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台湾旅行

この週末は実家に帰省していた。母が交通事故にあってって話は書いたが、13日の金曜日に退院して、夫婦でお世話の2泊3日。ということで、特にこのblogで詳述することでもないので、平日も特に予定のない今週は、もう2ヶ月前になってしまった、台湾旅行について書きたいと思います。

6月26日(土)

台湾への出発日。妻は台湾で育った。父親が日本人で母親が台湾人だが、なかなか複雑な家庭事情でこれまた詳述はしないが、ともかく私と付き合うようになってから、帰郷していなかったのだ。そのうち私を連れて行きたいといいながらも、パスポートすら持っていない私は海外旅行を拒否していた。しかし、妻は妊娠し、子どもが生まれるとそう安々と帰れない、ということで、妊娠中でも飛行機に乗っても大丈夫な時期を見計らって、航空券を購入。随分前にこの旅行の計画が決定しました。
多分、航空券の予約は3ヶ月前くらいだったと思うけど、やはり土日を挟みたいということで日程を組むと、格安チケットの枠はすでにかなり埋まっていて、仕方がなく15時台出発の便になった。航空会社は香港のキャセイ・パシフィック。しかし、この日は土曜日。私の大学講義は休めない。基本的に本人の病気や、学会などの学問に関わるものしか休講は認められていないのだ。それでも、講義を終えて成田空港に急げば出発の1時間前には到着するので余裕だと思っていたのだが、航空券を手配してくれた旅行会社によれば、2時間前には確実に到着しなくてはいけないという。なにせ、私は初海外旅行なのでその辺の状況はよく分からないのだが、直接キャセイ・パシフィックに連絡したところ、どうやら2時間前というのは航空会社的には厳格なリミットではないらしい。全てインターネットで予約したチケットだったので、前日にネットで搭乗手続きはできたので、後はなるべく早く到着するように、妻は荷物を持って2時間前に着くように先に出掛け、私は新宿から成田エクスプレスで1時間半に到着することとなった。しかし、実際に到着してみると全くの拍子抜け。混雑していれば各種検査を待つ時間が必要だが、特に混雑もしていないし、むしろ空港で時間をもてあますことになった。台湾への渡航については、日本人は4日間くらいだったらビザは必要ない。

フライトは那覇よりちょっと遠く、3時間程度。沖縄旅行はしたことない私だが、実は仕事で那覇には何度も行っていた時期がある。しかし、一応同じくらいの飛行時間でも国際線なので、機内食と映画の上映がある。空港関係の仕事をしながら、自分の乗った飛行機の機種は分からなかったが(そういえば、エアバスの340だったような気もする)、ほぼ満席。私たちは翼の少し後ろ側、窓際の席でしたが、その後方には日本人、前方には現地の人、そんな感じでした。キャビン・アテンダントはアジア人がほとんどでしたが(なかには日本人もいたみたい)、基本的に通じるのは中国語か英語。日本語はあまり使ってませんでした。英語もかなり聞き取りにくいので、基本的には妻に頼る。機内食はお世辞にも美味しいとはいえませんでしたが、完食。映画は思わず『シャッター・アイランド』を観てしまう。日本語吹き替えでした。でも、やはり機内は騒音がうるさく、聞き取りにくく、イマイチ詳細は分からずじまいでした。こういう時は字幕の方がいいな。
ほとんど、揺れたりすることもなく無事到着。Google Mapのリンクを貼っておくので位置を確認してください。台湾島は九州くらいの大きさで、日本との時差は1時間。飛行機が到着する時はまだ明るく、空港周辺のゴルフ場がよく見えましたが、到着してお迎えを待っている間にすっかり暗くなってしまう時間。台湾の国際空港は台北から30kmほど西にあり、桃園県という場所にある。私たちがお世話になったのは空港から車で20分ほどの所に住んでいる妻の友人のお宅。彼女が来日した際に私も何度かお会いしているし、日本語もそれなりに話せるので安心。とりあえず、空港で私たちを車で拾ってもらい、そのまま夕食へと出かける。位置関係はよく分かりませんが、車でしばし走ると、小高い丘があり、その上にあるレストランに到着。日本でいうとかなり若者が集まりそうな、こじゃれた雰囲気があるお店で、テラス席があり、店内ではピアノの弾き語り演奏があり、夜景がよく見えるお店。でも、そういうお店に普通の家族が食事をしにきています。メニュー的には居酒屋風ですが、妻は妊娠中、妻の友人は車の運転があるので、私もノンアルコール。日本の居酒屋でいわゆる日本料理がないように、このお店もいわゆる台湾料理ではなく、いろんな要素がミックスした居酒屋風料理。それはそれで美味しくいただきました。

桃園にある高級マンションに3泊させていただきました。家主は一人暮らしですが、わが家より広いかもですね。そして、薄型テレビも2台あり、日本番組専用チャンネルもあったりして。いちいち字幕が出るのは煩わしいですが、思わず観てしまいます。この時期の気温はやはり日本よりは高かったけど(といいつつ、今8月現在は多分台湾と変わらないんでしょうね)、高層だし、この辺は随分田舎なので、夜は比較的涼しく、エアコンなしでも眠れました。

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6月27日(日)

マンションからちょっと歩くと、こんな感じの街の風景になります。

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台湾の朝食はこんな感じ。多くの人が外食産業に頼っているようです。普通のサンドイッチから私が食べたピタパンのようなもの、ベーグルなどのパンメニューの他、野菜炒めまでメニューが豊富です。写真に写っているドリンクは豆乳ティーかな?タピオカ入りミルクティーは台湾発で日本でもよく見かけますが、ホットドリンクでも同じように大きめの紙カップにその場でビニールの蓋をぴったりと貼り、ストローを挿して飲むスタイル。

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朝食を食べたお店から歩くとすぐに朝一の市場があります。まず驚くのはこんな感じの豚肉。当然、鶏も丸ごと売っています。とにかく、活気があって何でも揃う感じ。肉、魚介、野菜、果物、加工食品だけではなく、ブラジャーなどの下着も並べて売っています。試着をして買う人はいないのだろう。ちょっと暗いけど、市場はこんな風景↓。日本でライチというと、冷凍ものしかないが、こちらでは枝つきで生です。そして、台湾マンゴーは日本でも高価で出回ってはいますが、種類がいくつかあるそうです。日本で出回っているのは宮崎産や沖縄産と同様の小ぶりのやつ。妻が私に食べさせたいと、この朝一で購入したのが大ぶりの台湾マンゴー。皮の色は小ぶりのもののようなキレイな赤やオレンジにはならず、黄緑っぽい。とても3人では食べきれない大きさで、値段は小ぶりのを日本で買うより格段安い。ということで、数日後、家主の実家を訪れた時にみんなでいただきましたが、味は大味ということもなく、普通のマンゴーの美味しさでした。満腹。

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この日は桃園からバスに乗って、3人で台北市内に出かけます。途中高速道路に乗りますが、かなり長い農村風景が続いた後は、ずーっと都市的風景が続きます。246沿いのバスに乗っているようなそんな感じ。1時間程度で台北には着きますが、その幹線道路はずーっと商店街のような感じで、両側には10階以下の中層のちょっと古びた建築物が続き、見通しが悪い。むしろ、台北の中心市街地に入ると道路も広くなり、見通しがきくようになります。
ちなみに、私たちが乗ったのはこんなバス。ドラえもんはこちらでも人気です。

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ここでまず行ったのが、妻が半年間ほどアルバイトで働いていたという書店。誠品書店といって、台北で初めて24時間営業を始めたお店。書店といっても、24時間営業にするくらいだから、他にもいろんなものが組み合わさった面白い空間です。ちょっと六本木ヒルズのTSUTAYAと雰囲気が似ているかな。しかし、24時間営業といっても、書籍のチョイスは素晴らしい。基本は中国語の書籍なんだけど、日本語や英語の書籍も普通に混じっています。日本の書店だと、外国語の書籍はそれ専用の棚にまとめられているけど、ここは分野ごとになっています。地理学って棚はなかったけど、きちんと地理学書がまとめられているところは発見。そして、まだ日本語にもなっていない、英語の地理学研究書が中国語に翻訳されていてビックリ。
ここで、台湾に住む日本人と合流。もちろん妻の友人ですが、大学時代に留学してきてそのまま住み着いているという女性。妻はユニクロの商品を日本で購入し、彼女のためにわざわざもってきたのだ。とりあえず、4人で昼食。イタリアン・レストランでした。この辺りは地名でいうとどの辺りなのか、イマイチ分かりませんが、こぎれいな繁華街という感じ。もちろん、古い建物もあれば、新しい建築物もあります。

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別々の予定のある台湾在住2人と別れて、私たち夫婦は次の予定までしばしの間自由行動。一昔前の横浜みなとみらい地区のような雰囲気のある場所へ地下鉄で行きます。目的は最近立ったドバイの「ブルジュ・ドバイ」が立つ前まで世界一だったという「101」に行く。この界隈には古い建築物は少なく、新しい大きな建築物が多く建っていて、いまだに建設中である。建築デザインは東京よりもポストモダンかも。そのビル群のなかに、三越が何棟もあり、商業の中心的存在になっている。
三越沿いに駅からしばし歩くと、101が見えてきます。箱をいくつも積み上げたようなこんな建物。中途半端な時間だったので、とりあえず展望台まで上ることにした。エレベータはさほど混雑していませんが、中国人の団体客が目立つほか、白人や日本人観光客もチラホラ。なによりも驚いたのは、エレベータの速さ。エレベータなんて、せいぜい新宿のバルト9に行く時に乗る程度で、10階以上を上がることはないが、89階の展望台まで、ほんの10階程度上がったかと思う時間で到着してしまう。ちなみに、この速度はギネスブックにも認定されたもので、東芝製とのこと。もちろん、エレベータガールは中国語や韓国語、日本語や英語でアナウンスをします。

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エレベータから降りてそのまま地下へ。やはりデパートの地下といえば食料品街。思わず、ここで台湾スウィーツをいただいちゃいます。といっても、大豆の素朴な甘さ。
外に出ると突然の雨。モンスーン気候特有のスコール的なものですね。この時期の台湾はこういう雨はよくあるようで、皆さんも慌てず平気に濡れて歩いている人もいます。私たちは時間もあまりないのでタクシーを捕まえて移動します。詳しくは忘れましたが、こちらはタクシー料金が安い。日本では本当に困った時しか使いませんが、こちらでは随分お世話になってしまいました。

昼下がりのティータイムという時間ですが、火鍋のお店で一つ目の会合がありました。妻がお世話になったキリスト教教会の人たちが10人以上集まってくれたのです。なかには一時期妻と同じ部屋で生活を共にした女性もいたり、随分久し振りに会う人もいたり、単に妻に会いに来たというだけでなく、同窓会みたいな感じで、大いに盛り上がります。しかし、もちろん交わされる言語は私には全く意味不明なので、こういう場は困るのですが、私には言葉を必要としない遊び相手がいました。妻が随分お世話になったという女性の子どもたち。4歳のお姉ちゃんと、2歳のその弟。数日前にも、スカイプに登場し、私もその子たちの顔を知っていたし、かれらも私の顔を知っていたのか、お姉ちゃんの方は会った途端、私に興味を持ったのです。モノを渡したり渡されたり、テーブルに隠れたり、そんなことだけでキャッキャ楽しむところがいいですね。単純な行為の繰り返しですが、そこで大人が飽きてはいけません。ひたすらかれらが楽しむことを繰り返すのです。そんなこんなで、他の大人たちとはほとんどコミュニケーションがとれませんでしたが、子どもたちとは随分仲良くさせてもらいました。
そして、この会合で大きな収穫。お子さんのいる人たちが多かったので、そのお下がりの衣類をいただけないかとこちらに来る前にお願いしたのだが、それが予想以上に集まったのと、もちろん新品で各種ベビーグッズを買ってきてくれた人。結局、数袋になってしまい、私たちは次の予定があるので、このお店で預かってもらうことにした。

また移動します。今度は飲茶のお店で、先ほども書いた、妻のかつての勤務先、「誠品書店」の頃の知人たちが集まってくれました。こちらも8人くらいになったでしょうか。実際に働いていたのは半年程度だというのに、それから数年たっても関係が続くなんて素敵な人たち。といっても、最近妻がやっているfacebookによって、その関係が復活したというのも大きいようですが。
このお店はいわゆる回るテーブル式の飲茶。もちろん、普通の皿料理もありますが、大抵の人はやはりお茶を飲みにくるみたいで、お酒を呑んでいる人は周りのテーブルを見ても少ないです。そして、家族で来ているお客も多い。こちらでは、私の相手をしてくれる人はいなかったので、ひたすら意味が分からず相槌をしたり(?)、周りのテーブルも含めて人間観察をしたり、お腹がそう空いてはいないけど、とりあえずいろんな料理を味見したりして、意外と退屈せずに過ごせました。こちらでも、いろいろお祝いの品をいただいてしまう。まあ、数年ぶりに会う彼女たち(なんと全員女性)にとっては、妻の妊娠祝いだけでなく、結婚祝いでもあるわけですから。
皆さんと別れて、前の火鍋のお店に諸々のもらいものを取りに行きます。かなり量が多いので、バスでの移動は諦め、桃園までタクシーで移動。それでも、それほど法外な値段はかからなかったようです。

6月28日(月)

この日は家主が寝坊で(ワールドカップ観戦をしていたらしい),わたしたちは2人で朝食を求めて外出したが,やはり朝食を食べさせてくれるお店は同じようなお店しかないらしい。同じような別のお店で,ちょっと違ったメニューを注文。
この日の午前中はタクシーを使って別の街でラーメン屋を営業している妻の母親に会いにいく。母親は栃木に住む日本人と再婚して一時期住んでいた。その時にも一時期ラーメン屋を開業していたらしいが,↓こんな風に台湾でも最近ラーメン屋をオープンしました。開店前の店内で少し涼むが,さすがに開店準備で忙しく,私たちはこの街を散策。新しいマンションも建っていたりしますが,古い建築物も健在している小さな街。

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↓台湾の街は集合住宅が多いのですが,こんな風にしっかりした門があります。妻の話ではけっこう窃盗が多いらしく,いろんな手段で防犯対策をとっているとのこと。でも,味がある風景です。

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結局,かなり早めの昼飯をそのお店のラーメンをいただく。母親の住んでいた佐野は佐野ラーメンで有名だが,このお店のラーメンはなぜかトンコツ。こちらの台湾人たちはなぜかトンコツラーメンを食べさせろと要求するらしく,自己流のトンコツラーメンが出来上がったとのこと。九州のトンコツラーメンの味を覚えている私にとってはトンコツとは思えないが,まあ不味くはありません。サービスでトンカツもいただきました(結局みなサービスでしたが)。
そこに顔を出した親戚の女性に車で台北市内まで送ってもらう。午後は鉄道に乗って妻の思い出の場所へ。台北市街を流れ,台湾島の最北部で海に流れ出る淡水川の河口付近の淡水地方がその鉄道の終点。すっかり観光地になっていて,江ノ島のようにお土産屋さんが立ち並ぶ,キッチュな空間。ようやく子どもたちが集まる竹下通りのような雑踏を抜けたところにある河畔のカフェで一休み。そこからの風景を撮影しました。

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さらに歩くと,妻の通っていた学校に到着。夏休み中ではありますが,生徒たちがいます。にもかかわらず,古い建築物の多いこの学校は一般の観光客もよく見物に来るらしく,校内にどんどん入っていきます。時には生徒に今何をやっているのか聞いたり。あちらが覚えているかどうかは分からないが,見覚えのある先生に声を掛けたり。体育館のようなところに入ったところを後ろから撮影。しばし思い出に浸ります。

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夜も思い出の場所へ。また鉄道で台北市内に戻ります。日本でいうところの東京大学のような台湾大学が市内にあり,その近くの夜市で夕食を食べるというが,電車から降りるとかなり雨が降っています。この辺で妻も疲れ気味で体調がイマイチだったので,夜市の散策は中止して,かつて妻が浪人時代によく行ったというお店で屋台料理のような夕食でした。これもファストフードのようなものですが,なかなかいわゆる観光旅行では味わえない,ローカルな雰囲気と味でした。
この付近の繁華街でまとめてお土産を買う。そして,ここからが大変。まず,桃園行きのバス停がどこだか分からず,お土産を買ったお茶屋さんの店員さんに聞く。どうやら歩きだと遠いとのことでタクシーを捕まえる。大学の近くまでは行ったものの,今度はバス停が多く,桃園行きのバス停が見つからない。ようやく見つかると,今度はなかなかバスが来ない。台湾は原付バイクの利用が多く,特にこの大学通りの前はバイクだらけです。そのバイクの運転手の多くは布製のマスクをしていますが,その理由がここで分かる。とにかく排ガス臭いのだ。その臭さに耐えながら,一向にこないバスを待ちながら,すっかり暗くなってしまう。
見知らぬ街で,そのバスが来るとはとても思えないほど,排ガスの臭さだけでなく,エンジン音の騒音で会話もろくにできないし,この旅行で一番不安になった時間でしたが,なんとかバスはきたし,無事に乗れ,帰ることができました。

6月29日(火)

台湾最終日。この日は特に予定がなく,早めに空港に到着するつもりでしたが,なんと家主が私たちのために,お手製のスパゲティを朝食に作ってくれました。それから,2日目に大量にいただいたベビーグッズを仕分けします。お土産もそれなりに買ったので,とてもスーツケースには入らず,後ほど宅急便で送ってもらうことにした。といっても,航空便だと高くついてしまうので,1ヶ月近くかかる船便で。よって,それに耐えられる荷物だけを選り分けてダンボールに梱包。結局,ダンボール2箱になりました。
準備ができると家主が空港まで車で送ってくれる。さんざんお世話になりました。この台北国際空港は現在改装中で,2つあるターミナルビルのうち,こちらは新しい方。いかにも国際空港ですね。しかし,キャセイパシフィック航空は改装中の古いビル。とても写真には取れません。時間が少しあったので,3人で地下のバーガーキングへ。帰りの便では映画を観る元気はありませんでした。

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これにて,私の初海外旅行は終わりました。

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滋賀から京都へ

9月15日(土)

この日から2泊3日で一人旅行です。
この日はここに初コメントを書き込んでくれたことのある福井のHARCO友達でナオリュウさんの幼馴染でもあるマオコさんの結婚式の二次会に参加するために滋賀県の米原による行く予定。時間的にはけっこう余裕があったんだけど,やっぱりこういう時は落ち着いて映画なんて観られないんですよね。かといって,この日はかなり暑くて,家に居てもなにか作業が進むわけでもなかった。結局15時過ぎに東京駅に向かって,自由席で新幹線に乗る。さすがに土曜日の夕方出発は空いていて,ひかりで行く予定が,隣に停車している10分先に発車するのぞみに乗車。しかし,名古屋で乗り換えるんだけど,よく考えたら名古屋までは新横浜の停車が違うくらいで,ほんの3分の違いで,結局当初乗る予定だったひかりに乗り換えて米原まで。
この日の宿泊はマオコさんが長浜にホテルを予約してくれたので,まずはホテルまで。しかし,ちょっとした手違いで,ホテルから二次会の会場までの送迎バスは既に行ってしまった後でした。知らない土地ではどうしようもないし,路線バスもなさそうなので,久し振りにタクシーに乗る。一人で乗ることなんて,数年前に終電を乗り過ごした時以来だ。でも,その選択は正しく,なんとか開宴前に間に合いました。
立食パーティのようなものを想像していたら,ちょっとした披露宴のように,丸テーブルです。受付にちいちゃんがいたものの,他に知り合いは全くいないし,人見知りの私なので,適当に盛り上がってなさそうな席に座る。すると,ナオリュウさん登場。そうなんです。ナオリュウさんは結婚式から参加していたとのこと。披露宴でも演奏したそうで(なんでも,2人のために曲を作って披露し,しかも録音してCDをプレゼント)。私は一度座った席を失礼して,図々しくもナオリュウさんの隣に座りました。ナオリュウさんも本当はその場に知り合いがけっこういたのに,私が他に知り合いがいないことを知っていたので,つき合わせてしまいました。スミマセン。
披露宴にはけっこう新婦の福井友達,新郎の滋賀友達以外にも,東京からもかなりの数を含め,日本各地から集まっていたようです。マオコさんはかつて演劇をやっていて,その方面でいまでも活動している人たちが盛り上げてくれて,私のような人でも楽しませてくれました。後は適当に飲んだり,新郎新婦に挨拶したり,ちいちゃんとおしゃべりしたり,という感じ。ちなみに,新郎は昨年私が福井に遊びに行ったときに,マオコさんとちいちゃんとともに2日間おつきあいしていただいた,あっちょさんです。さすがにちょっと髪が伸びて雰囲気が変わっていた私には顔を見ただけでは気づきませんでしたが。お2人には結婚祝いでcasa『歌十色』とdois mapas『極東組曲』をプレゼント。
帰りは無事に送迎バスに乗り込んでホテルへ。ナオリュウさんは夜行バスで東京へ帰ってしまいましたが,ちいちゃんは車できたものの,すっかり呑んでいたので,ホテルに宿泊。

9月16日(日)

ちいちゃんと同じホテルだったのですが,結婚式から参加組はかなりお疲れのようで,ホテルに来てからはなにもなく就寝。ちいちゃんともあまりゆっくり話せなかったし,他に知り合いもできなかったし(自分から作れよ!って話ですが),残念に思いながら,翌日の京都一人旅に思いをはせることにして就寝。しかし翌朝それが思わぬ展開に。
ホテルの人に朝食7時台は混み合います,といわれていたので,早く起きたものの,テレビをみて過ごして8時過ぎに食堂へ。すると、朝食を終えようとするちいちゃん発見。一人だったので、隣に座って食事。しばしお話していると、ちいちゃんのお友達、なかちゃん夫婦も合流。みなさんこの日の夕方までは時間に余裕があるということで、長浜散策をすることになった。
私たちの宿泊したホテルは長浜の駅前にあり、駅前はそれなりに寂しいので気付かなかったんですが、益から離れる方向にホテルから数分歩けば、立派な商店街にたどり着きます。詳しくは調べませんでしたが、この一帯は「黒壁」という名とガラス工房を中心として観光地として再開発されたようで、とてもいい具合に散策できる町でした。古い建築物もうまく用いられているし、もともとの商店も頑張っているし、新しい商店もゆるやかな統一性があって、小物から生活必需品、食べ物まで、かなり楽しめます。そして、この辺りの名物らしい鯖そうめん(鯖はしょうゆ煮にしたものを焼いたもの、そうめんは同じようなタレで茹でて暖かいまま)をいただいたり、昭和レトロな御茶屋で抹茶を飲んだり、大通寺というお寺もけっこう立派で、本当にゆっくりと楽しめました。そして、しめは駅の反対側、琵琶湖のほとりに建つ長浜城まで行って、天守閣からの眺めを堪能します。このなかちゃん夫婦もとてもいい感じで、結婚も悪くないなと思える旅でした。
なかちゃん夫婦が福井の実家に帰るというので、私も京都に移動。この連休は当初雨の予報でしたが、幸い今のところ折り畳み傘のお世話にはなっていない。すると、京都までの電車のなかでひどい土砂降り。しかし、京都に到着するとやんでいました。この日も暑かったので、一雨降って涼しくなるかなあと思いきや、逆に蒸し暑い。ちょこっと迎えに来てくれた中谷氏によると、それが京都だということらしい。
中谷氏は私の大学の一つ先輩。なので、大学院も含めて7年間ほど一緒だったことになる。で、中谷氏の奥さんも私の大学院の後輩。そんなことで、京都での学会の時などはいつもお世話になっています。今回は子どもが生まれてまだ2年弱、一軒家に引越しして3日目だというのに、温かく迎えてくれました。この日は私が来るというので中谷氏が勤める立命館大学の村中君が遊びに来ていました。久し振りに研究に関するディープな話をしたり、本当に可愛い中谷家の娘、舞ちゃんと遊んだりと、これまた楽しい夜を過ごしました。引越しでごたごたしている中で、おもてなししてくれたゆう子さんにも感謝。この日も気持ちよく眠りに就きました。

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