書籍・雑誌

ネオアパルトヘイト都市の空間統治

宮内洋平 2016. 『ネオアパルトヘイトの空間統治――南アフリカの民間都市再開発と移民社会』明石書店,437p.6,800円.

とある研究集会で本書の著者と会った。飲み会の席で近くになり,彼の研究を全く知らないまま,いろんな話をさせてもらった。私自身は南アフリカについて大した知識もないが,オリンピック関係の論文を読む中で,ケープタウンが2004年夏季大会に立候補していたこと,2010年にサッカー・ワールドカップを開催したことなどを知っていたので,そんな話をさせてもらっていた。自宅に帰って調べると,本書がすでに3年前に出版されていて,しかも人文地理学会で賞を受賞していたことを知り,何も知らずに話をしていたことを恥じた。その場では,今度彼を報告者とした研究会の企画の話が進んでいたこともあり,本書を読んでその研究会に臨むことにした。

序章 自由の迷走
1章 南アフリカと新自由主義
2章 例外空間と構造的不正義
3章 アパルトヘイトとフォーディズム
4章 インナーシティの空間編成史
5章 ヨハネスブルグのクリエイティブ産業
6章 「光の都市」の誕生
7章 「闇の都市」に生きる移民
8章 「光の都市」のネオアパルトヘイト
9章 「光の都市」の社会工学
10章 「光の都市」の葛藤
終章 正義への責任のために

とても読み応えのある一冊でした。博士論文が基になっているということもあり,前半では理論的な議論が続く。第1章では南アフリカの現状を英文文献で概観し,「新自由主義時代の生権力論」と題し,フーコーの「生権力論」を,ハーヴェイやバウマン,ポランニーやアパデュライなどの議論を通じて現代的文脈で再解釈する。第2章はヨハネスブルグにおけるゲーテッド・コミュニティの現状を紹介しながら公共空間論へと展開し,アイリス・マリオン・ヤングの「構造的不正義」という本書の一つのキーワードにたどり着く。
3章では,南アフリカではアパルトヘイトが廃止された後も移民労働に頼っている現状が語られる。もともとヨハネスブルグは金鉱が発見されたことで多くの移民が集中してできた都市だという。アパルトヘイトが正式に成立したのは戦後の1948年だが,1994年に撤廃されるまで黒人にはろくな教育も与えられていなかったため,その時点で成人していた黒人たちは労働者としての最低限の技術も身につけていない人が多いという。民主化以降,南アフリカは経済成長をしていくが,その際に必要な労働力として黒人はあまり役に立たず,周辺諸国からの移民が必要な労働力を提供しているのが現状だという。アパルトヘイトが撤廃されても,資本主義の自由経済を優先する新自由主義的政策の下では,白人中心の企業経営に低賃金労働者の黒人という図式のもとで,アパルトヘイトと同様の状況が継続する。それをネオアパルトヘイトと呼ぶらしい。
4章ではヨハネスブルグのインナーシティの状況が歴史的にたどられる。ヨハネスブルグは金鉱でにぎわった都市なので,それなりの資本蓄積で,早くから高層ビルなどが立ち並んでいた。世界的な都市化→郊外化の流れに従って,白人の富裕層は都心を離れ,新都心と呼ばれる「サントス」という地区に移動し,企業の本社なども移動する。残された都心のビルは放置され,先ほど述べた近隣からの外国人労働者によるスクウォッティング,またはマフィアのような組織による乗っ取りが行われ,劣悪な環境で貧困層が所狭しと住まうという。黒人はもともと黒人地区として隔離されていた「タウンシップ」に隔離政策が終わった後も相変わらず住み,またかつて炭鉱などで働く単身黒人男性のために建てられた「ホステル」なる集合住宅に住み続けるという。民主化以降,政府はそうした黒人向けに大量の社会住宅を建設しているようだが,量的には足りていないという。そんなインナーシティを,政府は「都市改良地区」と定め,民間資本を利用して再開発を行っている。第5章ではそんな再開発で,リチャード・フロリダのいうクリエイティブ産業が一つの役割を果たしていることが紹介される。アート・フェスティバルが開催され,アーティストたちが住みつき,賑わいを見せ,他のイベントが模様され,複数の地区でクリエイティブ産業が立ち上がっていく。
6章では,そんな地区がいくつか紹介される。ニュータウン,ブラームフォンテイン,そして著者が集中的に調査したマボネンである。これまでにはほとんどなかったミニシアター系の映画館や小劇場,ギャラリー,ナイトクラブ,バーやカフェが立ち並ぶ。こうした地区に投資する起業家たちは,放置されたビルを買い取り,リノベーションし,オフィスを構え,さらなる起業家のためのシェアオフィスを作ったりする。まあ,いわゆるジェントリフィケーションですね。そのマボネンという地区は,リーブマンというユダヤ系の青年実業家がPT社という会社を立ち上げ,この地区をほぼ1社(子会社を含む)で再開発を進める。各地で再開発が進むとはいえ,ヨハネスブルグは相変わらず危険な都市であることは変わらないので,この地区は監視カメラや警備員を配置し,オフィスや住宅は入館警備を徹底する。そうすることで,この地区で働き,また遊びに訪れる者たちの安全を確保している。
7章では,そんなジェントリファイされたマボネン地区のすぐ近隣では,古い移民である南アジア人やアフリカ人が経営するさまざまな店舗が紹介される。それなりの技術を持って移民労働者としてやってくる外国人とかつてアパルトヘイトに苦しめられた南アフリカ人との間には不和がある。どこでも同じような状況だが,最下層の人たちは移民によって自分たちの職が奪われたという妬みがあるのだ。インナーシティではそんな下層民たちが独自に行うインフォーマル経済の様子が報告される。八百屋や床屋,パン屋や食堂など。南アフリカ共和国国土内に含まれるレソトという王国からやってくる移民の多くが廃品回収の担い手となっている。その廃品回収業者もインフォーマルとフォーマルとに分かれているとのこと。マージンを引かれて移民たちにどれほどのお金が渡るのだろうか。先述したホステルの様子も報告される。
8章ではマボネンを再開発しているリーブマンのPT社をめぐって,メディアなどに寄せられる批判とリーブマンの主張などが検討される。この辺りが日本とは異なり,健全な気がします。例えば,日本では森ビルという会社が,六本木や虎ノ門の再開発を次々と手掛けたが,かれらのやり方に対する表立った批判はあまり目にしていないと思う。多くの人はそのやり方に不満を抱いていると思うが,公の場でその是非を問うことはまずしない。そもそも,こうしたクリエイティブ産業地区に集うのは,人種を超えて高学歴の富裕層であるとのこと(ただし,他の改良地区ではこうした人種のミックスはほとんどないとのこと)でそうした議論が可能になるのだろう。その議論では「ジェントリフィケーション」という日本では学術研究者と一部のメディアしか使わないような言葉が日常的に使われる。そして,それはもちろん否定的な意味において。第9章では同じマボネンの話で,実際にかれらの再開発がこのかつては無秩序状態だったヨハネスブルグに何をもたらしたのか,ということが再検証される。少なくとも一部の人にとって,この地区は安全で健全な企業活動,文化活動ができる場所に「改良」された。しかし,それが故に今度はこの地区とその近隣地区との格差が明確になる。そして,第10章で論じられるように,整然とした一画に生まれ変わったマボネンだが,ある意味それはグローバル都市の仲間入りであり,アフリカの都市であるという土着性を失うことでもある。同時にその地区で活動するアーティストはそのことで自らのアイデンティティに対して疑念を抱くことにもなり,アフリカへの回帰,ないし再発明ということも起こってくる。ズーキンやスミスのジェントリフィケーション論をようやく私は学ぶようになったが,ひそかに抱いていた疑念があった。それはジェントリフィケーションを批判する研究者は,そこで排除の対象になるスラムや貧困者をどうしたいのかということが分からなかった。ホームレスとして生きるのも人権のうちなのか,衛生という思想は近代に生まれたものだが,不衛生という状態も存在する価値があるのか。経済発展が不要だという議論には賛成するのだが,生死の境を生きる最底辺の人々の生活はどうなのか。まあ,そういう論者は単なる開発の問題だけでなく,社会的な不平等を訴えているから,社会全体の問題が解決すれば貧困層の人々が減るのだろうかともかく,色々考えさせてくれる読書でした。

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オリンピックと近代

マカルーン, J.著,柴田元幸・菅原克也訳(1988a):『オリンピックと近代―評伝クーベルタン―』平凡社.MacAloon, J. J. (1981): This Great Symbol: Pierre de Coubertin and the Origins of the Modern Olympic Games, Illinois: The University of Chicago Press.

マカルーン編『世界を映す鏡』に収録された「近代社会におけるオリンピックとスペクタクル理論」を読んでから,本書も読むべきだと思い,非常勤先の大学図書館で借りて読み始めた。ポール・オースターの翻訳で知られる柴田元幸氏が手掛ける翻訳で,645ページに及ぶ大著。以前,本書を手に取って目次は見たことがあった。本訳書の副題通り本書はあくまで近代オリンピックの父であるクーベルタンの伝記であり,1896年の第一回アテネ大会で締めくくられているため,今更読む必要はないと考えていたが,読み始めてその考えは変わった。著者は米国でオリンピック代表選考にかかるくらいの陸上選手であったとのこと。1968年のメキシコ大会を目の当たりにして,自分はそこに選手としている場ではないと実感するとともに,そのひきこまれる魅力について理解したいと思い立ち,学問の世界に入ったという。彼が身を置いたのは人類学。上述の編著にも寄稿しているヴィクター・ターナーへの謝辞が本書にもある。人類学に入門しながらも博士論文で取り組んだのが本書。同じく,編著に寄稿し,謝辞に名前が挙がっている歴史家,ナタリー・ゼーモン・デーヴィスらが始めた民族誌学的歴史学の影響も大きい。ともかく,注釈の多い本書は丁寧に歴史を紡いだアカデミックな書である。
緒言
第一章 ラオコーン――悲劇の予感
第二章 貴族の家柄
第三章 アーノルドとの出会い――スポーツの発見
第四章 スポーツ教育
第五章 オリンピックの理念
第六章 近代オリンピックの誕生
第七章 仕掛けとしてのオリンピック――第一回アテネ大会
第八章 結び――オリンピックと近代
冒頭にボルヘスの「中国の地図制作者」についての解説がある。正確には「学問の厳密さについて」というタイトルで,岩波文庫『汚辱の世界史』に収録されたものだが,この1分の1の地図に関しては,ウンベルト・エーコやジャン・ボードリヤールも論じており,若林幹夫『地図の想像力』の冒頭を飾る議論でもある。本書でこの説話が取り上げられているのは,ミイラ取りのミイラのように,この巨大で複雑で多くの人を夢中にさせる魅力を持ったオリンピックというものを学問の対象として理解することは難しく,足を踏み入れようものなら客観性というアカデミックの足場を奪われてしまうということを言いたいがためである。著者はオリンピックの魅力を理解しようと,それに関する文献を漁るが,学術的な客観性,オリンピズム的価値観から中立な立場を有する文献には出会えなかったという。一方で,正当な学問はオリンピックという社会的に大きな影響を与えている現象に背を向けてきたのだという。それならば,ということで著者は学術界に転向した。
そして,「オリンピックという事業を興味深いものとしている性質,すなわちそのスケールや,複雑さや,意味の多様性こそが,総合的な研究を困難にしている」(p.12)という理解に至り,「この男(クーベルタン)について,その人生のドラマと生きた環境について理解することなしに,近代オリンピックの起源はもとより,その不変の「構造」を理解することもまた不可能である」(p.14)との観点から,まず手掛けたのがクーベルタンの伝記となったわけだ。第一章はその全体像を象徴するイコンとしてのラオコーンの存在が示される。第二章では,彼の家系図の復元から,19世紀ヨーロッパにおける家系図の社会的意義と貴族階級における近在的個人について論じられる。特に,彼の父親は画家として多くの作品をサロンに出品しており,その辺りの美術史的な考察も興味深い。ちょうど以前紹介したように同じ時代の画家クールベについていくつか本を読んでいたし,それこそその時代背景を描くハーヴェイの『パリ』も読んでいた。そうした歴史的含蓄のあるオリンピック研究は非常にまれであり,1981年に原著が出版された本書であるが,今読む意義も十分にある。若かりし頃のクーベルタンの思想に関しては,これまでの研究でほとんど取り上げられてこなかった偽名で発表された自伝的小説「ある王党派共和主義者の物語」を詳細に検討している。ちなみに,マカルーンは「意味の問題が20世紀の問題だとするならば,クーベルタンは本質的に19世紀から抜けだすことはなかった。」(p.27)と述べ,新しい近代イベントを生み出したクーベルタンをそのイベントの真意を理解できない古い人間とみなしている。
クーベルタンがなぜスポーツに目覚めたかということについては,これまで読んだ文献でも有体の説明があった。英国のパブリック・スクール教育を維新したとして知られるトマス・アーノルドに感化され,スポーツによる教育的効果によりフランスの軍隊をもっと強いものにできると考えた,という感じの説明だ。第三章はその辺りの事情を詳細に検討している。まず,クーベルタンは英国に渡るわけだが,これにも当時フランスから英国に渡る人が多かったことが確認され,そんなフランス人による報告のなかでもイポリット・テーヌという人物の『イギリス覚書』が詳細に検討される。実際にクーベルタンはアーノルドが校長だったラグビー校をはじめ,多くのパブリック・スクールを訪れたということだが,アーノルドについてもさまざまな資料を検討している。特に,クーベルタンが理解したアーノルドは,アーノルド本人ではなく,彼について書いているトマス・ヒューズの『トム・ブラウンの学校生活』とスタンレーの『トマス・アーノルドの生涯と書簡』という性質の異なる2冊の本がクーベルタンに影響を与えたという。
第四章は,クーベルタンが寄稿した雑誌の発行元である「社会経済協会」についての詳細な検討から始まり,その主宰者であるフレデリック・ル・プレという人物の思想のクーベルタンへの影響を検討する。クーベルタンの頭の中に漠然とあった「スポーツ」が具体的な形で社会変革の道具として形をなしていく。「国際的スポーツ活動を管理すべく彼が創り出すことになる国際オリンピック委員会も「非イデオロギー的」な組織をめざしたものであったが,そのモデルとされたのが,テーヌが称賛していたイギリスの「庇護」団体であり,政治学学校であり,社会経済協会-社会平和同盟であった。なかんずく協会の場合はIOCのすべての原則の先例となっている。」(p.190)クーベルタンは一時期,その政治学学校にも通っていたのだ。1880年代後半ころから,クーベルタンは積極的に自分の思想を表現するようになり,その思想を組織づくりという形にするようになる。「そして後年クーベルタンが主宰することになる諸団体の名簿には,医学者や,生理学者や,実験心理学者の名前はほとんど登場することがない。これはスポーツ組織と正統的な科学が袂を分かったことを象徴的に示している。このことが1950年代および60年代までの欧米スポーツ文化を特徴づけることになるのである。」(p.221)本書ではクーベルタンの同時代人として,進化論者のハーバート・スペンサーや社会学者のデュルケームなどを登場させるのも面白い。次の引用にあるように,クーベルタンが妄想するスポーツ教育をオリンピックという祝祭へと結びつけるのにヒントを与える人物が登場する。「だがクルーゼには,クーベルタンにそれまで欠けていたものがあった。すなわち,スポーツ競技の背景となるべき祝祭への興味である。クルーゼは,中世の学生の祭典である「定期大祭」の復活を呼びかけた。そして,この「学校の若者たちのための盛大な競技祭典」が1889年と90年の二度にわたって開かれたのである。」(p.228)
第五章の冒頭は,クーベルタンが1889年に渡米するようすから描かれる。先日した渡英と同様に,クーベルタンは何かに行き詰まると外国旅行をし,インスピレーションを受けてくるという。特に,次の引用のように,米国はクーベルタンのお気に入りになったようだ。「クーベルタンが精力的に書いた,アメリカを題材とした記事,アメリカ人読者に向けて書いた記事の数(およそ50)。「ある王党派共和主義者の物語」の舞台をアメリカに設定し自分の分身的人物をアメリカ人の娘と婚約させたこと。オリンピックにおけるアメリカ人選手たちの活躍を彼が我がことのように喜んだこと。そして,第三回オリンピックの開催権をアメリカに与えたこと。いずれを見ても,彼の「アメリカ熱」がいかに高かったかを物語っている。」(p.258)第五章は,クーベルタンが英国,そして米国から学んだスポーツ教育という思想を,オリンピック競技大会という具体的な実践に結実していくための影響が一つ一つ確認される。そして,当時ヨーロッパ最大のイベントであった万国博覧会もクーベルタンに大きな影響を与える。「また,厳密に証明することは不可能であるとしても,クーベルタンが古代スポーツをめぐる自らの思想を系統立てるために主要な情報源とし,ドイツ人によるオリンピア発掘の成果を知る媒体となったのがデュリュイの『ギリシア人の歴史』だったという可能性は,きわめて高いと私には思える。」(p.292)という引用から,古代オリンピックの復元を,そしてその先例としての試みがクーベルタン以前に存在する。いくつか引用をつぎはぎしよう。「近代オリンピックの真の原型が現われたのは,1830年代のスウェーデンにおいてである。その指導的立場にあったのは,ルンド大学のグスタフ・ヨハン・シャルタウ教授であり,1834年7月,教授はレムロサで「古代オリンピック大会を記念して」全スカンジナヴィア・スポーツ大会を組織した。」(pp.297-298)「クーベルタンはパリにおいて地方規模のスポーツ大会をいくつか組織しているが,それは基本的には,このより大きな目標に向けての土台作りだったのである。そして彼は,クルーゼの提唱する「定期大祭」のような「ローカルな忠誠心」を支持しなかった。」(p.303)「このギリシア・オリンピック競技会は,エヴァンゲロス・ザッパスという人物の発案によるものであった。・・・そこでザッパスは,王と政府に対し,スポーツ大会を産業見本市と組みあわせ定期的に開催することを提案した。見本市は実現しなかったが,「オリンピック競技会」の方は,ザッパスが費用を負担し,1859年にその第一回が開かれた。結果はあまりぱっとしたものではなかった。」(pp.305-306)第5章は以下のように締めくくられる。「要するに,「オリンピックの理念」は,四方八方からクーベルタンに向けて迫ってきていたのである。やがて彼に与えられることになる「改革者」という称号は,オリンピック大会復活のアイデアを思いついたことにではなく,その夢を現実にしたことに対して与えられるべきものなのである。」(p.309)
1896年の第1回オリンピック,アテネ大会については第7章で論じられ,第6章はそこに向けての組織づくりと大会準備にあてられる。クーベルタンは1890年に,サン=クレールという人物と共同で「フランス競技スポーツ競技連合(USFSA)」を結成する。最終的にこの組織がIOCと国際競技連盟(IF)へとつながっていく。「社会学者アルヴィン・グルドナーが指摘したように,ギリシア・スポーツとは,紀元前五世紀において都市に住むギリシア人の生活全体を支配していた,「競争」のパターンを好む性癖の,一つの表われにすぎないのである。」(p.347)少し後の次の引用のように,近代スポーツとなってその性質は普遍的なものを目指している一方で,本来のスポーツの在り方は土着的なものだったようで,オリンピック競技大会はその差異を巧妙に利用しているともいえる。「次にクーベルタンは,現代の体育教育における二つの流れを概観する。一方は体操派であり,スパルタから始まって,ナポレオンに敗北した後のプロシア,普仏戦争敗北後のフランス,南北戦争以後のアメリカへと続く。もう一方は「個人のためのスポーツ」を掲げる派で,アテネに始まり,アーノルドとキングスレー,ヨーロッパ・南米に広がったスポーツ・クラブ,そして「西欧の多くの有名なクラブに少しもひけをとらない」アテネのクラブへとつながる。クーベルタンの説くところによれば,前者は戦争の準備につながり,後者は平和を育む。」(p.373)この差異を普遍的なものに導いていくのに,ギリシアが重要な役割を果たす。「「ヘレニズム」はおそらく,パリ会議に集まった人々にとって,発展途上の近代スポーツ界につきまとっていた対立や派閥争いを,しばらくの間棚あげすることを可能にしてくれる,唯一の象徴・理念の集合体だったのである。」(p.348)
本書でマカルーンはメディア分析も行っている。「誕生のその瞬間から,オリンピックは新聞編集者にとって,報道体制をめぐる問題の種となってきたのである。」(p.350)そしてその特徴は,第1回から現代的な特徴をかなり有していた。第7章からの引用を先取りするが,つまりは1896年アテネ大会を忠実に再現するには当時の報道が重要である。「この大会のみならず,その後のすべてのオリンピック大会に現われることになる,膨大な量の通俗民族誌学的な国民性観察がここですでに始まっているわけである。」(p.431)「新聞,民話,諺,ゴシップの場合と同じく,文学がオリンピックのパフォーマンスを取り込む時も,多くの場合は通俗民族誌学を取り入れ,神話,歴史,文学,宗教上の,時には実に意外な種々なるモチーフを付け加えるのである。」(p.474)
話を第6章に戻すと,1894年にクーベルタンは「パリ国際スポーツ会議」を開催し,第1回のオリンピック競技大会は1900年にパリでオリンピックを復活させる計画であった。しかし,会議の審議中に4年前のアテネ開催が審議され,急遽決定したのだという。その後のギリシアの情勢のなかで,ギリシア側は大会開催の困難をクーベルタンに訴えてくるが,クーベルタンはギリシアを訪れ説得する。「オリンピックは有益にも有害にもなりうるが,危険を冒してみる値打ちは十分にある,というわけである。」(p.361)アテネでの開催が決定され,準備が進んでもヨーロッパ各国への選手招待に関しても問題が続出するが,この時にクーベルタンは動かなかったという。なんと,この時期にクーベルタンは妻を迎え,さらに「1895年から96年初頭にかけて,クーベルタンがもっとも精力を注いだのは,『第三共和制下のフランスの発展』の執筆である。」(p.407)マカルーンは,そんなクーベルタンの歴史研究についても随分ページを割いている。第7章は1896年アテネ大会について詳細な記述が続く。観戦客のほとんどはギリシア人だったが,外国選手の活躍にも称賛を送るような雰囲気もこの頃からあり,特に大会終盤で行われたマラソンの優勝者がギリシア人だったこともあり,開催を渋っていたギリシア政府であったが,大会終了後はこの大会はずーっとアテネで開催され続けるべきだと国王が言い出すこととなり,そこに居合わせた多くの人たちもこれに賛同する。もちろん,開催地を巡回させると計画していたクーベルタンにとって,それは許容できるものではない。「第二に,相当な数の外国人観光客が訪れなければ,ギリシアは大会の出費を賄えない恐れがある。」(p.493)などと,いくつか具体的なギリシア開催否定論を持っていたが,それに止まらず理念上もそのことは認められない。「愛国主義と国家主義を区別することこそ,オリンピズムおよびオリンピック運動のイデオロギー的側面に彼が与えた根本的な遺産である。」(p.511)結局,ギリシアはクレタ島をめぐてトルコと戦闘状態に入り,惨敗する。
本書の終盤はそのほとんどを書き留めておきたいと思うほど,濃厚な考察が続く。特に,後ほど長文の引用をするように,愛国主義,国家主義,国際主義,世界主義という当時のヨーロッパ人が幾重もの広がりを見せる世界観のなかで,クーベルタンが身につけ,オリンピック運動という形で広めようとしたものの考察がなされる。しかし,次の引用にあるように,1896年アテネ大会ではクーベルタンの理想の姿が見られたものの,その後においてはそうでもなかった。「1900年のパリ大会,1908年のロンドン大会において,クーベルタンは,オリンピック選手たちでも,ほかの選手たちに対し島国根性的,国家主義的な態度を示すこともあるのだという事実を,まざまざと見せつけられることになる。」(pp.515-516)
「モラスの言う「国際主義」とは,それぞれの国民の差異と分離を強調する多国間交流のことだった。クーベルタンはこれを,「世界主義」のカテゴリーの中にとり入れたわけである。むろんクーベルタンにとっても,真の国際主義とは,社会的・文化的差異の発見・体験があって初めて成立するものではあった。しかし彼から見れば,そうした国家間の差異は,人間と人間を隔て反発させあうものでは決してなく,その逆に,人間としての生き方の多様性として肯定されるべきものであった。そのような差異を認識することこそ,平和と友好への第一歩であり,彼がのちに言う「相互の敬意」への道なのである。こうした考え方に基づいて,クーベルタンは一つの哲学的人類学ともいえるべきものを築こうとしたが,結局彼は,それを完全に体系化することができずに一生を終えた。それは,一つには彼の思考力の散漫さが災いしたためであり(晩年の著作においては,「世界主義」「国際主義」といった基本的用語の使い方すら一貫性を欠いている),もう一つにはそのような作業に相応しい「文化」概念を彼が欠いていたからである。モラスとクーベルタンの終着点から出発し,愛国主義,国家主義,世界主義,国際主義という諸概念を,国民国家をめぐる一つの一貫した社会人類学の体系にまとめあげる作業が行われるには,マルセル・モースの出現を待たねばならなかったのである。だがいずれにせよクーベルタンは,文化的差異にもかかわらずではなく,文化的差異ゆえに普遍的存在としての「人類」が存在するのだ,という信念をますます強めていった。人類学者ルース・ベネディクトの言う「世界を差異が安住できる場にする」ことこそが「最良の国際主義」に課せられた任務である,という思いを深めていったのである。」(pp.523-524)
「クーベルタンや,彼を批判した多くの同時代人たちのような合理主義者には,現代の人類学者,社会思想家,そしておそらくは現代人の大半にとって常識となっている事実がついに理解できなかった。すなわちそれは,良かれ悪しかれ,人間の行動を左右するのは,多くの場合まさに型にはまった先入観や浅薄な偏見なのであり,しかも,子細に検討してみれば,そうした一見浅薄な見解も実は浅薄というにはほど遠い深さを持つことも多い,という事実である。」(p.526)
「「壮観(スペクタクル)という言葉は,すでに見たように,1896年のオリンピックのパフォーマンスの形容句として,直接その場に居あわせた人たちが繰り返し使っている言葉である。しかし,「スペクタクル」が文化的パフォーマンスの一ジャンルとして確立するのは,まだ先の話である。その根拠に,「壮観」という名詞の限定句として,「言葉にしがたい」という形容詞が再三再四用いられているという事実があげられる。あたかも,「スペクタクル」という言葉が表現している「もの」的な要素を否定し去るかのように。この時点において「スペクタクル」という言葉はまだ,純粋な「質」の表現,驚嘆の対象たる神々しさと華麗さの表現であって,パフォーマンスの主格的カテゴリーではなかった。そうなるのはオリンピックの歴史においてはもっとあとのことであり,より広範に見れば,西洋文化の歴史全体においてはさらにあとのことになる。」(pp.532-533)
「こののちオリンピックは,1900年,1904年の「大失敗」,1906年,1908年の過渡期的大会を経て,1912年と1924年の大成功を通過し,32年,36年にける成熟へという歴史を辿るわけだが」(p.533),「この16年間途絶えることのなかった,忍耐強い,決して英雄的とは言い難い尽力の数々こそが,「改革者」と呼ばれる権利を彼にもたらしたのである。」(p.540)
第7章の注31で,クーベルタンの世界主義と国際主義との区別が,ブーアスティン『幻影の時代』における旅行者と観光客の区別に類似していると指摘する(p.630)。
大学図書館で借用した本のため,読書記録のように引用箇所を記録しておくことがメインになってしまった読書日記ですが,前半の詳細な史実の整理が終盤で見事に融合され,人類学的なテーマとして論じられている,素晴らしい著作です。これまで私が読んできたオリンピック研究でももちろん本書に言及しているものは多いのですが,やはり随分過去の文献となってしまったからでしょうか,あまりきちんと紹介されていない気がします。私の論文でもあまり分量を使って紹介はできませんが,うまいこと本書の魅力を伝えたいものだ。

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現代オリンピックの発展と危機1940-2020

 

石坂友司 2018. 『現代オリンピックの発展と危機1940-2020――二度目の東京が目指すもの』人文書院,272p.2,500円.

 

日本でその研究歴のすべてをオリンピックにささげてきた人はそれほど多くない。1976年の著者はスポーツ研究が盛んで,オリンピック研究者も多い筑波大学の出身で,その研究歴の多くをオリンピックにささげてきた研究者だといえるかもしれない。オリンピックを総括できる本をこれまで,ゴールドブラット『オリンピック全史』,ボイコフ『オリンピック秘史』と外国のものを紹介してきたが,本書は日本の研究者が書いたという意味でもその特徴がある。とはいえ,3冊の著者いずれもが,都市への効果ということをテーマの一つとして持っているという点で,読むべき一冊。

はじめに
第一章 オリンピックの誕生と伝統の創造
第二章 日本におけるオリンピックの受容
第三章 オリンピックと政治――ボイコットの時代
第四章 オリンピックとアマチュアリズム
第五章 オリンピックと商業主義
第六章 オリンピックは本当に黒字を生むか
第七章 オリンピックと象徴的権力
第八章 オリンピックレガシーの登場
第九章 2020年東京オリンピックの行方
おわりに

本書にはフランスの社会学者ブルデューの名前がよく出てくる。第七章のタイトルに「象徴的権力」が用いられているが,ブルデュー理論が根底の一つにあるようです。また,私が唯一持っているブルデュー本『メディア批判』のなかに,「オリンピック――分析のためのプログラム」という補論があることを知る。読み直そう。
本書が『オリンピック全史』や『オリンピック秘史』と異なるのは,「近代スポーツの発展は近代オリンピックと密接な関係を築いている」(p.26)という言葉に示されているように,近代スポーツ史という広い文脈でとらえているところにある。この視点は1981年の『反オリンピック宣言』にもあったものだが,本書ではそれが学術的な議論を受けているので,議論がさらに深堀されている。特にアマチュアリズムなどについての議論は深いし,政治や商業主義についても,どちらが正しい的な主張ではなく,データも示しながら,これまでこうした出来事があり,こうした議論がなされてきたということを示しつつ,議論が展開する。
6章では財政的な検討もいくつかの大会の事例で詳細になされており,第7章ではレガシーの話に移行する。ここでは,都市開発についても英語文献にかなり言及する形で議論されている。こうして,改めて本書の内容を振り返ると大して目新しいことは書いていないような気もしてくるが,『オリンピック全史』や『オリンピック秘史』が英語圏の文献に依拠することで一部は似たような記述になっていたのに対し,本書は関連する日本語文献に依拠しているため,かなり違った記述になっているという印象は強かった。特に私がまだ読んでいなかった多木浩二『スポーツを考える』など,スポーツ論やスポーツ研究の日本における層の厚さを感じさせる一冊だった。

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オリンピック秘史

ボイコフ, J.著,中島由華訳 2018. 『オリンピック秘史――120年の覇権と利権』早川書房,333p.2,200円.

にも紹介しましたが,元サッカー選手であるスポーツ社会学者,ボイコフの単著が翻訳されました。とはいえ,ボイコフにはオリンピック関係の著書が他にもあり,タイトルを見るだけでは学問的に面白そうなものは本書以外にもあります。本書の原題は「Power Games: A Political History of the Olympics」です。早川書房から出ているということで,少し一般向けの色合いが強いものと想像されます。本書の文献表にはゴールドブラット『オリンピック全史』はないし,逆に『オリンピック全史』の方にもボイコフのいくつかの論文しか言及がないということは恐らく,同じ2016年に出版されたこの2つの著書は同時並行的に執筆されたものと思われる。翻訳に関しても同様で,1896年のローマ大会以降を扱っている点でも,特に19-20世紀にかけての記述は似ているところが多い。とはいえ,彼が他の著書のタイトルにも使用している「祝賀資本主義」については,第5章でもタイトルに用いているため,後半を期待して読んでみましょう。なお,早川書房からの出版ということで,原注が省略され(本文中の番号は残されています),ウェブでPDFをアップロードするという手段をとっています(なお,そのPDF40ページにわたります)。

はしがき
序章「オリンピック作戦」
1章 クーベルタンとオリンピック復活
2章 オリンピックにかわる競技大会の歴史
3章 冷戦時代のオリンピック
4章 オリンピックの商業化
5章 祝賀資本主義の時代
6章 2016年リオデジャネイロ夏季オリンピックの大問題
日本語版増補

前半はかなりゴールドブラット『オリンピック全史』と似たような記述が目立つ。おそらく、過去にさかのぼればさかのぼるほど、残された資料が少なくからだろうか。どちらの著者も過去の史料を自ら分析する歴史家ではないので、限られたオリンピック史家の仕事に依っているからだろう。とはいえ、強調の仕方はボイコフ独特なものは感じることができる。例えば、1904年のセントルイス大会は、この時代の他の大会と同様、万国博覧会との同時開催、よくいわれる表現では「万博の添え物」として捉えられる。しかし、ボイコフはここでオリンピック大会というよりは万博の一つのイベントとして開催された「人類の日」イベントについてページを割いている。当時の万博では、植民地主義的な意識が支配的で、植民地から現地人とその家屋とを会場に移設し、そこに見世物として住まわせていたというのが有名。一方、このイベントは、人種別の運動能力(今でも「身体能力」という表現で当時の人種観は息づいている)を測定するものだった。
また、4年に一度各地を巡回して開催するというクーベルタンの企図を無視して開催された1906年のアテネ大会の説明も比較的多い。正式にはこの大会を認めるか認めないかは意見が食い違うようだが、著者はそういう意味でもこの大会の意義を強調したいのかもしれない。そして、アスリートの扱いにも焦点を合わせているのは、著者自身がかつてオリンピック代表にも選ばれたサッカー選手だからかもしれないが、アスリートが必ずしもオリンピック競技大会の中心にあるわけではない。かなり早い段階から、というか初期の上流階級の親善大会から国別対抗の競争へと変わっていった段階で、アスリートは運営側のさまざまな意図に翻弄される存在であった。
2章は「オリンピックにかわる競技大会の歴史」というタイトルだが、もちろん「かわる」は「代わる」であり、代替的なスポーツイベントが論じられる。これはゴールドブラットも詳しく論じていたように、女子オリンピックや労働者オリンピックに関して説明があるが、章の後半に1932年ロサンゼルス大会、1936年ベルリン大会、戦後初めての1948年ロンドン大会が含まれているのは面白い。第3章からは、一般的に知られていることはあまり書かれない。もちろん、冷戦やアパルトヘイト、民族問題などがオリンピック大会のボイコットを生んできたことはよく知られているが、それがかなり詳細に描かれる。1963年にスカルノ大統領時代のインドネシアで開催された新興国競技大会(GANEFO)についても詳しい説明がある。
1976
年のモントリオール大会が巨額の負債を抱え込み、1984年ロサンゼルス大会で公的資金を投入しない大会が成功したことで商業化が進展していくことはよく知られるが、第4章以降では、まさにメガ・イベント化したオリンピックを相手に格闘する開催都市の様子が詳しく記述されている。1976年冬季大会(この頃は冬季大会は夏季大会と同じ年に開催されています)は米国コロラド州デンバーでの開催が予定されていたが、1972年に住民投票を行い、6割が反対票を投じ、撤回した。その後も、実はけっこう住民投票をやって、招致をとりやめた事例は多いがあまり知られていない。そして、多くのNOCは住民投票をすると反対が多くなる可能性は大きいことを知っていて、あえてやらないことは多いという。
ボイコフはナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』で提示された「惨事便乗型資本主義」という概念と対になる概念として「祝賀資本主義」という概念を提示する。さらにこれら二つに共通する特徴をアガンベンの「例外主義」で補強して,近年のオリンピックを解釈している。ボイコフは祝賀資本主義をタイトルに掲げる著書も書いているが,本書でも第5章でこの概念がかなり丁寧に解説されている。彼は日本スポーツとジェンダー学会から招待を受けて,シンポジウムにビデオメッセージを寄せたことがあり,その報告が翻訳されて学会誌に掲載されているが,本書の記述とかなり重なるものがあった。どうやら,同じような話をいろんなところで書ける人らしい。まあ,ともかくそうでなければ,まだ翻訳されていないその本を読まなければならなかったが,本書で詳しく説明されているので,ありがたい。祝賀資本主義とは,災害時の参事便乗型資本主義と対になり,特別な事情の際に,どこからともなくお金が出てくるというような事態。ここで注目すべきは,新自由主義という近年の多い流れにオリンピックも位置付けることができるが,民間資本の活用に大きな重点を置く新自由主義と異なり,オリンピックは非政府組織のIOCが主体となり,国や都市政府が登場して巨額をつぎ込む。これがある意味新自由主義とは相いれないながらも,現代の特徴である。新自由主義はグローバル化を促進するが,一方で近年の政治的風潮は保守主義的な,国民国家単位のナショナリズムをかりたてるものでもある。オリンピックというものもコスモポリタン的な理念を持ちながらもナショナリズムを基礎とするもので,新自由主義ですべてを説明することはできず,そこにこの祝賀資本主義という説明原理が必要となる。
5章以降,2008年北京大会以降の記述は,情報もたっぷりあることもあって,非常に手厳しい。とはいえ,冒頭にも書いてある通り,著者はオリンピックを頭ごなしに否定する学者ではない。元スポーツ選手であり,アスリートとしてこの祭典に参加する喜びを知っている。そんな著者だからこその,「改革への提言」が丁寧に記載されている。冒頭の一節のみ引用して終わりにしよう。「開催都市はこれまでずっとオリンピックのために働いてきた。そろそろオリンピックの方が開催都市のために働いてもいいころだ。」(p.291

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オリンピックと東京改造

川辺謙一 2018. 『オリンピックと東京改造――交通インフラから読み解く』光文社,244p.800円.

東京オリンピックに伴う交通インフラの整備に関する知識をつけようと読んだ,光文社新書の一冊。著者は私と同い年の交通ライターとのこと。オリンピックにはそもそも関心はないが,東京の交通が1964年大会と大きく関連すると語られることが多いのに違和感を抱き,調べ始めたとのこと。まあ,交通に関する具体的な事実を学問的に突き詰めるとなると,それがいつ誰がどのような経緯で決定したのかということのチマチマした話になってしまうが,あまり丁寧に根拠を示さず,すっきりとまとめられています。

序章 プレイバック1964
1章 巨大都市を生んだ都市改造史
2章 五輪とレガシー
3章 1940年大会・幻の五輪
4章 1964年大会・初の五輪
5章 2020年大会・再起の五輪
6章 これからの東京と交通

本書には,ある都市計画家の議論を借りて,東京という都市を人体にたとえ骨格や循環期間が未発達なまま肥大化したと語られている。1か所では,名古屋や大阪と比べ,とまで書かれている。しかも,その根拠は計画されている道路の完成率のようなものだ。では,その何十年前に計画された道路が整備されていれば,東京に交通問題はないのだろうか。まず,著者の都市の捉え方に疑問を抱く。
結論としては,1964年大会はたまたま戦後の大規模なインフラ整備計画と時期が重なり,大会開催に向けてお金が出たり,若干の計画変更があったり,工事を急いだりしたことがあったが,オリンピックのために交通が整備されたわけではない。また,そういう事情や,時代背景の違いなどからも,2020年大会に1964年大会と同様の期待をするのは間違っているということになります。まあ,基本的な事実や,コラムで示された過去のオリンピックの負の遺産,つまり今は放置され朽ち果てていく競技会場の写真が掲載されているのはありがたかった(ネットで調べればすぐに出てくるらしいが)。

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グローバル・シティー・リージョンズ

スコット, A. J.編,坂本秀和訳 2004. 『グローバル・シティー・リージョンズ――グローバル都市地域への理論と政策』ダイヤモンド社,365p.,4,800円.Scott, A. J. eds. 2001. Global City-Regions. Oxford: Oxford University Press.

 

本書の著者は地理学者である。世界都市をめぐる議論としては,同様に地理学者によって組織された会議の記録である,ノックス&テイラー『世界都市の論理』が1995年に出版され,日本語訳が地理学者も参加して鹿島出版会から1997年に出版されている。一方,本書は原著が2001年に出版され,翻訳家によりダイヤモンド社から2004年に出版されている。本書は『世界都市の論理』ほど明確に国際会議の体をなしているわけではないようだが,第2部は「グローバル都市地域学会」(p.32)での会議講演とされている。その登壇者は経営コンサルタントという肩書の大前研一,世界銀行総裁のウォルフェンソン,そしてカナダ・ケベック州知事のブシャールという面々なので,それなりの規模の大きい学術会議が開かれたと思われる。とはいえ,訳者あとがきもなく,詳しいところは分からない。会議自体は1999年に開催されたようす。

第1部 序論
 第1章 グローバル都市地域(スコット, A. J.・アグニュー, J.・ソージャ, E. W.・ストーパー, M.)
第2部 グローバリゼーションと都市地域の発展に関する実際的問題について:三者による本会議講演
 第2章 グローバル経済から地域に繁栄を呼び寄せるには(大前研一)
 第3章 世界銀行とグローバル都市地域:貧困層に手を差し伸べる(ウォルフェンソン, J. D.)
 第4章 グローバル都市地域の時代のケベック(ブシャール, L.)
第3部 グローバル都市地域は新しい地理的現象か?
 第5章 21世紀のグローバル都市地域(ホール, P.)
 第6章 グローバル都市とグローバル都市地域:その比較(サッセン, S.)
 第7章 グローバル都市地域の経済的役割と空間的矛盾:機能・認識・進化の側面から(カマーニ, R.)
 第8章 グローバル時代における都市間ネットワーク(フリードマン, J.)
第4部 グローバル都市地域の競争優位
 第9章 地域、そして競争の新しい経済学(ポーター, M. E.)
 第10章 北米の地域国家としてのオンタリオとグローバル都市地域としてのトロント:NAFTAの挑戦に応える(クーシェイン, T. J.)
第5部 アジアのグローバル都市地域:政治的、経済的課題
 第11章 都市間の競争と経済的弾力性の問題:グローバリゼーションとアジアの危機(ダグラス, M.)
 第12章 都市地域の地位再考:経済危機後の韓国(キム, W. B.)
第6部 グローバル都市地域の新たな集団秩序
 第13章 統治する都市と地域:グローバル時代における地域的再編(キーティング, M.)
 第14章 シリコンバレーの教訓:グローバル都市地域における統治(ヘントン, D.)
 第15章 地域の統治と対立の管理:ブラジルのクラスターから映し出されるもの(シュミッツ, H.)
第7部 結び:環境問題
 第16章 発展途上のグローバル都市地域における環境の持続可能性とサービス(パナトヨウ, T.)

第1章は米国の地理学者4人によって書かれているが,目新しいことは書いていない。本書はやはりこれまで提示されていた世界都市(world city)でも,グローバル・シティ(global city)でもなく,最後に「地域」とついているのが地理学者によるこだわりだと思うが,第1章にそれに関して突っ込んだ議論はない。なぜだか,第3部に入って一応地理学者ともいえると思うが,英国のホールや,グローバル・シティの提唱者サッセンが,この概念について議論をしている。それはまた詳しく見ることとして,第2部は各人によるそれほど長くない講演である。大前研一は当時出版された新著『新・資本論』の宣伝が中心で,タイトルに掲げられた問いには答えていない。それにしても,恐るべき自信家だ。第3章は,世界銀行の総裁ってそんなこともしてるんだ,という感じで世界各地の貧困地区を訪れ,話を聞いたということが報告されている。かれらは生きる力があり,「斬新な考え」(p.53)を持っており,少し手を差し伸べるだけでその能力を発揮するという。ケベック州知事の講演はとても短いが,それでもこれだけ教養のある知事を羨ましく思う。東京都知事も猪瀬や舛添など,教養人だったはずだが,その教養が都政に活かされていたとは思えない。
第3部では,まずフリードマン以前に「世界都市」概念を使っていたピーター・ホールによる第5章。フリードマン以降,ノックス&テイラー『世界都市の論理』,そしてテイラーらが参加したGaWCに続く研究に言及し,それらのデータを使いながら世界都市ランク的な話を展開し,21世紀の新しい都市の形態について論じています。第6章は『グローバル・シティ』のサスキア・サッセンが自分が論じたグローバル都市の考え方について整理しつつ,本書で提起されている「グローバル都市地域」という概念との比較をしている(のでしょうか?)。『グローバル・シティ』はロンドン,ニューヨーク,東京に関してさまざまなデータを用いてその類似性や彼女のグローバル都市の定義に合致することを根拠づけているが,一方でフリードマンが主張していたような都市間ネットワークという観点は希薄である。しかし,確かに当書では都市間競争よりも都市間の補間や協働という側面を強調していた気がする。本書で提起されるグローバル都市地域という考え方は,フリードマンの都市間ネットワークを含みつつも都市内ネットワークも包括する概念である。とはいえ,やはりサッセンは自分の議論が正しかったことを強調していますね。第7章のカマーニという人物はミラノ工科大学の教授ということですが,グローバル都市の認識論的側面,象徴的存在という議論が面白いです。特に,p.120に提示された図7.2は,グローバル都市の役割と題し,空間的論理を領土的アプローチとネットワーク・アプローチに,認識論的論理を機能的アプローチと象徴的アプローチに二分し,4つの象限に分類しています。タイトルにある「空間的矛盾」については通勤と不動産についてデータを示しながら論じていますが,イマイチ分からず。第8章にはフリードマンが登場します。彼は「都市地域」を「機能的に統合された地域という意味で使っている」(p.142)としています。そして「統治」という側面をここでは強調し,その主体が国家に限らず超国家的組織,また回国家的な自治体,都市政府などの役割を示しています。なぜか事例として「黄海地域共同区」の事例を挙げています。
本書の特徴は、都市の問題を都市単体としてではなく、地域としても捉えることにあり、そこに地理学者たちによるこだわりがあるのだと思う。とはいえ、地域という言葉は地理学者の専売特許ではないし、むしろ場所とか空間なども使う地理学者に対し、地域という言葉はコミュニティと置き換え可能な形で社会学者がこれまでよく使っていた概念でもある。なので、本書に寄稿した研究者はさまざまな分野の人のようだが、その辺りがこれまでの都市関係論集とは少し異なった特徴を有している。
第9章の著者マイケル・ポーターは翻訳書もある経済学者ということだ(『競争戦略論』ダイヤモンド社、1999年)。この章ではクラスターという概念を強調している。経済学者は都市間競争といっても、実際には都市に所在する企業間の競争にすぎない、と考えることも多い。しかし、著者はそれは企業単体ではなく、ある業種の企業であれば、その関連企業や下請け企業などが関連したクラスターを都市内で形成しているという。第10章の著者トマス・クーシェインはカナダの経済学者とのこと。この章ではトロントというカナダの都市を取り上げるが、カナダという連邦国家のなかの、オンタリオ州の州都ということで、オンタリオ州を地域国家ととらえ、トロントに関しても、行政上の都市としてだけでなく、グレーター・トロント・エリア(GTA)としても捉える必要がある。さらにアメリカ合衆国と五大湖を挟んで接しているこの地域においては、トロントという都市は、バッファローやデトロイトといった合衆国の都市との関連性が強い。ということで、単なる都市の経済だけでなく、さまざなま公的機関の政策が関わっている。
本書を含む近年の都市論の特徴は、数十年前のこうした議論は国際的といえども欧米中心であったが、欧米以外の地域を無視できない状況がある。本書の出版時点ではまだ中国の発展はまだまだだったが、第5部はアジアが取り上げられている。第11章の著者マイケル・ダグラスは日本研究者らしく,日本の話題がちょくちょく出てくる。とはいえ,この章は日本のみの話ではなく,東アジア,東南アジアについて,特に1990年代後半の経済危機について説明し,その後の復興を企業の合併・吸収を代表とする金融的戦略として示している。大阪がさまざまな巨大プロジェクトに手を出して危機に陥ったという話もあります(2008年のオリンピック招致も含む)。第12章は韓国の研究者による韓国の話題。
第6部に入って,統治の問題が議論される。第13章はよく覚えていないが,「制度分析」なるものが登場する。これは「近年における新たな流行としてもてはやされており」(p.291)とあるが,原語が示されておらず,何のことだか分からない。マニュエル・カステルのことも「キャステルス」などと表記されていて,少し翻訳に疑問が残る。第14章は米国シリコン・バレーの事例,第15章はブラジルの靴産業クラスターの事例で分かりやすい。第7部は最後の部だが,第16章のみで,しかも環境問題に特化していて本書のなかでは少し異質な感じ。とはいえ,途上国の都市発展に欠かせない話題であり,基本的な知識は提供してくれる。編者によるまとめもなく,訳者あとがきもない。少し尻切れトンボ感のある読書でした。

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オリンピック全史

デイビッド・ゴールドブラット著,志村昌子・二木夢子訳 2018. 『オリンピック全史』原書房,467p.4500円.Goldblatt, D. 2016. The Games: A Global History of the Olympics. London: Macmillan.

原書房は私が翻訳で参加した『現代地政学』の出版元であり,地理学書も多く出している。そんな出版社がオリンピック関連本を出すなんてビックリ。著者は「スポーツライター,社会学者」とされているが,これまでオリンピック関連文献を読む中で名前を見たことはなかった気がする。しかし,読み始めると2000年以降の研究を多く参照していて,まさに網羅的なオリンピック史といえそうだ。

1章 壮大にして有益な仕事 オリンピックの復興
 1896年アテネ大会
2章 最高の楽しみ ベル・エポック末期のオリンピック
 1900年パリ大会,1904年セントルイス大会,1908年ロンドン大会,1912年ストックホルム大会
3章 ライバル登場 1920年代のオリンピックと挑戦者たち
 1920年アントワープ大会,1924年パリ大会,1928年アムステル大会
4章 イッツ・ショータイム! オリンピックというスペクタクル
 1932年ロサンゼルス大会,1936年ベルリン大会,1940年東京大会(中止)
5章 スモール「ワズ」ビューティフル 戦後オリンピックの失われた世界
 1948年ロンドン大会,1952年ヘルシンキ大会,1956年メルボルン大会
6章 イメージは残る スペクタクルとアンチ・スペクタクル
 1960年ローマ大会,1964年東京大会,1968年メキシコ大会,1972年ミュンヘン大会
7章 崩壊 破産,ボイコット,アマチュアリズムの終焉
 1976年モントリオール大会,1980年モスクワ大会,1984年ロサンゼルス大会,1988年ソウル大会
8章 ブーム! 冷戦後のグローバリゼーション
 1992年バルセロナ大会,1996年アトランタ大会,2000年シドニー大会,2004年アテネ大会
9章 南へ 新しい世界秩序のなかのオリンピック
 2008年北京大会,2012年ロンドン大会,2016年リオデジャネイロ大会
終章
リオデジャネイロから再び東京へ

オリンピックの研究を始めたとはいえ,オリンピックそのものには個人的な関心はなく,IOCという組織について,オリンピック憲章について,過去のオリンピックの経緯について,そういう詳細に詳しくなったわけではない。むしろ,そういう記述を読むのは苦痛である。ただ,本書はそういういわゆる歴史記述のなかにも重要な事柄が散りばめられていて,比較的読みやすい。
まずは第1章だが,近代オリンピックの父といえばクーベルタンである,というのは私でも知っている常識。しかし,古代ギリシアのオリンピックの復興というのはそれ以前から何度も行われていたという。クーベルタンはそのうちの一つにすぎず,たまたま現代まで継続しているものの創始者が彼であっただけの話だ。第2章は第1次世界大戦前の状況で,オリンピックが万国博覧会の添え物としてひっそりと行われていたということはよく知られるが,クーベルタン自身のかかわりなどの詳細が記される。
3章はそのタイトルに示されているが,オリンピックへの挑戦者と表現されているが,要はオルタナティブとしての各種競技大会が登場した時代としてまとめられている。近代オリンピックの初期の頃は,上流階級の男性によるたしなみであり,アマチュアリズムという原則があった。つまり,労働者や女性,プロスポーツ選手などはオリンピック競技大会からは排除されていたということだ。本書で紹介される第一のものは,1919年に開催された連合国の兵士たちによる競技大会である。同じ年にはFSFSF(フランス女子スポーツクラブ連盟)が発足し,1921年にモンテカルロで「国際女子競技大会」が,翌年には「女子オリンピック」と称して競技大会が開催される。次のオルタナティブはIOC内部のものだが,ウィンター・スポーツの導入が始まり,1924年にはフランスのシャモニーで第1回冬季大会が開催される。そして極めつけが労働者オリンピック。こちらも1920年に設立されたSWSI(社会主義労働者スポーツ・インターナショナル)という組織(1930年代には400マ万人のメンバーをかかえていたという!)によって1925年に第1回労働者オリンピックが,本家よりも大きな規模で開催されたという。
4章は1932年ロサンゼルス大会から始まります。多くの歴代オリンピックの整理では1936年ベルリン大会で新しい段階に入ったとされることが多いです。この大会はナチスドイツによって政治的に利用された大会として有名です。スタジアムも含め多くの施設が計画的に作られ,聖火リレーがはじまり,国家元首が開会式に登場し,みたいな今にもつながるひな型のいくつかがこの大会で作られました。しかし,本書では1932年ロサンゼルス大会と1936年ベルリン大会には多くの共通性があるといいます。それは,後の1980年モスクワ大会,1984年ロサンゼルス大会が冷戦時に続いて米ソで開催された大会がボイコット合戦になったように,第2次世界大戦を前に2つの大国で続けて開催されたことの意義を強調しようという意図があるのかもしれません。1932年ロサンゼルス大会では,「国歌が流れ,3段の表彰台が置かれるメダル授与式」,「選手村の創設」(p.137)が始まった。1936年当時のドイツやソ連はオリンピックを国家事業と捉え,公的資金を大量に投入しますが,米国はそうではありません。できるだけ民間投資を促していくというのはこの頃からの伝統のようです。このころから問題になるのが人種問題です。黒人アスリートの参加が増えていき,かれらは一定の成果をあげますが,その待遇はひどく,まさに利用されていたという形。この章では,1940年の「幻の東京大会」についても記載されています。
5章は戦後の貧しい時期に行われた大会が,比較的小規模で開催されていました。1956年のメルボルン大会は初めての南半球での開催ですが,本書ではメルボルンという都市の歴史も簡単にたどってくれています。第6章で1960年代に入っていきますが,このころからオリンピックが大規模化し,さまざまな問題が噴出してきます。1960年ローマ大会ではテレビ中継が始まり,お金や競技,都市の整備に至るまでテレビを中心に変化していきます。1964年東京大会は初めてのアジアでの開催ですが,国の首都を開催地とすることで多額の公的資金を投入し都市基盤を作っていくというのは,1988年ソウル大会,2008年北京大会のモデルとなり,もう半世紀以上のことであるにもかかわらず,招致をもくろむ途上国のモデルとして未だに希望を与えている。ちなみに本書はほとんどが英語で書かれた文献資料に基づいていますが,1964年東京大会についてもそこそこ研究がなされているようです。1968年メキシコ大会は,陸上で金メダルを獲得した米国の黒人選手によるメダル授与式におけるパフォーマンスが有名だが,それ以前のことも重要です。1968年といえば学生運動を始めとする既存の体制に対する抵抗運動が盛んでしたが,メキシコでも同様,オリンピックを直接の矛先としたさまざまな運動があったようです。それを国家権力が死者も出す形で鎮圧し,あたかもそんなことがなかったかのように大会が行われたとのこと。冬季大会も徐々に規模を大きくし,今日でもよく知られるように,特に負の遺産を残す伝統がこのころから作られます。
7章は冷戦期の大会について。1976年モントリオール大会は巨額な負債を抱え込んだことで有名です。カナダは英語圏と仏語圏との政治的な争いが長らくありますが、その辺りについても詳しく解説されています。1980年モスクワ大会と1984年ロサンゼルス大会はボイコット合戦で有名ですが、本書ではロサンゼルス大会の商業主義よりも政治的対立に焦点を合わせています。そして、商業主義という言葉ではなく、「自由主義の大義名分」(p.285)と表現しています。そういう意味でも、1984年ロサンゼルス大会におけるスポンサー契約も重要です。1988年ソウル大会も、米ソ冷戦構造のなかで語られます。「もともと権威主義だった韓国は巨大な国家ぐるみの開発機構に衣替えし、奇跡的とも言えるほどの急速な工業化が実現した。」(p.294)とう歴史の延長にオリンピック招致が位置付けられています。
8章はグローバル化の文脈に位置づけられ、またIOC会長サラマンチ時代として特徴づけられます。章の冒頭に彼について一節設けられ、次の節は「新しい批判勢力」と題され、1960年代の抵抗勢力、1970-80年代の政治的対立によるボイコットに次いで、1990年代は組織的腐敗や都市の過剰開発、環境保護といった観点から批判勢力が登場します。しかし一方では、1992年バルセロナ大会が成功例として、後のオリンピックなどのメガイベントを利用した都市開発のモデルとされ、1996年アトランタ大会は1984年ロサンゼルス大会に続いて民間資本をうまく利用し、2000年シドニー大会は環境に配慮した大会として語り継がれることになる。もちろん、本書ではバルセロナ大会におけるカタルーニャの問題、アトランタ大会における貧困問題、シドニー大会における先住民族の問題などを論じています。そして、明らかな失敗事例として記憶も新しい2004年アテネ大会と同じ時代区分にされていることが著者なりに解釈だといえましょう。ただ、以前こちらで紹介したCOHREの報告書によれば、アテネ大会ではロマ族の排除が強調されていましたが、本書ではそのことには一切触れていません。
9章で扱う2006年以降は,2008年北京大会,2016年リオデジャネイロ大会,2014年ソチ大会と,BRICS諸国のうち,インドを除く3国を含んでおり,「新しい世界秩序」時代のオリンピックと位置付けています。特に北京大会とソチ大会は多額の公的資金を投入した大会であり,また北京大会においてはチベットの問題,ソチ大会においてもチェチェンの問題など,国内の少数民族の問題が大きく取りざたされました。リオデジャネイロは巨額の公的資金を投入できなかったが故に,大会運営はどうにかしのいだものの,都市開発に関しては大きく問題を積み残しました。2012年ロンドン大会に関しては,中心的な開発地域が貧困層や移民たちが住みつく地区であったことは問題とされていますが,比較的成功した先進国の事例とされています。しかし,やはり本書では厳しい指摘がなされ,章を追うごとに厳しさを増しています。2014年ソチ大会については「プーチンのオリンピック」と題した節が設けられていますが,前半は2010年バンクーバー大会における反オリンピック運動について説明されます。これについては既に紹介したボイコフという研究者による研究を情報源にしていますが,突如何の前触れもなく,バンクーバー大会からソチ大会に話題が変わります。
本書の原著は2016年出版ですが,短い終章で2018年平昌大会について少し触れ,その後に「リオデジャネイロから再び東京へ」と題された文章が書かれています。あまり2020年東京大会には触れられていません。本書には訳者あとがきはありませんが,最後の方でこの著者が2014年にブラジルのサッカーの歴史に関する本を出していることがわかります。最後の言葉を引用して終わりにしましょう。「IOCとは経験的なエビデンスも一般の人々の苦情も受け付けない組織であり,秘密裏に運営され,空想のなかで取引する集団だ。もしかすると,オリンピック・ムーブメントはまたも,現代という時代に適合するために十分なしなやかさと活発さを有していることを証明したのかもしれない。」(p.426

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創造的都市

チャールズ・ランドリー著,後藤和子監訳 2003. 『創造的都市――都市再生のための道具箱』日本評論社,372p.3,600円.Landry, C. 2000. Creative City: A Toolkit for Urban Innovators. London: Earthscan Publication LTD.

 

本書の入手は困難である。まず,Amazonの古書で入手しようと思ったが,法外な値段がつけられていて断念した。非常勤先の図書館で借りようと思ったが,禁帯出になっていた。こうした一般書が禁帯出になることは基本的にないと思うが,経営学部も有するこの大学では借りる学生が多いのだろうか。最終手段として,近隣の公共図書館で検索したところ,調布市立図書館に所蔵があり,借りて読むことにした。日本語訳は2003年で,日本評論社から出ているが,出版部数が少なかったのだろうか?ともかく,返却しなくてはならない本なので,書き込みもできないし,少し詳細にコツコツ書き留めておこう。(単なるメモ程度で,文章にはなっていません。あしからず)
本書の原著は2000年とのこと。参考文献を見てみると,Bianchiniという共同研究者との共著で同名タイトルの『The Creative City』なるものが1995年に出版されている。他にも,この人を第一著者とした共著を他にも出している。1996年にはさらに3人の共同執筆者とともに『The Creative City in Britain and Germany』なる本もあり,「創造的都市」という発想は少し前からあることが分かる。また,著者は地理学者のピーター・ホールとの共著で1997年に『Innovative and Sustainable Cities』なる本も出している。
ランドリーの著書は他に日本語になっていないが,同様にクリエイティビティを主張するリチャード・フロリダの著書の多くは翻訳されており,その2者の議論の関係性,似ているところと違うところなどを見極めなくてはならない。ランドリーはイギリス人で上述のように,1990年代半ばから「創造的都市」を提唱している。一方,「創造的階級」を提唱するフロリダはアメリカ人で,『クリエイティブ・クラスの台頭』の出版は2002年であり,1990年代から著書はあり,ランドリーと同様にイノベーションに関するテーマで書いている。

1部 都市の問題推移
 第1章 都市の創造性の再発見
 第2章 都市問題,創造的な解決
 第3章 新しい思考
2部 都市創造性への原動力
 第4章 創造的都市への転換
 第5章 創造的都市の基盤
 第6章 創造的な環境
3部 都市創造の概念的道具
 第7章 創造性を作り出す計画をはじめよう
 第8章 都市における創造性の再発見
 第9章 創造的な過程を評価し,持続する
4部 創造的都市を超えて
 第10章 創造的都市とその彼方

本書の冒頭で著者は「文化」の役割を強調している。「文化は,ある場所が固有であり特有のものであることを示す一連の資源である」(p.8)と述べ,文化遺産,文化資源,文化資産というような概念を多用している。「都市計画家の仕事は,責任をもってこれらの資源を認識し管理し開発することである。」(p.8)や,「われわれはまた,都市のセンスを,色,音,臭いそして視覚的表現から検討し,年の競争力を作り出すことができる相互扶助や組織のネットワーク,社会的行事を含む広い範囲を採用した。」(p.8)と述べる。
イノベーションに関する研究は古い。おそらく著者もその研究から徐々に創造性へと関心を移していったと思われるが,「しかし,創造性を定義しようとすればするほど,わからなくなる。混乱と限定がすべての結論とともに現れる。創造性と革新は継ぎ目なく織り交ぜられている。」(p.17)と書いているように,この2つの概念は連続的にとらえられているようだ。そして,「創造性は目的ではなく行程であり,状態ではなくプロセスである」(p.15)などと論じている。創造性の概念も心理学や経営において研究が進んでいたようだが,著者がそれを都市に関する議論に展開する。
フロリダはその著書の中で(特に『クリエイティブ都市経済論』),多くの統計的分析をしている。「ゲイ指標」などをその都市のクリエイティビティを示す指標として用いるわけだが,かなり量的な把握によって,総体的な観点から創造的階級が議論されている。それに対し,ランドリーはかなり質的な議論で,総体として捉えるのではなく,個々の事例から,個人・組織の話としてクリエイティビティを論じている。「創造的な人々なしで,創造的な会議や創造的な組織を持つことはできない。同様に,創造的な組織なしで創造的な環境――それは,創造的な人々,プロセス,アイディア,成果が相互作用する舞台装置であるが――はあり得ない。このような革新的な環境を確立することが,創造的都市の主要な挑戦である。」(pp.16-17)と,個人のスケールから都市のスケールまでの因果関係を規定する。
都市に関しては,グローバル化に伴って都市間のネットワークが形成されていくという,都市システム的な理解をしている。そのネットワークは「移民性のパターンに根ざしている」(p.25)といい,都市間競争のなかにもニッチがあり,都市は互いに競争しつつ,補完しあっているという。著者は個人の経験を重視している。ハーヴェイの都市企業家主義という議論は新自由主義の下で近年よく語られるが,ランドリーは旧来の「都市経営者」(p.29)について,その弊害を語る。個々の役人も創造性を有しているが,お役所仕事ではそれが発揮されず,そのまま都市計画に反映される。「都市はブランドであ」(p.34)り,知識や情報が重要であり,それは現代のコミュニケーション・ネットワークで急速に流通するが,でもやはりフェイス・トゥ・フェイスの重要性を指摘している。この辺りの理解も経済地理学の最近の議論を読むとちょっと古い気もする。P.36の表題には「都市主義」とあるが,これはアーバニズムの訳だろうか,本文には登場せず,p.49には定訳の「都市的生活様式」という表記もある(ただ,単純にurban life styleのような語かもしれない)。「排除の地政学」(p.43)なんて言葉も使っていて,意外と都市問題に関する議論も含まれています。「高級化」(p.41)とあるのはジェントリフィケーションのことだろうか。
「都市の魅力に市場性を持たせる」(p.53)には文化地理学者などに参加してもらう必要があるという。ピーター・ホールの「革新的都市」(p.56)についても言及され,「認知地理学」(p.66)なる語も何度か登場します。以前にも出てきましたが,「都市の隠喩」(p.90)について,機械的な理解から,生物学に依拠する有機的なものに移行すべきだと主張する。「文化の多様性の受容」(p.82)という観点はフロリダと近いですね。そのうえで,「市民的創造性」(p.82)を強調します。創造性を持った主体が行動を起こすことで,平凡な都市が創造的都市へと変わるわけですが,その主体のリーダーシップが必要です。しかし,このリーダーは唯一無二ではだめで,更新できる資源であり,脱人格化が必要だといいます(p.84)。つまり,持続可能であることも重要です。持続可能性もランドリーのテーマの一つですね。行動する主体全てに創造性は必要ではなく,リーダーに従うハートナーシップは従順な人がいいのでしょうか。そうした組織の創造性の事例としてはいくつかのグローバル企業(スターバックスなど)が挙げられ,それらに対して積極的な評価をしているようです(pp.90-91)。
4章から徐々にヨーロッパの諸都市における事例の話が増えてきますが,冒頭の英国ハダズフィールドの事例で紹介されるのが,EUによる革新的な都市を競うコンペティションです。3年間で300万ドルの支援をうけられるといいますが,そういうのが1997年にあったようです。こことヘルシンキの事例は理解できましたが,段々事例の話ばかりになるとヨーロッパに詳しくない私にはよくわからなくなってしまいました。第4章の結論辺りで,著者の社会観が記されています。「多様性を讃えること,固有性を維持すること,そして創造性を利用すること」(p.107)によって寛容な社会となるということです。社会の寛容性を重視するところはフロリダと同じですね。
5章に入り,「よそ者」(p.139)と「内輪の者」(p.140)の議論があります。都市のよそ者についてはジンメルも論じていますし,地理学者レルフもインサイド/アウトサイドという議論があります。移民を含むよそ者が地域に刺激を与えるが,内輪の者が培った地域での知識も重要で,「正しい均衡」(p.140)が重要だということですね。第6章のテーマである「創造的環境とは,それがビルディング群であれ,都市の一部であれ,それとも都市全体や,地域であれ,要するに一つの場所のことである。」「一つの物質的な条件設定」(p.168)であるといいます。その都市基盤にはハード面とソフト面があります。
本書の訳者は「文化経済学」の第一人者ですが,本書でも文化産業が重視されています。とはいえ,ホルクハイマー&アドルノのような批判的な意味ではもちろんありません。米国では文化産業における雇用は10%以上を占めるという(ヨーロッパでは5%程度)。「文化的な創造性と技術的な創造性との融合」(p.176)という表現からは,先述した創造性とイノベーションの概念のつながりと関係します(ただ,訳文では革新という言葉とイノベーションという表記もあり,別物かもしれません)。「経済的な創造力」(p.179)という表現もあります。
p.180
ではホールを引用しながら「永遠に創造的でいることは可能か?」と問う。創造性というのは静態的でなく動態的だとしたうえで,それを持続する必要性を訴える。ズーキンには言及していないが,「ロフト・リビング」(p.182)の語も見られる。本書では一貫して従来の都市計画を批判しているが,「開発における文化の役割が再評価されることとなった」(p.183)としている。こちらもハーヴェイへの言及はないが,「企業家主義」(p.183)や「企業家精神」(p.184)について書き,「場所のマーケティング」(p.195)やブランド化についての議論もある。都市の創造性の一側面として景観も捉えており,有名建築家の公共施設の存在を肯定的にとらえている。もちろん,多様な人が集まる都市において創造性が生まれるという発想は一貫しており,「ディベート,民主主義,構想(visioning)」の重要性を説く。
「自覚的でわかりやすい,都市の創造性と革新に関する政策などはめったにあるものではない」(p.197)と述べ,創造的都市の達成は意図して必ずなされるものではないという。「創造性は,必要性や欠乏,衰退,闘争の帰結,リーダーシップの変化,社会的・政治的変化,パラダイム転換の台頭などを通じて生まれた」(p.200)という複雑性も語る。「全体的な(holistic)考え方とは,多様な角度,あるいは学際的なやり方をこえる,よりふみこんだ物事の考え方である」(p.205)と全体的な(俯瞰的な)見方についても肯定的にとらえている。p.208には都市の創造性のための7つの領域を示す。1.市民的創造性,2.都市創造性のサイクル,3.イノベーションと創造性のライフサイクル,4.都市のR&D(研究開発),5.イノベーションの基盤(matrix),6.活力と生命力,7.都市のリテラシー。「メタ都市学体系」なる語も登場し,文化地理学による洞察だという。
インターネットによる近年の通信技術も肯定的にとらえている著者だが,「私は「非空間的都市領域」への移行は不可避なものだとする観念に挑戦する。あるいはその領域を地理学や都市を運命付ける資源への近接性というものを欠いたものと単純に捉える考え方に挑戦する。」(p.207)と述べ,先にフェイス・トゥ・フェイスも重視していたが,場所の重要性は保持している。p.210では著者独自の考え方ではないが「SWOT分析」なるものを説明する。Sは長所,Wは短所,Oは好機,Tは脅威だという。
都市を有機体として捉える見方も本書を痛感しており,「都市の遺伝子暗号に創造性を組み込もうという広範な目的」(p.215)について語る。文化の強調も繰り返し登場し,「文化と創造性」(p.216),危険な企てとはいいつつ「文化計画」(p.217)について語り,「文化空間美術館,ギャラリー,劇場の文化施設」(p.217)の重要性を強調する。先のディベート云々に加えて,他人の議論を参照して「ブレイン・ストーミング,マインド・マッピング,創造的分類パック,シネクティクス」(p.222)などの言葉を列挙し,「都市想像力ネットワーク」(p.232)なるものの存在を強調する。
「スラム街の形成,古い都市建造物の大規模破壊,都市の民族構成の多様性の無視」(p.250)を悪い実践と位置づけ,「それらはしばしば無知やものぐさから生じる」とする。「創造性とイノベーションを強制的に推進させることはできるか?」(p.253)との問いはやはり否定的な語り口で,答えはノーであり,「マンフォードやリンチやジェイコブズ」(p.255)を組み合わせれば完璧な都市思想ができるのか,とこれまた否定的に語る。「オリンピックを契機とする,バルセロナの突出した都市再生」(p.277)という記述を見つけました。「都市を再生可能な資源のように動かしていく都市エネルギー」(p.281)という表現も有機体的な都市の捉え方を示しています。「創造的都市,それは定義からして反射的に(注:おそらくreflexiveの訳)学習する都市である」(p.301)と述べ,有機体としての都市は自己組織化されるもののようです。「つまり,創造的都市は,みずからの独自の評価に対する責任をとることで学習する」(p.303)のだそうです。創造的都市は単体としてではなく,「・協調的:他の都市との接触,・競争的,・共同的:共同学習を通じて知識を共有,・内部的:組織内に広める」(p.271)というように,他の都市との関係性のなかで成立します。IT技術を利用した都市の創造性に関するデータベース化構想について肯定的に語ると土肥宇治に否定的にも捉えています(p.276)。先に書いた,アーバニズムはp.310では()つきで「都市的生活様式」で訳されています。そして先ほど出てきた「都市リテラシー」と一緒に語られます。「都市のリテラシーとは都市を「読む」能力と技術」(p.310)としていますが,これはルフェーヴルやバルトのような記号論的意味合いではなく,リンチ的意味合いでしょう。この後に,カルチュラル・スタディーズの重要性についても論じられています。
さらに7つの領域。1.価値の創造と価値の複雑化,2.ハードウェア的解決からソフトウェア的解決へ,3.少ない手持ちで多くのものを,4.文化を渡り歩いて生きる,5.さまざまな見通しを評価する,6.旧いものと新しいものを想像豊かに結びつける,7.学習する都市。p.331では多文化主義の重要性を主張しながら,さらに文化間主義(inter-culturalism)の考え方が必要だといいます。最後になりますが,p.337で紹介されているパッツィ・ヒーレイなる人の1997年の著作『Collaborating Planning』が気になりました。ちょっと調べたら,日本人でも紹介している人がいました。ちょっと調べてみましょう。

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都市革命

アンリ・ルフェーヴル著,今井成美訳 1974. 『都市革命』晶文社,275p..Lefebvre, H. 1970. La Revolution Urbaine. Paris: Gallimard.

 

ルフェーヴルのことを知ったのはいつだったか。本書は大学院時代に読んだ。正確に何年かは思い出せないが,中島弘二氏が私の在籍していた東京都立大学に集中講義でやって来た時に,何となく事業に持参したのを覚えている。しかし,ルフェーヴルの『空間の生産』が英訳されたのが確か1991年で,当時助手として在籍していた島津俊之氏に英訳本を見せてもらったような気もするし,そこそこ話題になっていたような記憶もある。ただ,やたらと『空間の生産』ばかりがもてはやされるのが気に入らず,1970年代に翻訳された他の本を読んでは引用していた。『都市革命』については,1996年の『地理』に掲載した甲斐バンド論文で「都市的なるもの」概念の説明で言及している。2001年に『地理学評論』に掲載した田沼武能論文では,『マルクス主義』と『言語と社会』に言及した。同じ2001年に『理論地理学ノート』に掲載した室内写真論文では『日常生活批判序説』を取り上げている。とはいえ,「ルフェーブル」と誤記して引用しているのが恥ずかしい。こう書いてみると,どうやらルフェーヴルを読んだのは本書がはじめらしい。かなり刺激的な読書であったが,今読み返すとどうであろうか。

第一章 都市から都市社会へ
第二章 盲域
第三章 都市現象
第四章 レベルと次元
第五章 都市的なるものの神話とイデオロギー
第六章 都市形式
第七章 都市戦略にむけて
第八章 都市計画の幻想
第九章 都市社会
第十章 結論

前半を読んでみると,やはり難解な書である。大学院時代より知識は増えたはずだが,その知識の蓄積により読解がより容易になるような印象はない。逆に,当時は雲をつかむような現代思想書をよく読んでいたので,その難解さが快感だったりしたが,最近読んでいるものが明白な論旨がある,あるいは結論に導かれるようなものが多いために,こうした文章はストレスになったりする一方で,なんだか懐かしい気分にもなる。巻末には,「〈国=語〉批判の会」による「『都市革命』のためのいくつかのテーゼ」という解説的文章が寄せられているが,そこに本書における著者の方法についても書かれているが,「方法論としての体系化をめざさない」(p272)とあり,納得してしまう。なお,本書ではその方法を「転法トランスダクション」と名付けている。通常近代科学的な方法といえば帰納法と演繹法だが,そのどちらでもない第三の方法ということになる。そういうと,パースのアブダクションが思い浮かぶが,その対比も面白そうだ。
ちなみに,『都市への権利』に引き続き主たるテーマである「都市的なるもの」は,実は「都市生活」の略語であることを知る。日本語では「都市生活」の方がコンパクトではあるが。そして,本書後半に進むと,徐々に論旨が絞られてくるようにも思う。やはり私の印象に間違いはなく,『都市への権利』よりも徹底的に都市計画批判が繰り広げられるのだ。『都市への権利』の紹介では,ルフェーヴルの都市論が政治経済よりも文化象徴を強調しているが,本書ではしっかりと政治経済が論じられている。そして,私は私なりのルフェーヴル読書から1974年の『空間の生産』の異質性を感じていたのだが(その分厚さといい,整然とした理路といい),本書にはしっかりとこの本を予告させる空間生産論が簡潔にだが展開されていた。そして,この後のハーヴェイの詳細な研究へとつながる不動産に関する話なども盛り込まれている。結局,本書を読んでも「都市革命」なるものが一義的に理解できるわけではない。この革命は産業革命のように,社会の変化として理解すべきものであると同時に,フランス革命のように都市への権利を求める主体による社会の転覆をも意味するようだ。ともかく,何度でも読み直せる(できればフランス語で読めるようになった方がいいのだろう)刺激的な書だ。

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We Own The City

以下の文章は『地理学評論』に「書評」として投稿した内容だが,加筆・修正を要求された。面倒くさいので,再投稿はやめて,こちらに掲載して終わりにします。


ミアッツォ, F.・キー, T.編,石原 薫訳:We Own The City
――世界に学ぶ「ボトムアップ型の都市」のつくり方.フィルムアート社,2015年,303p.3,000円.Miazzo, F. and Kee, T. eds. 2014. We Own the City: Enabling Community Practice in Architecture and Urban Planning. Amsterdam: Trancity Valiz.

 

近年,都市論が盛り上がりをみせている.グローバル・シティと呼ばれる大都市は,グローバル化の圧力の下で都市間競争を余儀なくされ,新自由主義的政策によって競争力を高めるべく都市改変を繰り返している.ジェントリフィケーションは新しい現象ではないが,そうした近年の動向にも位置付けられる.創造都市という概念も都市再生の新たな原動力となっている.
都市計画分野ではマクロ的視点によるトップダウン的な計画は影を薄め,ミクロ的視点による住民に寄り添った比較的規模の小さいまちづくりが主流になっている.本書はボトムアップ的な方向性を重視しながらも,トップダウンの持つ力に抗うのではなく,公私の対話と協同に着目する.また,理論・実践の双方において都市全体を視野に入れた議論を展開している.
編者は建築・都市計画分野の研究者であり,ミアッツォがイタリア生まれのオランダ在住,キーはカナダ育ちの香港在住だという.原著は英語で出版されているが,事例地域や執筆者は英語圏に限定されていない.本書はオランダを拠点とする財団であるCITIESが中心となり,2012年に香港で書名と同名のシンポジウムを開催し,その活動が2014年に本書として結実する.執筆者には編者を含めて15名が名を連ねるが,CITIESに属するオランダの地理学者2名を含んでいる.
イントロダクションに含まれる「理論的な枠組み」は3ページにすぎないが,5つの都市からそれぞれ4ヶ所ずつ選ばれたケーススタディの報告は常に理論的な視座を基礎としている.各章の最後に掲載された文献表には,地理学者を含む著名な社会・都市思想家の作品が連なる.
本書の事例都市は,アムステルダム,香港,モスクワ,ニューヨーク,台北である.各章の最初のページには縮尺がないものの,見開きで地図が掲載され,4つの事例の位置が示されている.いずれも都市中心部に比較的近い地点であり,多様な試みが紹介される.各都市の冒頭に36ページの序論があり,その歴史と背景,抱える問題などが概観される.B5版でカラー写真も多く掲載され,各都市の最後にはまた数ページの結論が設けられている.
アムステルダムの序文は「都市開発の文脈」と題して,複雑な内容が簡潔にまとめられており,ここでそれをさらに要約することは難しい.4つのケーススタディは一定の共通性があり,それに関して「都市づくりの主導者:アムステルダムにおける住宅会社の寡占」と題した1ページのコラムがある.アムステルダムでは,住宅市場において社会住宅を供給する住宅供給会社が寡占状態にあり,低所得者層の住宅が不足しているという批判が多いという.
アムステルダムにおける4つのケーススタディのうち2つは集合住宅からなる社会住宅団地の敷地を利用したもので,市民に農業機会を提供する場の創出である.ボトムアップによる小規模な試みの利点は「迅速に社会のニーズに対応できる」(p.35)ことにある.3つ目の事例は河川敷の遊休地を利用した,芸術創造性あふれる手作りのバーである.日本では河川敷の公園などは行政による管理であるが,この事例では市民の要求に応じて市=トップダウン組織がこの小さな計画に積極的に関与していることが評価されている.
香港は周知のとおり,中国政府との関係において香港政府の複雑な立場があり,その一方で住民はその立場を共有しながらもトップダウン的計画に単に従うわけではない.ここで紹介される事例は,まず九龍地区における高架下空地を利用した文化プロジェクトである.次いで,香港大学との共同プロジェクトによる地域調査,香港住宅局による住民とのやり取りのなかで設計された高層住宅団地が紹介される.4つ目の事例が特に興味深く,高速道路建設により移転を余儀なくされた村の移転先での計画である.
移転を要求された村人200人には公営高層住宅への転居が提案されるが,数千人の支持者とともに抗議運動が始まる.しかし,それは徐々に村の移転を前提とした新村の土地購入から計画,設計と移り,新村が近くの場所に建設されることになる.ようやく獲得した土地は狭くいびつな長細いものだったが,「社会・環境面を重視した自己組織化による街づくり」(p.106)であるエコビレッジとして住民を中心とした民主的な計画・設計がなされたという.
モスクワの事例は特定のローカルな街づくりではなく,イベント的なものである.1つ目は都市内での自転車利用を促進する運動であり,2つ目は「DIY型・ボトムアップ型の実験的な都市改善プロジェクト」(p.138)である.ある地区に郵便箱を設置され,住民が都市内の改善要求の手紙を書く.その手紙を活動家が読み,専門家が検討し,行政が解決する.3つ目は市民主導の自主運営と行動を信条としたグループによる街づくりの運動である.ロシア語でDIYを意味するデライサムという名称を用いたこの運動は,「エコロジカルアーバニズム」という原則に基づく.4つ目は日本でも増えつつあるコワーキングスペースの事例である.事例とされたナガティノでは,公的機関の関りが強調され,多様な住民に開かれた交流の場も創出しているという.
ニューヨークは近年の都市論のモデルともいえる.ジェイコブズ的な住みやすさを求める市民運動と,市長の代替わりによって強度を増してくる「新自由主義と企業家的なアプローチ」(p.164)とのせめぎあいのなかで4つの事例が紹介される.1つ目は公営住宅の緑化菜園,2つ目は非営利団体によって劇場が改修され,文化プログラムが行われ,行政が支援している建築物の事例である.3つ目はニューヨーク市交通局が有するオープンスペースを利用した都市広場改善事業である.4つ目は港湾地区にある海軍の物資供給施設をトップダウン方式で改修したもので,若きデザイナーたちの活動の場となっている.
台北は「地理学者デヴィッド・ハーヴェイの批判する資本と都市化の1例である」(p.210)とされる.新自由主義政治の進展により,ジェントリフィケーションが進む.1つ目の事例は丘陵地に作られたインフォーマルな居住地の集落保存運動である.最終的にそのままの保存はかなわなかったが,このコミュニティは主体的に芸術村に生まれ変わったという.2つ目と3つ目の事例は,都市変容によって失われていく地域共同体の記憶の記録に関するものである.都市美運動というと,典型的なトップダウン的政策を想像するが,4つ目の事例では台北市政府による美化政策に対して,市民団体が公共事業を監視しつつ代替案を打ち出す.しかし著者たちは,台北におけるそうした市民運動の継続性の欠如を指摘し,最終的には公的政策を覆すまでには至っていないと結論付ける.
本書の巻末には,実践者と表現された著名な4つの建築事務所に対するインタビューを掲載している.それらは「長い間トップダウンの仕事だった都市の空間づくりに共創を取り入れるために,革新的なアプローチを開発してきた」(p.252)と評価されている.結論はこの多岐にわたる事例を簡潔にまとめてしまっており,少し刺激に欠ける.本書で紹介されているような事例が日本にあるだろうか.また,地理学者が主導するこの種の試みが可能だろうか.

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