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2020年の地理学関連文献04

和田 崇(2020)「地域活性化手段としてのスポーツ――日本におけるスポーツの地理学的研究のレビューから」地理科学,第75巻第1号,19-32頁.
イギリスにはジョン・ベイルという地理学者が「スポーツ地理学」を提唱してずいぶん経つ。このブログでも以前,彼の翻訳書『サッカースタジアムと都市』を紹介したが,近年はオリンピック研究も手掛けているので,無視できない存在。しかし,日本では『経済地理学年報』の特集号で掲載された福田珠己さんのランニングに関する論文でベイルに言及したくらいで,日本ではスポーツ地理学はほとんどない。しかし,今回和田さんは先日紹介したアジア大会の論文も含め,スポーツツーリズムの分野に手を付けたということで,この論文は日本の地理学でスポーツ関連の文献を整理している。確かに,スキーやマリンスポーツ,ゴルフなど自然資源を開発して整備するスポーツは地域開発や地域活性化という主題で,日本でも地理学の研究は行われてきた。そんな,日本的なスポーツ地理学研究を踏まえた上で,この先の展開が期待されます。

 

川添 航(2020)「在留外国人の社会関係形成・維持における宗教施設の役割――茨城県南部におけるフィリピン人を事例に」地理学評論,第93巻第3号,221-238頁.
著者は筑波大学の大学院生。比較的近い場所をフィールドに丁寧な調査を行っています。日本に住む外国人の実態は知ろうと思えば社会学を中心に多くの研究や,研究以外でも多くの資料があると思う。地理学でもエスニシティというテーマの研究は日本でも比較的盛んで,この論文もそこに位置づけることができよう。とりあえず,宗教施設が鍵になる研究ということで読んでみたが,カトリック教会に通うきっかけとか,よく聞き取りできています。単に施設が重要ということだけでなく,やはり信仰心が外国で暮らすものにとって精神的なよりどころになっていることがよく分かります。

 

佐藤廉也(2020)「森の知識は生涯を通じていかに獲得されるのか――エチオピア南西部の焼畑民における植物知識の性・年齢差」地理学評論,第93巻第5号,351-371頁.
著者は私と同年代で,地理学というより人類学を専門とし,長らくアフリカをフィールドにしている。しかしなぜか,コンスタントに地理学雑誌にも論文を掲載し続けていて,この論文でも古いものも含めてしっかり地理学者の上の世代の文献が引用されている。この論文では,1992年から調査に入ったエチオピアのマジャンギルという民族集団のK村で,2002-2009年にかけては450人の年齢推定を行い,その結果を利用して2016年に行った植物名および樹木同定のテストをこない,その結果を年齢と性別とで分析したものである。この社会は焼畑を基本としながらも現金収入減としては蜂蜜の採取をしており,狩猟・採取の側面を持つ。徐々に近代化の影響もあり,学校や定期市が開設され,定住化が進む。そういう変化の中でも,生業に関わる植物に関する知識はその性的分業や加齢に伴う労働形態の変化に対応しながらも獲得・蓄積されていくという。

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ホストタウン関連文献01

今年はじめに、東京オリンピック・パラリンピック競技大会に関する調査・研究として、ホストタウンに関する調査を始めた。
ホストタウンとは、まさに和製英語で、世界のオリンピックにそういう用語はない。オリンピックは世界各地で持ち回りで開催されるため(オリンピックに限らず多くのスポーツ競技の国際大会がそうであるが)、アスリートたちは競技当日のコンディションを最善に持っていくために、開催国で事前のキャンプを実施する。まだ詳しく調査はしていないので、その経緯ははっきりとは分からないが、1998年長野冬季オリンピック・パラリンピック競技大会で採用された「一校一国運動」のひそみに倣って行われるものではないかと想像している。とはいえ、オリンピックに限らず、各競技の国際大会などの際にすでに同様の事業が行われていて、ホストタウンという言葉は以前からあったのかもしれない。
まあ、それはともかく、私は「日本のオリンピック研究」と大それたタイトルで論文を発表したのだが、その時点ではホストタウンに関する学術研究はほとんど見つからなかった。しかし、本来の2020年東京オリンピックの開催日を過ぎ、なんとなくまた文献検索をしてみたら、けっこうな数の論文が発掘された。しかも、2018年とかそんな日付のものも少なくない。なぜ以前は見つからなかったのか、不思議だが、とにかくそれらを一通り読まなくてはならない。ということで、読んだものから紹介していきたいと思う。

 

金岡保之(2019)「トーゴ共和国のホストタウンに宮崎県日向市」産学官連携ジャーナル、第15巻第6号、18-19頁.
これは論文のようなものではなく、2ページの「レポート」という種別に寄せられた報告である。著者の専門はよく分からないが、宮崎大学地域資源創成学部の教員であり、日本トーゴ友好協会を設立したということもあり、宮崎県日向市にある東郷町と語感が似ているということで、ホストタウン事業に登録したという経緯が説明されている。ホストタウンには女性アスリートモデル事業なるものがあるようで、それにも乗っかっている。ホストタウンの登録、締結には、現地の人を招聘して締結を行ったり、事前キャンプの場合にはトレーニング施設の視察を行ったりすることがあるが、トーゴからも5人を招待し、さまざまな交流事業を行ったらしい。しかし、詳しい日付が書いていないのが残念。

 

青山雅己・山口志郎・山口泰雄(2019)「PMBOKProject Management Body of Knowledge)を用いた代表チーム事前合宿におけるステークホルダー・マネジメントプロセス:兵庫県・淡路島のケーススタディ」スポーツ産業学研究、第29巻第1号、25-37頁.
この論文の事例はホストタウンではないが、全般でホストタウンの説明を端的に整理してくれていて助かる。ホストタウンの起源は、この論文では2012年ロンドン・オリンピックにおける事前合宿の成功によるものとしている。当然、2020年東京オリンピック大会のホストタウンを事後的に評価することはできないから、この論文では2017FIFA U-20ワールドカップ韓国大会に向けたイングランド代表の合宿を事例にしている。ステークホルダー・マネジメント研究の文脈で、さまざまな理論を援用し、要は事前合宿が成立するまでのプロセスをたどっている。基本的にはその中心人物へのインタビューから当時のことが復元されているという内容だが、なかなかこういうことは表立って語られることは少ないため、勉強になる。

 

久保雄一郎・松井陽子(2020)「2018平昌大会事前キャンプ地選考における意思決定プロセスと選定要素に関する研究:北海道美深町におけるエアリアル種目を対象に」スポーツ産業学研究、第30巻第1号、55-67頁.
この論文も冒頭でホストタウンについて簡単に整理している。この論文は実際の調査対象をオリンピックの事前キャンプとしている。また、ホストタウンを事前キャンプという文脈に位置づけていて、またスポーツツーリズム研究とも関連付けている。ホストタウンは日本の一市町村が、一国・一地域と結びつくものだが、この論文での事例は特定の競技に特化していて、受け入れ側は日本の一自治体だが、キャンプをした選手は複数国にわたる。その辺りの事情はホストタウンとは異なる。国際大会での事前キャンプにおいて重要なことをこの論文は教えてくれる。それは時差と移動による疲労の解消である。この論文で対象としているのはエアリアルという特殊な競技であり、おそらく競技人口もそれほど多くない。この事例でも日本を含む4ヶ国で33名という規模のキャンプであった。そして、このキャンプ地となった美深町はこの競技の強化・振興事業を行っているということで、かなり特殊な事例ではある。そして、成功事例であり、調査・研究者がアスリートたちと同じ時間を共有するという努力もあったが、見事な説明となっている。

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2020年の地理学関連文献03

今年出た『空間・社会・地理思想』にも興味深い論文が多く掲載されています。

 

橘 セツ(2020)「英国東部サフォーク州オーフォード・ネスにみる20世紀軍事景観の遺産化と自然化をめぐる文化地理学――ナショナル・トラストによる景観管理に着目して」空間・社会・地理思想,第23号,53-67頁.
著者は英国に留学経験があり,指導教官や同僚だった研究者と共著で英語雑誌の論文も持っています。しかし,日本語の地理学会誌にはあまり論文がありません。所属する大学の紀要には毎年のように書いていて,この雑誌に掲載するのは珍しいです。英国景観の歴史地理学的な研究が専門です。この論文も継続的な研究に位置づけられますが,読んでみると,やはり学会誌には掲載できないような内容です。この長いタイトルで分かるように,かつては軍事施設が集中していた土地をナショナル・トラストが購入し,観光資源化しています。まずは,その案内書に掲載された見学道のルートに従って,著者が撮影した写真を掲載しながら主要なポイントを解説します。続いて,その敷地内にありながらも海岸浸食によって倒れてしまう危険にある灯台の話に移ります。ナショナル・トラストはこの灯台の購入は見送り,その行く末について説明されます。続いて,ガイドブックの表紙のイラストを分析し,このオーフォード・ネスの位置付けと,灯台の意味を分析しています。後半では,この場所をめぐる研究をいくつか紹介しています。やはり,研究素材の提供の域を出ず,研究論文の水準に達しているとはいえません。

 

ベルク, A.著,荒又美陽訳(2020)「北海道のイメージ(『稲と流氷――北海道の植民地化と文化変容』所収,第7章)」空間・社会・地理思想,第23号,103-121頁.
オギュスタン・ベルクは日本の研究をしているフランスの地理学者ですが,その著書の翻訳のほとんどは地理学者以外が行い,日本では地理学以外でも広く知られています。この論文タイトルにも説明がありますが,日本に留学していた時に書いた博士論文で,1980年に出版された書籍の一章です。訳者はフランスへの留学経験があり,その際にベルク氏にも指導を受けたということと,北海道出身ということもあります。著書ということはありますが,注釈が少なく記述の根拠にあたることは難しいですが,1980年に出版された北海道研究とは思えない斬新さがあります。また,風土論で知られるベルク氏ですが,こんなに批判的な内容を含む彼の文章を読むのも新鮮です。北海道をかつての日本にとっての異国であり,植民地支配と末に国内に組み込んだという理解は今日では珍しくなく,外国人による研究としてもテッサ・モーリス=スズキ氏の著作がありますが,時間軸としてはそれよりだいぶ早い時期です。また,私はこの本全体を読んでいませんが,タイトルからして北海道で稲作が行われていた,ということを強調したいということが分かります。この章のタイトルは「イメージ」とありますが,私の読んだ感じでは,北海道という土地には様々な人が関わっていて,その属性によってこの土地に込めた想いや他の人にどう伝えるかという,政治的な意味合いも込めたところを明らかにしようとしているといえる。特に私にとって興味深かったのは中ほどで議論されている地名の問題である。アイヌ語と地名というのは地名研究でも大きな課題ですが,場所名詞学(toponomastique)という造語(訳語も造語です)を用いて非常に興味深い議論をしていて,和人たちの暴力が地名に込められていることを知らせてくれます。それ以外にも議論は多岐にわたっていて,一読で簡単に整理はできませんが,再読したい文章。

 

ノヴァック, D.著,松井恵麻訳(2020)「ジェントリフィケーションにおけるアート活動――創造性,文化政策,そして釜ヶ崎の公共空間について」空間・社会・地理思想,第23号,181-198頁.
City & Society』誌に2019年に発表された英語論文の翻訳。この雑誌は知らなかったが,この種の論文が『空間・社会・地理思想』に翻訳されるのは当然と思い読み始めるが,次に掲載されている文章と併せて読まないと意味がない。冒頭で著者は「その当時,私はフェスティバルゲートと呼ばれる大きな商業施設の中にあった音楽のパフォーマンススペースで働いていた」(pp.181-182)とある。この論文には日本語文献も引用され,インタビューも行っている。当然,ある程度日本に住み,日本語能力のある研究者だと思って読み進む。しかし,この訳文には細かい箇所を訂正する訳注が40もつけられていることが気にかかる。訳者は大阪市立大学の院生ということで,釜ヶ崎に関する知識があるから当然かとも思ったが,そうではないようだ。詳しくは次に紹介する上田氏の論文の紹介で論じたい。
日本の地理学には釜ヶ崎研究の継続的な蓄積がある。山谷のことはあまり知らないに,釜ヶ崎のことはある程度知っている。かつて,日雇い労働者街だった,正式な地名とはなっていない「釜ヶ崎」は現在は労働者の高齢化に伴って変容しつつあり,その変容の担い手に「アート」的なものが関係している。この状況を,著者は欧米のジェントリフィケーションにおいて,まずきっかけになったのがインナーシティの廃墟にアトリエを設けて活動を始める若く貧しいアーティストたちがいる。この状況と日本の状況については私も気になっていた。日本でも若きコンテンポラリー・アーティストたちはいるが,貧しき頃かれらはどこで活動していたのかと。もちろん,東京でのジェントリフィケーションの一事例でもある渋谷の宮下公園では,状況は違うがアーティストたちの活動がある。それはかつて段ボールハウスが列をなしていた新宿の地下街でもだ。かれらが立ち退きいあっているのを真っ先に支援したのがアーティストたちだ。段ボールハウスを芸術作品に仕立てたり,また現在反オリンピック運動をしている「反五輪の会」のいちむらみさこさんもホームレス・アーティストだ。しかし,そこにはアーティストがジェントリフィケーションに加担しているというよりは,抵抗しているという図式が見える。この論文で取り上げているのは「ココルーム」という施設であり,表向きはカフェだが,詩や音楽,パフォーマンスといったアート活動の拠点になっているという。設立当初は行政から支援を受け,財政的に厳しくなると宿泊施設の経営に乗り出したり,とその活動に著者は企業家精神を読み取る。一時期,その代表である上田さんは注目され,国内外のイベントに招待されたり,2014年には文部科学大臣新人賞を受賞したりしたという。こうした活動を,都市の創造性や新自由主義的な企業家精神の文脈で論じている。といっても,上田さんのことをジェントリフィケーションの担い手とみなしているわけではなく,彼女の活動はそれへの抵抗ともみなそうとしている。

 

上田假奈代(2020)「現場のわりきれなさと,(あまり)現場にいない言葉たくみな人――大阪・釜ヶ崎で喫茶店のふりをするアートNPOココルームを研究者はどのように語るか」空間・社会・地理思想,第23号,199-205頁.
その当事者である上田さんにも執筆の機会を与えています。こういう人の文章を読むと,こういう現場に調査に入っていない私のような研究者でも,いろんなところに書き散らしていることを恥ずかしく思います。彼女によれば,ノヴァック氏のことは当然知っているが,彼女は英語ができない,ノヴァック氏は日本語を話さない,でコミュニケーションといえば「ハロー」だそうである。インタビューも録音機を持った翻訳者が訪れ,録音をして立ち去るのだそう。彼女の元へは日本でも卒論学生や院生が話を聞きに来る機会が増えているというが,多くの研究者は最終的に論文なりを公表する段階で内容を上田さんのところに確認しに来るが,ノヴァック氏はそうではなかったという。まあ,この文章はノヴァック氏への個人攻撃ではなく,多かれ少なかれ同様のことはよくあるのだという。一方で,上田氏は日々の活動で精一杯で,自分のことを他人がどのように書いているのかを逐次チェックするわけではない。当然,自分の活動を,研究者が位置づけるような意図を持ってやっているわけではなく,また非常に謙虚に日々を生きている,そんな印象をもつ誠実な文章である。

 

中川 真(2020)「大きな力と対峙するアーツマネジメント」空間・社会・地理思想,第23号,207-213頁.
著者は以前はサウンドスケープ論の紹介者として有名になったが,音楽=アートということで,最近は大阪市立大学に所属してこのような研究をしているようだ。この論文は,ノヴァック氏の立場と上田氏の立場を両方理解できるような,とはいえどちらかというとアカデミックな立場に近い形で書かれている。この2本の論文に続いているので,もう少し具体的な各論を期待していたが,ある程度差しさわりのない総論で,エルゲラ『ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門』(フィルムアート社,2015年)に依拠して,アートが重要なんだと訴えている。

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2020年の地理学関連文献02

吉沢 直・綾田泰之・山口桃香・武 越・李詩慧・浅見岳志・封 雪寒・張 羚希(2020)「鹿行南部におけるスポーツ合宿の特性と地域間連携の可能性」地域研究年報、第42号、77-92頁.

本誌は筑波大学人文地理学研究室の巡検報告書である。しかし、しっかりと調査されて、まとめられており、私のホストタウン研究にも役立つ論文である。位置づけ的にはスポーツツーリズムをキーワードに挙げているので、文化地理学に含めるのは難しいかもしれない。ただ、私のホストタウンの調査では、受け入れ自治体がスポーツ施設を持っているか否か、人数の多い団体の合宿を受け入れる宿泊施設があるか否かというのが大きいので、こうした取り組みの実態を知ることができたことは大きい。
この論文で調査されているのは筑波大学からほど近い、茨城県の沿岸部。3エリアを設定していますが、その一つがアントラーズのある鹿島エリアです。ということもあり、スポーツ合宿といってもサッカーがメイン。もともと工業地帯であるこの地域では、以前から工場施設の整備が行われる時期に修理工が宿泊する施設を必要としていたという。それは季節的に限られるため、閑散期の需要を促進する目的でもスポーツ合宿が誘致されたという。1つのエリアは宿泊施設が競技場も併設しており、もう1つのエリアは公共的なスポーツ施設が充実しているという。そこでは、行政が大きな役割を果たし、また東京にあるエージェント企業が合宿団体を手配するという。また、競技施設と宿泊施設を併せ持ったこの地区では、サッカー大会も開催され、また近年では外国のチームの合宿もあるという。論文的には地理学を意識して地域連携の難しさを指摘しているが、スポーツ合宿の実態が把握できたことで十分な成果だと思う。

 

水谷裕佳(2020)「地理的境界と展示活動――ワイキキ水族館における環境と文化の展示を事例として」境界研究、第10号、23-43頁.

冒頭に現在のワイキキ水族館についての概説があるが、前半はハワイの長い歴史が語られている論文である。入植以前の考古学的な歴史から、1778年のジェームズ・クックの上陸、入植が進むハワイ王朝では、1848年に法改正がなされ、土地の私有が認められる。1898年に米国領となり、ハワイ州となるのは1959年。当のワイキキ水族館は米国で2番目の水族館として1904年に開館している。その後ハワイの観光化が進む。米国にとって特異な自然環境が旅行先として宣伝され、また東洋諸国への玄関口ということも強調されるという。そういうこともあり、日本からの移民も多いが、中国系移民がワイキキで養魚池を経営していたという。後半ではオアフ島の環境保護活動と文化復興活動についても考察される。
そうした経緯と文脈で、現代のワイキキ水族館の機能と役割が論じられる。全般的な水族館の歴史が辿られ、ワイキキ水族館では、形骸化したエンタテイメント的な展示ではなく、陸上要素を取り入れ、ハワイの環境や文化を展示する教育的目的を持っている。最後に境界に関する議論がある。まずは、展示における陸と海との境界である。続いて、観光客と住民との境界であり、それはあるていどワイキキ水族館が位置する観光地区と居住地区という空間的な意味合いもある。また、論文では明白に書かれてはいないが、アメリカとアジアという境界もあるのかもしれない。

 

太田原潤(2020)「ヤマアテによるコヨミ認識の一様相――沖縄県久米島町のウティダ石のもつ意義を中心に」非文字資料研究、第20号、105-124頁.

著者は考古学者のようだ。この論文は久米島の見晴らしの良い高台に据えられた石の民俗学的意味を探るものである。物質性の研究にふさわしい素材で、自然-人間関係を論じているという意味では地理学にとっても興味深い研究である。この雑誌を発行している神奈川大学歴史民俗資料学研究科の院生ということだが、2000年から考古学関係の雑誌に既に何本も論文を発表しており、普通の経歴の院生という訳ではなさそうだ。このウティダ石と呼ばれる石は、漁業者が海上での位置を知るために用いられているといい、その方法を「ヤマアテ」という。まずは季節的な「コヨミ」がある。季節によって移り変わる日の出の位置が重要となる。続いて、海から見た風景の目立つ箇所とウティダ石との関係で位置を定める。
この論文の中では、このウティダ石がいつからこの位置にあるのかを考古学的な観点から考察する。続いて、久米島で採用されている暦の考え方を、琉球王国の中国との関係、日本との関係の歴史の中で考察する。また、太陽の動きについても現地観測だけでなく、コンピュータによるシミュレーションも行い、確認している一つの物質としての石について、多角的に考察し、その民俗的な利用を考察する興味深い研究である。そこに、「そこから見える景観に非文字資料としての資料性」(p.122)としているところに、物質と地理という関係を見出すことができる。

 

中井次郎(2020)「都市生活者のウェルビーイングを前提とした生涯スポーツの再考について」大阪大学教育学年報、第25号、23-35頁.

この論文は具体的な調査に基づくものではなく、文献を駆使した総論である。2019年ラグビー・ワールドカップ、2020年東京オリンピック、2021年ワールドマスターズゲームズという日本で続いて開催される。スポーツ・メガ・イベントを契機に、スポーツを活用した都市生活者の健康を維持する方策を考えるという背景を持っている。メガ・イベントに伴う都市開発、ジェントリフィケーションにも配慮しながら、ウェルビーイングに結びつく生涯スポーツについて考察している。文献としては物足りなさを感じながらも、なかなか興味深い論点もいくつか提示されている。まず、私のホストタウン調査でもあったが、生涯スポーツの起源について、「1988年に設置された文部省生涯スポーツ課」(p.24)との記述があった。ここに、子どもの体育と高齢者の生涯スポーツとが結びつくのだ。また、この論文ではスポーツを創造都市とも結びつけている。そして、この想像都市概念の起源としてルイス・マンフォードを挙げているのも新鮮。そして、都市の創造性がとかく経済と結びつきやすいところを、ここでは創造都市ではなく、ウェルネスシティへと方向展開しようというのだ。今日の日本社会で高齢化が進展するなかで、今日のいわゆる身体的なスポーツ(ウォーキングまで含め、意図的に行う運動のこと)ではなく、生活に伴う移動を重視する必要があるという。著者はこの問題があくまでも都市特有なものである、という捉え方はしない。農村での考察も可能だという。

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2020年の地理学関連文献01

分かる人にはわかるかもしれませんが、とある事情で、2020年に発表された特定分野の文献調査をすることになり、書籍だけでなく、雑誌論文についても簡単な解説文を記録として残していきたいと思う。

岡野 浩(2020)「都市生体と文化編集――アクターとしての「メタセコイア」と「てりむくり」」都市と社会、第4号、146-175頁.
この論文は著者が手掛けてきた数多くの研究と、大阪を中心とする調査報告書シリーズを総括する内容で、特別寄稿されたものである。
主要なテーマは「都市の創造性」である。都市の創造性を発掘するために、その都市に属するさまざまな「モノ」をアクターとしてそのネットワークを考察するという意味においても、この論文を支えるのはキーワードにもある、アクター・ネットワーク理論である。とはいえ、特定の理論に基づいて調査結果を用いるような実証研究ではない。大阪の歴史をたどる時にはアフリカにおける人類の誕生から、というスケールの大きな話で、さまざまな理論だけでなく、日本文化論や自然史など、話題がコロコロ変わりながら論が展開します。
一部はフーコーにも基づき、彼の考古学という言葉をうまく利用して、地質学的なメタファーで都市を解明しようとします。また、著者の活動は単なる調査・研究にとどまらず、一つの運動実践を志向しています。「市民知」という言葉も用いていますが、本稿のタイトルでは植物のメタセコイアと建築技術の「てりむくり」ですが、地域に存在する自然物から技術、さまざまな事物を知の対象とし、市民とともにその歴史を紐解き、その活動自体が新しい知を生み出していくというところに、「都市の創造性」を求めているようです。

小栗宏太(2020)「ホラー映画と想像の地理:香港南洋邪術映画を題材に」言語・地域文化研究、第26号、493-509頁。
香港という特定の都市で制作される映画の特定のジャンル(ホラー)に、特定の地域が特定の役割を持って描かれるという事態を、サイードの「想像の地理」概念を使って論じている。冒頭では、人類学者の逸話として、特定の「呪われた場所」に関する言い伝えの事例をいくつか挙げている。1970年代半ばから1990年代の返還前の香港映画で、「南洋」すなわち東南アジアが呪われた場所として描かれることが多かったという。一つには、返還前の香港が、東洋(中国)と西洋(英国)との二面性を併せ持つことから、香港映画は西洋の『エクソシスト』と中国のキョンシーものの影響下で、西洋でも東洋でもない南洋を表象の対象として、「他者」として描いたといえる。香港映画では、呪術の恐怖を「降頭」と呼ばれ、映画のジャンルとしても「降頭片」と総称されるという。そうした映画の決まったストーリーは香港の主人公が東南アジア諸国に渡航し、渡航中や帰国後に体調不良等不思議な現象にあうという。主人公を助ける人物が原因を究明するために渡航先を訪れ、解決する。
このことの原因として、既存の文献からいくつかの理由を明らかにしている。一つ目は戦後香港の映画業界が東南アジアと強いつながりを持ち、ロケが容易であったこと。二つ目は東南アジア色を導入して消費を喚起すること。三つめは本稿社会の東南アジアへの偏見である。

和田 崇(2020)「1994年広島アジア競技大会の無形遺産――一館一国運動の25年」E-Journal GEO、第15巻第2号、175-188頁.
日本の地理学で本格的にスポーツ研究を手掛けようとしている著者の実証研究。スポーツ地理学を人文地理学のどこに位置づけようとするとやはり文化かなと思い、地理学に限らず、オリンピックものも含め読んでおこうと思う。著者の和田さんは本当にさまざまな方面に関心を持って、しかもそれを一定数の論文として、きちんとまとめていく稀有な地理学者。アジア競技大会についてはオリンピック研究のなかでも重要だと思っていたが、今のところ日本語で読める本格的な研究は見つかっていない。そんななか、身近な地理学者からこうした研究が出てきたのは非常に喜ばしい。本稿でもしっかりとオリンピック・レガシーの文献調査もなされていて、勉強になる。そしてなにより、著者のすごいところは、実証研究論文の場合はほとんどオリジナルな調査を行っているということ。本稿では、25年前のことであるにもかかわらず、公民館へのアンケートや聞き取り調査を行っている。私もきちんと認識していませんでしたが、1994年に実施された一館一国運動は、有名な1998年長野オリンピック冬季大会に行われた一校一国運動のモデルとなっているということ。日本では1980年代から国際化、異文化交流などということが叫ばれるようになり、1990年代前半のこの運動はその流れにあるとも理解できる。基本的には行政側の企画なのだが、実際の運動としては草の根レベルの市民が主体となって行っている。私が調査している2020年東京オリンピック大会のホストタウン事業でも、同じように受け入れ自治体が相手国・地域の文化を知るところから始まり、相手国・地域の料理を作るとか、在日外国人を招待して講演を行うとか、同じような実践が行われている。ということで、私のホストタウン研究にも大いに役立つ論文です。

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今年公表された研究成果をまとめて紹介します

先ほど久しぶりの読書日記を投稿しました。前回は2月でした。この『Olympic Cities』は借りている本で,読み終わったのですが,読書日記は細かく書きたいなと思いつつ,それが中断してしまい,なんとなくblog自体から遠ざかってしまっていました。

その間に,新しい論文がいくつか公表されたので,お知らせします。

成瀬 厚 2020. 日本におけるオリンピック研究.コミュニケーション科学 51: 117-160
このblogでもさんざんオリンピック研究を紹介してきましたが,それがようやくまとまりました。こちらは日本語文献のレビューで,非常勤先の紀要にのせてもらいました。
http://hdl.handle.net/11150/11434

現代地政学事典編集委員会編 2020. 『現代地政学事典』丸善
こちらは,3項目で執筆させていただいています。
「地政学と言説・表象」(380-381),「メディアと大衆地政学」(406-407),「ポストモダン地政学」(410-411
https://www.maruzen-publishing.co.jp/item/b303600.html

成瀬 厚 2020. 地名の認識論序説.空間・社会・地理思想 23: 3-12
いくつかの学会誌で掲載不可になり,最終的にこの雑誌に引き取ってもらいました。単著で掲載していただくのは初めて。
http://lit.osaka-cu.ac.jp/geo/Space,%20Society%20and%20Geographical%20Thought.htm

成瀬 厚 2020. 地図とは,地理学者にとって崇高な対象である.ユリイカ 52 (7): 78-86
4
月初旬に執筆依頼があり,5月下旬に出版されるというスピード。素晴らしい特集に参加させていただきました。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3437

成瀬 厚 2020. メガ・イベント研究からオリンピック研究へ――地理学的主題の探求.経済地理学年報 66 (1): 3-28
オリンピック科研のメンバーを中心に特集を組んでもらい,経済地理学会会員ではありませんが,書かせていただきました。こちらは英語文献のレビュー
http://www.economicgeography.jp/journal/nenpo-66-1/

今年は実りの多い年でした。単著論文を全て「筆者」ではなく「私」で書いたことも大きな収穫。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編22)

Ren, X. (2017): “Aspirational Urbanism from Beijing to Rio de Janeiro: Olympic Cities in the Global South and Contradictions,” Journal of Urban Affairs 39 (7): 894-908.
要旨の冒頭から,「メガ・イベントに関する批判地理学的学究のほとんどは,略奪による蓄積の概念を採用している」という。「略奪による蓄積」とはハーヴェイの『ニュー・インペリアリズム』での有名な概念だが,この概念によって開発による立ち退きやジェントリフィケーションという負のレガシーを論じるのが定番であり,その状態を乗り越えようという試みであり,タイトルにある「熱望的アーバニズム」というキーワードを用いている。事例としては2008年北京大会と2016年リオデジャネイロ大会であり,以前に紹介したShin氏の論文と同様にグローバル・サウスの大会(中国は北半球だが)と位置付ける。熱望的アーバニズムはグローバルな熱望(グローバル・シティの一員になること)とローカルな現実(経済的不安定,不法居住の増殖など)のギャップを強調し,分析的視野を広げるものだと定義される。この観点においては,各都市の歴史的背景が重要で,オリンピック招致前後の都市マスタープランの変化とメガ・イベントの位置付けを辿っています。中国とブラジルの比較を通じ,国家の介入の度合いなども比較の対象になります。メイン・スタジアムの建設や開会式などさまざまな違いがあります。リオの場合は,ファベーラという都市における負の側面がありますが,近年においては外国人観光客の訪問地となったり,ファベーラの商品化も進んでいるといいます。北京の場合も城中村というインフォーマルな居住区があり,オリンピック関連開発に伴う立ち退きなどありましたが,それを覆い隠して一党支配の国家が強く介入してきれいな都市をグローバル社会に示す中国と,論文中では「脈動する民主主義」と表現され,負の側面もまるごとその都市の個性として表現するブラジルとで,メガ・イベントをめぐる,都市・国家のありかたの違いが出てくるわけです。

 

Sanchez, F. and Broudehoux, A-M. (2013): “Mega-events and Urban Regeneration in Rio de Janeiro: Planning in a State of Emergency,” International Journal of Urban Sustainable Development 5 (2): 132-153.
この論文はブラジルのフルミネンセ連邦大学の「グローバル化と首都」研究室,リオデジャネイロ連邦大学の「国家,労働,領域,自然」研究室という共同研究の成果の一部とのこと。リオについてはかなり論文を読んできましたが,1992年の環境サミットから,2007年のパンアメリカン大会,2010年世界都市フォーラム,2013年世界ユースデイ,2014FIFAワールドカップ,そして2016年オリンピック大会と数多くのイベントを開催している。そんな中で,再民主化といえる政治的変容や,都市政策のネオリベラル化などを経てきている。なお,この論文ではボイコフは引用されていませんが,クラインの「参事便乗型資本主義」やアガンベンの「例外主義」というボイコフと同じ参照を通じて,メガ・イベントに乗じた都市政策・開発のあり方を論じています。なお,2007年パンアメリカン大会における費用は過去最大で,かつ民間の投資額は20%にすぎなかったという。また,ワールドカップ開催時は,スタジアム周辺ではスポンサー企業以外の飲食物は排除された。読み終えてから少し時間が経過してしまい,長い論文なので,さーっと眺め返してみても,他の論文と違う論点があまり思い出せません。著者の一人Broudehouxはよく見る名前ではありますが,ちょっと残念。読んでいる時はもう少し得るものがあったような気もします。

 

Becerril, H. (2017): “Eviction and Housing Policy Evolution in Rio de Janeiro: An ANT Perspective,” Journal of Urban Affairs 39 (7): 939-952.
続いてリオデジャネイロの論文。こちらはロンドン大学で博士論文を取得したメキシコ大学の研究者によるもので,博士論文をもとにした論文。タイトルにあるように,アクターネットワーク理論(ANT)を援用してリオにおける立ち退きと住宅政策を論じたもの。こちらは,アクターネットワーク理論はともかくとして,住宅政策を政権の変化とともに丁寧にたどっているところに特徴がある。アクターネットワーク理論については,私がまだラトゥールを読んでいないこともあり,よく分からないこともありますが,公共政策文書(うまく訳せませんが,public policy InstrumentsPPIと略されています)の政治社会学にも依拠すると書かれています。セザール・マイア市長時代(1993-1996)にリオデジャネイロ市当局は住宅政策を作成し始めた。その時は新たな住宅建設よりもファベーラの都市化(インフラ整備=近代化ということか)を重視していた。住宅とは単なる住居ではなく,日照やインフラ,交通,教育,健康,余暇を含む都市構造の統合である,と1994年の市の文書に記載されている。ファベーラ対策重視の政策をFavela-Bairroと呼んでいた。このプログラムには建築家協会やファベーラの住民組織,建設会社などが関わり,銀行からの融資も受けていたようです。マイアの同胞であるコンデ市長時代(1997-2000)にもこの方針は継続した。2000年の市長選挙で,再びマイアが当選するが,この時代(2001-2004)に「新しい」住宅局長のアマラルによって,ファベーラの改良よりも住宅建設が重視されるようになった。それが州知事との対立をもたらす。この時期にファベーラにおける暴力や麻薬取引などが問題になり,立ち退きが論争の的になる。マイアの第三政権時代(2005-2008)には住宅局の予算が削減される。連邦政府のルーラ政権時代(2003-2010)の成長加速プログラム(PAC)は以前も紹介したことがありましたが,これが2007年で,リオデジャネイロのパエス市長時代(2009-2012)には,選挙時の公約に都市無秩序に抗する「秩序の衝撃」なるものがあったようで,やはりスラムの改良よりも住宅建設や立ち退きが優先される。2009年には2016年オリンピック大会のレガシー計画として住宅政策が重視された。さまざまな取り組みがなされたようですが,バス・ラピッド・トランジットやケーブルカーなどの建設に伴う立ち退きや移転などもありました。

 

Hiller, H. H. and Wanner, R. A. (2015): “The Psycho-social Impact of the Olympics as Urban Festival: A Leisure Perspective,” Leisure Studies 34 (6): 672-688.
英語圏のオリンピック研究のレビュー論文を『経済地理学年報』に投稿したものはすでに脱稿してしまいました。ヒラーの論文は以前から紹介していますが,この論文は共著者とともに,継続的に行われているもので,2010年バンクーバー大会に関する住民意識調査を論じた2011年の論文はしっかり読みましたが,この論文ともう一本はきちんと読まずに言及してしまった。ようやくきちんと読みました。今回は2010年バンクーバー大会と2012年ロンドン大会の比較ということになっています。バンクーバーでは自らしっかりと設計された調査をしているのに対し,ロンドンでは民間によるいくつかの調査がなされているようで,この論文ではそれらを利用しています。結果的には,開催が近づくにつれて住民の関心が高まり,ネガティブなものからポジティブなものン変化していくという有体のものですね。なので,この論文は調査結果の報告よりも後半の考察に力が入れられている。それは,ヒラーが1990年に書いた1988年カルガリー大会に関する論文で主張されていた,オリンピック大会が開催都市にもたらす正の側面を強調するものである。オリンピック大会は開催都市でのレジャーの時間と空間を拡大し,またその概念をも拡大する。また,ここではいわゆる日本ではパブリックビューイングと呼んでいる「live sites」にも言及している。私のレビュー調査ではオリンピック研究にパブリックビューイングを扱ったものがないと結論したが,どうやら英語圏ではありそうだ。この論文ではオリンピックの都市にもたらす正の側面をフェスティバルという概念でまとめている。この概念もお祭り騒ぎ的な意味では否定的にとられがちだが,賑わいや活性化という点では,やはり重要なんでしょうね。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編21)

Alberts, H. C. (2009): "Berlin's Failed Bid to Host the 2000 Summer Olympic Games: Urban Development and the Improvement of Sports Facilities," International Journal of Urban and Regional Research 33 (2): 502-516.
著者は米国の大学に所属する地理学者で、前にも紹介したが冬季オリンピックの大会後の施設利用に関する論文がある。名前からしてドイツ人かドイツ系であり、この論文ではドイツのベルリンが2000年夏季大会に立候補したことを事例としている。周知のとおり、2020年大会はシドニーで開催され、環境に配慮した大会として、成功事例ととらえられることが多い。開催都市が決定するのが7年までの1993年であるから、招致活動は1990年代に入ってすぐに行われる。私はこの大会にベルリンが立候補していたことすらきちんと考えたことがなかったが、ベルリンの壁が崩壊したのが198911月だから、その後ドイツ統一の動乱期に招致活動が行われていた。つまり,このオリンピック大会は,ベルリンの壁崩壊に象徴される冷戦の終焉,ドイツの統一を平和裏に祝うための大会と位置付けられた。しかし一方では,東西格差があったドイツで,あるいはベルリンで,円滑に統一を進めるための都市開発計画は規模が大きく時間もかかるため,オリンピック開催のような原動力が必要だった。実際の開催計画に当たっては,競技施設を東西ベルリンのどちらに配置するのかも議論された。最終的にはブランデンブルク門を中心とした半径10km以内に収めるというものだったが,2020年東京大会も一応選手村から8km以内といっているので,決してコンパクトとはいえない。また,この論文に書かれているわけではないが,東ドイツ時代はソ連についでステート・アマ方式(国家が金を出してエリート選手を育成する)でオリンピックでは多くのメダルを獲得していたことが影響しているのか,オリンピックはもちろん国際基準の競技施設が必要とされるが,一般人のスポーツ促進よりもエリート選手が優先された競技施設計画であった。結果的にこの招致活動は失敗する。理由としては統一ドイツの宣伝というには,時間が経ちすぎたというのも一つの原因と考えられる。しかし,ベルリンはこの招致活動で作成された開催計画に沿って,競技施設の整備をある程度進めている。表で示されたリストには5つの新設計画があり,そのうち3つは実現している。その他も近代化や拡張,転換などで既存施設の改修計画も8つ挙げられているが,そのうち1つが実現し,転換は実現されなかった。実際にそうしたことで,ベルリンは2006年サッカー・ワールドカップをはじめとして,2009年アスレティックス世界チャンピオンシップ,自転車や水泳などの国際大会を開催している。ただ,単一競技の国際大会とオリンピックが違うところは複数施設を同時に使うことであり,施設間を観客が移動する必要があり,公共交通の整備が必要となる。そういう意味でも,ベルリンの2000年までの開発は点的開発であり,それらを結ぶ有機的な開発にはならなかった。

 

Evans, G. (2014): Designing Legacy and the Legacy of Design: London 2012 and the Regeneration Games,” Environmental Design 18 (4): 353-366.
2012年ロンドン大会はIOCがレガシー概念を打ち出して招致された大会でしたが,開催決定後もロンドンはレガシー計画をかなり綿密にやったようです。この論文の著者は実際の開催計画にも専門家として参加したようです。しかし,かなり批判的な論調もあったりして,この論文自体のオリンピック大会に対する立場がよく分かりません。そして,2020年東京大会については,あまり開発業者が問題になりませんが,この論文では設計業者などが前半でかなり詳細に論じられています。オリンピック公園の計画図やゾーニング図,3Dパースなども掲載されています。計画図については,概念的なものから,GISを用いた正確で詳細なものになり,最終的には大スケールでマッキントッシュによるデザイン的なものが作成され実現にいたる。レガシー計画では2030年を見越していて,オリンピック公園は住宅や学校,健康施設や職場も含んだ複合的なものが計画されている。クリストファー・アレグザンダーの「生成的都市デザイン」も登場する。後半では持続可能性など環境への配慮についても議論されていますが,ちょっと今の私には難しいようです。

 

Grant, A. (201): “Mega-Events and Nationalism: The 2008 Olympic Torch Relay,” Geographical Review 104 (2): 192-208.
地理学の大学院生による論文。マイケル・カリーの名が謝辞の一番に挙がっていますが,内容的にはジョン・アグニューの指導のようで,地政学ということばが頻出します。2008年の聖火リレーについては,日本でも論じる人が複数いて(なかには中国人留学生のものもあります),中国の対チベット政策に反対して,世界各地を回る聖火リレーに対して抗議運動が行われた。そうした顛末を中国の歴史的な「国民的屈辱」という文脈で解釈しようとする。著者はこの期間中国に滞在したようで,中国の新聞の記事分析もしっかりとしています。2008年北京大会の聖火リレーに関する日本の研究は特に日本での出発点だった長野の善光寺の対応に議論が集中したり,断片的なものですが,この論文では,中国国内のルートやマスコットである「福娃(フーアー)」(論文中では「熊」と表記されているが,パンダを含む5種類の動物がモチーフらしい)にも言及し,多様性の中の国民の統一性のようなメッセージがある。また,チベット側のヒマラヤをも中国に属していることを主張しているようにリレーのコースに組み込む。一方で,台湾は海外ルートの一部として,ベトナムと香港の間に位置づけようとしたが,それはやめたらしい。また,これは私は理解が及ばなかったが,中国側の報道として「風刺的なユーモア」があったと論じている。まあ,ともかく2008年北京大会におけるナショナリズムの表象は,当時の地政学的な中国の位置のなかで解釈する必要があるというのがこの論文の趣旨かと思う。そしてアグニューなども既に中国の研究を手掛けているということが分かった。

 

Bason, T. and Grix, J. (2018): “Planning for Fail? Leveraging the Olympic Bid,” Marketing Intelligence & Planning 36 (1): 138-151.
この論文はオリンピック招致が開発都市のてこになる(leverage)かどうかということを,夏季大会が2016年と2020年,2024年,冬季大会が2018年と2022年に立候補した16都市を検討している。基本的には招致ファイルの内容分析であり,質的分析のソフトウェアNVivoを使用しているというが,そんなのあるんですね。てことしたい内容としては,スポーツへの参加,都市開発,グローバル知名度,ネットワーク化の4つが挙げられている。この辺のことは特定の大会に関する個別の研究でも論じられている内容ですが,この論文の特徴としては,それを16都市について横断的に論じていることと,招致に失敗した事例についても検討していて,しかもそうした研究がすでにけっこうあることを教えてくれることです。

 

Müller, M. (2011): “State Dirigism in Megaprojects: Governing the 2014 Winter Olympic in Sochi,” Environment and Planning A 43: 2091-2108.
dirigismとは統制経済政策とのこと。ミュラーの論文はかなり読みましたが,この論文はそのなかでも最初期のもの。掲載雑誌もそうですが,なんとなく地理学者らしい論文。ミュラーはメガ・イベント研究者ですが,この論文ではメガプロジェクトという言葉の方が多用されています。また,リスケーリングの議論も少し含まれていますね。2011年の論文ですから,対象である2014年ソチ大会の開催前の分析です。もちろん,どの大会も開催都市が主でありながらもある程度の国家の介入があります。しかし,ソチ大会の場合はロシア国家の介入が非常に大きい。これは知りませんでしたが,ソチという都市はリゾートとしてかなり前から開発されていて,観光地として開発されたわけですが,住民規模でも1980年代で30万人で,宿泊可能人数も8万人だそうです。オリンピックへの立候補は1998年大会から行っていましたが,交通インフラの不十分さでIOCに却下されていた。ともかく,2014年大会の開催を勝ち取ったわけですが,その開催計画の主導権はソチという都市ではなく,ロシア国家政府であった。2010年バンクーバー大会との興味深い比較表が載せられているが,バンクーバーの場合,必要な13施設のうち,新設は5つでしたが,ソチでは14施設すべてが新設だった。また,冬季大会としては初めて亜熱帯気候での開催であり,競技実施に関わる雪や氷の確保にも予算がかかる。ボイコフのソチ論文では,「祝賀資本主義」の特徴としての官民連携(PPP)が強調されていたが,ミュラーの解釈は少し違う。民間も開発に参加しているが,それは政府系銀行からの融資によるものだったり,特別な税制措置を受けたものだったり,官と民の境界は曖昧なものになっていると指摘する。そもそも官民連携という言葉を用いず,国家-企業関係と表現する。まさにそれが,論文表題にもある統制経済政策ということですね。そちでは,都市で開催されるイベントへの関与として,国家が一番大きく,グローバル企業がそれに次ぎ,開催都市政府は一番下,という意味でリスケーリングである。

 

Tomlinson, A. (1996): “Olympic Spectacle: Opening Ceremonies and Some Paradoxes of Globalization,” Media, Culture & Society 18: 583-602.
アラン・トムリンソンは『ファイブリングサーカス』(1984年)の編者であり,マカルーンと並んで以前から日本でも知られるオリンピック研究者。私が読む限り,英語文献で開会式を取り上げたものはあまりなかったが,この論文で多数言及されているように,1990年代まではそこそこあったようです。この論文では,1984年ロサンゼルス大会,1988年ソウル大会,1992年バルセロナ大会,1990年アルベールビル大会,1994年リレハンメル大会を事例に,オリンピックの開会式について包括的に論じた論文です。スポーツが消費社会のなかでますますグローバル化するなか,象徴的な意味合いを持つ開会式での表現は,地域,国家,超国家というさまざまなレベルが表現される。しかし,この論文には但し書きがあって,あくまでも著者の英国での文脈による,テレビ放映を鑑賞した分析であり,解釈である。1984年ロサンゼルス大会は当時の評論家の言葉を使えば「スピルバーグ的演出」であり,そのものがアメリカ的だが,特段米国のナショナリズムを表現するものではなく,また今日的なグローバルなものでもない。要はこの時代のグローバル化=アメリカナイゼーションといったところか。当時から自民族中心主義という批判はあった。1988年ソウル大会も,そういう意味ではまだナショナリスティックな表現は少なかったようだ。24回目の大会を強調するような演出で,欧米よりの表現であったようす。1992年バルセロナ大会については少し様子が変わってきて,古代の地中海文明におけるギリシアとバルセロナとの関係を演出し,カタロニア地方の都市であることを強調する。南アフリカのネルソン・マンデラが登場したり,旧ソ連の国々が独立国家として参加したり,湾岸戦争後のイラクとクウェートから参加したりと,希望にあふれた新しい世界が演出された。アルベールビルとリレハンメルについては,フランスとノルウェーという人権等に関する先進国であり,そうした普遍的な世界性が強調された。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編20)

Ponsford, I. F. (2011): “Actualizing Environmental Sustainability at Vancouver 2010 Venues,” International Journal of Event and Festival Management 2 (2): 184-196.
こちらも地理学者による論文で,2010年バンクーバー大会を扱っています。環境的な持続可能性がタイトルに挙がっていますが,環境地理学的な視点を有する貴重な論文かもしれません。前半は組織の話で人文地理学的ですが,後半は冬季大会の施設建設だけでなく,競技開催や施設の維持管理という点でも環境への負荷があるという議論をしています。前に紹介したChappelet2008)でも冬季大会の環境への負荷は,開催が山岳リゾートから都市へと移行するのに伴って,氷が自然状態で作られない温度とか,雪が必要量降らないとかの問題が指摘されていましたが,氷や雪を維持するために塩を使ったりしますが,それが環境への負荷になります。バンクーバー大会では組織委員会内に,環境管理チーム(EMT)を設置し,環境への影響を監視します。単に施設が建設されるとか,大会後に利用がなくなるというこれまでの観点ではなく,施設のライフサイクルを考慮した上での環境への配慮,そして大会実行時に排出される廃棄物も含めて,広い観点から考察されています。

 

Liao, H. and Pitts, A. (2006): “A Brief Historical Review of Olympic Urbanization,” The International Journal of the History of Sport 23 (7): 1232-1252.
以前にもPitts and Liao2013)という同じ著者たちの論文を紹介しましたが,この2006年の論文は引用されることが多く,論文投稿に間に合わせて読んでおいてよかったと思う内容でした。とはいえ,タイトル通りオリンピック大会の歴史を概観するものです。まあ,Essex and Chalkleyの論文とどこが違うかと問われると困りますが,都市がオリンピックによって,「オリンピック都市」化するという議論は面白いですね。そして,都市内における競技施設の分布の類型をしており,Kasens-Noor2016)や白井(2017)と同じような試みで,地理学的です。1964年東京大会は「都市内多角配置」という分類で,1980年モスクワ大会と1992年バルセロナ大会と同じ区分です。

 

Dickson, T. J., Benson, A. M. and Blackman, D. A. (2011): “Developing a Framework for Evaluating Olympic and Paralympic Legacies,” Journal of Sport & Tourism 16 (4): 285-302.
この論文は,Preuss2007)が提示した「レガシー・キューブ」の考え方を発展させ,その概念的なものをより具体的に,測定可能なものを提示しようとした試みです。まず,オリンピックのレガシー研究を1986年から辿っています。確かに,IOC自体がレガシーを主張するのは1990年代ですが,オリンピック研究論文ではけっこう古くから使われている概念です。27もの論文を検討しています。2008年には『スポーツ史国際雑誌』で特集が組まれ,6本の論文が寄稿され,そのうちの1本はPreussGrattonと書いた共著論文です。レガシー研究の多くは夏季オリンピック大会を対象としており,冬季大会が少なく,パラリンピック大会については1つしかないといいます。しかし,レガシーで批判的に論じられるのは冬季大会が大きく,また広い意味での社会にレガシーを残す可能性を有するのはバリアフリー,ユニバーサルデザイン,インクルーシブなどの意味でパラリンピックによるものだといえます。それはさておき,この論文では,エクセルでも作成機能がある「レーダー・チャート」でレガシーを数値化する試みです。それを「レガシー・レーダー・フレイムワーク」と呼び,図化されたものを「レガシー・レーダー・ダイアグラム」と呼んでいます。6つの評価項目に対してリッカート尺度を用いて05までの評価点を付けます。ただ,このダイアグラムは個々の施設ごとに作成されるものではなく,インフラストラクチュアや都市再生,社会資本といったレガシーの種類ごとに作成されるものとして例が示されています。つまり,数値で計測する手法とは言え,非常に複雑で,レガシーの複雑さを表現したものにすぎません。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編19)

Brown, L. A. and Cresciani, M. (201): "Adaptable Design in Olympic Construction," International Journal of Building Pathology and Adaptation 35 (4): 397-416.
オリンピック競技施設の大会後の利用を論じたものはそこそこあるが、この論文は建築物のスケールで、持続可能性や適応性(adaptability)の観点から論じている。最後の方で、あくまでもヨーロッパで開催された大会に限定すると書いているが、事例としては2012年ロンドン大会の水泳競技施設(ロンドン・アクアティクス・センター)と室内自転車競技施設(リー・バレー・ヴェロドローム)、および1960年ローマ大会のパラツェット・デロ・スポルトとパラッツォ・デロ・スポルト(名前が似ていて区別がつかない)の合計4施設。2012年ロンドン大会では、新設する施設であっても、オリンピックに必要な座席は仮設にし、大会終了後は取り外して収容人数を減らすということをやっていた。この水泳競技施設も、最大は17,500人を収容したが、仮設撤去後は2,500人となっている。各競技について、いつからオリンピックの種目になったのかという詳しい説明があり、自転車に関しても、いつからどのような理由で室内施設となったのかが説明される。その一方で、大会後どのように適応性を高める工夫がなされたのかについては分かりやすくは説明されていない。この自転車施設に関しては、建築構造的に、室内空間が48のコラムに分割できるということで市民の要求にあった形での利用がされるようだ。しかし、その改修には総額1億ポンドかかるとかかれていたりする。1960年ローマ大会は57年前の大会だが、掲載された施設内部の写真を見る限り、美しい建築物である。オリンピック村の近くに建設されたパラツェット・デロ・スポルトは、選手たちのトレーニング・ジムとして利用された。採光に関して難点もあった建築のようだが、現代建築の遺産と位置付けられる。パラッツォ・デロ・スポルトは現在はポップやロックの音楽コンサートとしても利用されるような多目的施設となっている。こちらも夏場の室内気温が問題であり、ガラス張りのファサードに赤外線防止シートが貼られた。ヨーロッパでは2014年に「ヨーロッパ・アリーナ協会」なる組織が作られ、おそらく全ヨーロッパ・ツアーを行うようなアーティストのために各国で会場を提供するようなものだと思うが、この施設もそこに属しているとのこと。最後に、さらなる研究として、ヨーロッパで開催されたオリンピック大会のデータを収集するような計画が書かれています。

 

Chappelet, J-L. (2008): "Olympic Environmental Concerns as a Legacy of the Winter Games," The International Journal of History of Sport 25 (4): 1884-1902.
著者はスイスの行政学の研究者で、フランス語のオリンピック本も何冊か出している。この論文は環境の観点から、オリンピック冬季大会の歴史を概観したもの。第1回の冬季大会は1924年のフランス、シャモニーで開催された。はじめの40年間は1932年の米国レイクプラシッドでの開催はあるが、スイスやドイツ、いずれもヨーロッパ・アルプスで行われている。持続可能性という点では、現代の見本になるようなもので、今日では迷惑施設になりつつある、ボブスレーやルージュなどの競技は氷を固めただけのコースで行われていた。米国レイププラシッドで開催された1932年大会は初めて環境問題が生じた大会だとされている。国立公園内を開発するための法律を整備し、地元の活動団体が建設反対運動を行った。1936年の夏季大会は悪名高きベルリン大会だが、同年に同国で開催された1936年ガルミッシュ=パルテンキルヒェン大会も巨大な施設をつくったという。1928年のサンモリッツは、1948年大会も開催しており、既存の施設を利用している。ただ、その後は徐々に山岳リゾート地から、都市での開催が出てくる。それは冬季大会もが規模を拡大してきたことによるものであり、IOCも規模の大きな都市を選ぶようになってくる。この時期の最後の大会である、1968年グルノーブル大会では、施設上の問題がいくつか生じてくる。ボブスレー会場が日照の問題で、競技が夜間に行われたり、ジャンプ会場が強風にさらされ、トレーニングが中止になったり。その他いくつかの施設では標高が低いために、氷や雪が確保できなかったりした。
1970
年代から1980年代は政治生態学的な問題が生じる。1970年代には日本も公害問題が深刻化したが、ローマ・クラブによる1972年の『成長の限界』が出された。ちょうどその都市の1972年札幌大会は、招致活動の主要人物がボブスレー選手であり、Hokkaidou Comprehensive Development Instituteなる組織の長だった人物だという。札幌はさまざまなインフラ整備で利益を得ていたといい、選手村から35km圏内に施設を収めたコンパクトな大会だった。この頃からボブスレー施設は人工物となり,「白い巨象」となりつつあります。1980年レイクプラシッド大会では,ジャーナリストによる環境に関する明晰な分析なども発表され,オリンピックと環境の関係について,関心が高まります。1984年サラエボ大会は冬季大会の社会主義国初の開催になりますが,政治的問題も加わってきます。1990年代になると,IOC自体が持続可能性などを主張するようになり,大会開催都市に環境への配慮を求めるようになる。そういった意味でも1994年のリレハンメル大会はグリーンな大会をめざした最初のものになります。1998年長野大会の記述もあります。子どもの参加(動員?),平和,友好のプロモーションが前面に押し出された。ボランティアの制服などでリサイクル材が用いられた。2000年以降の大会では,より環境の主張が強くなる。2006年トリノ大会では委員会がISO14001を取得するなど,環境基準が進展しますが,2014年ソチ大会では後退したといいます。

 

Chen, Y. Qu, L. and Spaans, M. (2013) :"Framing the Long-Term Impact of Mega-Event Strategies on the Development of Olympic Host Cities," Planning, Practice & Research 28 (3): 340-359.
オランダの建築分野の研究者によるもの。けっこうオーソドックスなオリンピックの都市へのインパクト研究。そして、批判的な視点というよりは成功事例を選んでいるところが、社会学や地理学の研究者とは異なるのかもしれない。ということで、1992年バルセロナ大会と2000年シドニー大会が対象。標題に長期的インパクトとあるように、メガイベントによる社会へのインパクトをいくつかの軸で捉えています。一時的-永続的、直接-関節、短期-長期、単一の結果-多元的な結果。バルセロナは開催が決まった当時、経済的な危機に陥っていたという。危機からの回復のために、オリンピック開催を活用し、都市イメージも改善するという目標を立てている。結果的に、1992年バルセロナ大会は、後に「バルセロナ・モデル」といわれるように、成功事例として捉えられ、もう27年が経過していますが、国際的な観光都市として、近年の京都のように、観光客であふれていることが問題視されているくらいである。バルセロナではよく知られるように、市内に競技施設を4箇所に分散させた。オリンピック村の建設は荒廃した湾岸の工業地帯を活用したものだった。公共と民間の提携により開発は行われ、1980年代後半には東京の湾岸でもよくやられましたが、ポストモダンのこじゃれた建築物がウォーターフロント再開発の象徴になっています。もちろん負のインパクトについても記されていて、特にそれは住宅であり、貧しい人向けの住宅が不足したということ。また、この時代にはまだ環境への配慮という点では足りないところが多く、またそうした少数の反対意見を吸い上げるようなことはなかった。

 

Smith, C. J. and Himmelfard, K. M. G. (2007): “Restructuring Beijing’s Social Space: Observations on the Olympic Games in 2008,” Eurasian Geography and Economics 48 (5): 543-554.
この論文は2008年北京大会を取り上げていますが,どうやらこの雑誌での特集のようです。同じ号に掲載されたFeng, Jian, Yixing, Logan and Wu4人による「北京の社会空間の再構築」というタイトルの論文に対する「アメリカ人地理学者によるコメント」といっています。この4人は表記から見るに中国人かそれに近い人々です。読んでいないのにいい加減なことはかけませんが,日本語で読んだオリンピック論文でも,中国人が北京大会について書いたものは,やはり中国以外のメディアがこぞって北京大会を批判するのに対し,それを擁護するようなものが多い印象がありました。なかには,近代ヨーロッパを基礎とする近代オリンピック思想に対し,そろそろそれとは違ったし思想を加えて転回させる必要があるというもっともな主張もあった。おそらく,Feng, Jian, Yixing, Logan and Wuによる論文は北京大会の成功と北京という都市にもたらした恩恵を強調していたと思われ,Smith and Himmelfardによるこの論文は北京大会の負の側面を強調しようとするものだと思われる。とはいえ,住民の移転や立ち退きに関してはCOHREによる調査に依拠していたり,この2人は本格的にオリンピック研究をしているわけでもなさそうです。ともかく,大気汚染をはじめとする環境問題,公共交通を含めたインフラストラクチュア,そして移転と立ち退きという3点から,北京大会がもたらした負の側面を論じています。

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