学問・資格

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編15)

Randeree, K. (2011): Islam and the Olympics: Seeking a Host City in the Muslim World,International Journal of Islamic Middle Eastern Finance and Management 4 (3): 211-226.
イスラーム世界でのオリンピック大会開催は可能かを検討する論文。とはいえ,招致ということであれば既に実績がある。2020年を東京と争ったトルコのイスタンブール,カタールのドーハ,他にも冬季大会への立候補の実績はある。漠然とイスラーム世界といっても,この論文ではイスラーム協力機構(OIC)に加盟している56か国を対象としている。それは近東・中東だけでなく,アフリカから東南アジア,東ヨーロッパや旧ソ連の中央アジアまでが含まれている。まず,1960年以降の夏季大会開催国のデータを2008年時点のもので整理し,1人当たりGDP3,000米ドル以上(中国の3,259が最低),GDP3,500億ドル以上(ギリシアの3,575億ドルが最低)を大体の基準と定め,56か国で将来的に開催国となる可能性を見極めている。もちろん,そこからはIOCが求める要件を満たさない国は除外される。政治的安定,宗教の自由を含む社会的安定,人種の平等,人権,女性の平等,近年のセキュリティ,既存のスポーツ,交通,歓待のインフラ,メガ・イベント開催実績,公共財政の保障。OICに加盟している56か国から,明らかに政治的不安定や,宗教に伴う女性への圧力や,テロ発生,それから明らかにオリンピックが開催できない国土の狭さなど,条件に当てはまらない国を除いた14か国について,10の項目を詳細に記した6ページにわたる表が示され,オリンピック開催の可能性を検討している。結果として可能性があるのは10か国で,その中でも特に5都市の可能性は高いとしている。まずはイスタンブールであるが,懸案としてはテロやキプロスとの関係,EUへの加盟などがある。次にドーハ。こちらは夏季に50℃を超える気温が懸念。ただ,1964年東京大会など,10月での実施も過去にはあったので,IOC次第。そして,ドバイ。こちらは空調が完備された室内競技場という約束をしているらしいが,マラソンのような競技はどうにもならない。最後に,クアラルンプールとカイロ。しかし,最近は2032年の夏季大会にインドネシアのジャカルタが立候補したというニュースもありましたね。さて,どうなるか。

Van Wynsberghe, R., Surborg, B. and Wyly, E. (2013): "When the Games Come to Town: Neoliberalism, Mega-Events and Social Inclusion in the Vancouver 2010 Winter Olympic Games," International Journal of Urban and Regional Research 37 (6): 2074-2093.
2008
年の論文で、同じ3人の著者は、2010年バンクーバー大会を成長マシーン論と都市レジーム理論の枠組みを用いて分析している。この論文では、ネオリベラリズムの観点を用い、さらに「社会的包摂social inclusion」の観点を取り込んでいる。カナダのメガ・イベント招致および開催の歴史において、人権や居住権が問われ続けてきて、さまざまな市民団体の運動が盛んに行われてきたことはこれまでに紹介してきた論文でも多く語られてきた。著者たちはそうした団体の一つ、「コミュニティへのインパクトに関する連合(IOCC)」という団体に属しているようで、2010年大会の招致段階から活動してきて、いわゆる参与観察という手法で調査が行われている。他にも、「ビジネスのための建設機会(BOB)」というプログラムなどが取り上げられる。この論文は参与観察だけではなく、文書の分析、関係者へのインタビューなども含まれる。
オリンピックをネオリベラリズムの観点から論じるものは少なくないが、この論文では、まずもってクーベルタンの思想自体にフランス貴族のリベラル思想が反映されているという。国大会というナショナリスティックな側面がありながらも、結局は個人の勝敗の方が強く称賛されるというのはその思想の故である。その後、IOCの進展によって、そのオリンピズムはネオリベラリズムのグローバル化の影響下で、近年ではスポーツと文化に機軸を置いた持続可能性の採用に現れている。IOCはスポーツと文化に続く第三の基軸として「環境」を謳うことになる。そんな観点から2010年バンクーバー大会を検討するわけだが、バンクーバーという都市自体も1960年代から1970年代にかけて都市政策としてネオリベラリズムの影響下にあった。その上で、2001年にバンクーバーでの開催が決まってからの動向が詳細に説明されているが、複雑でこの英文論文を一読しただけではきちんと中身はつかめない。バンクーバーの組織委員会(VANOC)は「インナーシティ包摂への関与に関する声明(ICICS)」に従って、特にビジネスの発展、雇用と訓練とに配慮した開発計画を進める。しかし、そこでいう「社会的包摂」はネオリベラリズム的な読み替えが行われ、ホームレスの救済などの観点ではなく、あくまでも地域経済の発展という観点での雇用創出となる。バンクーバー協定なるものが締結され、そのなかで2005年に「ビジネスのための建設機会(BOB)」というプログラムが始まる。オリンピック村の開発地区である、サウスイースト・フォールス・クリークは1986年万博以降に再開発されてきた周辺の未開発工業用地の最後の敷地であった。開発に際し、さまざまな団体が資金を集め、その一部がBOBにも流れ、11名のスタッフによって運営が行われ、最終的に114名のインナーシティ住民の雇用を斡旋している。そのうち、60名が職業訓練の卒業生で、45名が雇用候補者からの採用である。この論文は、さまざまな団体の想いとは裏腹に、実際に実行されたのはネオリベラル化されたものであったが、それでも一定の成果があったことを強調している。持続可能性とはネオリベラル・イデオロギーの一部であるという認識を持ちつつ、現実を評価することが学術研究者には求められる。

Roult, R. Adjizian, J-M. and Auger, D. (2016): "Tourism Conversion and Place Branding: The Case of the Olympic Park in Montreal," International Journal of Tourism Cities 2 (1): 77-93.
この論文は、オリンピックで開発された施設の大会後の利用として、観光拠点にする方策を探るもの。冒頭は「場所のブランド化」の議論を整理していて、そんな文脈に位置づけようとしています。1976年にモントリオールはオリンピック夏季大会を開催しました。この大会は多額の負債をモントリオール市に残したことで知られますが、かなり斬新なデザインのオリンピック・スタジアムを要するオリンピック公園が今も健在のようです。この論文ではウェブ・アンケートによる5,553の回答と、地元関係者に対する36名のインタビューからなるものです。アンケート調査は世界規模で行われたものだというが、アメリカ人2,542人、フランス人1,004人、英国人1,002人、ドイツ人1,005人とかなり偏りがある。基礎的な社会属性に関するものから、モントリオールを訪れたことがあるか、3年以内に訪れる予定があるかなどの質問が続く。次に、オリンピック・パーク(回答者405)やスタジアム(198)に訪れた際の行動についてもたずねている。次に、カナダの諸都市のどこを訪れようとしているのかを尋ねていて、全体的にはモントリオールが一番、バンクーバーは2番、トロント、ケベック、カルガリーと続く。ケベックはダントツにフランス人が多く、モントリオールも多い。バンクーバーはフランス人は少なくドイツ人が多い。続いて、モントリオールの象徴的な場所やモニュメント、魅力を尋ねていて、一番はホッケー関係、二番目がオリンピック・スタジアム、メープル、自然と風景、冬、ナイアガラの滝などが続き、これも国別によって順位が異なる。モントリオールの国際観光目的地についても尋ねていて、オリンピック・スタジアムは一番。上位には私の知らないものが多いが、ホテル、植生、カジノ、教会、ジャズ・フェスティバル、F1グランプリ、ゲイ村などが挙げられている。こうした結果を受け、モントリオールは他のカナダの諸都市と比べ、スポーツ施設の優位性があるため、都市間競争において戦略的にそれらを活用することができるという。ただ、トップ・アスリートのためだけではなく、アマチュアや生徒、レクリエーションなども視野に入れる必要がある。アンケートの分析結果の考察にあたっては、インタビュー結果が活用されている。オリンピック公園の諸施設は近代化と再開発が必要であり、スタジアムは建築的な価値はあるものの、年に数か月しか利用がなく、改良が求められている。改良案についても細かく議論されています。1970年代に開発されたオリンピック公園ですが、今日においてはセキュリティなどには注意を払わなくてはならないし、内部空間についても空調や照明、音響、座席の心地よさなどが必要だし、公園全体としては、緑化や標識設計、建築の概観、日照を遮る施設など健康への気遣いなどもあります。財政的な点も論じられ、スポンサーなど積極的に民間部門を導入する必要があるといい、公園全体としてはスポーツ的な雰囲気を高め、スポーツ・バーやスポーツグッズ販売などを導入する。しかし一方で、オリンピック・レガシーとしての公的・市民的な性質から公的資金の活用も大切だという。特に、公共公園として、緑化は休息や安らぎなどを与える役割が必要である。オリンピック・スタジアムのような巨大なスポーツ施設は、いまだに魅力的な存在であり、財政的な問題は伴うが、それを多機能的に改修し、他に分散する様々な施設と有機的に結びつける計画が実施されれば、スポーツと観光における魅力的な都市へと再生が可能になる。

Richmond, M. A. and Garmany, J. (2016): "'Post-Third World City' or Neoliberal "City of Exception'?," International Journal of Urban and Regional Research 40 (3): 621-639.
ブラジルと英国の地理学者によるリオデジャネイロに関する論文。リオデジャネイロは2014年サッカー・ワールドカップと2016年オリンピック夏季大会を開催したが、これらメガ・イベントを利用した都市(再)開発をめぐっては研究も多い。この論文では、そうした開発を巡る批判的な研究が、ネオリベラリズムに基づく「例外の都市」として論じる傾向に対し、当然開発を推し進める政府や民間開発業者は、希望的観測により、開発によって「第三世界都市を脱する」ことができると論じる。この関係を少し引いた目で見て、学術研究による論調を相対化し、またその弱点を指摘するのが目的。グローバル・ノース(≒先進諸国)を背景に論じられるネオリベラリズム的都市政策は、グローバル・サウス(≒開発諸国)には簡単に当てはまらないというのがその主たる主張である。ブラジルという国家の特異性やリオデジャネイロという都市の複雑な事情などを考慮する必要があるという。
ブラジルで有名はファベーラと呼ばれる非公式な住居の集合体は、元々は1897年のカヌードス戦争の退役軍人によって占拠された地区を地元民たちが「ファベーラ(貧民街)の丘」と読んだことから始まるようだ。1920年代にはこの呼称が一般化し、1950年代をピークとした急速な都市化の時代に、農村から都市への流入人口が増え、そうした人たちがファベーラに住み着くようになり、その頃から学術研究者はその社会・文化的に「周縁化された」住民を問題視し、1960年代から1970年代にかけて、ファベーラ除去政策が展開されるようになった。その後、1980年代から1990年代にかけて経済的な混乱が生じ、公共インフラや工業地区の荒廃が起こり、ホームレスや失業者が増える。そして、リオデジャネイロで有名な麻薬取引などのギャングたちが問題視され、警察は軍隊化し、規制を強める。2008年に登場し、ファベーラなどを取りしまるUPPPolice Pacification Units)という組織は日本語では「治安維持部隊」と訳されているようです。ワールドカップとオリンピックに向けて、都市政策が展開されるようになり、住宅やインフラ、交通や警備が取り組まれる。市街中心と港を結ぶBRTが都市西部に整備され、地下鉄も西方に延伸される。PACMCMVと呼ばれる住宅政策も大規模に行われ、ワールドカップのためにマラカナン・スタジアムが再開発される。こうした計画は「シティ・プロジェクト」と呼ばれる。こうした政府主導の開発によって、第三世界都市であるリオデジャネイロがそこから脱することができるというのが、「脱再三世界都市」言説である。インフォーマルなファベーラにテコ入れをして、フォーマルな地域との統合を図るというのが、その主張である。公共交通で都市の各地区が結び付けられて「オリンピック・シティ」となり、持続可能で生産的な社会的包摂が行われるという。
これに対して、マルクス主義的な研究者たちが、その言説を批判する語りが、ネオリベラルな「例外都市」であり、ハーヴェイの「略奪による蓄積」やスミスの「報復としてのジェントリフィケーション」、アガンベンの「例外状態」などに依拠した議論である。この論文の興味深いところは、こうした議論にもいくつか弱点があるといい、3つほど検討している。1つめがブラジル国家の複雑さと連続性である。これは、すでに書いたがグローバル・ノースで鍛え上げられた理論であるネオリベラリズム論をグローバル・サウスの都市に適応する場合には注意が必要だということ。ブラジル政府の政策は、もちろんネオリベラルなものもあるが、住宅政策などではネオ・ケインズ主義的なものであったり、ネオ開発主義的なものであったりする。2つ目はいかにも地理学者的だが、リオデジャネイロの都市政策は一様ではないということ。それは不均等な開発であり、同じファベーラ政策でも、一概に立ち退きなどの被害だけではなく、改良された地区もある。また、メガ・イベント関連でも、どういう開発に関わるものなのか、また代替的な住宅が近くに設けられるのか、られないのか、など都市内でも大きな違いがある。3つ目にあてられた分量は少ないが、「シティ・プロジェクト」が与える影響は、その後の社会変化とともに見極める必要があるということ。いずれにせよ、このメガ・イベントに伴う都市改変によって、ジェントリフィケーションと郊外化、周辺地域の多様化が起こったという。この論文を通じて、著者たちは、「都市化と資本主義的開発、ネオリベラルな政策、グローバル化の仮定の間の結びつきを明らかにするような批判的な視野を提供する助けになれば」(p.637)という。

Otamendi, J. and Doncel, L. M. (2014): "Medal Shares in Winter Olympic Games by Sport: Socioeconomic Analysis After Vancouver 2010," Social Science Quarterly 95 (2): 598-614.
この論文は、1992年から2010年までのオリンピック冬季大会のメダル数を再現・予測するモデルを構築するもの。特に、2010年バンクーバー大会の結果を推計している。著者たちはスペインの応用経済学者ということだが、どれだけ真面目にやっているのか、計量経済学的なモデルで、国別、競技別のメダル数を計算しようとしている。経済学的モデルといえども、指標とされているのはその国の人口と一人当たりGDP。その他、開催国指標、過去の大会のメダル獲得数、ソビエト・ダミー、スカンジナビア指標、アルプス指標、北米指標、ドイツ指標という、ダミー変数がやたらと多い。本当にこんなんでいいのかと素人目に思ってしまう。だけど、モデルでは離散的な数値の推計はできないので、メダルの割合(MS)という連続数を推計し、メダル獲得数(MC)に変換するといい、その変換が技術的に難しいという。国別のメダル数の推計はこれまで行われていたが、競技別の推計が新しいという。ともかく大真面目に数式を示して技術的な議論を展開しているが、あまり真面目に読む気もしない。最終的には、将来的なメダルの獲得に向けたスポーツ政策に対する提言が目的のようだが、冬季大会の特別な事情があり、雪のある国かそうでないか、特定の競技に力を入れている国、継続的にメダルを獲得している国と新しく出てくる国。政策としては、若い才能を訓練するとか、雪のない国は雪国でのトレーニングを積ませるとか、最後には優秀な選手を帰化させるとかそんな話まで、真面目に書いている。そんなことを書くためにこんな数学モデルが必要なのだろうか?ちなみに、2010年大会については、日本がフィギュアスケートで2つ、スピードスケートで3つのメダルを獲得している。ちなみに、このモデルによる推計値はフィギュアスケートの1つだけ。

Yan,H., Tian, C. and Meng, Z. (2010): "Utilization Pattern of Olympic Parks and Its Application in Beijing," Chinese Geographical Science 20 (5): 414-422.
中国の地理学者による、2008年北京大会後のオリンピック公園の活用に関する論文。観光客へのアンケート送付、政府関係者へのインタビュー、インターネットや文献によるオリンピック公園に関する情報収集に基づくもの。北京のオリンピック公園は11.59km2あり、オリンピック村、プレス・センター、ナショナル・スタジアム、Olympic Common DomainOCD)、森林公園などを含む。アンケートは2009年にオリンピック公園を訪れた観光客に291枚配布され、90%以上がその場での回答によって得られたという。インタビューは公園や競技施設の職員に対して行われた。インターネットによる調査は、計画や投資、現状、特徴、管理などを含むもので、2008年に収集された。ウェブと文献調査によって、アテネ、シドニー、アトランタ、ミュンヘン、北京、ソウル、モントリオール、バルセロナのオリンピック公園について整理されている。一般的に、会議や展示、スポーツ産業、文化創造施設などの活用が語られる。具体的には、多機能公園(ソウル)、貿易センター(モントリオール)、市民公園・テレビ局(ミュンヘン)、文化イベント施設(シドニー)、アミューズメントパーク・美術館(バルセロナ)などがある。それらの多くは政府や企業体によって運営されている。北京の調査では、オリンピック公園訪問者の63%が観光、40%がオリンピックの雰囲気を楽しむため、12%がスタジアムでのイベントの鑑賞だった。住民の65%が政府がこの地域に投資し続け、産業センターとして整備することを考えている。一方で、観光客の多くはエンターテイメントやレジャーとしての利用を考えている。オリンピック公園に関わる主体としては、計画者、経営者、訪問者を想定し、長期における各期間での関りを論じている。その議論は、都市レジーム理論を基にしている。政府と市場と社会とが、都市の空間的発展=開発の方向性を決める。これまでのオリンピック公園の活用がそうであったように、機能を多様化し、文化や日常生活、経済との関連が必要となる。
大会後の活用に関しては、準備-利用-管理という三段階を想定している。後半になると急に具体的な話になる。オリンピック公園は北京の中心から北に10kmのところに位置するが、ダウンタウンと緑地帯の間に位置し、地下鉄が直結している。オリンピック公園は北京北部の新しい中心になるという。多様な産業を育てる必要はあるが、観光客にとってはオリンピックの雰囲気を楽しめる場所である必要があり、またほかのスポーツやイベントが楽しめる場所になるとよい。これまでの北京観光の日帰りルートにオリンピック公園も加わるという。管理については、政府と企業と、その独立と協同と4種類が想定される。その上で、政府が主たる管理者となり、地区や機能によって多様な管理形態が望ましいとしている。また、空間的な次元としては、点と線と平面の管理を提言している。点はスタジアムなどの施設、線は歩道、平面波緑地でそれを組み合わせる。オリンピック公園は大会後に開放されており、大会後初めての国民の休日には、7日間に242万人以上が訪れたという。オリンピック公園は潜在的な魅力と資源を持っているが、的確に政府によって管理されていないという。イベントを開催するには賃料が高いという。
この論文でも中国語の論文はいくつか引かれており、この雑誌のように、地理学の英文雑誌もあるようだ。中国人の研究者が日本に留学していて、かれらが書いた日本語でいくつかのオリンピック論文を読んだ。2008年北京大会に対しては、欧米の研究者が一貫して否定的な論調なのに対して、そうした日本語で読める中国人の論文はそれに対抗するように肯定的な側面を強調する。この論文のテーマに関しても、例えば、「鳥の巣」と呼ばれるオリンピック・スタジアムが大会後に数回しか利用されていないなど、否定的なニュースが届くが、この論文ではそうした側面は明確には触れていない。しかし、いたって冷静に分析して提言しているのは地理学者らしいともいえるか。

Freeman, J. (2014): "Raising the Flag Over Rio de Janeiro's Favelas: Citizenship and Social Control in the Olympic City," Journal of Latin American Geography 13 (1): 7-38.
この論文は、副題に「オリンピック都市」とあるが、全般的にリオデジャネイロのファベーラ政策を詳細に論じたもの。2014年ワールドカップと2016年オリンピックの主要施設となったマラカナン・スタジアムの話は少し出てくるが、オリンピックは全面的には出てこない。ファベーラの起源については紹介したばかりの論文でも触れていたが、この論文では19世紀後半の奴隷から解放された自由民や退役軍人、北東ブラジルからの貧しい移民などによる不法占拠だとされている。一般的にファベーラには国家の介入がない不法地帯と語られることが多いが、そうではない複雑な事情がこの論文では語られる。前の論文でも登場したが、2008年から一部のファベーラは治安維持部隊(UPP)が管理している。また、2007年から始められる「経済成長加速化計画(PAC)」という連邦政府による計画がベースにある(これに関しては、JETROの説明資料がある)。リオデジャネイロでは、パリの大改造で知られるオスマンの教え子なる人物ペレイラ・パソス(Wikipedia日本語あり)による道路拡張などがなされたという。ともかく、この論文ではフーコーを時折引用しながら、政府によってファベーラが徐々に近代化されていく過程が辿られていく。まずは住所。ファベーラ内には公式な住所がなく、郵便局員は困るという。2010年あたりから軍隊を使ったファベーラへの介入が始まるが、それに伴い、ファベーラ内に通りの名前や郵便番号が導入されていく。それは複雑なものを単純化して理解・把握しやすくする近代化のプロジェクトだという。この過程には電力会社も介入し、番地の表示を付けていく。次に地図。地図を作成するというのも、政府がその土地を管理・支配する常套手段だが、ファベーラ内でも徐々に地図作成が行われる。警察や軍隊が関わり、地図化された情報を基にファベーラの撤去や移転が決定される。時にはハザードマップのように、危険地区が示されることで撤去の理由とされる。写真や絵画(?落書き含む)も同じようなもので、ファベーラも外国人の観光資源となっており、写真撮影可能スポットに標識がつけられたり、自治体の住宅管理局が取り壊す家に番号を振ったりする。先ほどのパソスの思想に基づき、現代でも道路拡張などの計画が実施される。当然、その対象となった家屋は立ち退きの対象となる。また、リオデジャネイロではケーブルカーが公共交通として整備されるが、それは、上空からファベーラを見下ろすことができ、監視する役割も果たす。とはいえ、否定的な側面だけではない。これらの改良事業によって、実際に恩恵を受けるファベーラ住民もいる。この論文では、ファベーラの近代化を政府による植民地化とも表現しているが、かつて日本がアイヌに行った政策と同様、やはりファベーラの生活には独特の共同体的文化があり、それが移転先の近代的な生活で失われ、世代間の断絶が起こるということも指摘されている。

Kassens-Noor, E. and Lauermann, J. (2017): "How to Bid Better for the Olympics: A Participatory Mega-Event Planning Strategy for Local Legacies," Journal of the American Planning Association 83 (4): 335-345.
Kassens-Noor
は注目すべきオリンピック研究者。米国のボストンは2024年夏季大会に立候補していたが、最終的に合衆国オリンピック委員会(USOC)はボストンを立候補都市に選出しながら、立候補を取り下げている。この招致計画は、当初のものから計画を変更している。その内容について精査するのがこの論文の目的。著者たちは公的な会合に出席して観察し、招致委員会スタッフや招致反対運動家にインタビューをし、IOCへのコンサルタントへの質問状を送ったりして情報収集をしている。その計画変更は、エリート主導から多くの利害関係者を含むものへ、オリンピック大会のために建設される施設のレガシーから開催都市のマスタープランと協働して地元の具体的な利益を生み出す方向へ、開催費用収支の透明化へ、という3つの変更だった。しかし、その変更に都市計画者が関わることはなかった。
ボストンの招致活動は2013年に特別委員会によって開始されるが、20141月にボストン市長が関わる民間の非営利団体「ボストン2024」に移行する。この団体は32名のスタッフを雇用した。当書の招致計画はボストンが米国の立候補都市に決まった20151月にできる(Bid 1.0)。それは、これまでの米国の開催都市同様、地元の大学などを利用した、公的資金を最小化するモデルであった。ここで、二つの反対運動が起きる。「No Boston 2024」と「No Boston Olympic」である。それは、透明性の欠如と、開催費が超過した場合の納税者へのリスクに関してであった。改訂版であるBid 2.020156月に発表される。この期間にボストン2024は公的な会合を9回、州との会合を20回開催するが、形式的な質問しか許さず、Bid 2.0は南ボストンの経済発展にオリンピックがテコ入れをすることを強調していた。ボストン2024はこれを改定しBid
2.1
としてIOCに提出したとのことだが、ボストン市長がIOCとの契約を拒み、USOCはボストンを取り下げ、最終的には20159月にロサンゼルスを立候補都市とする。
著者たちは201312月の招致当初から、20158月の最後までを追っている。Kassens-Noorはボストン2024の常駐スタッフとして働きながら民族誌的な調査を行っている。Lauermannはさまざまな団体が開催した15の公的な会合に参加しながら観察をし、参加者との非公式な会話をしている。当初の計画Bid 1.0は公的な会合はなく、委員会が他の多数の利害関係者から意見を聴取した根拠もない。建設会社のCEOとマサチューセッツ州の前知事とが主導したとされる。Bid 1.0時のスタッフのほとんどがこの建設会社の雇用者であった。そして、数人は前知事の下で働いていた人であったという。この計画は、有体にも、経済発展への刺激、雇用の創出、交通投資の加速、スタジアムに新しい近隣をもたらすなどが語られていた。オリンピック関連施設は既存施設や公的施設、大学が所有する敷地などを用いた半径5km内が選択された。それは大会の実施能力や地元民の必要などに応えるものではなく、既存の教育的・医療的財産を強調するものであった。資金提供者もこの計画には疑問を呈し、活動家やジャーナリストも計画の詳細を求める。いずれにせよ、内密に進められた当初計画は、米国内の競合都市との関係のなかでの機密などを理由としたものであった。活動家たちはこの計画にロバート・モーゼス的戦略を感じ取り、公的会合を要求し、主にそこでは収支リスクが議論される。20151月にUSOCがボストンを選んだことは、ボストン2024、住民、活動家誰もが驚くべきものだった。
ボストン市長は地元の利害関係者の要望に応えるように、招致計画の改定を準備する。ボストン2024もエリート主導の計画から、民衆を取り込んだ3区分の計画過程をつくる。まず、民衆の信頼を得ること、市長による公的な会合の開催、スタッフの一新。しかし、組織がそう簡単に変わるわけではなく、運動家から批判を受け、ボストン2024201611月に住民投票をすることを合意する。Bid 2.0もボストンの継続中のマスタープランと関連付けることで、漠然とした約束ではなく地元の要望に沿ったものに変更される。ボストン2024内にも都市計画家が採用されるが、その専門的な技術が生かされることはなかった。財政収支についてもより明確なものが提示されるが、なんと経済学者のジンバリストを含む活動家たちがテレビ討論でこれを批判したという。最終的には住民の賛同を得られずに、ボストンの招致活動は終了する。いずれにせよ、ボストンの招致が異例であったわけではない。東京も含め、これまではBid 1.0のようなものであり、政治的風潮が変化したのであって、それに伴って多くの国でも招致に後ろ向きになってきている。これからメガ・イベントを招致する都市には、住民参加、地元への便益、透明な計画が求められる。それを可能にするのは都市計画者の能力だという。そして、多くの利害関係者との開かれた対話が必要である。

| | コメント (0)

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編14)

Pitts, A. and Liao, H. (2013): An Assessment Technique for the Evaluation and Proportion of Sustainable Olympic Design and Urban Development,Building Research & Information 41 (6): 722-734.
この論文は、近年オリンピック大会開催に要求されている持続可能性に関して、その計画と都市開発における持続可能性を評価する手法を開発しようとしたものである。持続可能性というのは環境とセットであり、留意すべき項目が列記されている。1.大気汚染とオゾン層破壊、2.水資源、3.廃棄物と下水の取り扱い、4.騒音、5.都市の緑化空間、6.交通渋滞、7.都市のスプロール、8.遺棄された都市区域。一方で、評価に関わる項目については、上記8項目とは異なります。1.戦略的な開発の目標、2.マスター・プランと配置選択、3.エネルギー消費、4.水の管理、5.材料と構造、6.交通、7.大会開催後の利用、8.機能性、9.環境へのインパクト。この論文では、具体的な大会を評価したりはしていませんし、ここで提示されているのは、確かに定性的な内容を定量的に評価できるようなものですが、これですぐに何かに点数をつけるようなツールとして開発されているわけではない。むしろ、将来的な計画において留意すべき点という意味合いかもしれない。

Maenning, W. and Vierhaus, C. (2017): "Winning the Olympic Host City Election: Key Success Factors," Applied Economics 49 (31): 3086-3099.
やはりこういう論文あるんですね。オリンピックの開催都市はIOC委員の投票で決まることは知られていますが、そのプロセスではなく、結果的にどのような条件の都市が開催都市として決定するのかという研究。この論文以前にも似たようなものはあるようです。この論文では147の項目を用い、それらは以下の6つのグループに分けられます。1.経済決定要因、2.社会的・政治的・生態学的決定要因、3.観光・イメージ要因、4.インフラストラクチャー、5.オリンピック・スポーツ、6.招致のコンセプト。経済的なものとしては、GDP関係、輸出額、海外直接投資額、人口などが含まれます。社会的・政治的な側面として、IOCが好むのは自由、民主主義、市民権、グローバル化を推進する国家であるという。ということで、それらを指標化している団体や研究者の成果を利用している。また、この分類には生態学的なものも含まれるため、二酸化炭素排出量などの指標も含まれる。観光に関しては、外国人観光客数やホテルの客室数、観光客の消費額など。インフラについては、土木・運輸・通信といった指標。オリンピック・スポーツに関しては、オリンピック大会が都市持ち回りという性質から、近い過去の開催地が近くにある場合は不利であるということをダミーで入れたり、FIFAワールドカップなど他の国際大会は親和性を持つ。また、継続的な招致活動も有意にはたらく。招致のコンセプトについては、オリンピック村と競技施設との距離や、開催都市の8月平均気温や湿度なども含まれる。この論文では、この147項目に対して、59の都市についてデータを収集し、分析している。対象としているのは1992年から2020年までの夏季大会。なんと、このモデルは、8大会の開催都市を100%で的中している。特に効いていたのは、都市人口、中期のGDP成長率、政治的権利の発展、過去10年間で国際競技大会の開催などであり、一般的にいわれているように、都市圏の人口とオリンピック開催に対する支持率が大きく効いているという。しかし、将来的な開催都市の予想に関しては限界があると書いている。その一つには、最近IOCが作成した「アジェンダ2020」があり、それは持続可能性などを強調しており、これまで通り人口が多く経済規模も大きい都市がその条件を満たすとは限らないからだ。

Fyffe, I. and Wister, A. V. (2016): "Age Differences in Olympic Volunteering Experiences: An Examination of Generativity and Meaning in Life," Leisure Studies 5 (5): 638-561.
この論文は2010年バンクーバー大会を事例に、中年および高齢者ボランティアの経験を調査している。この論文では、「次世代を確立し、指導する関心」としての次世代育成能力generativity概念を参照している。そして、この概念は「人生の意味理論」と結びつく。この概念は元々エリクソンの心理社会発展の段階理論で登場したもので、コミュニティへの参加に対する動機を理解するために用いられた。オリンピックのようなメガ・イベントにおけるボランティアの経験は、固有な世代的経験を含む。
2010
年バンクーバー大会では、約2万人のボランティアが参加したが、この調査では45歳以上のボランティアを募り、結果的に255人の回答を得、46-59歳までが127人、60歳以上が128人、性別や未婚/既婚の別、健康、教育、就業の有無などの基礎データとともに、既存の研究によって指標化されている「人生の意味」「人生の目的」「命の尊厳」「自己評価」など項目が組み込まれている。結果としては、大会前と大会後で、高齢者(60歳以上)は所属感覚と人生の意味の関係が増し、中年(46-59歳)は自己評価と人生の意味との関係が増すという結果が得られている。その理由としては、中年世代は職場や子育て、高齢の親の介護などでコミュニティに関わることが多いのに対し、高齢世代は社会との結びつきが失われてきていることもあり、メガ・イベントが達成感や所属感覚、それに加えてナショナリズム的魂を高齢世代に提供するのだ。

Dyreson, M. (2013): "The Republic of Consumption at the Olympic Games: Globalization, Americanization, and Californization," Journal of Global History 8: 256-278.
これだけオリンピック関係論文を読んできても、まだまだ知らない優れたオリンピック研究者がいますね。彼はいくつかの著書と多くの論文を持っているオリンピック研究者のようです。専門は「運動学Kinesiology」となっていますが、ロサンゼルス大会を中心とした社会・文化・政治的研究です。冒頭では、ビーチバレーボールやマウンテンバイク(オリンピックの競技になったのは1996年から。以下同様)、スノーボード(1998)、トライアスロン(2000年)、BMX2008年)のようなカリフォルニア生まれの、ある意味見た目重視の新しいスポーツが、オリンピックを通じて世界中に拡散することを、世界のカリフォルニア化のような形で表現しています。読み始めは、そういう視点もあるのか、と面白いなと思いましたが、かなり歴史をしっかりと辿っていて、読み応えのある論文でした。米国で初めてオリンピックが開催されるのは1904年のセントルイス大会で、万博での開催でした。その次が1932年のロサンゼルス大会なわけですが、それまで、米国の文化的な中心といえばニューヨークであり、東海岸であったわけですが、1920年代、1930年代とカリフォルニアが「消費の共和国」のような形で台頭してくるといいます。それにはハリウッドの影響も大きく、またオリンピックで活躍する水泳選手が1920年代の大会で金メダルを獲得し、その後ハリウッド映画に出演する(『ターザン』のワイズミュラーは有名)というような感じです。米国のスポーツといえば、野球にバスケットボール、アメリカン・フットボールがあり、当初米国はこれらをオリンピックに売り込むことをしていたわけですが、これは成功しません。水泳は米国発祥ではありませんが、カリフォルニア州が水泳や陸上競技の拠点となっていきます。また、米国のオリンピック開催は、公的資金を投入せず、民間資本が基礎となっているのもよく知られていますが、そもそも組織委員会自体が政治ではなく、経済的有力者を中心に組織されるというところが米国らしいです。ですから、メディアや場所の売り込み、商品開発などが常に付きまとい、だからこそカリフォルニアがその中心になったといえます。ロサンゼルスはなんと1952年大会からずっと招致活動をし続け、ようやく1984年に開催が決まったとのことですが、メディアからは「ゴールド州」と呼ばれるほど米国のオリンピックがカリフォルニアに集中し、1988年のソウル大会ではかなりのメダルをカリフォルニア勢が獲得したといいます。ともかく、その後はビキニ姿で競技をするようなビーチバレーボールが、各国の開催国で披露され、カリフォルニア的なものが、アメリカ的なものを代表し、グローバルに展開していくことになった、というわけです。

| | コメント (0)

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編13)

Kennell, J. and MacLeod, N. (2009): A Grey Literature Review of the Cultural Olympiad,Cultural Trends 18 (1): 83-88.
文化オリンピアードについては,ゴールド夫妻の『オリンピック都市』でも1章を割いている。現在のオリンピック大会には文化プログラムの実施が義務付けられている。前大会の終了後,本大会の4年前から実施することになっているため,オリンピックの文化プログラムは常にどこかの国で行われていることになる。2012年ロンドン大会については,太下さんの論文などで詳しく紹介されているが,ロンドン大会の文化プログラムは非常に充実していたらしい。この論文でも前半はロンドン大会の説明だが太下論文よりもより抽象的なことが論じられているように思う。まず,ロンドン大会での文化プログラムはロンドンと英国の文化的な多様性を称賛するものであり,芸術表現と創造産業を創造し,現代のロンドンを世界的な文化的首都として宣伝し,経済的な再生を促進するものである。文化オリンピアードはスポーツに参加しない人を含めて競技大会を盛り上げる地元の意思表示と成り得る。
この論文のタイトルにある「グレイ文献」という意味合いがよく分かりませんが,この論文では文化オリンピアードに関連する50以上のグレイ文献を含むレビューだとあります。それらは5つのテーマがあり,1.文化的発展,2.制度的枠組みの発展,3.社会的便益,4.教育的便益,5.宣伝的便益だそうです。スポーツと芸術を結びつけ,文化的多様性を参照し,文化的参加を増加する,協力体制を強化することで制度的枠組みを発展する,漢江と文化をコーディネイトすることで財政的に持続可能な計画を宣伝することで国際的な結びつきを発展する,まあそんなことのようです。ボランティアはコミュニティの参加に関して重要で,文化オリンピアードは創造産業の訓練機会を増やす。まあ,そんないいことしか書いてありませんね。個人的にはカルチュラル・スタディーズ的な根本的な文化批判が必要だと思っています。

Kassens-Noor, E. (2016). From Ephemeral Planning to Permanent Urbanism: An Urban Planning Theory of Mega-Events. Urban Planning 1: 41-54.
https://www.cogitatiopress.com/urbanplanning/article/view/532/532
この論文は,オリンピック関係の英語論文として初めて読んだもの。すでに,このblogでも簡単に紹介はしていますが,読み終えて大分経ってから印象的に書いたものだったので,改めて読みなおしました。この論文で著者はメガ・イベントのユートピアとディストピア,ヘテロトピアという概念を提示します。ユートピアはまさにイベント所有者や主催者の視点に立ったもので,招致段階から開催までの時期のものです。所有者・主催者側はもちろん,そのイベントが多くの者に正の効果をもたらすと信じて疑わないわけです。著者は都市計画系の研究者ですから,「メガ・イベント・レガシー・ユートピア」という言葉も使い,開催都市にとって魅力的なメガ・イベントがもたらす理想的で長期的な結果と可能性を有するものを描きます。開催前に行われる経済効果分析が科学的なものというよりは希望観測的なものということはなんどか書いていますが,ユートピア的な見方は実際の状況を勘案せず,負のレガシーについても考えません。そういう具体的なことや負の効果を考え始めるとディストピアにならざるを得ません。反オリンピック集団,強制立ち退き,移転,メガ・イベントのための巨大プロジェクトの失敗などがメガ・イベントのディストピアとなり,時期的にはイベント開催後(もちろん,建設時も含みますが)ということになります。著者は2024年大会のボストン招致に携わったらしく,その経験や関係者へのインタビューもこの論文を執筆する動機になったようです。ユートピアとはトマス・モアの作品名(1516年)ですが,それ以前のプラトンの『国家』にまでさかのぼり,産業革命を経た後のル・コルビジェやエベネザー・ハワードなどの都市理論もその系譜に入れています。メガ・イベントの典型的な所有者としてIOCの歴史にも触れ,ワールドカップや万博などをメガ・イベントとしています。政府や都市で積極的に開発の担い手になるような企業にとってはメガ・イベントは非常に魅力的なのですが,実際の計画に際しては,その透明性や公的な説明責任,非暴力的な解決法などを著者は強く求めています。この論文には,メガ・イベント・ユートピアの概念図も提示されています。完全なるメガ・イベントとは,土台に100%公的な支援のある社会があり,3本柱として,全てを得てリスクを負わない経済,アスリートの経験というイメージ,施設や交通,住宅といったインフラストラクチャーが屋根を支えています。IOCは開催都市に補償金を求めながら,損失の一切は負いません(今は少し変わったようですが)。オリンピックはアスリートたちの競技の素晴らしさというイメージを先行させることで「オリンピックの魔法」をかけ,負の側面を覆い隠します。世界中の人々が集まるというイメージは経済に対してもクリエイティブなイノベーションを生み出すような正の側面を強調することになります。施設,アクセス交通といった著者が得意とするインフラについては,施設の立地が一か所集中的なものか,2か所,3か所,4か所と分散的なものかという議論が地理学的には興味深いです。ちなみに,東京は1964年大会も2020年大会も2か所です。メガ・イベント・ヘテロトピアはイベント後の雑種的な都市システムにおけるレガシーの蓄積だとされています。リオを例に,レガシーのヘテロトピア的進化が地元(ロカール)や利害関係者の見方によってさまざまに脅かされているといいます。ヘテロトピアとは,理想的なユートピアと現実的なディストピアとの間,組み合わせ,ということでしょうか。最後に,計画家として,メガ・イベントをどのように計画すればよいのかの指針が示されます。「端的に,メガ・イベントは開かれたものとして統治されなければならない。開かれた政府は,知識の管理や,活動的な参加や,公的な意思決定の道具としてオンラインのサービスを管理しなくてはならない」(p.51)。何度も読み返す価値のある論文です。

Walker, M, Heere, B., Parent, M. M. and Drane, D. (2010): Social Responsibility and the Olympic Games: The Mediating Role of Consumer Attributions,Journal of Business Ethics 95: 659-680.
この論文は企業の社会的責任(CSR)をテーマにしています。この概念を私的企業だけでなく,企業と同様の活動をしている規模の大きいNGONPO団体にも当てはめることができるというもの。事例としては2008年北京大会の運営主体の一つであるIOCを扱っています。2008年の開催までにIOCは歴史的にその責務を変化させており,その経緯が概観されます。国連の決議に従って,環境に配慮したり,持続可能を訴えたりしてくるなかで,IOCCSRを強く意識しなければならない状況にあります。この論文では,いくつかの仮説を立て,それを通常の企業活動の消費者,つまりオリンピックにおいては観戦者にアンケートすることで明らかにしようとします。2008年大会を観戦するために世界から北京を訪れた外国人503人の回答結果の,定量的な分析結果を示しています。ちなみに,国別内訳は米国が37.6%,カナダが8.9%,オーストラリアが4.8%,その他も韓国,メキシコ,英国,ドイツとかなり偏りがあります。それは英語でのアンケートという側面もありそうです。その統計学的な分析はよくわかりませんが,質問項目は26ほどあり,IOCが環境問題に配慮しているか,きちんと組織されているか,IOCを支持したいと思うか,イベントお土産を購入したか,などなどです。それぞれの質問が,CSRに関する類型的な意識や態度,意図や動機に関わっています。結局,この論文もオリンピック研究への寄与というよりはCSR研究への寄与が主なので,結論的に何か得られたかというと,私にはイマイチいでした。一文だけ引用して終わりにしましょう。「IOCは,社会的アウトリーチとの結びつきの背後にある動機の消費者の認識の重要性を強調すべきである」(p.675)。

Roslow,S., Nicholls,J. A. F. and Laskey, H.A. (1992): Hallmark Events and Measures of Reach and Audience Characteristics, Journal of Advertising Research 32 (4): 53-59.
ホールマーク・イベント研究はこれまで観光研究の文脈で行われてきたが、この論文はマーケティング戦略で捉えようとしている。観光という意味では、イベントによって開催都市外からの移動を前提とするが、もちろん開催都市内の参加者もいる。また、この論文は冒頭で広告やメディアについても言及しており、そのイベントがどういう人をターゲットとするかで、スポンサーやイベント参加者に対する対応が異なってくる。著者たちは米国フロリダ州で19841989年までに開催された10のイベントで、参加者にインタビュー調査を行っている。自由参加のオープン・イベントの場合は参加者数は警察の発表や航空写真による算出などで、チケット・ベースのイベントはチケット販売数で管理される。
ビジネス博覧会やグランプリ、カーニバルなどが調査対象には含まれ、規模としては2万人程度から、140万人まで差があり、調査サンプル数も130人から688人までまちまちである。基礎的な属性として年齢、収入、性差などが整理され、ビジネス博覧会の参加者は平均40歳程度で高収入者が多い。グランプリは男性の割合が6割を超え、平均年齢は30歳程度。カーニバルなどのお祭りでは低収入者が多いなど、イベントの特性によって参加者の属性は異なる。また、参加者の居住地についても質問しており、開催のカウンティ、フロリダ州、米国の他の州、外国などの割合が示されてる。3つのイベントに限定して示されている表で面白いのが、ビールの銘柄の割合である。日本でもある程度、スーパードライかキリン・ラガー、一番搾り、黒ラベルなど、なんとなく性格による分類ができそうだが、米国ではバドワイザー、クアーズ、ハイネケン、レーベンブロイ、ミラーの違いは階級差を示すのだろうか。ともかく、純粋な学術調査というよりは、マーケティング戦略に利用するという腹黒さが否めない論文だが、他にはない面白さもある。

Ziakas, V. and Boukas, N. (2014): "Post-Event Leverage and Olympic Legacy: A Strategic Framework for the Development of Sport and Cultural Tourism
in Post-Olympic Athens," Athens Journal of Sports 1 (2): 87-102.
2004
年アテネ大会では、いくつかの施設が大会開催後に利用されなくなったことが知られているが、この論文ではオリンピック開催後のアテネをスポーツと文化観光として利用するための方策を探ることを目的としている。Kassens-Noor2016)ではアテネの施設配置は3箇所立地と分類しているが、この論文では新設施設を多核的に分散させる戦略であったという。オリンピック開催に向けて整備されたものとしては、新国際空港、新地下鉄ネットワークなどがあるという。しかし、オリンピックの組織委員会と観光団体との協同の欠如があったという。この論文では、Chalip2004)が導入したという「投機するleverage」という概念を枠組みとして使っている。この論文は、9人の市職員と観光行政官とのインタビューによる定性的分析である。いずれのインタビュー対象者も、オリンピックがアテネ市にとってスポーツ・文化観光の開発にとって重要なものであると認識している。回答者によれば、アテネは自然資源に富んだスポーツ・文化観光地としての優位性を有しており、文化や良い天候、買い物、海洋スポーツの適切な環境などが備わっている理想的な都市目的地だという。しかしその一方で、市のみならず国全体としての経済危機が大きな問題であることに回答者たちは同意している。オリンピックに関しては、新しく建設された施設が他のレクリエーション利用との関連性を有しないがゆえに耐えられない維持費になっている。そうした施設のスポーツはギリシアでは人気がないようで、回答者たちは文化イベントや会議、などの目的に変更し、文化観光との相乗効果を生むスポーツ観光の開発を強調している。ただ、既に閉鎖してしまっているオリンピック関連施設を再利用する効果的な計画は思い浮かばないという。そのためにも、官民の協同を構築することが、オリンピック・レガシーに投機するのに必要である。最後に、この論文では、2004年大会で新設された各施設について、スポーツ観光として利用する場合と、文化観光として利用する場合との方策を提案している。ただ、この論文ではあくまでも限られた人数のインタビューだけなので、ハード面での計画は抽象的な提言にとどまり、観光の上部構造といっているように、ソフト面というか理念的なものにとどまっています。

| | コメント (0)

オリンピック,メガイベント関連文献(日本語編1)

金 銀恵(2017):1980年代韓国のスポーツメガイベントと江南づくり.日本都市社会学会年報 35: 103-120
昨年,英国の大学で教鞭をとる韓国の地理学者,Shinさんが来日した際に,荒又さんの研究グループの面々とオリンピック関連の場所を巡検した。その際に,参加していただいたのがこの論文の著者,金さん。韓国人の社会学者ですが,一橋大学に留学されていて,町村さんのところで学んでいたとのこと。この論文は1988年ソウル大会を含むもの。おおまかにいうと,ソウルに流れる漢江の南部を「江南」と呼ぶことになるが,従来の中心地はそれに対し「江北」と呼ばれ,江北の人口集中を是正するために国家主導で江南の開発が行われたとのこと。もともとこの地区は,例えばオリンピックの主要施設が建設される場所は「蚕室」と呼ばれ,養蚕地区であったり,漢江の氾濫域や中洲のような土地で,1970年代に土地改良も行われた。政府は江南に強制的に進学校などを移転させ,階層の高い人々を集めるように仕向ける。そこに,1986年アジア大会と1988年ソウル・オリンピックというメガ・イベントをあて,開発を促進させる。アジア大会時に建設された選手村は終了後に高級アパートに姿を変え,日本ほど一戸建て志向でない韓国では,ここに住むことがステイタスとなった。オリンピック大会時の選手村でも同様で,「現在のソウル市内が中産層向けの「アパートの森」となった」(p.115)という。こうした過程を,いくつかの都市理論を参照し,ハーヴェイ的な意味での「圧縮的都市化」,ヴィヴィリオ的な「速度戦的都市化」,あるいは「投機的都市化」と呼んだりします。当時は日本同様に地上げ的な形で立ち退きも行われ,オリンピックに合わせては都市美化も行われたという。

 

金 白永著,阪野祐介訳(2018):江南開発とオリンピック効果――197080年代蚕室オリンピックタウン造成事業を中心に.空間・社会・地理思想 21: 63-79
1960
年代,ソウル市南部を流れる漢江はソウル都市圏の南の境界をなす存在であったが,漢江南部を新都心として開発することで,江南地域を都市圏に編入する都市計画が1960年代後半から行われた。ソウル市は1970年のアジア大会を招致することで,その開発を促進する計画だったが,資金難で経費を提供してタイのバンコクで開催される。しかし,韓国は1980年以降に経済成長を遂げ,江南地域の開発も進められ,1986年にアジア大会が,1988年にオリンピック・ソウル大会が開催される。オリンピックの主要施設が建設されたのは,これまで漢江の水害に悩まされていた中洲の蚕室地区である。治水整備がなされ,江北の都心と江南の新都心とを結ぶ複数の橋がかけられ,蚕室地区は文化・流通中心地区として多くの市民公園も擁する美観地区として整備された。

 

佐伯年詩雄(2014):現代オリンピック考――モンスターイベントに群がるビジネスと政治.現代スポーツ評論 30: 69-79
学術的にはメガ・イベントという表記が一般的だが,スイスの地理学者ミュラーはそのなかでも近年のオリンピック夏季大会などをギガ・イベントと名付けている。この論文では,その研究を受けているわけではなく,また単に規模のことだけを言っているわけではないが,近年のオリンピックを「モンスターイベント」と名付け,批判する。まあ,モンスターペアレンツなどと同等に,手の付けられない,迷惑な,という意味を込めているとは思う。他にも「スーパーグローバルイベント」などとも表現している。この論文は主に,3点から議論している。一つ目はオリンピックの本来のあり方ですが,アスリートによるスポーツ競技。しかし,これも記録が優先されるのではなく,勝敗が優先されるのがオリンピックだという。オリンピックで達成される世界記録は少なく,4年に1度という希少性が,そして選手が属する組織の代表という側面がオリンピックにおける勝敗への執着へとつながっているという。第二は,グローバル企業によるコマーシャル・ゲームになっているということ。1984年ロサンゼルス大会以降,オリンピック開催が都市ビジネスになり,放映権争いとなり,スポンサーの地位争いになっている。第三が国民国家のポリティカル・パワーゲーム。グローバル化に内在するアイデンティティの揺らぎに対し,「五輪こそは,まさしく絶対で公明な差異を生成し,それを優劣で秩序付ける最高の仕掛であろう。」(p.77)と結論付ける。オリンピックがファシズムに通じるというのは天野編(1998)『君はオリンピックを見たか』でも論じられていたが,この論文では「「テロ対反テロ」図式は,反テロが体制側である限りでファシズム化する危険を持つ」(p.78)という論理で論じている。

 

阿部 潔(2016):東京オリンピック研究序説―「2020年の日本」の社会学.関西学院大学社会学部紀要 12365-83
この論文をはじめとして、著者が取り組もうとしている東京オリンピックの社会学的研究は、「東京オリンピックを切り口として「2020年の日本」を社会学的に問うことの意義を示す」(p.65)とされている。まずは、2020年東京大会の意義について問いかける。よくいわれているように、2016年大会の招致段階では、東京で開催する意義は曖昧なものだったが、2020年大会においては、それが「復興」とされた。しかし、これも多くの者が指摘しているように、その表向きの意義は、その実現性と逆に五輪開催が復興事業を阻害しているという疑念を払しょくできていない。こうした一過性のイベントが、開催期間が決められているがゆえにその準備が急がされ、優先されるというのもよく指摘されることがだが、この論文では、新聞記事検索で「2020年までに」というフレーズが決まり文句になっていることを指摘する。
続いて新国立競技場問題が解説され、その問題を「国家的なプロジェクトを総括する公的機関におけるガバナンスの問題」(p.71)としている。結局、「あるべきスタジアムの姿」が深く議論されることなく、金額の問題だけに終始していた。実際、近年規模も金額も膨張するオリンピック競技大会に対し、IOCも経費のかからないということを開催都市選定の条件としている。ボイコフが2014年ソチ大会に関する論文で指摘したPPP(公共民間共同)は2020年東京大会にも、例えば選手村の開発に当てはまると著者はいう。また、引用はされていないがミュラーが2015年の論文で使った「症候」という語も著者は使っていて、エンブレム問題を例にこの大会がはらむ問題を提起している。最後に、著者は自らのオリンピック研究を「スポーツの外側からの」アプローチと主張している。セキュリティやジェントリフィケーション、都市空間の再編成、ボイコフの主張する祝賀資本主義の問題、そしてそれに抗う使命を自らの社会学に課している。

 

金子史弥(2014):2012年ロンドン・オリンピックが創った新たなレガシー――スポーツ・マネジメント諭/スポーツ社会学の視点から.AD STUDIES 50: 17-23
2012
年ロンドン大会について、レガシーの観点から研究を進める著者。この論文では、まず2005年に作成された招致立候補ファイル、2008年に作成された計画書、そして2010年に作成されたレガシー計画書の検討を行っている。この著者のレガシー概念は「社会的変化(レガシー)」(p.18)と表記されているように、かなり広義である。そして、ロンドン大会を成功とみなしており、それがどのような理由化を追求している。まずは選手団の好成績、ボランティアの活躍を挙げる。ボランティアについては7万人の定員に対し、24万人の応募者があり、合格者はマクドナルドが指導・訓練をしたという。ロンドン大会がもたらしたものとしては、ナショナル・プライドの高揚、ボランティア活動に対する意識変化、多様性の肯定を挙げている。多様性の肯定に関しては、開会式の批判的分析である森野(2013)を挙げながらも著者は肯定的に捉えている。結論としては、ロンドン大会の成功から、2020年東京大会も学ぶべきだという。

 

金子史弥(2014a):2012 年ロンドンオリンピック・パラリンピックの「レガシー」をめぐる政策的言説の創造と政策実践の展開――大ロンドン市における「スポーツ・レガシー」に関する取り組みに着目して.一橋大学スポーツ研究 33: 16-33
この論文では、著者が比較的広義に捉えていたレガシー概念を「スポーツ・レガシー」(スポーツの振興に関わるレガシー)に限定し、さらに大ロンドン市の政策と関連付けて考察している。冒頭ではIOCによるレガシー概念を整理し、この概念が初めて適用される大会として、2012年ロンドン大会においてこの概念をいかに計画に取り込んでいったかが整理されている。次に、学術研究におけるこの概念の検討を概観している。特に2012年ロンドン大会に関する研究もあるようで、それらは英国の政策的言説との関連によるものがあり、これを受けてこの論文では中央政府の政策だけでなく、開催都市である大ロンドン市の政策を検討する必要性を主張する。大ロンドン市は、2012年大会の開催を受け、2009年にスポーツ振興に関する政策文書を発表し、3年間で1,550万ポンドを投資する計画を示す。さらに市長がスポーツ・レガシー計画を打ち出し、スポーツ施設、能力と技能の構築、スポーツ参加基金、などについて、各行政区で個人や団体、プログラムなどに支援をしたといい、論文ではその分布図が示されている。こうした支援は若者や高齢者、障害者や女性といった社会的弱者に対するものであったこと、さまざまな社会問題の解決が目指されていることなどが指摘されている。

| | コメント (0)

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編11)

Preuss, H. 2007. The
Conceptualisation and Measurement of Mega Sport Event Legacies,
Journal of Sport & Tourism 12 (3,4):
207-227.
前にもPreussの共著論文は紹介しましたが,あちらの発行年は2008年だったので,「レガシー」に関する概念化はこちらの方が早いようです。オリンピック・レガシーについては,荒牧亜衣(2013):第30回オリンピック競技大会招致関連資料からみるオリンピック・レガシー,『体育学研究』58: 1-17.といういい日本語論文があり,このPreussの論文にも言及しているのだが,悲しいことに,ファーストネームでHolger2007)としているのが残念。ともかく,この論文はメガ・スポーツ・イベントで頻繁に用いられるようになった「レガシー」概念がかなりあいまいなので,きちんと定義したいとのこと。それこそ,開催都市の側がイベントを活用した「イベント戦略」や「都市政治の祝祭化」などといわれ,楽観主義に基づく(再)開発が行われる傾向には慎重にならなければいけません。ところで,「レガシー」は語源的に「意志によって残される所有物」という意味のようで(ウェブの語源辞典より)イベント関連の文脈には合わないという。IOC2000年に立ち上げたプロジェクト(OGGI)で環境と持続可能性を訴え,2002年の会議でレガシーを定義した。この概念についての初期の研究にはCashman2005)があり,(1)スポーツ(2)経済(3)インフラ(4)情報と教育(5)公共生活,政治と文化(6)象徴,記憶と歴史という6つの領域を分類した。Chappelet2006)は(1)スポーツ・レガシー(2)経済レガシー(3)インフラ・レガシー(4)都市レガシー(5)社会レガシーを区分した。これを受け,Preussはレガシー・キューブなるものを発案します。(1)計画/無計画(2)正/負(3)有形/無形の3次元で8つのサブキューブが想定されます。さらに(4)変化する構造の持続と時間(5)変化する構造に影響される空間,と時間軸と空間軸を加えた6次元です。その後の定義を引用しましょう。「生産の時間と空間に関係なく,レガシーはイベント自体よりも長く残る,スポーツ・イベントのために,によって創造される,全て計画されているかいないか,正か負か,有形か無形かである」(p.211)。この論文ではレガシーの概念化だけでなく,測定も含んでいますから,その測定が「総gross」なのか,「純net」なのかについても注意を喚起しています。レガシーの測定に関しては,標準型のアプローチ,トップダウン・アプローチ,ボトムアップ・アプローチと区分しています。標準型は,(1)同一都市の同一イベント(2)同一都市の複数イベント(3)複数都市の同一イベントという形での比較による相対的な測定になります。確かに,先述した荒牧さんは2012年の立候補都市の計画ファイルを比較していて,これは(3)ですね。Gaffney2010)によるリオデジャネイロの研究はレガシーに特化したものではありませんが,サッカー・ワールドカップとオリンピックなどをリオで検討していますので(2)ですね。東京でのオリンピックを1964年と2020年とを比較するのは(1)ですね。トップダウン・アプローチは統計資料を使ったような定量的な測定のようです。費用対効果分析のように,イベントが行われた場合(withケース)と行われなかった場合(withoutケース)を比較して,費用と効果を算出します。ボトムアップ・アプローチは前2者に対する代替的なもので,定性的で無形のものをも測定しようとするものでしょうか。また,正/負の区別というのは明確でなく,同じイベントが立場によって正ともなり,負ともなるというところも難しいところです。ボトムアップ・アプローチの弱点としては,イベントが開催されなかった場合の都市の発展について考慮できないとされています。そこで,最後に(5)と(6)の次元である時空間の説明になります。ここで「イベント構造」と「立地要因」という概念が登場し,まず時間軸が区分されます。イベント前は,①アイデアと実行可能性②招致過程③建設とイベントの組織化に分かれ,④イベント⑤イベント後と区別されます。イベント構造は,1.インフラ,2.知識,3.イメージ,4.感情,5.ネットワーク,6.文化に,立地に関しては,1.生活,2.観光客,3.祝祭,4.産業,5.会議,6.イベントとなります。最後にこの論文で示されたボトムアップ・アプローチに立ちはだかる障害を3つ挙げています。1.「総」レガシーから「純」レガシーを測定することの困難,2.正の価値と負の価値を決定する困難,3.時間を経過したレガシーの測定。

Baade, R. and Matheson, V. A. (2016): Going
for the Gold: The Economics of the Olympics,
Journal
of Economic Perspectives
30 (2): 201-218.
こちらも以前から文献表でよく名前を見かけていた経済学者2人の論文をようやく入手。謝辞には先日紹介したジンバリストの名前と文献表には『オリンピック経済幻想論』があります。内容的にも似通っています。まずは,オリンピック開催にかかる費用について。開催前に招致活動で成功しなくてはいけませんが,この招致段階でかかる費用もバカになりません。2016年大会に立候補したシカゴでは招致に失敗していますが,1億ドルに近い金額が費やされています。東京も2016年大会に失敗して2020年大会で開催が決定されましたが,多くの開催国は何度かの招致で開催権を獲得していますから,それだけの金額がかかります。IOCは夏季大会の開催に際し,4万人分のホテル容量を要求しており,選手村では15,000人分とされています。2016年リオデジャネイロ大会では新たに15,000人分のホテルが建設されたとのこと。既存の研究から1988年ソウル大会以降の開催に伴う費用の一覧表も掲載されています。続いては,短期的な経済効果についてですが,ここでも開催前の経済効果がいかに現実的なものでなく,希望的観測であることが指摘されています。例えば,2002年ソルトレイクシティ大会では35,000人の雇用創出が見込まれていましたが,開催後の研究では47,000人と見積もられています。短期的な経済効果については,既存の学術研究が算出した過去大会についての一覧表も掲載されています。ものによって金額だったり,雇用増であったりしますが,1984年ロサンゼルス大会,1996年アトランタ大会,1972年ミュンヘン大会,2002年ソルトレイクシティ大会,2000年シドニー大会,などです。開催前の希望的観測の経済効果に対して,開催後の学術的な見積もりが小さくなるのはいくつか理由があります。開催都市の住民はオリンピックにかける費用をプラスしているのではなく,オリンピックがなければ別の用途に費やした費用をオリンピックに使っているので,その分はマイナスなのです(代替効果)。そして,開催都市の多くは元来の観光都市でもありますが,開催時の混雑を避ける(混雑効果),あと計算上の問題も指摘しています(乗数効果)。長期的な効果については4つ挙げています。1.スポーツ施設のレガシー,2.インフラ投資,3.観光の宣伝,4.外国からの直接投資と貿易。競技施設の競技後の利用に関しても,かなり事例があげられていて有用です。貿易に関する研究も特徴的なものがいくつか紹介されていて,大雑把な定量的分析では,実際に開催に至らなくても,立候補都市になると貿易額が増加するというものがあるようで,一方ではそれを批判する研究もあるとのこと。これらの検討を含め,なぜ多くの国がまだオリンピックを招致し続けるのか,という疑問についてのいくつかの回答を最期に用意しています。1.オリンピックの全体的な効果が負であるにしても,国家としては巨大計画を必要とする。2.国家元首や政治・経済権力のエゴ,3.「オークション理論」というのがあるようで,オリンピック開催がもたらす不確かな価値は博打のようなもの。ジンバリスト『オリンピック経済幻想論』の原題副題にも「経済的なギャンブル」とあります。まあ,とにかく近年の立候補においては,そうした政府のエゴに住民たちがノーをつきつけていて,今後の動向を見守る必要がありそうです。

Boykoff, J. (2013): Celebration Capitalism and the Sochi 2014 Winter Olympics, Olympika 22: 39-70.
ボイコフによる2014年ソチ大会の論文。とはいえ,開催前で32ページある論文ですがソチに関しては5,6ページです。前半はひたすら祝賀資本主義の説明です。ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』の「参事便乗資本主義」から,カール・シュミットとアガンベンの「例外状態」を経て,ドゥボールのスペクタクル論,ハーヴェイ『資本の〈謎〉』なども登場し,再度祝賀資本主義とネオリベラリズムの関係が論じられます。今回はPPPが登場します。PPPとはPublic-Private
Partnerships
のことで,官民協同のことですね。公共部門を民間が担っていくのがネオリベラリズムの戦略ですが,祝賀資本主義や参事便乗資本主義は期限のある例外状態において公的資本が投入される。そして,場合によっては公的な政策が主導して民間資本が投入されるということもあるのでしょうか。この仕組みの公式なものがPPPですね。また,オリンピック自体が1992年にリオデジャネイロで開催された地球サミットの「時代精神」(ボイコフはこの語が好きなようです)に乗る形で持続可能性と環境を大会開催時の要件として組み込みます(アジェンダ21)。さらには1972年ミュンヘン大会でのテロ行為や,2001年同時多発テロを受けて,オリンピックでもセキュリティが流行りだといいます。そういう背景で2014年冬季大会がソチに決まります。ロシアは社会主義国であったソ連が前身ですから「国家寡頭資本主義」の下で独自のPPPの形があるそうです。私企業の投資も疑似的な私だというわけです。ボイコフの『オリンピック秘史』(早川書房,2018年)でも,「第5章 祝賀資本主義の時代」のなかに,「「ペテン師の楽園」――2014年ソチ冬季オリンピック」と題した節があり,本稿の概要版という感じでしょうか。黒海に面した自然環境,チェチェンなど問題を抱えた紛争地域,反五輪運動などを取り締まるお国柄。ある活動家の言葉によれば,「オリンピックは公的資金で購入される企業フランチャイズのようなものだ」というそうです。

| | コメント (0)

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編10)

Swart, K. and Bob, U. (2004): “The Seductive Discourse of Development: The Cape Town 2004 Olympic Bid,” Third World Quarterly 25 (7): 1311-1324.
南アフリカ共和国による2004年オリンピック大会の招致については,この論文でも引かれているように,Hillerによる2000年の論文がある。また,南アフリカ共和国についてはこの論文を読み終えた後に,宮内洋平『ネオアパルトヘイト都市の空間統治』(2016年,明石書店)を読み始めてしまったため,この論文の印象がかなり薄れてしまった。この論文でも,この招致活動が具体的にケープタウン都市内の施設配置や地区計画,インフラ整備などに与えた影響などは考察対象ではない。グローバル資本において,招致活動が都市間競争に与えた影響といったあたりが考察対象となっている。今回の招致はアフリカ大陸から初めてのものだったが,2016年リオデジャネイロ大会がまだ決定していないこの時点では,一方の南米からの招致はすでに1936年にブエノスアイレスからなされている。南アフリカ共和国は民主化以降にメガイベント招致を積極的に行い,1995年のラグビー・ワールドカップ,1996年にサッカーのアフリカ・ネーションズ・カップが開催され,オリンピック招致へと乗り出している。Hillerの論文にもあったが,ケープタウンは「人間の開発」をテーマに掲げた。この大会への招致は11の都市が名乗りを上げ,ケープタウンは1選考に残った5都市のうちの1つとなった。IOCとしては,五大陸を示す五輪を全うするためにもアフリカ大陸での開催を目指しているが,ケープタウンは最終的に落選した。IOCのアフリカ人委員もケープタウンにはほとんど投票しなかったといわれている。ケープタウンの犯罪率の高さは観客の安全を確保できない,などが大きな理由である。ただ,この招致活動は世界に対してアパルトヘイト後の世界に対する新たなイメージを提示したという意味では遺産を残したといえる。今後は人間の開発という意味でも,招致過程に市民参加を含めていくことが課題だといえる。

 

O’Bonsawin, C. (2010): “’No Olympics on Stolen Native Land’: Contesting Olympic Narratives and Asserting Indigenous Rights within the Discourse of the 2010 Vancouver Games,” Sports in Society 13 (1): 143-156.
知り合いではなかったが,この雑誌を所蔵する大学の地理学者にお願いしてコピーしていただいた論文。本当にこういうのありがたいです。さて,カナダのオリンピック招致,開催事情はこれまでもいくつかの論文を読んできましたが,この論文は先住民の扱いに関してです。論文タイトルを読んだ時にはボイコフが論じている反オリンピック運動について詳しく知ることができることを期待していたが,読んでみると,運動そのものではなく,なぜ五輪に反対するのかという動機を詳細に検討したものだった。オリンピックにおけるジェンダーや人種,エスニシティの問題は日本でも井谷聡子さんという人が論文を書いていて,このバンクーバーの「No Olympics on Stolen Native Land」についても書かれている。五輪開催都市/国の先住民問題で有名なのは2000年シドニー大会だが,2002年ソルトレイクシティ大会と一緒に論文の前半で触れ,「どちらの事例においても,先住民の人々は名目的なかつ取るに足らない役割へと追いやられている」(p.144)と述べられている。オリンピックの開会式ではそうした先住民を登場させたり,またそのモチーフだけを美的に利用したりしてその開催国の文化的多様性を強調し,その多様性を包摂する調和した社会が表象される。バンクーバー大会でも9つの先住民(First Nationと表現するようですね)から200人の代表が開会式に登場し,250人の非先住民のダンサーが「インディアン」のような恰好をして躍っていたという。カナダでは1988年のカルガリー大会でも先住民活動家による活動があったようです。この論文では,土地をめぐっての植民者の観点と先住民の観点について,カナダ連邦政府とブリティッシュコロンビア州の法律,オリンピック憲章と国連との関係など,丁寧に検討されています。IOCは国連が主張する持続可能性や公正な手順などを組み込んで,「アジェンダ21」を採択します。しかし,2つの深い欠陥があると指摘しています。1つはそれがオリンピック憲章にしっかりと固定されていないこと,2つめは周縁化された人々の基本的な人間的必要と権利を考慮していないことだといいます。今後は反オリンピック運動の主張に真摯に耳を傾け,オリンピズムに人権の問題をしっかりと組み込むことが要求されます。

 

Sebastião, S. and Lemos, A. (2016): “The Community Voice in the Preparation of a Mega-event: Rio 2016,” Cuadernos.info 39: 209-224.
ポルトガルの政治学者による2016年リオデジャネイロ大会に関する論文。地元住民の声を地元3紙の新聞報道からくみ取った研究。パブリック・リレーションに関する研究がベースにあります。2013年の新聞でリオ大会に関する119の記事に対して,定量的分析と定性的分析をしています。定量的分析からは必ずしも地元住民の声を反映できるわけではありませんが,鍵となる主題を記事数でランキングした2位に「Protest」が挙がっていたり,競技施設の建設現場で死者が出た事件の記事が多く,「準備における問題」が3位だったりして,五輪開催に否定的な声が新聞にそれなりの頻度で登場します。質的分析では,そうした住民の声や行為者,関心に焦点を合わせたものになっています。「コミュニティの声」は組織によって,その主要人物がジャーナリストに接触して新聞報道として公の場に届けられます。リオ大会では,スタジアムの民営化や数千世帯の立ち退き,インフラ建設や湾岸汚染の浄化などをめぐって市民の反対運動が起こっています。リオではワールドカップとオリンピックに反対するCPRCOという団体が組織され,住民の排除をめぐって市長との会合を要求したそうです。

 

Hiller, H. H. (1998): “Assessing the Impact of Mega-events: A Linkage Model,” Current Issues in Tourism 1 (1): 47-57.
以前紹介したOldsの論文は他人に複写依頼をしてようやく入手したものだったが,そのコピーに含まれていた次の論文がこのヒラーによる論文。ところが,ヒラーは自らのサイトでほとんどの自著論文をPDF公開しているので,難なく入手。こんなきれいなPDFがあるのだったら,Oldsのも公開してほしかった。さて,ヒラーは1990年代後半からメガ・イベントおよびオリンピックについての研究を進めている社会学者だが,この頃は特に南アフリカ共和国を専門的に調査していたようです。この論文の前半はタイトル通り,メガ・イベントのインパクトを評価するモデルの提示ですが,後半は2004年オリンピック夏季大会へのケープタウンの招致に関する事例となっています。まず,インパクト評価に関してですが,従来の研究は原因-効果関係を特定することが主眼でしたが,もっと広い視点で考える必要性を訴えています。そこで出されるリンケージモデルとは,原因→効果の一方向的時間軸だけではなく,フォーワード・リンケージという従来通りの原因→効果の時間の流れと,バックワード・リンケージという結果→目的・背景という逆の流れを想定し,さらにパラレル・リンケージというものを設定し,副次的な効果を分析に組み入れています。原因-効果というと,目的が達成されたという計画上の問題だけですが,想定外の効果が正負両方含まれるというのが,メガ・イベントです。
ケープタウンの事例に関しては,この論文自体が招致初期段階に書かれていることもありますが,バックワード・リンケージに関すること,特に住宅と移転に関することが考察されています。まず,招致委員会が地元からの批判を最小限にするためにはそうしたことへの配慮が必要です。しかし,都心近くでの低賃金住宅の供給が望まれましたが,多かれ少なかれその問題は無視されたといいます。全国的には2,3百万戸の住宅が必要だとされていましたが,1999年までに政府は百万戸の建設を目標にしていたという。西ケープに位置する黒人タウンシップには東ケープからの国内移民がやってきて,数千人が掘っ立て小屋のような不適切な住居で暮らすという。オリンピックによって都市の状況が改善されるという期待によって,オリンピック開催への支持は白人よりも黒人の方が高かったようですが,この時点でのそうした貢献は疑問視されると結論付けられています。

| | コメント (0)

オリンピック,メガイベント関連文献(翻訳論文編1)

マカルーン, J.著,光延明洋訳(1988):近代社会におけるオリンピックとスペクタクル理論.マカルーン, J.編,光延明洋・今福龍太・上野美子・高山 宏・浜名恵美訳『世界を映す鏡―シャリヴァリ・カーニヴァル・オリンピック―』平凡社,387-442.MacAloon, J. J. (1984): “Olympic Games and the Theory of Spectacle in Modern Societies,” In MacAloon, J. J. ed. : Rite, Drama, Festival, Spectacle: Rehearsals Towards a Theory of Cultural Performance, Philadelphia: Institute for the Study of Human Issues.
この本は随分以前から知っていたが,結局入手しなかった。翻訳には高山 宏が関わっていて,「鏡に映される二十世紀」(pp.469-477)という高山氏にしては短めの解説を寄せている。そこで高山氏は,編者による序文「序説 文化的パフォーマンス,文化理論」(pp.11-33)を絶賛している。この序説はマカルーンによるものである。訳書タイトルにはないが,原著タイトルには「Drama」とあり,「社会劇」という捉え方がこの論集を通底している。そもそもこの論集は1977年に行われたシンポジウムの記録であり,マカルーンの報告に付随して,1936年ベルリン大会と1964年東京大会の記録映画の上映もあったようだ。それはともかく,劇学という系譜として,ケネス・バーク,アーヴィング・ゴフマン,G・H・ミードからグレゴリー・ベイトソンなどの議論が概観される。
本書でマカルーンは「米国のオリンピック候補にもなった一流の陸上競技選手から学問の道に転じ,異色の文化人類学者として知られる。」(p.188)と紹介されている。さて,ようやくオリンピック論文の紹介だが,かなり抽象的な議論が多い。いくつかの言葉が検討される。この章の中心にあるのは「スペクタクル」。この英語はラテン語のspecere「(意図的に)みる」が直接的で,さかのぼればインド・ヨーロッパ祖語の語根spek-「観察する」に由来するという(p.391)。そして,この語の使用法の歴史についても検討している。
この論文の主たるテーマは「スペクタクル」だが、ドゥボールの『スペクタクルの社会』が出発点なわけではない。スペクタクルは本書の原著タイトルにある4つの概念の一つであり、1つ目の概念「儀礼」の検討にもかなりの議論を費やしている。また、スポーツにおいても「play a game」であり、遊びとの共通性があり、オリンピックにおける競技と遊び=遊戯との違いも検討される。論文の中盤でベイトソン『精神の生態学』に依拠した議論が展開されるが、私にはいまいち消化不良。原著タイトル3つ目の概念が「Festival=祭典」、4つ目が「スペクタクル」であり、この後この論文では両者の違いが検討され、これが非常に興味深い。「祭典の場合、ドップリのめり込むくらいでなければ参加したことにはならない。冷めた傍観者的行動はお呼びではないのだ。一方、スペクタクルなら、そういう放埒な行動も許される。距離を置いて観察する見物人に徹する、というのがそれだ。見物するだけで結構、それ以上の規制はせず、後は観察者と「見物」との対話に任せる、というスペクタクルには随意性と個人的選択の余地が立派にある。」(p.433)そして、スペクタクル概念の検討において、ドゥボールとブーアスティン『幻影の時代』が対比される。対極的な政治的立場にある2人の著者がある部分では似たような主張をしていることの妙。
「オリンピック大会のスペクタクルは、ハンナ・アーレントの用語を使えば、清濁合わせのんだ「陳腐化(banalization)」を必ず果たしてくれるのだろうか?」(p.439)の記述からは、ムニョス『俗都市化』との接合ができようか。また、1972年ミュンヘン大会におけるテロ事件を、「冒涜」や「タブー」としてきたことも、人類学的な解釈が可能(p.441)。なかなか読み応えのある論文だった。やはり彼の著書である『オリンピックと近代――評伝クーベルタン』(645ページ!)も読まなければならない。

 

ブルデュー, P.著,櫻本陽一訳(2000):オリンピック――分析のためのプログラム.ブルデュー, P.著,櫻本陽一訳『メディア批判』藤原書店,140-145.Bourdieu, P. (1994): “Les Jeux Olympiques: Programme pour une Analyse”, Actes de la Recherches en Sciences Sociales 103: 102-103.
この論文は,翻訳の対象となった原著(原題は『テレヴィジョンについて』)に収録されたものではない。ただ,オリンピックといっても短い文章で書かれている内容はテレビ放映に関わるものだということで,翻訳では本書に収録されたのだと思われる。書かれている時代が時代なので,そんな目新しいことは書かれていないが,以下の引用はさすがブルデューという観点です。「オリンピック全体を見る者は誰一人いないため,自分が見ているものが全体ではないということに誰一人として気づいていないという意味では,対象が二重に隠されているのである。」(p.141)そして,タイトル通り,オリンピックに関する社会学的研究はこういうことをしろという分析計画の提示になっています。①オリンピック・スペクタクルの社会的な構築の分析,②テレビ映像の生産の分析,コミュニケーション手段を生産している界の総体の分析,スポーツ生産の産業化の分析。

 

ホブズボウム, E.著,前川啓治訳(1992):伝統の大量生産―ヨーロッパ,1870-1914―.ホブズボウム, E.・レンジャー, T.編,前川啓治・梶原景昭他訳:『創られた伝統』紀伊國屋書店,407-470.
オリンピックを「伝統の発明invention of tradition」の枠組みで論じる文献がいくつかありましたが,いずれもホブズボウム自身がオリンピックについて言及しているような書き方をしていたので,読んでみました(というか,今まで読んだことなかったのかよ!)。この論文は,この論文集の巻末に置かれていて,総括的な意味でヨーロッパの19世紀末から20世紀初頭(第一次世界大戦前)に起こったさまざまな事柄を取り上げていますが,その後半でスポーツが国民国家形成に大きな役割を果たしたことが示されます。イングランドのサッカー,大陸でのサイクリング。ともかく,1870年以前は民衆レベルで共有されるスポーツのようなものはなかったという。それが,英国ではイングランドのサッカー,ウェールズのラグビーなど地域色がありながら,特定の競技が地域対抗で競われる,などと国家内のアイデンティティと国家間の対抗,そして国際大会と広まっていく。その過程でやはりクーベルタンの思想と,その実現としてのオリンピックが重要であるようです。ただ,1914年までに限定していることもあり,本格的にオリンピックが伝統となる前に話は終わってしまいます。

| | コメント (0)

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編9)

Lenskyj, H. J. (2012): “Olympic Education and Olympism: Still Colonizing Children’s Minds,” Educational Review 64 (3): 265-274.
批判的な研究が多い著者ですが(カナ表記に困るお名前です),教育関係の論文もいくつかあるようです。オリンピック教育への関心は2004年以降ということですが,タイトル通り,理念ばかりを掲げるオリンピズムとオリンピック教育が子どもや若者の頭脳を植民地化すると訴えます。日本でもよくありますが,オリンピックやパラリンピックの出場選手が子どもを前にした教育の場に登場し,善き「ロール・モデル」を演じるというわけです。スポーツで夢を成し遂げた実例として,IOCの人間性祝福イデオロギーを体現します。紛争や搾取,さまざまな民族問題は無視した多文化主義。これまでも,オリンピック教育を批判してきた論者が紹介されます。そして,そうしたオリンピック養育に登場するのがスポンサー企業。企業がさらに子どもたちを食い物にしていくということです。

 

Oliver, R. (2011): “Toronto’s Olympic Aspirations: A Bid for the Waterfront,” Urban Geography 32 (6): 767-787.
前に紹介した,Urban Geography誌のオリンピック特集の1本。著者はバージニア工科大学の地理学の研究者とのこと。トロントはオリンピックの開催都市になったことはないが,かつてからウォーターフロント開発の起爆剤としてオリンピックを利用しようと何度も招致運動をしてきた歴史が語られます。幾人かのインタビューも含みますが,基本的に新聞記事の分析になります。オンタリオ湖に面したトロントの湖岸地区は長い間公共空間とされ,私有化を拒んできたという。この地区の詳しい土地利用については説明されていないが,いわゆる工業地帯があり,脱工業化後の再開発が中心だとは思う。トロントのオリンピック招致運動は1954年に始まる。ローマで開催された1960年大会の招致であったが,計画要件がIOCのものを満たされておらず,招致は失敗している。1976年大会にも名乗りを上げたが,この大会は同じカナダのモントリオールで開催されている。都市の希望は国策により阻まれたことになる。当然,同国による続けての開催はほとんどないので,当面カナダでの開催はありえない。次なる招致は1996年大会だが,先にOldsの論文で確認したように,1986年バンクーバー万博以降,カナダではメガイベントによる都市にもたらされる弊害に反対する市民運動が勢いを増し,この招致は失敗している。ここでは,「サーカスよりパンを」という名前の活動団体が紹介されている。ただ,この論文では「1996年の試みは無駄な努力ではなかった。IOCは歴史的に繰り返し招致する都市を好む」(p.773)と記している。最後に2008年大会への招致運動がこれまでより詳しく論じられている。この間にウォーターフロント再開発も独自の進展を遂げており,各種組織が2008年の招致活動を支援する。しかし,やはりトロントが招致すべきかどうかにかかわる公的な議論もされないまま話が進み,より広い市民のコンセンサスを得られない。最終的には都市としての問題だけではなく,州政府,連邦政府の目論見のもとで計画が決定される。実際の競技会場の地図も掲載されている。ただ,最終的にIOCは政治的約束にではなく,確実な財政的関与を要求するため,トロントは開催都市とはなれなかった。とはいえ,ウォーターフロントの再開発はいつくか成果を生み出してはいて,トロントにおけるウォーターフロント再生がいかに重要かを市民たちが議論する素地も残している。将来的にも2015年のパンアメリカン競技大会の開催都市となり,これはもう決定しているが,2020年と2024年大会への招致も準備しているとされている。

 

Shoval, N. (2002): “A New Phase in the Competition for the Olympic Gold: The London and New York Bids for the 2012 Games”, Journal of Urban Affairs 24 (5): 583-599.
以前別の文献で言及されていて読みたかった論文。意外にも非常勤先の電子ジャーナルで入手することができました。しかも,この論文著者はイスラエルの地理学者だとのこと。2000年前後は都市研究としてのオリンピック研究が一気に登場する時期で,EssexとChalkleyという2人の地理学者による一連の論文や,AndranovichとBurbank,Heyingという3人の政治学者による一連の論文,社会学者Rocheのメガイベント本や,同じ社会学のHillerが積極的に論文を発表していたのもこの頃です。
この論文は前半でオリンピックの歴史的経緯を概観し,時期区分をしています。そして2000年以降に世界都市であるロンドンやニューヨークが2012年大会に向けて招致に乗り出したことを,新しい段階に入ったと捉えています。この議論は日本の都市社会学者,町村氏が『スポーツ社会学研究』に2007年に寄せた論文「メガ・イベントと都市空間――第二ラウンドの「東京オリンピック」の歴史的意味を考える」の論旨と共通しています。町村氏もオリンピックだけでなく万博にも注目していますが,Shovalの興味深いことは,時代的に万博→オリンピックという流れがあり,一度万博は下火になるのだが,1980年代に復活してきて(その最後に愛知万博が位置づけられます),その後にオリンピックの開催都市が新しい段階に入るという仮説です。そして,著者は町村氏と同様にこの動向には悲観的な見方をしています。経済効果についても,都市再開発についても,都市イメージの向上についてもあまり正の効果は見込めず,場合によっては負の効果をもたらすと警告しています。ただ,これはよく言われるように,オリンピックが肥大化し,それを開催できる都市は限られてしまっていることと,都市の側もそれなりの規模の変化をもたらすにはそうした契機に期待するしかなくなっているということでしょうか。

 

Burbank, M. J., Andranovich, G. and Heying, C. H. (2002): “Mega-events, Urban Development, and the Public Policy”, The Review of Policy Research 19 (3): 179-202.
2000年前後に米国で開催された3つのオリンピック大会,1984年ロサンゼルス大会,1996年アトランタ大会,2002年ソルトレイクシティ冬季大会についていくつかの論文を発表している政治学者と都市計画研究者の3人。これまで読んだ2本の論文はAndranovichが筆頭著者でイマイチ面白くなかったけど,Burbankが筆頭著者の本論文はなかなか面白いです。この論文で言及されているやはりBurbankが筆頭著者の2000年の論文は市民による抵抗を主題としていてもっと面白そう。この論文では,米国におけるオリンピック開催が,1984年から2002年に至るまでいかに推移したかが分かりやすくまとめられている。1984年は1932年にも開催経験のあるロサンゼルスということで,メインスタジアムは改修して利用し,その他大学の協力のもと,公的資金に頼ることなく成功させたという意味で,オリンピック史の転換に位置づけられている。しかし,アトランタではその実績がないため,それなりの公的資金を用いて競技施設を新設し,インフラを整備している。それだけではなく,世界的な都市間競争に立ち向かうにはアトランタはまだそのレベルには達していなかった。この論文のタイトルにもあり,掲載雑誌もそうであるように,本論文の主眼は都市開発ではなく,あくまでも公共政策にある。都市政策が管理主義的なものから企業家主義的なものに移行するというのはハーヴェイのお馴染みの議論だが,1984年ロサンゼルス大会はその一つの手本である。しかし,それはネオリベラリズムの一端であるが,都市政策という意味では典型ではない。ソルトレイクシティは1972年から冬季大会への招致運動をしてきたという。1992年にも立候補をしたが合衆国はアンカレッジを選択する。スキーリゾートとして国内では地位を持っていたが,それをより国際的な観光地として名を売りたかった。ここでも,かなりの公的資金が投入され,カナダと同様に市と州,連邦の3つの政府が関係する。この時代になると,オリンピックを利用した公的資金の投入は,さまざまな市民の反対運動にあうことになる。オリンピック関係の決定に市民の参加が含まれるようになるのはまだ先なのだろうか。

| | コメント (0)

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編8)

Khakee, A. (2007): “From Olympic Village to Middle-class Waterfront Housing Project: Ethics in Stockholm’s Development Planning,” Planning, Practice & Research 22 (2): 235-251.
先に書くと,この論文はオリンピック研究とはいえない。タイトルにオリンピックとはあるが,間接的にしか関わっていない。ストックホルムは1912年に一度オリンピックの開催都市となっている。まあ,その頃の大会は規模が小さいのでレガシーなんてものはないのだろうけど,この論文には一切その記載はない。ストックホルムは2004年夏季大会の招致運動をしていたが,アテネに決まった。論文タイトルから理解されることは,招致段階に計画されたオリンピック村が,招致失敗に伴って中流階級のウォーターフロント住宅に変更されたということ。しかし,その具体的な経緯が検討されるのではなく,設計事務所や建設会社に属する5人に計画理念に関するインタビューをしている。オリンピック村として計画されていた敷地限定というよりは,その南ハンマビー地区に関する議論となっている。オリンピック村の計画時点では「世界で一番持続可能な街」という修辞を用いていたが,「都心と臨海を一緒に感じられる街」へと変更された。もちろん,IOC向けの美句と住宅市場の消費者向けの美句とは異なる。この論文では,そこの部分は確認されただけで,もっと抽象的な計画理念の検討が中心。人間,社会,民主主義,生態学的な倫理について,5人の計画者の回答を検討する。環境に対する配慮に関しては強く意識されているものの,社会的弱者の居住権やマイノリティに関する権利などの意識はまだ低いようです。なお,この論文では結局この地区がどのように整備されたかについての情報はありませんが,ウェブで調べると,日本語でも結構出てきますね。

 

Waitt, G. (1999): “Playing Games with Sydney: Marketing Sydney for the 2000 Olympics”, Urban Studies 36 (7): 1055-1077.
1999年という早い時期に発表された地理学者によるオリンピック研究。1990年代には「場所を売る」というテーマ(その後は場所のブランド化)でいくつか論集が出てたりして,ハーヴェイの場所論や都市の企業家主義政策などの議論に乗った論文。前半はちょっと古臭い議論が続き,都市間競争におけるシドニーという,シドニーという都市内の差異に言及しない,地理学的でない印象を受ける。この論文は実際にオリンピック大会が開催される前に発表されていることもあり,競技施設の配置などの詳細を検討するものではない。しかし,その招致活動で発信されたシドニーのイメージや大会コンセプトの検討は詳細で,地理学者らしい分析になっている。この大会で招致委員会は多文化主義政策をとっていたオーストラリアを売りにして,多様性を前面に押し出し,また豊かな自然というオーストラリア全体のイメージを活かしたグリーンな,環境に配慮した大会をアピールしている。しかし,実際は難民の受け入れも行っているオーストラリアであり,先住民や移民の問題は大都市シドニーにおいては深刻である。特に,2つの地区を取り上げ,ベトナム系移民の集住地区につけられた負のイメージなどを解説する。また,環境の問題についてもシドニー近郊の大気汚染や海洋汚染の実態について報告される。

 

Nauright, J. (2004): “Global Games: Culture, Political Economy and Sport in the Globalised World of the 21st Century,” Third World Quarterly 25 (7): 1325-1336.
先日紹介した雑誌Third World Quarterlyからもう一本。グローバル化の文脈でオリンピックを考えた時,2004年大会に立候補したヨハネスブルクの例があるが,今後第三世界での開催があり得るかどうか,招致運動の状況などを知ることができるかと思ったが,かなり一般的な議論だった。「スポーツ-メディア-観光複合体」(p.1326)という興味深い概念はあった。著者は南アフリカの研究をしているようで,ヨハネスブルクがアパルトヘイト後の南アフリカ共和国における観光および経済発展の助力として大規模なスポーツ・イベントを利用としたという説明はある。後半はスポーツのプロリーグの組織と機能が1980年代から1990年代にかけて変容し,メディア産業など別業種の参入により,グローバルな電脳空間上で展開するようになった,という議論になってしまった。

 

Ferguson, K., Hall, P., Holden, M. and Perl, A. (2011): “Introduction – Special Issue on the Urban Legacies of the Winter Olympics,” Urban Geography 32 (6): 761-766.
Urban Geographyによるオリンピック冬季大会の特集号巻頭言。2010年バンクーバー大会を前にして,「招致,計画,そして現実」という調査ワークショップを2009年7月に立ち上げたという。都市計画者や,過去の開催都市の委員長2人,バンクーバー芸術共同体のメンバー,地元のジャーナリストから成るものだった。2009年10月には「グローバル競技大会とローカルなレガシー」というタイトルのシンポジウムを開催し,カルガリー大会の開催当時の市長も呼んで,本号に収録された研究発表がなされたとのこと。この特集号は,冬季大会に関すると題していますが,そんなに限定はされてないようです。だいぶ前に紹介した,Andranovich and Burbank (2011)も収録論文ですし(1984年ロサンゼルス大会と2002年ソルトレイクシティ大会に関するもの)。そして一方ではIOCが本格的に「レガシー」概念を出してきたのが2010年からということで,それも大きなテーマとなっています。

 

Retchie, J. R. B. (1984): “Assessing the Impact of Hallmark Events: Conceptual and Research Issues,” Journal of Travel Research 23 (1): 2-11.
地理学者の友人が勤める大学にこの雑誌の所蔵があり,複写してもらってようやく入手。オリンピック研究は英語圏ではメガイベント研究の文脈でなされることが多い。メガイベント研究は以前,ホールマークイベント研究と呼ばれていたが,その代表的な理論的論文。1984年時点でかなりうまく整理されています。掲載雑誌がTourismではなくTravelだというのも時代を感じさせます。しかも,この著者リッチィはその1974年にも同じ雑誌に共著でホールマークイベントをタイトルに掲げる論文を書いています。
この論文の冒頭でホールマークイベントを以下のように定義しています。「期間限定の一度きり,あるいは繰り返し開催される大きなイベントであり,主として短期あるいは長期滞在の観光目的地を意識やアピール,収益性を高めるべく発展してきた。このようなイベントは,興味を創り出し,注意を惹くのに十分な固有性や優位性,時代的な重要性における成功に依っている。」(p.2)そして,イベントを以下の7つに分類します。1.世界博覧会,2.カーニバルや祭典,3.主要なスポーツイベント,4.文化・宗教イベント,5.歴史的な事件,6.商業的・農業的イベント,7.政治的要人の集まるイベント。しかも,それぞれに順位を与えています。次に,イベントが社会に与えるインパクトも6つに分類し,本文で詳しく解説されます。1.経済的,2.観光・商業的,3.物理的,4.社会文化的,5.心理的,6.政治的。これらは優先順位というより,これまでの研究で優先されてきた順番という感じでしょうか。そして,それぞれに対してそのインパクトを測定するにはどんなデータがあり,そのデータによってどんな指標が測定され,またデータ解釈時の問題などがそれぞれのインパクト分類において表にされています。タイトル通り,概念を分類するだけでなく,調査指針も示されており,さすが引用されることの多い文献です。

| | コメント (0)

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編7)

Gratton, C. and Preuss, H. (2008): “Maximizing Olympic Impacts by Building Up Legacies”, The International Journal of the History of Sports 25 (14): 1922-1938.
以前から名前をよく見るPreuss氏の論文をようやく入手。レガシーキューブというのは先日紹介した川辺謙一『オリンピックと東京改造』で登場したのを初めて見たが,出典は示されていなかった。すると,この論文に全く同じ図版で登場します。こちらにも直接の出典は示されていないが,Cashmanという人の2000年シドニー大会に関する2005年の著作についての説明の中に出てくるので,こちらがオリジナルだろうか。あるいはもっと一般的に知られている図式だろうか。ともかく,「レガシー」なるものを計画的/偶発的,ポジティブ/ネガティブ,有形/無形という3次元で捉えようとするもの。この論文ではイベント前後の時期を5つに分け,「イベント構造」なるものを6つの項目で整理します。時期:1.着想と実行可能性,2.招致過程,3.建設とイベントの組織化,4.イベント開催,5.イベント・レガシー。項目:1.インフラストラクチュア,2.知識・技術開発・教育,3.イメージ,4.感情,5.ネットワーク,6.文化。この論文での事例研究はオリンピックではなく,2002年にマンチェスターで開催されたコモンウェルス大会です。都市開発の規模としてはオリンピックとそう大差はないが,グローバルな規模での報道などの発信としては比べ物にならない。最後の文章が興味深いので引用しましょう。「開催国政府はオリンピック大会を開催した場合の真のレガシー効果を真の意味での科学的に評価することを歓迎しない政治的立場がある。」(p.1933)

 

Olds, K. (1998): “Urban Mega-Events, Evictions and Housing Rights: The Canadian Case”, Current Issues in Tourism 1 (1): 2-46.
ようやく入手した論文。この雑誌のこの年次のものを所蔵する大学は2つしかなく,そのうち1大学には地理学者が在籍していたので,はじめましてのメールで依頼をしたところ,快諾してくれて入手。ありがたいです。著者のOldsはカナダの地理学者Leyとの共著で万国博覧会の論文があり,大学院時代に読んでいた。そんな彼がオリンピック関連の論文も書いていることを知ったのはCOHREの報告書を通じてであったが,その報告書が2007年であることを考えると,1998年の段階でこのテーマで書かれたこの論文はかなり先駆的だといえる。
本論文はオリンピックだけでなく,カナダで開催されたメガイベント,1986年のバンクーバー万博,1988年のカルガリー冬季オリンピック大会,そして1996年の夏季オリンピック大会はトロントが招致活動をしていて,これら3つのイベントを考察対象としている。
バンクーバーは2010年に冬季オリンピック大会が開催され,ボイコフの研究でも反オリンピック活動が盛んだった大会で知られる。1986年の万博における貧困層の立ち退きが激しかったということがこの論文で分かり,2010年につながっていくのだと理解できる。カナダも連邦国家だが,居住権に関する法律は州によって異なるようだ。バンクーバーの位置するブリティッシュコロンビア州と,カルガリーのあるアルバータ州とでは,アルバータ州の方が借主に厳しい。日本では賃貸住宅を想像するが,カナダではホテル住まいの人の話が多い。日本でいう日雇い労働者たちが住まう簡易宿泊所のようなものだろうか。でも,カルガリーの話では比較的高級なホテルの話も出てくる。ともかく,ダウンタウンではホテルに常住している人たちが多いのだろうか。メガイベントの決定によって家賃が一時的に上げられたり,観光客のためにリノベーションするという理由で追い出したりということがなされたようだ。会場近くにある大学ではイベント開催に協力していて,その一環として学生住居を選手や観光客のために一時的に利用するなどということもあったようだ。ともかく,バンクーバー万博とカルガリーオリンピックで立ち退きにあった人は多かった。そのこともあり,トロントでオリンピック招致活動が始まってからは反対運動が激しくなり,結果的に招致は失敗に終わったという話。しかし,2010年には再びバンクーバーでオリンピックが開催されてしまい,この頃の教訓は活かされなかったのだろうか。

 

Armenakyan, A., O’Reilly, N., Heslop, L., Nadeau, J. and Lu, I. R. R. (2016): “It’s All About My Team: Mega–Sport Events and Consumer Attitudes in a Time Series Approach,” Journal of Sport Management 30: 597-614.

この論文は2010年バンクーバー大会を事例に,カナダ人543人,アメリカ人247人にアンケートを取った調査。それぞれのナショナル・チームにどんな期待をするかということを,開催2か月前,開催初日,閉会式直後,終了2か月後の4時点で測定したもの。オリンピック研究では,住民や開催国民の意識調査はなされているが,アスリートとの関連についてはなされていないということと,これまでは開催前後の2時点の実施が多かったが,それを4時点にしたというのが新しいところ。しかし,全般的にこの研究はオリンピックがどうかというところよりも,イベントの経過によって意識がどう変わるかということを心理学的統計学的に明らかにすることに重点が置かれていて,統計学的な操作にあてられた説明が多い。結果としては,文化・社会的な類似性を有する2国民であっても,統計学的に有意な差がある。冬季大会はアメリカよりもカナダが強いが,メダルへの期待はアメリカ国民の方が圧倒的に強い。また,時系列的には大会が進行するにつれて期待度は高まっていき,終了後は下がるという傾向がある。

 

Edelson, N. (2011): “Inclusivity as an Olympic Event at the 2010 Vancouver Winter Games”, Urban Geography 32 (6): 804-822.
Urban Geography誌はこの号でオリンピック冬季大会の特集を組んでいる。そのなかでも,読むのはまだ1本目だが,この論文の著者は計画コンサルタント業者のようだが,学術文献だけでなく非常に多くの資料に精通していて素晴らしい論文。私も土木コンサルタント会社で働いているが,日本の企業にも見習ってほしい。そして,バンクーバーについてはこれまでもいくつか論文を読んできたが,この論文で2010年冬季大会の見方も随分変わった。こんな要約では語りつくせない非常に充実した論文である。Oldsの論文で確認したように,バンクーバーは1986年に万博を開催し,その時は多くの立ち退きがあった。その後,1988年のカルガリー冬季大会,1996年のトロント大会への招致失敗と経験を積んできた経緯もあり,メガ・イベント開催に関わる居住権の問題や社会的弱者の権利などに市民が敏感になっている。オリンピックのようなイベントはカナダ連邦政府,ブリティッシュコロンビア州,バンクーバー市という3つのレベルの政府の関りがある。そして居住関係やインフラについてもそれぞれの関わり方がある。それを踏まえて,オリンピック招致活動が始まる前後にバンクーバーに登場したさまざまな団体が概観される。それぞれの団体はいくつかの調査を行ったりしてさまざまな報告書が公表されている。そうした団体は市民団体だけではなく,各政府が関わるものもあり,また直接オリンピックへの関与を謳った団体もある。各団体はオリンピックに向けてさまざまな活動を行ってきた結果,招致委員会が提出した立候補ファイルでは,高度なインクルーシヴに関わる目標が提示され,それが開催決定につながった一つの要因でもある。しかし,最終的な開催計画はやはりかなり透明性の悪い状態で決定したとのこと。とはいえ,各種団体はそこで落胆せずに活動を続ける。この論文で非常に印象的だった記述は,警察や軍隊を監視する団体だ。メガ・イベントの際によく行われるのがホームレスなどの一時的な排除だ。警察権力を用いて強制的に行われる。そういうことがないように,市民団体は警察を監視する。政府はホームレスの一時保護施設を作ったりし,ともかく社会的弱者への暴力だけは認めないという市民一丸となった闘いは功を制したようです。とはいえ,開催都市全体としての変容はやむを得ず,結果的にホームレスの数は1.5倍に増えたとのこと。またインフラに関しても,市民生活に要求される東西の連絡鉄道よりも,空港から市街への南北アクセスが優先されて整備されるなど,オリンピックの弊害は無ではなかった。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧