原因・大義よりも効果,特に経済効果に焦点を合わせることが多かったという。それに対して,今後は非経済的な影響を考えるために,原因や大義に焦点を合わせる必要性を説く。それには,計画へのアプローチと政治的なアプローチが必要だという。こう書くと,近年の研究の方向付けをしている気がします。この論文では事例として1991年にシェフィールドで開催された世界学生大会(ユニバーシアード)を取り上げている。実際に招致前と招致中,開催後とに分けたいくつかの表が掲載されていますが,どうも読んでいてすっと頭の中に入ってきませんでした。『メガイベントと近代性』も序文のみPDFで入手できたので読んでいたが,これもイマイチ頭に入ってこなかった。個人的に合わないのだろうか。ということで,この論文も結論近くの一文を引用することでお茶を濁したい。「遺産や新しいアトラクション,メガイベント政策を含む都市の観光政策は,変容の生みの苦しみや様々な危機のなかで,都市によって生産される。」

 

Muller, M. (2015): The Mega-events Syndrome: Why So Much Goes Wrong in Mega-event Planning and What to Do about It. Journal of the American Planning Association 81 (1): 6-17.
https://www.tandfonline.com/doi/pdf/10.1080/01944363.2015.1038292?needAccess=true
論文ごとに面白い視点を提供してくれるミュラーですが,副題からも分かるように,今回もなぜメガイベントが負の側面を生み出し続けるのに継続されるのか,というところに力点を置いているようです。今回も11か国に及ぶメガイベント計画者,運営者,政治家,コンサルタントの51人から,2010年から2014年にかけて行ったインタビューに基づく研究になっています。オリンピック症候群における兆候は7つほど想定されています。1.過度に約束された便益,2.過小評価された費用,3.イベントの最優先,4.公的な危機引き受け,5.例外規則,6.エリート獲得,7.イベントの固定制。3.までは分かりやすいです。4.は私的投資による失敗を公的資金で補填するようなことでしょうか。2020東京大会でも少し意味合いは違いますが,晴海の都の土地を選手村として利用しますが,選手村の後はリニューアルして分譲マンションとして売却する予定で,私的企業が開発します。しかし,その土地の値段は格安になっています。5.7.も分かりやすいですね。6.に関しては,ジェントリフィケーションなどの言葉が出てきます。まあ,これもよくある議論で,メガイベントに乗じた開発などは富裕層に利益をもたらすのがほとんどで,貧困層は何の恩恵もなく,場合によっては立ち退きなどの不利益をこうむります。この論文の後半は政策的提言にあてられています。それぞれの兆候に他書するためのラディカルな変化として5つ,増えつつある変化として7つ挙げられています。前者が,メガイベントを大規模都市再開発と結びつけないこと,イベント開催団体との契約,公的支出に上限を設ける,独立した専門家評価を決める,エベントの必要規模を縮小あるいは上限を定める。後者は,招致段階で公的な参加を始める,招致時期に候補のための同意事項を固定する,レガシーを管理する独立した組織の創設,イベントの脱中心化,イベント後の利用が不確実なものは臨時の構造物とする,知識交換の契約,通常の契約手順に乗り入れしない。

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