書籍・雑誌

サッカースタジアムと都市

ベイル, J.著,池田 勝・土肥 隆・高見 彰訳 1997. 『サッカースタジアムと都市』体育施設出版,323p.2,500円.Bale, J. 1993. Sports, Space and the City. London and New
York: Routledge.

オリンピック関係の日本語文献を読んでいて,たまたま参考文献に載っていて知った一冊。著者は英国の地理学者だが,ただ一人「スポーツ地理学」を訴えていて,院生時代から知っていた。本書はまさしく私が院生時代に原著が出ていたが,おそらく私の所属していた大学の図書館には入っていなかったと思う。ベイルに関して日本の地理学で言及しているのは,おそらく福田珠己さんの『経済地理学年報』に載ったジョギング論文だけだと思う。この本訳書を知っている日本の地理学者はどれだけいるのだろうか。まあ,出版社も出版社なので,何部発行されているのか。ともかく,入手できてよかった。

1章 序文:スポーツ,サッカー,都市
2章 スタジアムの変容
3章 近代スタジアム景観の矛盾
4章 スタジアムと場の存在感
5章 迷惑な土曜日のサッカー試合――サッカー公害
6章 本拠地選定と移転問題
7章 解釈と今後の展望

1993年の出版ということで,時代的な雰囲気がよく出ているが,スポーツ地理学の一冊とはいえ,当時の英語圏地理学の状況が色濃く反映されている。サッカーとスタジアムをめぐる議論だが,一冊丸ごと地理学的なテーマで貫かれているのはさすがとしかいいようがない。まずは第2章でサッカースタジアムの変容の歴史が概観される。『アルコールと酔っぱらいの地理学』でも,英国において,サッカーは庶民のスポーツで,ラグビーは上流階級のそれであるということを知ったが,サッカーはそれこそ,平地とボールがあれば成立するスポーツで,かつては遊戯といってもいいのかもしれない。それが,選手と観客とがまず分けられ,観客もスタジアムの内外に境界が設けられ,区別される。サッカーというスポーツが近代化を遂げる過程で,建造物としてのスタジアムがその役割を果たす。地理学者レルフの景観論を頼りに,建造物としての近代化を論じ,『文明化の過程』の著者であるエリアスがダニングとの共著『スポーツと文明化』によってサッカーの近代化を論じ,近代的なものとして成立したサッカースタジアムをフーコーの「一望監視」論で捉える。
本書で「場の存在感」と訳されているのは「sense of place」だが,レルフのみならず,トゥアンも登場し,ファンの場所愛が論じられる。サッカースタジアム内部の観戦者の分布から階級を論じ,都市内のサッカースタジアムの立地で都市構造を論じる。サッカーおよびスタジアムをめぐる人々の区分はもちろん階級だけでなく,ファンとそれ以外,ファンはホームとアウェイ,熱心なファンとそうでないファンなどに区分される。フーリンガンなどファンによる迷惑港によって,スタジアム自体が時には迷惑施設(NIMBY)とみなされ,マンチェスター・ユナイテッドにいたっては,英国全土に広がるサポーター・クラブの立地図までもが示される。この辺りまではある程度想定できる研究だが,私の想定外で面白かったのは,本拠地移転の問題。英国のサッカーリーグ所属クラブの本拠地移転は,179件確認されていて,それの累積度数グラフを1865年から作成しているのだ。そして,特に多いのが1900年を境とした前後10年間で,多くのクラブが移転している。スタジアム内部空間,都市内空間とスケールが上がっていき,ここにきて都市間スケールにまで達する。そして,それは場所愛というか,クラブチームへの愛着と密接に関係していることは地理学者でなくても分かる。そして,本書はレルフやトゥアンだけではなく,ハーヴェイもかなりの頻度で登場する。さらにいえば,グレゴリーやフィロ,スリフト,シブレイ,レイなど多くの地理学者が登場する。まあ,それはともかく,ハーヴェイに関しては1980年代後半の都市論が取り上げられ,サッカースタジアムの建設,移転,誘致,経営などが企業経営としてよりもむしろ都市政策,都市経営の観点から分析される。さすがに,訳文にはいくつか問題はあるが,それは本書を訳していない地理学者の怠惰であって,むしろ本書を訳したスポーツ研究者の勇気を讃えたい。また,本書には図版も多く,難解な議論はないものの,的確な文献参照で,論拠も示され,説得的に論が展開されている。今からでも遅くないから,書評などで多くの地理学者に知ってほしい本だ。

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アルコールと酔っぱらいの地理学

ジェイン, M.・バレンタイン, J.・ホロウェイ, S. L.著,杉山和明・二村太郎・荒又美陽・成瀬 厚訳 2019. 『アルコールと酔っぱらいの地理学――秩序ある/なき空間を読み解く』明石書店,282p.2,700円.Jayne, M., Valentine, J. and Holloway, S. L. 2011. Alcohol, Drinking, Dranleness: (Dis)Orderly Spaces. London: Ashgate.

以前『E-Journal GEO』にも共著論文を書いたことのある4人による共訳書がようやく出版されることになりました。この4人の勉強会も随分長らく続いているような気がします。私が結婚する前からですから,もう10年になるかもしれません。今回の企画は杉山君が持ってきたもので,2011年の原著ですが,私のPCに保存されているファイルによると,2016年のはじめに準備が始まり,私の担当第6章の一次訳ができたのが2016年の9月のようです。それから3年が経ちますね。でも,出版社もすんなり決まり,それからは早かったような気がします。ともかく,多くの人に読んでいただければ嬉しいですね。

日本語版へのはしがき
序章 酒・飲酒・酩酊の地理
1章 都市
2章 田園
3章 ホーム
4章 ジェンダー
5章 エスニシティ
6章 世代
7章 感情と身体
「もう一杯いかが?」――あとがき
付録1 事例研究と研究デザイン
付録2 ビンジ・ドリンキングの定義とアルコール量単位の解説
付録3 イギリス政府による全国統計の社会経済的分類
「酔いに任せてもう一杯」――訳者あとがき

私の手元に何冊かありますので,このblogの読者には謹呈いたします。ご希望の方はメールでお知らせください。

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オリンピックと万博

暮沢剛巳 2018. 『オリンピックと万博――巨大イベントのデザイン史』筑摩書房,270p.860円.

著者の暮沢さんは以前から著書を何冊か読んでいる,現代美術研究者。彼がオリンピック本を書いているということで読むことにした。ちなみに,本書は「ちくま新書」の1冊。それ自体は驚くべきことではない。いろんな分野に手を出して,どれも一定の水準でまとめてしまうところが彼のすごいところ。1964年オリンピックに関して,代々木体育館を設計した丹下健三やポスターをデザインした亀倉雄策については,すでにほかの文章で読んでいるが,万博との関係,そして2020年大会の話など,知っておきたい。

はじめに
1章 世界デザイン会議から東京オリンピックと大阪万博へ
2章 「国民的」建築家――丹下健三
3章 グラフィック・デザインという戦略――亀倉雄策
4章 デザイン・ポリシーによる統率――勝見勝
5章 原子力の1960年代――岡本太郎
6章 マルチプロジェクション――観客から群衆へ
7章 万博パビリオン――「日本館」の系譜
8章 デザイン・コンペ――東京オリンピック2020エンブレムと新国立競技場

本書はデザインの観点から,オリンピックでいえば1940年の返上した大会と1964年夏季大会,そして2020年東京大会とを,そしてオリンピックと万博とを連続的に考えようとするもの。1964年東京オリンピックと1970年大阪万博とはもちろん独立したメガ・イベントだが,返上して中止になった1940年はそもそもオリンピックと博覧会とを同じ東京で開催する計画だった。1940年の博覧会は確か,国際博覧会条約に基づいたものではなかった気がしますが,本書では当時発行された万博の入場券がデザインの観点から提示されています。そして,この万博は中止ではなく延期されたとのことで,この入場券は1970年大阪万博,そしてなんと2005年愛知万博でも使用されたとのこと。
1章のタイトルにあるように,本書でまず強調されるのが,1960年に開催された「世界デザイン会議」。デザインというカタカナ言葉が日本に導入されるのは戦後で,美術学校における図案科からデザイン科への名称変更,各種協会や専門誌の創刊などが1950年代に集中し,この会議をもって日本に「デザイン」という言葉が浸透したという。この会議の実行委員には第2章で論じられる建築家の丹下健三,そして民芸の柳 宗理も含まれていた。デザインに関する抽象的な議論が展開されたというこの会議の実験場とされたのが東京オリンピックと大阪万博だといいます。第2章の主役,建築家の丹下健三は戦時下に2つのコンペで1等を受賞し,戦後にもいくつかの公共建築を設計し,1950年代には代表的な地位を獲得していたという。1964年東京大会で施設特別委員会の委員長を務めていた岸田日出刀は1940年大会でメインスタジアムを設計した人物だったというが,1940年は幻となり,メインスタジアムではないが,1964年の室内競技場の設計者として,岸田の東大時代の教え子であった丹下を指名したという。丹下は,この設計を吊り屋根という画期的な工法で実現し,今日まで残るいわゆる代々木体育館を作ったわけだが,このデザインに至るまでの経緯も,本書では丁寧にたどっている。こうした傑作は決して一人の手で成し遂げられるわけではない。そして,丹下は1970年大阪万博では会場の全体的な基本計画に関わることになる。第3章は1964年東京大会のエンブレムをデザインした亀倉雄策に関する章だが,彼に関しては,すでに清水 諭編『オリンピック・スタディーズ』に収録された前村文博「日の丸とモダン――’64東京大会シンボルマークとポスターをめぐって」を読んでいた。本書では亀倉の日本工房との関り,また彼が立ち上げた日本宣伝美術会などより広い文脈が示され,そして先述した1960年世界デザイン会議からの連続として1964年オリンピックが論じられる。第4章で登場する勝見 勝は1964年オリンピックをデザインという立場から統率した人物の話で,これももちろん一人の功績ではないが,若いデザイナーを多用してデザイン的に統率された初めてのオリンピック大会として強調されている。なお,大阪万博についてはこうした統率がうまく機能しなかったという。第5章は岡本太郎と1970年大阪万博の話だが,岡本太郎もすでに1964年オリンピックにメダルのデザインとして参加している。そして,丹下健三が設計した旧都庁舎の壁画を担当するなど,丹下との関りが示されます。そして,全体の基本計画をしていた丹下の下で,岡本は太陽の塔が建てられる「お祭り広場」のプロデューサーという立場となる。この広場は巨大な屋根でおおわれる計画だったが,太陽の党はこの屋根の真ん中に穴をあけて,そこから顔を出すという斬新なデザインだった。第5章のタイトルには「原子力」とあるが,万博の開幕日に敦賀原発が稼働し,その電力が万博で利用されたという。岡本の作品が原子力から大きなインスピレーションを受けているという解釈や,大阪万博での原爆関連展示の話などはあるが,岡本自身が,そして万博自体が原発に対して危機感を持ったアンチの立場なのか,希望の未来エネルギーといった楽観的な立場なのか,はっきりは論じられていない。第6章と第7章は大阪万博以降の万博も含めた万博の話。どうやら,著者が本書を書こうとした動機の大きな一つは万博への興味らしい。ということで,むしろオリンピックに関心のある私としてはこの2つの章は割愛します。
そして,第8章が2020年東京大会をめぐるもので,これはよく知られているエンブレムと新国立競技場の白紙撤回問題です。概要は多くの人の知るところだが,詳しく年表なども付けてくれて記録しているところがありがたいです。知ったつもりになると,どんどん記憶の彼方に追いやられてしまい,後で整理するのも一苦労したりします。そして,本書ではこの問題を新しい問題としてではなく,デザインをめぐる問題として日本ではかつてからあったと指摘しています。

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アーバン・ツーリズム

クリストファー・ロー著,内藤嘉昭訳 1997. 『アーバン・ツーリズム』現代文芸社,328p.3,800円.Law, C. M. 1993.
Urban Tourism: Attracting Vistors to Large Cities. London: Mansell.

私が大学院時代に突如登場した人物が訳者。地理学の場合,多くの研究者のデビューは卒業論文や修士論文を学術雑誌に掲載し,所属が「〇〇大学・院」などと表記される。この内藤さんが学会誌に登場したのはもっぱら「書評」コーナー。英語圏の観光関係の書籍を次々と紹介する。書評の場合には所属が示されず,最後に(内藤嘉昭)と記されるだけ。本書も確か書評で紹介されていたと思うが,その後翻訳・出版された。

序文
1章 はじめに
2章 都市の現況
3章 都市観光戦略
4章 コンファレンスと展示会
5章 都市アトラクション
6章 文化,スポーツ,特別イベント
7章 二次的要素:ホテル,ショッピング,イブニング・アクティビティ
8章 環境と計画
9章 組織と資金
10章 都市における観光の影響評価
11章 総括,問題点並びに今後の展望

なぜ,この本を今更読む気になったかは,私の最近の読書傾向と目次とを照らし合わせれば分かりますが,第6章にスポーツとイベントが含まれているからです。そう,思いのほかオリンピック論文で本書への言及が多いのです。実際に冒頭を読んでみると,1993年という時期に都市を観光の対象と捉える視点はあまりなかったようです。すでに,社会学者のジョン・アーリによる『観光のまなざし』は原著が1990年ですし,翻訳も1995年に出ていますので,本書・訳書にも言及があります。しかし,主な対象はいわゆる観光地なんですね。そういう意味でも,本書はかなり先駆的な本だったようです。
そういう意味でも読んでいて面白いのは第1章で,観光客自身も,旅行に出かけるといえばいわゆる観光地で都市を対象としていません。とはいえ,圧倒的に多くの旅行者を集めているのは世界的な大都市であり,都市を利用している多くの人はそれを自ら「観光」や「旅行」と捉えていないということです。私は会社で航空流動の統計データなどをよく扱いますが,旅行目的という項目が観光,業務,私用と3区分されているのが普通で,仕事での移動もやはり旅行なんですよね。もちろん,宿泊を伴わない日帰りもそうであり,そういう意味ではいわゆる理念としての観光を想定していたのがこれまでの観光研究であり(ある意味では,観光研究の古典として知られる,ブーアスティン,マッカネル,アーリという人たちの研究は本書の立場からは批判されても良い),本書は実態に即して,研究対象を拡張しているといえます。まさに,本書と同時期に始まった私自身の都市研究も都市観光という意味付けを与えると,小難しい位置付けをする必要はなくなります。とはいえ,実際には研究者の捉え方とは別に,都市政策においてはすでに多くの大都市が観光政策に移行していたので,研究者の見方が現実に追い付いていなかったともいえます。そういう意味でも,本書でも言及されているハーヴェイ(引用されているのは1989年の『The Urban Experience』です)の見方は一歩先を行っているんですね。
ともかく,本書はそういう意味で既成概念にとらわれず,都市で起こっている状況を網羅的に捉えようとするものです。それは目次からも分かると思います。そういう意味では,あまり刺激的な読書体験ではなく,非常に堅実なものです。しかし,日本では考えられないような類の統計データがいくつも示されていて,やはりけっこう欧米では面白い調査がなされているんだなと感心します。欧米核都市の地図も多く掲載されていて,分かりやすい本です。オリンピックに関しても通り一遍の説明がなされています。ともかく,勉強になる本。

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日本の原子力外交

武田 悠 2018. 『日本の原子力外交――資源小国70年の苦闘』中央公論新社,298p.1,600円.

今年度の非常勤先の講義は,日本地図を用いて広く浅く日本の多様性を知るというテーマでやっている。以前,ここでも紹介したスコシマロ『地図で見る日本ハンドブック』(2018年,原書房)を活用して。政治地理学分野に関して,この本には日本の植民地侵略,日本における自衛隊・米軍基地,そして原子力発電所に関する分布図があり,これを活用して講義をしている。植民地に関する地理学的研究は少なくないし,米軍基地などについては山﨑孝史さんの研究,そして松山 薫さんの研究もあるが,原子力発電所に関してはさっと読めるものが手元になかった。NIMBY関連ということでは新井智一さんの研究があるが。ということで,早速非常勤先の図書館で原子力発電所関係の本を探し,分量的に多くない本書を手に取った。スコシマロの本に掲載された地図は微妙にカラーなので,白黒印刷すると見にくくなってしまうことが多いが,本書には同じような地図が白黒で掲載されていたのでちょうどよい。

序章 国際政治と日本の原子力外交
1章 原子力の導入へ――194564
2章 平和利用への一本化――196470
3章 インド核実験の衝撃――197076
4章 迷走のアメリカ,日欧の説得――197682
5章 相次ぐ事故と日米協定の改定――198292
6章 冷戦崩壊後の積極的関与――19922011
7章 311以後の混乱――201117
終章 日本に課せられた役割

原発関係の本は福島第一原発の事故以降かなり多いが,本書はそこも含みつつ日本への導入から論じられており,また原発専門家ではなく,日米外交の専門家ということでなんとなく面白そうだなと思い選択した。本書によれば,国際政治という観点から日本の原子力発電開発を論じたものはこれまでほとんどないという。もちろん,日本には非核三原則があり,自衛隊はあるものの表立って軍力を持たないことになっているから,発電利用とはいえ原子力が自国での開発であるはずがない。日本も戦後に高度経済成長を遂げ,先進国の仲間入りを果たしたわけだが,原子力開発に関しては他国への依存と協力があったことは想像に難くない。とはいえ,日本における原子力の導入の基本的知識を得たいのはもちろんだが,本当のところは日本各地への原子力発電所が立地されていく過程を知りたいのが地理学者としての本音だったが,そういう側面は本書から全く知識は得られなかった。
さて,世界で唯一実戦で核兵器を使用した国である米国が核の平和利用についても指導的役割を担っていたことは理解しやすい。そしてその核兵器利用の対象国であった日本だが,米国の同盟国であることもあり,戦後間もない時期から日本でも核の平和利用が導入される。米国で原子力発電が成功するのが1951年だというのに,日本では1954年に突如国会で原子力発電に関する予算が決定し,ここから日本における原子力発電導入が進んでいく。自衛隊関係の論文を読んだ時にも登場したが,後に総理大臣になる中曽根康弘氏がそのキーパーソンだということだ。日本で初めての原子力発電に関する研究所が立地し,発電所もできることになる茨城県東海村に関しては詳しい研究論文も読んだが,法整備に先んじて施設建設が行われていく,かなり強引なやり方で開発を急いでいたようだ。それはそれとして,本書が強調しているのは,米国の思惑と日本の思惑。もちろん,影では日本でも核兵器開発なんてことが噂されるのであろうが,本書では基本的に学術的な立場を貫いているので,公的文書を基礎として,日本は原子力の平和利用が中心であったとされる。それに対し,核資源および核技術を世界各国に提供する米国は,その軍事利用を徹底的に監視する役割を自らに強いていることが語られる。国際原子力機関(IAEA)が発足するのが1957年だが,米国は個別に二国間協定を結ぶことで,各国に規制をかける。
日本で核開発が成功するのが1966年で商業利用の発電がおこなわれるようになるのが1970年らしい(?)が,目次にもあるように,インドが核実験を行うのが1974年。中国はそれに先んじて1964年に核実験を成功させている。中国は米国との協定外でソ連からの提供だが,インドは平和利用で提供を受けた核資源・技術を軍事利用したということで,大きな衝撃となる。さて,日本では核技術が進展する。核資源は石油などとは異なり,次々と消費するものではなく,1度に利用されるのは数%ということで,使用済みの燃料から再利用する技術があれば,一度入手した資源をもとに他国への供給をできるようになる。ということで,日本は核資源輸入国から輸出国へと移行する。東芝,日立,三菱といった企業が原子力産業を担い,冷戦後にはロシアとの技術協定を進めたりもする。
そして,2011311日。福島第一原子力発電所の事故は世界にも大きな影響を与え,この後,ドイツ,イタリア,スイスといった国は脱原発を宣言する。もちろん,日本でも脱原発の動きは非常に大きく続いているが,著者の立場としては,日本の脱原発に関しては課題が非常に多いという。確かに,全国の原発の再稼働のニュースを見ていても,単に反対運動の強さだけでは,米軍基地と同じように,それをなかったことにすることはとても難しいのだなと感じる。

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オリンピック経済幻想論

アンドリュー・ジンバリスト著,田端 優訳 2016. 『オリンピック経済幻想論』ブックマン社,226p.1,600円. Zimbalist, A. (2015): Circus Maximus: The Economic Gamble behind
Hosting the Olympics and the World Cup
, Brookings Institution Press.

以前から知っていた本だが,あまり聞いたことのない出版社であることと,翻訳タイトルと装丁で敬遠していた。しかし,改めて著者名をZimbalistと読むと,それなりにこれまで読んだ英語文献でも見ていた気がしてきた。決定的だったのは,坂田和光(2016):オリンピックと経済,『リファレンス』781:
17-41.という文献で本書の著者が登場していたこと。『リファレンス』という雑誌は国立国会図書館が発行していて,そこの研究員による論文が掲載されることが多いようだ。今回,オリンピックの文献を集めている過程でいくつかの論文を読むことになった。これがなかなか手堅い論文が多くて,信用している。

第一章 オリンピックの問題点
第二章 オリンピックの起源
第三章 短期的な経済効果
第四章 レガシー,長期駅な経済効果
第五章 バルセロナの成功例とソチの失敗例
第六章 リオとロンドンに見る経済的効果
第七章 パンか? サーカスか?

これまで読んだオリンピック文献でも,基本的に大会開催前に出される。経済効果に関する報告書は,プラスの効果があるという前提で,シンクタンク各社がその規模を算出するものにすぎない,ということがいわれてきた。基本的にはメガ・イベント推進派によるもので,イベント開催には多額の費用が必要だが,それに見合う便益があることを訴えるものである。本書はそういう断片的な主張や,一般的にメガ・イベントの経済効果に疑問を持つ人の考えをまとめてくれているものである。第二章のオリンピックの歴史概観は非常に浅い記述だが,この分量の本としては致し方がない。第三章と第四章がセットになっていて,理論的な説明になっています。第五章と第六章もセットで事例研究です。
基本的には批判的な立場をとっていて,第三章ではいわゆるメガ・イベントの経済効果分析がどういうものであるのか,短期的な観点から説明されます。計上すべき項目は何なのか,なぜ当初掲げられた予算が実際には膨らんでしまうのか,など網羅的に説明されています。第四章は長期的な観点から,特にIOCが主張するレガシーということを考慮して説明されます。観光産業のメリットや貿易と投資などが長期的な経済効果として期待されますが,その測定が難しいこともありますが,明確に効果がもたらされる事例や理論的な根拠はほとんどないといいます。
第五章では,1992年バルセロナ大会の成功の理由と,2014年ソチ大会の失敗の理由とを対比させています。ソチについては散々語られているように,ロシアでの開催ですから他の資本主義国との比較にはならないような気もしますが,まあ二の足を含む可能性は2022年北京冬季大会など今後は十分に考えられます。バルセロナに関しては,さまざまな意見がありますが,本書では成功例として捉えられています。その理由も明快。バルセロナはオリンピックに向けて都市再開発をしたのではなく,長期的に都市全体の都市計画のプランがあり,そこにたまたまオリンピックがいいタイミングでやってきたということ。そして,もともと国際的観光地として潜在的な魅力を持っていたにもかかわらず,それがうまく活かされていなかったが,この都市改造によって観光客を受け入れる素地ができ,オリンピックによってそのことが世界中に宣伝されたということ,そして大会開催後も再開発を続けたということが指摘されています。
本書の原著出版年は2016年ですから,2016年リオデジャネイロ大会についてはまだきちんと振り返る時期ではありませんが,第七章では準備が遅れていることも含めて否定的に評価されています。2012年ロンドン大会についても,「開催自体は円滑に進んだ」(p.138)と記されるものの,概して批判的に捉えられている。2012年ロンドン大会はIOCのレガシーに基づいて初めて計画され,開催された大会だったが,レガシーについても有形/無形を問わず,批判的に評価されている。それは招致を成功させるために課題に見積もられたレガシーであったといえるかもしれない。この批判的な評価はレガシーの価値そのものというより,計画に対してどの程度実現されたかという観点にあるから。ということは,これまで経済効果が計画時に過大に見積もられて,一方費用は過少に見積もられていたのと同様に,レガシーもかなり過剰計画となる可能性が高いということかもしれない。
7章のタイトル「パンか? サーカスか?」はオリンピックへの批判的な語り口によく使われる言い回しである。オリンピック大会は巨大化したこともあり,大抵の大会でサーカスに当たるエンターテイメントを提供することには成功している。現地での観戦客については,特に冬季大会の場合は集客に難ありという場面も少なくないが,テレビ放映ということでいえば,世界中の多くの観衆を熱狂させる魅力をオリンピックは維持している。しかし,一方でパンに当たる,特に開催都市の住民に対して提供されるものはと問われると,成功している事例はごく限られている。本書でいえば,1984年ロサンゼルス大会と1992年バルセロナ大会くらいだろうか。そういうこともあり,近年ではヨーロッパのいくつかの国(オーストリア,ドイツ,スウェーデン,スイス)が,国としてオリンピックを招致することに賛成しないことや,住民投票で招致を取り下げるなどということが後を絶たないという。2024年大会と2028年大会は開催実績のあるパリとロサンゼルスに決定したが,これまでのやり方での開催はこれで最後かもしれない。IOCもそこまで時間的猶予を作って,その間に組織改革をするのだろうか。もっと透明な組織で,立候補都市には住民中心の招致活動,開催計画を促すような,環境や持続可能性,最近では苦し紛れの包摂などをオリンピックの理念に組み込んでいるが,今後は表向きでない形での人権(市民権),そして住民参加に取り組むことがオリンピックが生き延びる最後の手段ではないだろうか。もしそれが成功すれば,一部の国の国内政治に,そしてゆくゆくは国際政治に大きな影響を与えるかもしれない。もう一つの道としては,ヨーロッパ中心のオリンピック開催,そしてオリンピック理念を打ち捨て,中国にその主導権を明け渡し,一帯一路構想に含まれる諸都市での開催が可能になるような大会そのものの見直し,という方向性も考えられる。うーん,まさにオリンピックは世界の縮図だといえるかもしれない。

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ネオアパルトヘイト都市の空間統治

宮内洋平 2016. 『ネオアパルトヘイトの空間統治――南アフリカの民間都市再開発と移民社会』明石書店,437p.6,800円.

とある研究集会で本書の著者と会った。飲み会の席で近くになり,彼の研究を全く知らないまま,いろんな話をさせてもらった。私自身は南アフリカについて大した知識もないが,オリンピック関係の論文を読む中で,ケープタウンが2004年夏季大会に立候補していたこと,2010年にサッカー・ワールドカップを開催したことなどを知っていたので,そんな話をさせてもらっていた。自宅に帰って調べると,本書がすでに3年前に出版されていて,しかも人文地理学会で賞を受賞していたことを知り,何も知らずに話をしていたことを恥じた。その場では,今度彼を報告者とした研究会の企画の話が進んでいたこともあり,本書を読んでその研究会に臨むことにした。

序章 自由の迷走
1章 南アフリカと新自由主義
2章 例外空間と構造的不正義
3章 アパルトヘイトとフォーディズム
4章 インナーシティの空間編成史
5章 ヨハネスブルグのクリエイティブ産業
6章 「光の都市」の誕生
7章 「闇の都市」に生きる移民
8章 「光の都市」のネオアパルトヘイト
9章 「光の都市」の社会工学
10章 「光の都市」の葛藤
終章 正義への責任のために

とても読み応えのある一冊でした。博士論文が基になっているということもあり,前半では理論的な議論が続く。第1章では南アフリカの現状を英文文献で概観し,「新自由主義時代の生権力論」と題し,フーコーの「生権力論」を,ハーヴェイやバウマン,ポランニーやアパデュライなどの議論を通じて現代的文脈で再解釈する。第2章はヨハネスブルグにおけるゲーテッド・コミュニティの現状を紹介しながら公共空間論へと展開し,アイリス・マリオン・ヤングの「構造的不正義」という本書の一つのキーワードにたどり着く。
3章では,南アフリカではアパルトヘイトが廃止された後も移民労働に頼っている現状が語られる。もともとヨハネスブルグは金鉱が発見されたことで多くの移民が集中してできた都市だという。アパルトヘイトが正式に成立したのは戦後の1948年だが,1994年に撤廃されるまで黒人にはろくな教育も与えられていなかったため,その時点で成人していた黒人たちは労働者としての最低限の技術も身につけていない人が多いという。民主化以降,南アフリカは経済成長をしていくが,その際に必要な労働力として黒人はあまり役に立たず,周辺諸国からの移民が必要な労働力を提供しているのが現状だという。アパルトヘイトが撤廃されても,資本主義の自由経済を優先する新自由主義的政策の下では,白人中心の企業経営に低賃金労働者の黒人という図式のもとで,アパルトヘイトと同様の状況が継続する。それをネオアパルトヘイトと呼ぶらしい。
4章ではヨハネスブルグのインナーシティの状況が歴史的にたどられる。ヨハネスブルグは金鉱でにぎわった都市なので,それなりの資本蓄積で,早くから高層ビルなどが立ち並んでいた。世界的な都市化→郊外化の流れに従って,白人の富裕層は都心を離れ,新都心と呼ばれる「サントス」という地区に移動し,企業の本社なども移動する。残された都心のビルは放置され,先ほど述べた近隣からの外国人労働者によるスクウォッティング,またはマフィアのような組織による乗っ取りが行われ,劣悪な環境で貧困層が所狭しと住まうという。黒人はもともと黒人地区として隔離されていた「タウンシップ」に隔離政策が終わった後も相変わらず住み,またかつて炭鉱などで働く単身黒人男性のために建てられた「ホステル」なる集合住宅に住み続けるという。民主化以降,政府はそうした黒人向けに大量の社会住宅を建設しているようだが,量的には足りていないという。そんなインナーシティを,政府は「都市改良地区」と定め,民間資本を利用して再開発を行っている。第5章ではそんな再開発で,リチャード・フロリダのいうクリエイティブ産業が一つの役割を果たしていることが紹介される。アート・フェスティバルが開催され,アーティストたちが住みつき,賑わいを見せ,他のイベントが模様され,複数の地区でクリエイティブ産業が立ち上がっていく。
6章では,そんな地区がいくつか紹介される。ニュータウン,ブラームフォンテイン,そして著者が集中的に調査したマボネンである。これまでにはほとんどなかったミニシアター系の映画館や小劇場,ギャラリー,ナイトクラブ,バーやカフェが立ち並ぶ。こうした地区に投資する起業家たちは,放置されたビルを買い取り,リノベーションし,オフィスを構え,さらなる起業家のためのシェアオフィスを作ったりする。まあ,いわゆるジェントリフィケーションですね。そのマボネンという地区は,リーブマンというユダヤ系の青年実業家がPT社という会社を立ち上げ,この地区をほぼ1社(子会社を含む)で再開発を進める。各地で再開発が進むとはいえ,ヨハネスブルグは相変わらず危険な都市であることは変わらないので,この地区は監視カメラや警備員を配置し,オフィスや住宅は入館警備を徹底する。そうすることで,この地区で働き,また遊びに訪れる者たちの安全を確保している。
7章では,そんなジェントリファイされたマボネン地区のすぐ近隣では,古い移民である南アジア人やアフリカ人が経営するさまざまな店舗が紹介される。それなりの技術を持って移民労働者としてやってくる外国人とかつてアパルトヘイトに苦しめられた南アフリカ人との間には不和がある。どこでも同じような状況だが,最下層の人たちは移民によって自分たちの職が奪われたという妬みがあるのだ。インナーシティではそんな下層民たちが独自に行うインフォーマル経済の様子が報告される。八百屋や床屋,パン屋や食堂など。南アフリカ共和国国土内に含まれるレソトという王国からやってくる移民の多くが廃品回収の担い手となっている。その廃品回収業者もインフォーマルとフォーマルとに分かれているとのこと。マージンを引かれて移民たちにどれほどのお金が渡るのだろうか。先述したホステルの様子も報告される。
8章ではマボネンを再開発しているリーブマンのPT社をめぐって,メディアなどに寄せられる批判とリーブマンの主張などが検討される。この辺りが日本とは異なり,健全な気がします。例えば,日本では森ビルという会社が,六本木や虎ノ門の再開発を次々と手掛けたが,かれらのやり方に対する表立った批判はあまり目にしていないと思う。多くの人はそのやり方に不満を抱いていると思うが,公の場でその是非を問うことはまずしない。そもそも,こうしたクリエイティブ産業地区に集うのは,人種を超えて高学歴の富裕層であるとのこと(ただし,他の改良地区ではこうした人種のミックスはほとんどないとのこと)でそうした議論が可能になるのだろう。その議論では「ジェントリフィケーション」という日本では学術研究者と一部のメディアしか使わないような言葉が日常的に使われる。そして,それはもちろん否定的な意味において。第9章では同じマボネンの話で,実際にかれらの再開発がこのかつては無秩序状態だったヨハネスブルグに何をもたらしたのか,ということが再検証される。少なくとも一部の人にとって,この地区は安全で健全な企業活動,文化活動ができる場所に「改良」された。しかし,それが故に今度はこの地区とその近隣地区との格差が明確になる。そして,第10章で論じられるように,整然とした一画に生まれ変わったマボネンだが,ある意味それはグローバル都市の仲間入りであり,アフリカの都市であるという土着性を失うことでもある。同時にその地区で活動するアーティストはそのことで自らのアイデンティティに対して疑念を抱くことにもなり,アフリカへの回帰,ないし再発明ということも起こってくる。ズーキンやスミスのジェントリフィケーション論をようやく私は学ぶようになったが,ひそかに抱いていた疑念があった。それはジェントリフィケーションを批判する研究者は,そこで排除の対象になるスラムや貧困者をどうしたいのかということが分からなかった。ホームレスとして生きるのも人権のうちなのか,衛生という思想は近代に生まれたものだが,不衛生という状態も存在する価値があるのか。経済発展が不要だという議論には賛成するのだが,生死の境を生きる最底辺の人々の生活はどうなのか。まあ,そういう論者は単なる開発の問題だけでなく,社会的な不平等を訴えているから,社会全体の問題が解決すれば貧困層の人々が減るのだろうかともかく,色々考えさせてくれる読書でした。

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オリンピックと近代

マカルーン, J.著,柴田元幸・菅原克也訳(1988a):『オリンピックと近代―評伝クーベルタン―』平凡社.MacAloon, J. J. (1981): This Great Symbol: Pierre de Coubertin and the Origins of the Modern Olympic Games, Illinois: The University of Chicago Press.

マカルーン編『世界を映す鏡』に収録された「近代社会におけるオリンピックとスペクタクル理論」を読んでから,本書も読むべきだと思い,非常勤先の大学図書館で借りて読み始めた。ポール・オースターの翻訳で知られる柴田元幸氏が手掛ける翻訳で,645ページに及ぶ大著。以前,本書を手に取って目次は見たことがあった。本訳書の副題通り本書はあくまで近代オリンピックの父であるクーベルタンの伝記であり,1896年の第一回アテネ大会で締めくくられているため,今更読む必要はないと考えていたが,読み始めてその考えは変わった。著者は米国でオリンピック代表選考にかかるくらいの陸上選手であったとのこと。1968年のメキシコ大会を目の当たりにして,自分はそこに選手としている場ではないと実感するとともに,そのひきこまれる魅力について理解したいと思い立ち,学問の世界に入ったという。彼が身を置いたのは人類学。上述の編著にも寄稿しているヴィクター・ターナーへの謝辞が本書にもある。人類学に入門しながらも博士論文で取り組んだのが本書。同じく,編著に寄稿し,謝辞に名前が挙がっている歴史家,ナタリー・ゼーモン・デーヴィスらが始めた民族誌学的歴史学の影響も大きい。ともかく,注釈の多い本書は丁寧に歴史を紡いだアカデミックな書である。
緒言
第一章 ラオコーン――悲劇の予感
第二章 貴族の家柄
第三章 アーノルドとの出会い――スポーツの発見
第四章 スポーツ教育
第五章 オリンピックの理念
第六章 近代オリンピックの誕生
第七章 仕掛けとしてのオリンピック――第一回アテネ大会
第八章 結び――オリンピックと近代
冒頭にボルヘスの「中国の地図制作者」についての解説がある。正確には「学問の厳密さについて」というタイトルで,岩波文庫『汚辱の世界史』に収録されたものだが,この1分の1の地図に関しては,ウンベルト・エーコやジャン・ボードリヤールも論じており,若林幹夫『地図の想像力』の冒頭を飾る議論でもある。本書でこの説話が取り上げられているのは,ミイラ取りのミイラのように,この巨大で複雑で多くの人を夢中にさせる魅力を持ったオリンピックというものを学問の対象として理解することは難しく,足を踏み入れようものなら客観性というアカデミックの足場を奪われてしまうということを言いたいがためである。著者はオリンピックの魅力を理解しようと,それに関する文献を漁るが,学術的な客観性,オリンピズム的価値観から中立な立場を有する文献には出会えなかったという。一方で,正当な学問はオリンピックという社会的に大きな影響を与えている現象に背を向けてきたのだという。それならば,ということで著者は学術界に転向した。
そして,「オリンピックという事業を興味深いものとしている性質,すなわちそのスケールや,複雑さや,意味の多様性こそが,総合的な研究を困難にしている」(p.12)という理解に至り,「この男(クーベルタン)について,その人生のドラマと生きた環境について理解することなしに,近代オリンピックの起源はもとより,その不変の「構造」を理解することもまた不可能である」(p.14)との観点から,まず手掛けたのがクーベルタンの伝記となったわけだ。第一章はその全体像を象徴するイコンとしてのラオコーンの存在が示される。第二章では,彼の家系図の復元から,19世紀ヨーロッパにおける家系図の社会的意義と貴族階級における近在的個人について論じられる。特に,彼の父親は画家として多くの作品をサロンに出品しており,その辺りの美術史的な考察も興味深い。ちょうど以前紹介したように同じ時代の画家クールベについていくつか本を読んでいたし,それこそその時代背景を描くハーヴェイの『パリ』も読んでいた。そうした歴史的含蓄のあるオリンピック研究は非常にまれであり,1981年に原著が出版された本書であるが,今読む意義も十分にある。若かりし頃のクーベルタンの思想に関しては,これまでの研究でほとんど取り上げられてこなかった偽名で発表された自伝的小説「ある王党派共和主義者の物語」を詳細に検討している。ちなみに,マカルーンは「意味の問題が20世紀の問題だとするならば,クーベルタンは本質的に19世紀から抜けだすことはなかった。」(p.27)と述べ,新しい近代イベントを生み出したクーベルタンをそのイベントの真意を理解できない古い人間とみなしている。
クーベルタンがなぜスポーツに目覚めたかということについては,これまで読んだ文献でも有体の説明があった。英国のパブリック・スクール教育を維新したとして知られるトマス・アーノルドに感化され,スポーツによる教育的効果によりフランスの軍隊をもっと強いものにできると考えた,という感じの説明だ。第三章はその辺りの事情を詳細に検討している。まず,クーベルタンは英国に渡るわけだが,これにも当時フランスから英国に渡る人が多かったことが確認され,そんなフランス人による報告のなかでもイポリット・テーヌという人物の『イギリス覚書』が詳細に検討される。実際にクーベルタンはアーノルドが校長だったラグビー校をはじめ,多くのパブリック・スクールを訪れたということだが,アーノルドについてもさまざまな資料を検討している。特に,クーベルタンが理解したアーノルドは,アーノルド本人ではなく,彼について書いているトマス・ヒューズの『トム・ブラウンの学校生活』とスタンレーの『トマス・アーノルドの生涯と書簡』という性質の異なる2冊の本がクーベルタンに影響を与えたという。
第四章は,クーベルタンが寄稿した雑誌の発行元である「社会経済協会」についての詳細な検討から始まり,その主宰者であるフレデリック・ル・プレという人物の思想のクーベルタンへの影響を検討する。クーベルタンの頭の中に漠然とあった「スポーツ」が具体的な形で社会変革の道具として形をなしていく。「国際的スポーツ活動を管理すべく彼が創り出すことになる国際オリンピック委員会も「非イデオロギー的」な組織をめざしたものであったが,そのモデルとされたのが,テーヌが称賛していたイギリスの「庇護」団体であり,政治学学校であり,社会経済協会-社会平和同盟であった。なかんずく協会の場合はIOCのすべての原則の先例となっている。」(p.190)クーベルタンは一時期,その政治学学校にも通っていたのだ。1880年代後半ころから,クーベルタンは積極的に自分の思想を表現するようになり,その思想を組織づくりという形にするようになる。「そして後年クーベルタンが主宰することになる諸団体の名簿には,医学者や,生理学者や,実験心理学者の名前はほとんど登場することがない。これはスポーツ組織と正統的な科学が袂を分かったことを象徴的に示している。このことが1950年代および60年代までの欧米スポーツ文化を特徴づけることになるのである。」(p.221)本書ではクーベルタンの同時代人として,進化論者のハーバート・スペンサーや社会学者のデュルケームなどを登場させるのも面白い。次の引用にあるように,クーベルタンが妄想するスポーツ教育をオリンピックという祝祭へと結びつけるのにヒントを与える人物が登場する。「だがクルーゼには,クーベルタンにそれまで欠けていたものがあった。すなわち,スポーツ競技の背景となるべき祝祭への興味である。クルーゼは,中世の学生の祭典である「定期大祭」の復活を呼びかけた。そして,この「学校の若者たちのための盛大な競技祭典」が1889年と90年の二度にわたって開かれたのである。」(p.228)
第五章の冒頭は,クーベルタンが1889年に渡米するようすから描かれる。先日した渡英と同様に,クーベルタンは何かに行き詰まると外国旅行をし,インスピレーションを受けてくるという。特に,次の引用のように,米国はクーベルタンのお気に入りになったようだ。「クーベルタンが精力的に書いた,アメリカを題材とした記事,アメリカ人読者に向けて書いた記事の数(およそ50)。「ある王党派共和主義者の物語」の舞台をアメリカに設定し自分の分身的人物をアメリカ人の娘と婚約させたこと。オリンピックにおけるアメリカ人選手たちの活躍を彼が我がことのように喜んだこと。そして,第三回オリンピックの開催権をアメリカに与えたこと。いずれを見ても,彼の「アメリカ熱」がいかに高かったかを物語っている。」(p.258)第五章は,クーベルタンが英国,そして米国から学んだスポーツ教育という思想を,オリンピック競技大会という具体的な実践に結実していくための影響が一つ一つ確認される。そして,当時ヨーロッパ最大のイベントであった万国博覧会もクーベルタンに大きな影響を与える。「また,厳密に証明することは不可能であるとしても,クーベルタンが古代スポーツをめぐる自らの思想を系統立てるために主要な情報源とし,ドイツ人によるオリンピア発掘の成果を知る媒体となったのがデュリュイの『ギリシア人の歴史』だったという可能性は,きわめて高いと私には思える。」(p.292)という引用から,古代オリンピックの復元を,そしてその先例としての試みがクーベルタン以前に存在する。いくつか引用をつぎはぎしよう。「近代オリンピックの真の原型が現われたのは,1830年代のスウェーデンにおいてである。その指導的立場にあったのは,ルンド大学のグスタフ・ヨハン・シャルタウ教授であり,1834年7月,教授はレムロサで「古代オリンピック大会を記念して」全スカンジナヴィア・スポーツ大会を組織した。」(pp.297-298)「クーベルタンはパリにおいて地方規模のスポーツ大会をいくつか組織しているが,それは基本的には,このより大きな目標に向けての土台作りだったのである。そして彼は,クルーゼの提唱する「定期大祭」のような「ローカルな忠誠心」を支持しなかった。」(p.303)「このギリシア・オリンピック競技会は,エヴァンゲロス・ザッパスという人物の発案によるものであった。・・・そこでザッパスは,王と政府に対し,スポーツ大会を産業見本市と組みあわせ定期的に開催することを提案した。見本市は実現しなかったが,「オリンピック競技会」の方は,ザッパスが費用を負担し,1859年にその第一回が開かれた。結果はあまりぱっとしたものではなかった。」(pp.305-306)第5章は以下のように締めくくられる。「要するに,「オリンピックの理念」は,四方八方からクーベルタンに向けて迫ってきていたのである。やがて彼に与えられることになる「改革者」という称号は,オリンピック大会復活のアイデアを思いついたことにではなく,その夢を現実にしたことに対して与えられるべきものなのである。」(p.309)
1896年の第1回オリンピック,アテネ大会については第7章で論じられ,第6章はそこに向けての組織づくりと大会準備にあてられる。クーベルタンは1890年に,サン=クレールという人物と共同で「フランス競技スポーツ競技連合(USFSA)」を結成する。最終的にこの組織がIOCと国際競技連盟(IF)へとつながっていく。「社会学者アルヴィン・グルドナーが指摘したように,ギリシア・スポーツとは,紀元前五世紀において都市に住むギリシア人の生活全体を支配していた,「競争」のパターンを好む性癖の,一つの表われにすぎないのである。」(p.347)少し後の次の引用のように,近代スポーツとなってその性質は普遍的なものを目指している一方で,本来のスポーツの在り方は土着的なものだったようで,オリンピック競技大会はその差異を巧妙に利用しているともいえる。「次にクーベルタンは,現代の体育教育における二つの流れを概観する。一方は体操派であり,スパルタから始まって,ナポレオンに敗北した後のプロシア,普仏戦争敗北後のフランス,南北戦争以後のアメリカへと続く。もう一方は「個人のためのスポーツ」を掲げる派で,アテネに始まり,アーノルドとキングスレー,ヨーロッパ・南米に広がったスポーツ・クラブ,そして「西欧の多くの有名なクラブに少しもひけをとらない」アテネのクラブへとつながる。クーベルタンの説くところによれば,前者は戦争の準備につながり,後者は平和を育む。」(p.373)この差異を普遍的なものに導いていくのに,ギリシアが重要な役割を果たす。「「ヘレニズム」はおそらく,パリ会議に集まった人々にとって,発展途上の近代スポーツ界につきまとっていた対立や派閥争いを,しばらくの間棚あげすることを可能にしてくれる,唯一の象徴・理念の集合体だったのである。」(p.348)
本書でマカルーンはメディア分析も行っている。「誕生のその瞬間から,オリンピックは新聞編集者にとって,報道体制をめぐる問題の種となってきたのである。」(p.350)そしてその特徴は,第1回から現代的な特徴をかなり有していた。第7章からの引用を先取りするが,つまりは1896年アテネ大会を忠実に再現するには当時の報道が重要である。「この大会のみならず,その後のすべてのオリンピック大会に現われることになる,膨大な量の通俗民族誌学的な国民性観察がここですでに始まっているわけである。」(p.431)「新聞,民話,諺,ゴシップの場合と同じく,文学がオリンピックのパフォーマンスを取り込む時も,多くの場合は通俗民族誌学を取り入れ,神話,歴史,文学,宗教上の,時には実に意外な種々なるモチーフを付け加えるのである。」(p.474)
話を第6章に戻すと,1894年にクーベルタンは「パリ国際スポーツ会議」を開催し,第1回のオリンピック競技大会は1900年にパリでオリンピックを復活させる計画であった。しかし,会議の審議中に4年前のアテネ開催が審議され,急遽決定したのだという。その後のギリシアの情勢のなかで,ギリシア側は大会開催の困難をクーベルタンに訴えてくるが,クーベルタンはギリシアを訪れ説得する。「オリンピックは有益にも有害にもなりうるが,危険を冒してみる値打ちは十分にある,というわけである。」(p.361)アテネでの開催が決定され,準備が進んでもヨーロッパ各国への選手招待に関しても問題が続出するが,この時にクーベルタンは動かなかったという。なんと,この時期にクーベルタンは妻を迎え,さらに「1895年から96年初頭にかけて,クーベルタンがもっとも精力を注いだのは,『第三共和制下のフランスの発展』の執筆である。」(p.407)マカルーンは,そんなクーベルタンの歴史研究についても随分ページを割いている。第7章は1896年アテネ大会について詳細な記述が続く。観戦客のほとんどはギリシア人だったが,外国選手の活躍にも称賛を送るような雰囲気もこの頃からあり,特に大会終盤で行われたマラソンの優勝者がギリシア人だったこともあり,開催を渋っていたギリシア政府であったが,大会終了後はこの大会はずーっとアテネで開催され続けるべきだと国王が言い出すこととなり,そこに居合わせた多くの人たちもこれに賛同する。もちろん,開催地を巡回させると計画していたクーベルタンにとって,それは許容できるものではない。「第二に,相当な数の外国人観光客が訪れなければ,ギリシアは大会の出費を賄えない恐れがある。」(p.493)などと,いくつか具体的なギリシア開催否定論を持っていたが,それに止まらず理念上もそのことは認められない。「愛国主義と国家主義を区別することこそ,オリンピズムおよびオリンピック運動のイデオロギー的側面に彼が与えた根本的な遺産である。」(p.511)結局,ギリシアはクレタ島をめぐてトルコと戦闘状態に入り,惨敗する。
本書の終盤はそのほとんどを書き留めておきたいと思うほど,濃厚な考察が続く。特に,後ほど長文の引用をするように,愛国主義,国家主義,国際主義,世界主義という当時のヨーロッパ人が幾重もの広がりを見せる世界観のなかで,クーベルタンが身につけ,オリンピック運動という形で広めようとしたものの考察がなされる。しかし,次の引用にあるように,1896年アテネ大会ではクーベルタンの理想の姿が見られたものの,その後においてはそうでもなかった。「1900年のパリ大会,1908年のロンドン大会において,クーベルタンは,オリンピック選手たちでも,ほかの選手たちに対し島国根性的,国家主義的な態度を示すこともあるのだという事実を,まざまざと見せつけられることになる。」(pp.515-516)
「モラスの言う「国際主義」とは,それぞれの国民の差異と分離を強調する多国間交流のことだった。クーベルタンはこれを,「世界主義」のカテゴリーの中にとり入れたわけである。むろんクーベルタンにとっても,真の国際主義とは,社会的・文化的差異の発見・体験があって初めて成立するものではあった。しかし彼から見れば,そうした国家間の差異は,人間と人間を隔て反発させあうものでは決してなく,その逆に,人間としての生き方の多様性として肯定されるべきものであった。そのような差異を認識することこそ,平和と友好への第一歩であり,彼がのちに言う「相互の敬意」への道なのである。こうした考え方に基づいて,クーベルタンは一つの哲学的人類学ともいえるべきものを築こうとしたが,結局彼は,それを完全に体系化することができずに一生を終えた。それは,一つには彼の思考力の散漫さが災いしたためであり(晩年の著作においては,「世界主義」「国際主義」といった基本的用語の使い方すら一貫性を欠いている),もう一つにはそのような作業に相応しい「文化」概念を彼が欠いていたからである。モラスとクーベルタンの終着点から出発し,愛国主義,国家主義,世界主義,国際主義という諸概念を,国民国家をめぐる一つの一貫した社会人類学の体系にまとめあげる作業が行われるには,マルセル・モースの出現を待たねばならなかったのである。だがいずれにせよクーベルタンは,文化的差異にもかかわらずではなく,文化的差異ゆえに普遍的存在としての「人類」が存在するのだ,という信念をますます強めていった。人類学者ルース・ベネディクトの言う「世界を差異が安住できる場にする」ことこそが「最良の国際主義」に課せられた任務である,という思いを深めていったのである。」(pp.523-524)
「クーベルタンや,彼を批判した多くの同時代人たちのような合理主義者には,現代の人類学者,社会思想家,そしておそらくは現代人の大半にとって常識となっている事実がついに理解できなかった。すなわちそれは,良かれ悪しかれ,人間の行動を左右するのは,多くの場合まさに型にはまった先入観や浅薄な偏見なのであり,しかも,子細に検討してみれば,そうした一見浅薄な見解も実は浅薄というにはほど遠い深さを持つことも多い,という事実である。」(p.526)
「「壮観(スペクタクル)という言葉は,すでに見たように,1896年のオリンピックのパフォーマンスの形容句として,直接その場に居あわせた人たちが繰り返し使っている言葉である。しかし,「スペクタクル」が文化的パフォーマンスの一ジャンルとして確立するのは,まだ先の話である。その根拠に,「壮観」という名詞の限定句として,「言葉にしがたい」という形容詞が再三再四用いられているという事実があげられる。あたかも,「スペクタクル」という言葉が表現している「もの」的な要素を否定し去るかのように。この時点において「スペクタクル」という言葉はまだ,純粋な「質」の表現,驚嘆の対象たる神々しさと華麗さの表現であって,パフォーマンスの主格的カテゴリーではなかった。そうなるのはオリンピックの歴史においてはもっとあとのことであり,より広範に見れば,西洋文化の歴史全体においてはさらにあとのことになる。」(pp.532-533)
「こののちオリンピックは,1900年,1904年の「大失敗」,1906年,1908年の過渡期的大会を経て,1912年と1924年の大成功を通過し,32年,36年にける成熟へという歴史を辿るわけだが」(p.533),「この16年間途絶えることのなかった,忍耐強い,決して英雄的とは言い難い尽力の数々こそが,「改革者」と呼ばれる権利を彼にもたらしたのである。」(p.540)
第7章の注31で,クーベルタンの世界主義と国際主義との区別が,ブーアスティン『幻影の時代』における旅行者と観光客の区別に類似していると指摘する(p.630)。
大学図書館で借用した本のため,読書記録のように引用箇所を記録しておくことがメインになってしまった読書日記ですが,前半の詳細な史実の整理が終盤で見事に融合され,人類学的なテーマとして論じられている,素晴らしい著作です。これまで私が読んできたオリンピック研究でももちろん本書に言及しているものは多いのですが,やはり随分過去の文献となってしまったからでしょうか,あまりきちんと紹介されていない気がします。私の論文でもあまり分量を使って紹介はできませんが,うまいこと本書の魅力を伝えたいものだ。

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現代オリンピックの発展と危機1940-2020

 

石坂友司 2018. 『現代オリンピックの発展と危機1940-2020――二度目の東京が目指すもの』人文書院,272p.2,500円.

 

日本でその研究歴のすべてをオリンピックにささげてきた人はそれほど多くない。1976年の著者はスポーツ研究が盛んで,オリンピック研究者も多い筑波大学の出身で,その研究歴の多くをオリンピックにささげてきた研究者だといえるかもしれない。オリンピックを総括できる本をこれまで,ゴールドブラット『オリンピック全史』,ボイコフ『オリンピック秘史』と外国のものを紹介してきたが,本書は日本の研究者が書いたという意味でもその特徴がある。とはいえ,3冊の著者いずれもが,都市への効果ということをテーマの一つとして持っているという点で,読むべき一冊。

はじめに
第一章 オリンピックの誕生と伝統の創造
第二章 日本におけるオリンピックの受容
第三章 オリンピックと政治――ボイコットの時代
第四章 オリンピックとアマチュアリズム
第五章 オリンピックと商業主義
第六章 オリンピックは本当に黒字を生むか
第七章 オリンピックと象徴的権力
第八章 オリンピックレガシーの登場
第九章 2020年東京オリンピックの行方
おわりに

本書にはフランスの社会学者ブルデューの名前がよく出てくる。第七章のタイトルに「象徴的権力」が用いられているが,ブルデュー理論が根底の一つにあるようです。また,私が唯一持っているブルデュー本『メディア批判』のなかに,「オリンピック――分析のためのプログラム」という補論があることを知る。読み直そう。
本書が『オリンピック全史』や『オリンピック秘史』と異なるのは,「近代スポーツの発展は近代オリンピックと密接な関係を築いている」(p.26)という言葉に示されているように,近代スポーツ史という広い文脈でとらえているところにある。この視点は1981年の『反オリンピック宣言』にもあったものだが,本書ではそれが学術的な議論を受けているので,議論がさらに深堀されている。特にアマチュアリズムなどについての議論は深いし,政治や商業主義についても,どちらが正しい的な主張ではなく,データも示しながら,これまでこうした出来事があり,こうした議論がなされてきたということを示しつつ,議論が展開する。
6章では財政的な検討もいくつかの大会の事例で詳細になされており,第7章ではレガシーの話に移行する。ここでは,都市開発についても英語文献にかなり言及する形で議論されている。こうして,改めて本書の内容を振り返ると大して目新しいことは書いていないような気もしてくるが,『オリンピック全史』や『オリンピック秘史』が英語圏の文献に依拠することで一部は似たような記述になっていたのに対し,本書は関連する日本語文献に依拠しているため,かなり違った記述になっているという印象は強かった。特に私がまだ読んでいなかった多木浩二『スポーツを考える』など,スポーツ論やスポーツ研究の日本における層の厚さを感じさせる一冊だった。

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オリンピック秘史

ボイコフ, J.著,中島由華訳 2018. 『オリンピック秘史――120年の覇権と利権』早川書房,333p.2,200円.

にも紹介しましたが,元サッカー選手であるスポーツ社会学者,ボイコフの単著が翻訳されました。とはいえ,ボイコフにはオリンピック関係の著書が他にもあり,タイトルを見るだけでは学問的に面白そうなものは本書以外にもあります。本書の原題は「Power Games: A Political History of the Olympics」です。早川書房から出ているということで,少し一般向けの色合いが強いものと想像されます。本書の文献表にはゴールドブラット『オリンピック全史』はないし,逆に『オリンピック全史』の方にもボイコフのいくつかの論文しか言及がないということは恐らく,同じ2016年に出版されたこの2つの著書は同時並行的に執筆されたものと思われる。翻訳に関しても同様で,1896年のローマ大会以降を扱っている点でも,特に19-20世紀にかけての記述は似ているところが多い。とはいえ,彼が他の著書のタイトルにも使用している「祝賀資本主義」については,第5章でもタイトルに用いているため,後半を期待して読んでみましょう。なお,早川書房からの出版ということで,原注が省略され(本文中の番号は残されています),ウェブでPDFをアップロードするという手段をとっています(なお,そのPDF40ページにわたります)。

はしがき
序章「オリンピック作戦」
1章 クーベルタンとオリンピック復活
2章 オリンピックにかわる競技大会の歴史
3章 冷戦時代のオリンピック
4章 オリンピックの商業化
5章 祝賀資本主義の時代
6章 2016年リオデジャネイロ夏季オリンピックの大問題
日本語版増補

前半はかなりゴールドブラット『オリンピック全史』と似たような記述が目立つ。おそらく、過去にさかのぼればさかのぼるほど、残された資料が少なくからだろうか。どちらの著者も過去の史料を自ら分析する歴史家ではないので、限られたオリンピック史家の仕事に依っているからだろう。とはいえ、強調の仕方はボイコフ独特なものは感じることができる。例えば、1904年のセントルイス大会は、この時代の他の大会と同様、万国博覧会との同時開催、よくいわれる表現では「万博の添え物」として捉えられる。しかし、ボイコフはここでオリンピック大会というよりは万博の一つのイベントとして開催された「人類の日」イベントについてページを割いている。当時の万博では、植民地主義的な意識が支配的で、植民地から現地人とその家屋とを会場に移設し、そこに見世物として住まわせていたというのが有名。一方、このイベントは、人種別の運動能力(今でも「身体能力」という表現で当時の人種観は息づいている)を測定するものだった。
また、4年に一度各地を巡回して開催するというクーベルタンの企図を無視して開催された1906年のアテネ大会の説明も比較的多い。正式にはこの大会を認めるか認めないかは意見が食い違うようだが、著者はそういう意味でもこの大会の意義を強調したいのかもしれない。そして、アスリートの扱いにも焦点を合わせているのは、著者自身がかつてオリンピック代表にも選ばれたサッカー選手だからかもしれないが、アスリートが必ずしもオリンピック競技大会の中心にあるわけではない。かなり早い段階から、というか初期の上流階級の親善大会から国別対抗の競争へと変わっていった段階で、アスリートは運営側のさまざまな意図に翻弄される存在であった。
2章は「オリンピックにかわる競技大会の歴史」というタイトルだが、もちろん「かわる」は「代わる」であり、代替的なスポーツイベントが論じられる。これはゴールドブラットも詳しく論じていたように、女子オリンピックや労働者オリンピックに関して説明があるが、章の後半に1932年ロサンゼルス大会、1936年ベルリン大会、戦後初めての1948年ロンドン大会が含まれているのは面白い。第3章からは、一般的に知られていることはあまり書かれない。もちろん、冷戦やアパルトヘイト、民族問題などがオリンピック大会のボイコットを生んできたことはよく知られているが、それがかなり詳細に描かれる。1963年にスカルノ大統領時代のインドネシアで開催された新興国競技大会(GANEFO)についても詳しい説明がある。
1976
年のモントリオール大会が巨額の負債を抱え込み、1984年ロサンゼルス大会で公的資金を投入しない大会が成功したことで商業化が進展していくことはよく知られるが、第4章以降では、まさにメガ・イベント化したオリンピックを相手に格闘する開催都市の様子が詳しく記述されている。1976年冬季大会(この頃は冬季大会は夏季大会と同じ年に開催されています)は米国コロラド州デンバーでの開催が予定されていたが、1972年に住民投票を行い、6割が反対票を投じ、撤回した。その後も、実はけっこう住民投票をやって、招致をとりやめた事例は多いがあまり知られていない。そして、多くのNOCは住民投票をすると反対が多くなる可能性は大きいことを知っていて、あえてやらないことは多いという。
ボイコフはナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』で提示された「惨事便乗型資本主義」という概念と対になる概念として「祝賀資本主義」という概念を提示する。さらにこれら二つに共通する特徴をアガンベンの「例外主義」で補強して,近年のオリンピックを解釈している。ボイコフは祝賀資本主義をタイトルに掲げる著書も書いているが,本書でも第5章でこの概念がかなり丁寧に解説されている。彼は日本スポーツとジェンダー学会から招待を受けて,シンポジウムにビデオメッセージを寄せたことがあり,その報告が翻訳されて学会誌に掲載されているが,本書の記述とかなり重なるものがあった。どうやら,同じような話をいろんなところで書ける人らしい。まあ,ともかくそうでなければ,まだ翻訳されていないその本を読まなければならなかったが,本書で詳しく説明されているので,ありがたい。祝賀資本主義とは,災害時の参事便乗型資本主義と対になり,特別な事情の際に,どこからともなくお金が出てくるというような事態。ここで注目すべきは,新自由主義という近年の多い流れにオリンピックも位置付けることができるが,民間資本の活用に大きな重点を置く新自由主義と異なり,オリンピックは非政府組織のIOCが主体となり,国や都市政府が登場して巨額をつぎ込む。これがある意味新自由主義とは相いれないながらも,現代の特徴である。新自由主義はグローバル化を促進するが,一方で近年の政治的風潮は保守主義的な,国民国家単位のナショナリズムをかりたてるものでもある。オリンピックというものもコスモポリタン的な理念を持ちながらもナショナリズムを基礎とするもので,新自由主義ですべてを説明することはできず,そこにこの祝賀資本主義という説明原理が必要となる。
5章以降,2008年北京大会以降の記述は,情報もたっぷりあることもあって,非常に手厳しい。とはいえ,冒頭にも書いてある通り,著者はオリンピックを頭ごなしに否定する学者ではない。元スポーツ選手であり,アスリートとしてこの祭典に参加する喜びを知っている。そんな著者だからこその,「改革への提言」が丁寧に記載されている。冒頭の一節のみ引用して終わりにしよう。「開催都市はこれまでずっとオリンピックのために働いてきた。そろそろオリンピックの方が開催都市のために働いてもいいころだ。」(p.291

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